Mystery Circle 作品置き場

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

夏の終わり  著者:櫻朔夜



「ダメだ!! あいつダメだ!! タバコのことしか考えてない! なんで操縦桿握らせんだよ!?」
 性能の悪い伝達管から、後部座席に同乗しているヒステリックな猛(タケル)の声が聞こえた。それにつられて徹(テツ)は自機と同じく、四時方向で海上を低空飛行している敏雄(トシオ)の機体を操縦席から振り返った。
 敏雄は分厚い皮の手袋によって動きの制限された左手で、必死に胸ポケット内の何かを探そうとしていた。徹には、その探しているものが、昨夜寮にて自分達の上官である、坂本伍長から手渡された安物のタバコであることは容易に想像できた。敏雄の後ろの席では、不安げな表情で栄二(エイジ)がキョロキョロとしている。彼らの搭乗する九九式高等練習機は、練習用としては優良とされる機体であったが、戦闘専用の零戦や隼とは比にならない程、馬力も戦闘力も低い。操縦桿の操作に関しては集中力の要る機種だ。栄二が不安になるのも無理はない……
 徹は操縦席の内側を拳で叩き、金属音で敏雄の注意をこちらへ向けて手で合図を送る。
「マダ ハヤイ」
 すると、すぐに手信号で敏雄が答えてくる。
「オレハ ゼッタイ スウカラナ」
 栄二が更に泣きそうな表情をする。徹も猛も苦笑いするより他は無かった。

 明け方の出陣。どれくらいたっただろうか。白んできた空が薄桃色に染まり、まるで奈落の様に黒かった海面が、少しずつ青く輝き始めていた。もともと田舎育ちで目の良い彼らには、少し前から、その空にチカッチカッと花火が炸裂するような、小さな火の玉が確認できていた。そして、尾を引きながら水平線へと吸い込まれるようにまっすぐ落下していく光のスジも。
敏雄が気を遣って雰囲気を良くしようとしているのか、既に周りが見えなくなっているのかは解せないが、そこへ向かいながらも関係の無いタバコの話などできている今は、まだマシなのかもしれない。
 1度は無駄だという理由で取り外された後方機銃は、戦果を上げる為に再登載されてはいたが、無線機などという不要で高価なものはそれよりも先に、とっくに取り払われ、以降二度と装備されることは無かった。伝達管から猛が何かぼやいているのが微かに聞こえる。無線があれば、猛だけでなく敏雄・栄二自身の声を聞くこともできるのに…再び徹はガンガンと機体で音を立て、手信号を送る。火薬の匂いが、風に乗って漂ってきていた。
「ソロソロダ ケントウヲ イノル」
 四人はそろって、親指を突き出す。そして、徐々に高度を上げていった。


 徹は士官学校の飛行訓練を受けている予備士官だった。滑走路のある方角を覗いては全てを山や林に囲まれただけの学校は、それなりに青春を送る訓練生にとって充分とは言えなかったが、ここだけゆっくりと時間が流れているようなそんな風景は、日々の訓練で疲れきった訓練生達を癒すには、絶好の地だったのかもしれない。
 半月ほど前、ついに徹の部隊にも作戦敢行に対する待機の命が下り、上官である坂本伍長によって、それは訓練生へと公表された。
 今まで年功順に次々と戦線へ赴く同輩を見送ることはあっても、直接的な部隊として参加の命令は初めてのことであり、それほどまでの戦局の悪化を感じさせた。平均年齢は弱冠19歳、当初50名を超えた訓練生も、最近ではほとんど欠員補充されることもなくなり、残り僅か10余名となっていた。余りに急で、過酷な環境の変化だった。

 徹が指揮官室へと足を踏み入れたのは、それが初めてだった。自分たちに倹約を指示する部隊長なだけに質素な部屋を想像していたのだが、案外にしっかりした木彫の机に肘をついて指を組んだままこちらをじっと見つめる部隊長は、いつにも増して重厚な面持ちだった。学徒達から、西洋かぶれと密かに馬鹿にされている口髭を、知ってか知らずか彼は横柄にひと撫ですると、彼は寺の伽藍に響き渡る読経の様な声で言った。
「頼んだぞ」
「………はい」
 たったこれだけのやりとりだった。隊長の命令だから背けない、というよりも、安否が分からず仕舞いで家族すら失ったも同然の徹にとって、最早この戦争の結果などどうでも良い事だった。名目上、作戦参加への志願者を募ってはいたが、欠員していた最後の1人に、部隊長はとうの昔に親兄弟が行方知れずになっていた徹を指名したのだった。
 洗脳されきった上官達のように、頑なに勝利を狂信している訳でもなかったが、どうせなら名を残したかった。どこかで生きているかもしれない家族が、徹の存在を知ることができるように…ただそれだけだった。
 それから数日の間、自分の他にも参加者が居る、ということは何とはなしに考える事はあっても、それが誰なのかを知ろうと思うことはなかった。実戦の感覚が日々増してくる中、待機状態に耐え切れず、精神に異常を来す者も現れ始め、誰もが改めて作戦内容を口にすることを避けていた。

