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Last update 2008年03月16日

泥睡  著者:コサメ



 気がつくと私はベンチに座っていた。
 あたりは真っ暗で、静まり返っている。すぐそばの電灯だけが頼りだが、それもチカチカと点滅して今にも消えそうだ。
 光につられてやってきた羽虫がジジジと音をたてている。私以外に人がいるような気配はない。まるで暗闇にぽつんと取り残されたような気分だ。しかし恐怖は感じなかった。
「宇宙船員が上も下も無い宇宙空間で一番知りたいのは、方角なんだそうですよ」
 いつの間に現れたのか、私の隣に男が座っていた。点滅する灯りに垣間見える顔は、ニィと笑っている。
「俺にゃよくわかりませんけどね、そういう感覚は。――それで、探し物はみつかったので?」
 男は言った。ああ、まぁ、あいかわらずです。私は言った。すると彼はよりいっそうニィッと笑った。
「まぁ、急ぐことでもありませんしな。焦ったら負けですよ、きっと」
 幸運を祈ります。そう言って彼は立ち上がり、闇の向こうへ消えていった。
 再び私は一人になった。しばらくじっとしていると、遠くのほうから二つの瞳が光を放ってこちらにむかってくる。それは徐々にこちらへ近寄ってくる――電車だ。どうやらここは駅のホームのようだ。やがて電車は音もなくゆっくりとホームに入ってきて、止まった。
 ドアがスッと開く。しかし降りてくる人はいない。もちろん乗る人もいない。
 すると車掌が出てきて、私に言う。
「乗るの。乗らないの」
 機械的な声色だった。帽子のせいで彼の表情はよく見えない。
 乗ります。そう言って私は電車に乗り込んだ。
 車内は案外明るかった。二人がけの長椅子が二列にならんでいる。ぽつぽつと乗客がいるが、彼らは一様に白い頭巾をかぶっている。なんとなく違和感を感じて、私は違う車両に移ろうと一番後ろまで行った。しかしこの電車は一両しかないようだ。仕方なく私はそこの椅子に腰掛けた。
 音もなく電車は走る。でも本当に走っているのだろうかと思って窓の外を覗いてみると、やはり暗闇が続くばかりだった。だがしばらく眺めてくると、暗闇の中で林立する木々が浮かび上がってきた。それらは右から左へと流れていく。どうやら進んでいるようだ。いや、もしかしたらこの木たちが動いているのかもしれない。私は先ほどの男が言っていたことを思い出した。(一番知りたいのは、方角なんだそうですよ)――私は頭を振った。
「降りるの。降りないの」
 上から降ってきた声にハッとした。車掌が椅子の横にヌッと立って、こちらを見下ろしている。私は反射的に立ち上がってしまった。あたりを見回すと、さっきまでいたはずの白い頭巾の乗客たちがいない。
「降りるの。降りないの」
 車掌は繰り返した。私は電車を降りることにした。
 降りたホームは、先ほどの所と比べると多少は明るかった。一両の電車だけでホームいっぱいになってしまうような広さだ。だがやはり人気はなく、すぐそこの改札口にも駅員はいなかった。――もっとも、切符をもっていない私にとっては好都合なのだが。
 改札口をすり抜けると、広場のようなところに出た。何を表現しているのかよくわからない銅像を中心に、電灯がぽつぽつと淡い光を灯している。人はいない。車もない。上を見上げると星はなく、しかし月は丸く輝いていた。前方を見ると銅像に隠れて道が続いている。私は先へ進むことにした。
 どうやら商店街のようだ。しかしどの店もシャッターが閉まっている。相変わらず人の気配はない。曲がり道などがそろそろ現れてもいいはずなのに、道はただまっすぐに続くだけだ。しかもどの店も同じようにシャッターが閉まっているので、永遠にこの道を歩き続けるような気がしてきた。
 そして私はひらめいた。そうだ、引き返せばいい。引き返して駅に戻り、また電車に乗って違う街へ行こう。そう思って私は後ろを振り向いた。だがそこには私が歩いてきた道はなく、かわりに学校が建っていた。今私がいるここは、昇降口だ。下駄箱がずらりと並んでいる。私の通っている学校のような気もするし、違う学校のような気もする。私は中に入っていった。
 廊下や階段や教室など、あらゆる窓から月明かりが照らして、歩くのには不自由しない。誰もいない学校という奇妙な状況にすっかり興奮してきた私は、まるで幼い頃に戻ったかのような気分で歩き回った。理科室においてある様々なものを飽きるまで見物し、ろくに弾けもしないのに音楽室の楽器を演奏し、黒板に思い切り落書きをした。すがすがしい気持ちだった。王様気取りで私は教卓の上に座った。そして教室を見渡した。列を成して並ぶ机たち。それらをここから眺めていると、不思議と優越感が湧いてくる。自然と唇がつりあがる。最初はクククとのどをならすだけだったが、それは次第に大きな笑い声に変わった。さぁ次はどこへ行こうか、そうだ図書室へ行こう。考えをめぐらせながら教卓から飛び降り、教室のドアをがらりと開けた。次の瞬間、私は息を止めた。
