Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

白い轍  著者:松永夏馬



「この寒い晩にオサンポに行ってる。やっぱロシア人はちがうわ」

 アタシはそう言って寝袋と毛布に包まれたまま視線だけをその男に向けた。
「オレはロシア人じゃない」
 屋内にも関わらず白く煙る息が厳しい寒さを物語っている。短く刈り込まれた銀髪ととび色の目をした長身のこの男はこう見えて国籍はアタシと同じ日本だ。
「ロシア人の血を引いているのは間違いじゃないでしょ?」
 母親の血が色濃くでた外見だが生まれも育ちも、流暢に話す言葉もジャパニーズ。もっとも英語とロシア語に加えさらに数ヶ国語も流暢。アタシには真似のできない芸当だ。
「母だって日本人だ」
 床に転がったアタシを見下ろしたまま抑揚無く言い切る。彼の年齢から推測するに、おそらく彼の母親は元ソビエト人で元ロシア人で今は日本人男性と結婚した『日本人』なのだろう。
「いいからちょっと、起きてくれ」
 今ようやく寝心地の良い具合に寝袋の中の毛布を調節したところなのに。
 彼はアタシに物事を軽々しく頼んだりしない。だからこそこういう時は何を言っても曲げようともしない。アタシは彼との短い付き合いの中でそれは理解している。
「何?」
 とりあえず動かずに訊くだけ訊いてみた。彼は珍しくなんとも困ったような顔で眉をひそめた。
「……なんつったらいいもんか」


 彼とはひと月ほど前にモスクワの日本大使館で出会い、今に至る。アタシはフリーのジャーナリストだ。カタカナで表記するとなんとも便利な言葉だと思う。実際はその日暮らしのモノカキで、見た目はカメラ片手のバックパッカーと大差ないのに。
 ロシア連邦と隣接するこのS国は英語圏ではないのでアタシの覚束ない英語だけでは現地住民とのコミュニケーションが難しい。英語圏でも難しいのかもしれないが、それはさておき、せめてロシア語の通訳が必要だとアタシは判断した。そういうものを現地調達しようというのもバカなハナシだがなんとも結果オーライ、彼を見つけた。ちなみに彼は紛れも無いバックパッカーなのだが。

 ルーク、と彼は名乗った。日本人だというのだから本名ではないのだろう。いや、日本人でも最近はエキセントリックな名前を付ける親も多い、可能性が無いわけでもないが、言いたくも無いことを聞き出すのはアタシの趣味じゃないから深く詮索はしなかった。ただ、チェスの駒で「城」を意味するその名は、どこか荘厳な彼の雰囲気によく似合っていた。年齢は……訊いていないがおそらく20代前半といったとこだろう。大学生くらいかもしれない。少なくともアタシより10は若い。

 アタシとルークの目的地は一緒だった。これが二人にとって幸運だったことだ。
 S国とN国は元々ひとつの国だ。長年の民族紛争の果てに今年の夏……この国に日本のような四季があるのかは微妙だが、形としてはS国から強行独立する形でN国は『国』となった。正確には『国となったと言い切った』のである。当然紛争は収まらず、国境周辺では兵隊が闊歩し火薬と硝煙の匂い漂う世界。世界の主要国のいくつかが己の正義を振りかざし軍隊を派遣しているので、このあたりは現地人よりも外人さんのほうが多そうだ。
 直接ドンパチやっているわけではない、ここしばらくはにらみ合いだから大丈夫だなどと雇い主には言われたが、一触即発のこの現状でよく大丈夫だと保証したもんだ。……あ、そうか、だからフリーのアタシが選ばれたわけね。
 アタシの雇い主による日本での人脈とコネと弁舌を駆使した下準備が功を奏し、S国の入国審査は難なくすり抜けられた。ルークを通訳兼助手として。本来ならアタシ単独での仕事なのだが、まぁこちらで問題を起こさなければ雇い主とその知り合いの知り合いのそのまた知り合いくらいのプロデューサがいる日本の有名某テレビ局が大騒動になることもないはずだ。たぶん。

 それから移動を繰り返しようやくN国との国境に辿り付いたのが今日の午前中。残念ながら入国は受理されなかったが、国境付近に未だ残る集落に身を寄せることが出来た。異国のジャーナリストは現地人の苦しみを世界へ知らしめる大義名分の元、今この場で出来うる最高のもてなしをされた。ま、粗末な食事と隙間風が幅を利かせる掘っ立て小屋なのだが。
 アタシの仕事は現地住人の本音を持ち帰ること。S国やN国の掲げるタテマエめいた正義やらなんたらはいらない。平和ボケした日本人には想像すらできない、不安定な今を、いつ戦火がふりかかるかもしれぬ恐怖を、突如として国境の線引きをされた困惑を、現実を、持ち帰ることだ。
 そしてそれは日本人にとって、戦争を憂い悲しみ平和を願う為の恰好の材料。
『対岸の火事』。言い方悪いが野次馬意識を満たす娯楽だ。
 え、なんでこんな寒さ厳しい時に来たかって? 厳しい環境のほうが悲壮感が強くって野次馬に喜ばれるからに決まってるからじゃない。