 張り付くようだった真っ青な空がいつしか遠のき、山々から滲み出す蝉の声も少なくなった。日中の残暑から転じて、肌寒くすら感じる或る日の夕方、徹は召集された。いよいよ明日か、と思う。部屋へと赴くと、そこには徹を含め8人が揃った。
 普段は教鞭を振るうだけの坂本伍長が、『粗方、分かっているとは思うが…』と、前置きをしてから簡単に作戦の説明を始める。…今ここに集合している8名は、先発・後発それぞれ2機ずつに搭乗し、明日の明け方に出陣する。他飛行場からも、目標の太平洋沖地点へと同時発進し、集合・会敵する……大まかな要点は、これだった。
 そして、徹と同じく後発部隊となったのが、猛・敏雄・栄二であった。

 その夜、彼らには酒が振舞われた。後発の4人で席へとつき、黙って酒を飲み始める。そんなに親しい間柄の4人ではない。暫くの間は大した言葉も交わさなかったが、彼らの年齢の若さと安い粗悪な酒とが酔いを手伝い、互いに緊張と興奮とを隠すように大騒ぎし始めた。
 猛は、神経質なくらいに愛国心を持っていた。しきりと茶碗の中身を気にしながら、『絶対に勝つんだ』と、熱く繰り返した。対して敏雄はお調子者であった。
 その猛を小馬鹿にするように、『おぅおぅ、言うねぇ、流石だねぇ』と、合の手を入れる。お堅い猛はその調子にますます白熱し、熱弁を振るう。その隣では、栄二が『やめろよ、二人とも…』と、小さな声を更に小さくして困った顔をしている。

 熱くなりすぎた猛はあっという間に酔い潰れ、隣席に居た栄二は仕方なく猛を部屋へと担いで行った。取り残された徹と猛は、笑いながらそれを見送った。
 猛の参加は、あの愛国心から何となく納得ができた。栄二は、兄二人がそれぞれ軍内で相当な地位まで出世している、と聞いた事がある。そのせいで、家族からは落ちこぼれ呼ばわりされている、とも。今回の作戦への参加も、その経緯があっての希望だったのかもしれない。そうでなければあまり気が大きいとは言えない彼が、希望するわけがないだろう。
 それだけに、徹が気になるのは、敏雄の参加理由だった。薄暗い裸電球の下、先発の4人はだいぶ前に退出していた。
「なぁ敏雄、お前何で希望したんだ?」
「ああ、俺とっくに父ちゃんは戦死して、今は母ちゃんと妹が遠くに疎開しててさ…」
 敏雄は笑いながら続ける。
「守ってやりたいんだ、父ちゃんの代わりに俺が。父ちゃんが居ないからって馬鹿にされないように。」
「………」
 何となく、敏雄がヒトを馬鹿にした態度を取る理由が分かったような、そんな気がした。

 急に黙ってしまった敏雄を横目に、徹は、自分の家族を想った。父親は病弱な為に赤紙は来なかった。代わりに、届いた赤紙は徹に、だった。父親を最後に見たのは、家を出る日の朝、病床で眠った顔だった。まだ小さな弟を抱え、母親は徴兵される自分を見送ってくれた。
 だが、東京が空襲された後、3人がどうしているかを知らせる便りは、どこからも無かった。徹は、独りになってしまった。
「俺は…」と、徹は言う。
「俺がどうしていたかを、家族に知って欲しくて参加を了承したんだ。どこかに…名前が残るように」
 一瞬、何を想ったのか敏雄が似合わず神妙な顔をしたが、すぐにまた笑顔に戻り、勢いよく言った。
「例え家族がどうなっていても、きっと、徹のことは見つけてくれるさ!」
 徹も、そんな気がしていた。それが例え、明後日の新聞であれ、天国での再会であれ。