 廊下に人がいる。一人や二人ではなく、学生服を着た少年少女たちが壁にそってずらりと列を成して立っているのだ。奇妙なことに皆同じ白い面をつけていて、一人一人の顔がわからない。私は恐る恐る歩を進めた。彼らは私が通り過ぎるのと同じタイミングでゆっくりと顔を動かす。私を目で追っているようだ。
 そのとき、耳をつんざくように予鈴が鳴り響いた。私は思わず肩をビクつかせた。しかもその鐘の音はいつまでたっても鳴り止む様子はなく、キンコンカンコンキンコンカンコンとずっと鳴り続いている。生徒達は相変わらず私を目で追っている。私はたまらなくなって走り出した。だがいくら走ってもどこにも突き当たらない。ただまっすぐな廊下が続き、それにそって生徒達も駆け抜けていく私を目で追うだけである。死に物狂いで私は走り続けた。出口、出口はどこだ、出口は……。心の中で叫ぶと、前方にドアが見えた。私は無我夢中でドアを開けて飛び出した。
 そこはどうやら路地裏のようだった。高いビルとビルの間に挟まれた細い道だ。水色のゴミ箱や、何かの木箱が端に並んでいる。私はその場に座り込んで息を整えた。上を見上げると、丸い月が私の行く先を照らしている。私は安堵して目をとじた。すこし疲れた。
 そのとき、何かの気配の感じた気がして私は顔をあげた。すぐそこのゴミ箱の上に猫がいる。白い猫だ。猫はゆらゆらと尻尾をゆらしてこちらを見ている。
「きみのたいせつなものはなに」
 猫は言った。抑揚のない、舌足らずの口調だった。私は何も答えることができなかった。
「きみのたいせつなものはなに」
 再び言った。私はいらついてツメを噛んだ。しかし猫は繰り返し言うのをやめようとしない。きみのたいせつなものはなに、きみのたいせつなものはなに、きみのたいせつなものは……。
 いらつきが怒りに変わり、私は立ち上がって猫のもとへずんずんと近寄った。それでも猫は動じず、それどころか私を見上げて笑っているようにさえ思えた。
「急げ。さもないと、泥沼に引きずり込まれて、もう二度と帰れなくなるぞ」
 口調が突然流暢になった。それがよけいに腹が立った。そんなこと言われなくたってわかっている。私はゴミ箱を蹴飛ばした。しかしゴミ箱が倒れるのと同時に猫は暗闇に溶けて消えてしまった。
 空を見上げると、月は相変わらず私を見下ろしている。
 私はまた歩き始めた。曲がり角もなにもない、一本の細い道だ。このような道を、私は今までどれだけ歩いてきただろう。後戻りもできない、ただ先に進むしかない道をひたすら歩き続けて良いことがあったためしがない。なのに行かなければならない。この矛盾は、なんだ?
「それで、探し物は見つかったので?」
 いつの間にか私の隣にはあの男がいた。彼も私と同じ速度で歩を進め、こちらを見てニィと笑っている。
 それが、どこにもないんです。どこに行っても見当たらないんです。私が言うと、彼は困ったように眉を下げた。
「気を落としちゃなりませんぜ。ほら、いつも言ってるでしょう。焦ったら負けだって。――しかし、ここまでくるとなると……」
 彼は言葉を濁し、うぅむとうなってしばらく黙った。そして言った。
「問題は、この誰にでも平等に無慈悲な世界を、どう受け入れるかってことなのかもしれませんねぇ」
 突然、目の前が真っ暗になった。月に雲がかかってしまったようだ。ただそれだけのことなのに、大きな恐怖が私を襲った。かと思えば、今度は鼓膜を突き破るかのような鋭い音が私の両耳をふさいだ。私は絶叫した。いや、声がでているのだろうか。それすらもわからない。とにかく言いようのない混乱と苦しみに私はもがいた。
 するとふいに、レコードの針をあげたときみたいに全てがプツンと停止した。水中からゆっくりと誰かにすくい上げられるような感覚で、全身の力が抜けていった。


 気が付くと、白い壁と目が合った。私は身を起こした。
 閉ざされたカーテンの隙間から日の光がもれて、薄暗い私の部屋に一筋の線をいれている。ドアの向こうで誰かが呼んでいる。しかし私は横になり、蒲団をかぶりなおし、目をつむる。瞼の裏の白い猫が言う。きみのたいせつなものはなに。
 それがまだよくわからないんだ。
 答える前に、私は再び泥の中へ引きずり込まれた。




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