 二人だけの酒宴は遅くまで続いた。騒ぎに気付いた坂本伍長が、引き戸から覗き込んできた。
「何だ、お前たちまだやってるのか。作戦に差し支えるぞ?」
 そう言いながら、ブーツの踵を鳴らして近付いてくると、おもむろに胸のポケットから銀色のケースを取り出し、中から紙で巻かれたタバコを1本ずつ、徹と敏雄に差し出した。
「アメリカ人は、無事に帰還すると、葉巻を吸うとかいう迷信を持っているらしいからな。お前達にも、餞別だ」
 二人が受け取ったのを確認すると、坂本は不思議な、目を細めるような表情を浮かべ、「じゃあ、また明日な」と、用は済んだと言わんばかりに、くるりと二人に背を向けた。入ってきた時と同じように、ゆっくりと踵を鳴らしながら。
 それを追いかけるように、二人は叫んだのだった。
「それなら、俺は明日、あいつらを爆撃した炎でタバコを吸って馬鹿にしてやりますよ!!」
「そうだ、俺達であいつらを沈めた火でタバコを吸った兵士として名を残してやります!」
 坂本は振り返らず、しかし頭を垂れたまま、右手を上げて部屋を出て行った。



 高度が上がると、戦場の景色が一気に眼に飛び込んできた。眼下に広がる戦況は、圧倒的に不利なものだった。徹ら2機より前に会敵した先発隊のほか、同じく後発隊として他飛行場から出陣してきた機体が、遠くで日の光を反射しているのが見える。ふと、並飛行している敏雄と目が合った。二人は信号を送るでもなく、互いに頷き、離散・下降を開始した。

 胴下部に無理矢理搭載している50キロはあるかという爆弾が、空気抵抗を高め余計に機体の失速を誘う。
「徹!!ぼんやりするな、後につかれるぞ!!」
 猛の声にハッとする。後部機銃が吠え始める。この九九式高練では、アメリカのB-29の様な下降途中の大袈裟な急旋回などできない。後退角を一瞥し、徹は早い段階から大きく右へ旋回しはじめる。上昇限度も、今は積んでいる爆弾のせいで普段の3分の2程度だろう。速度が遅い分、相手を動かすしかない。後につかれても追い抜かれる方が先なら、大きな旋回ほど戦闘機との交戦は短くて済む。その間に高度を下げていけば、前方機銃で戦艦からの砲撃部を狙える……徹の頭は高速で回転する。

 そうしながら、どれくらいの時間がたっただろうか。彼らを護衛してきた直掩機が十一時方向で落下していくのが見えた。それに気がついて辺りを見回すと、戦艦に近付くまでもなく、味方機は撃破され、相当の数が減っていた。徹の機体も、まだ戦艦までは届かない。徹は焦り始めた。
 そちらに気を取られた瞬間、唸り声を轟かせて頭上をB-29が通過する。と、同時に右翼に強い衝撃を感じた。照射されたのだ。猛の怒鳴り声。
「このままじゃやられる!!もう、いいから真っ直ぐ突っ込め!」
「わかってる!!お前は後ろ向いてろ!!」
 右翼エンジンが炎上し始めた。敵艦まではもう少し……早くしないと、炎が燃料タンクに到達してしまう。空中分解なんて、そんな意味の無いことはまっぴらだ。徹は機体を安定させようと、必死で操縦桿を握り締める。それが功を奏してか、二人の戦闘機は風に乗った。「やった、いけるぞ!」猛が叫ぶ。
 その直後、頭上を黒い影が過ぎった。再び先ほどの敵機が引き返してきたのか、今度は胴後部を射抜かれた。轟音はあっという間に過ぎ去り、後部の人間の気配が消えた。
「猛!?」
 徹は無理矢理に後部座席を振り返る。機銃にもたれるようにして前のめりになっている猛の頭は、半分吹っ飛んでいた。目の前で人間の頭が半分になるなんて、初めての事なのに不思議と何の感情も湧かなかった。気付くと自分も、体中に機体の破片が刺さっている。今の攻撃で、尾翼は使い物にならない。操縦桿は、左右に動かしてもどこかのワイヤーがカタカタとなるばかりで、もう旋回の維持はできなかった。できるのは、滑空のみ。
 徹は、失血で薄れそうな意識を持ち直し、手袋を外して胸ポケットを探る。昨日のタバコだ。火は点けないまま口に咥える。かろうじて生きている高度計の針がグングンと振れていく。そちこちで小さな炎上が始まった。落ちていく先には敵艦があるはずだ。

 …もう、眼がよく見えない。明るいか暗いか、それだけだ。


 そのとき、朝日を背にして、前方から、突入してくる味方機の影が目に入った。あれは…
「敏雄!!」

 独りじゃなかった。

 何となく、敏雄もタバコを咥えている気がした。唇から白い歯を覗かせて、ニヤリとしている顔が目に浮かぶ。多分、敏雄も徹に気がついているだろう。お互いに見えているかどうかなどは問題ではなかった。親指を突き出して、二人は互いを送った。




 衝突音……
 爆発の瞬間、家族の姿が見えた気がした。笑っていた。

 やっぱり、独りじゃなかった。




 死んでも、『万歳』などと言ってやるものか。
 「はっはーっ! ジャストミートッ」


 目の前が、赤く弾けた。




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