「……何?」
 言いよどんだままのルークを寝袋にくるまったまま促すと、彼はアタシをでかい足で小突いた。相変わらずアタシを女扱いしない男だ。
「いいから起きろ。見てもらいたいもんがある」
 へいへい。アタシはあえて機嫌の悪い顔で寝袋のジッパーを下げて体を起こした。無音の冷気が体を覆う。不機嫌な仮面も2発連続のくしゃみでダイナシだ。
「何よ、何かあんの?」
「いや、それが……」
 渡された防寒着を羽織りながら訊ねるも、彼の言葉は珍しくハッキリしない。もともと寡黙な性質だが、それだけに思慮深い彼の言葉は常に重みを孕んでいたのだが。
「トナカイがいる」
「へー、この辺にもトナカイなんているんだ」
 意外な言葉が返ってきたので、少し笑えた。上背のあるルークが急に子供に見える。へぇ、カワイイとこもあるじゃないかコイツは。
 が、軋むドアを開ける彼の口から出てきたのはさらに意外な言葉。

「そりもある」
 冗談。
 そういや今日はクリスマスイブじゃないか。ケーキもツリーもイルミネーションも無いが、外は一面薄く積もったホワイトクリスマス、せっかくなら靴下くらいぶら下げてみようかね。
 アタシはそうして凍るような夜空の下へと出たわけだが。

 眠気が一気に吹っ飛んだのは、消して寒さの所為じゃない。

 ルークが懐中電灯で指し示した大きな樅の木の下には、白く煙った鼻息荒く大きな角を幹や雪の地面にガリガリ擦りながら佇む四頭の立派なトナカイと、繋がれた木製の大きなそり。荷台には白い袋が置かれていた。

「うっそ」
 思わず声が出た。場違い……いや、薄く積もる雪原と樅の木とトナカイにそりとくれば1枚の絵のようにしっくりくる配置なのだが、よく考えろ。ここは銃を担いだ兵士がうろつく戦地で、向こう側の雪原一面真っ白いが凍った土の下は地雷の巣だ。無垢な花嫁のように見えて鬼嫁だ。いい例えだ。いやそんな馬鹿な。
 とにかくココはクリスマスだなんて平和な幻想が存在するはずのない、強引に切り裂かれた国境のさかい目なのだ。

「あんたにも見えるか」
「良かった、アタシだけじゃないんだ」
「なんだと思う?」
「そりゃ……デパートのウィンドウディスプレイじゃないことは確かよね」
 ルークとアタシはまばたきもせずにトナカイとそりを見ていた。ぶるる、と一頭のトナカイが鼻を鳴らす。おお。本物だ。
 しばらくそうしていた。吹き付ける風は凍えるほど冷たいはずなのに、ただ黙ってアタシ達は黙って突っ立っていた。だってありえないじゃん? まさかそんな。

「……あのぉ」

 驚いたわ。あまりにも驚いてルークの腕を掴みそうになった。

 そりゃ驚くわよ。こんな異国の真っ暗な夜によ? 超現実的な生臭い日々に突然非現実的な一場面に遭遇した挙句によ? 突然声かけられてごらんなさい。それもサンタクロースに! それも日本語で! 日本語て!?

「ホントはね、人前には出ちゃダメなんだけどさ、なかなか退いてくれないんだもん……困ったな、日本語通じるかな」
 ぶつぶつと呟きながらその中年男……紅白の衣装に身に纏ったサンタクロースはポケットから名刺入れを出して1枚取り出すと、アタシに向けて差し出した。懐中電灯の光で照らされた顔は明らかに東洋人の中年男性で、日本語も妙なイントネーションは無い。自分で日本語って言ってるし。
 名刺は現地の言葉とロシア語、英語で書かれていた。英語ならいちおう読める。

『サンタ・クロース・カンパニーS国第18支店配送2課4班 サンタクロース』

「さんたくろーす……って日本人だったの?」
 なんだかマヌケな第一声を発してしまったが、アタシの言葉に不安げな顔をしていたサンタクロースは表情を一変させた。

「日本語通じるんですね! 日本人? いやあ良かったー、英語できるとか履歴書に書いちゃったからこんなトコに応援に来させられちゃったんですけどね。去年まではちゃんと日本の第22支店で働いてたんですよ。いやー、久しぶりの日本語だぁ。やっぱいいですよねぇ、日本語。いっつぁじゃぱにーずワビサビ」
 なんのこっちゃ。ていうか、よくしゃべるオッサンだ。サンタクロースってもっとこう物静かで穏やかなおじいちゃんで「ほっほっほー」な笑い声じゃないの? 中間管理職みたいな愛想笑いだよこのサンタ。揉み手が似合いそうだ。
「ホントは人目に隠れて仕事しなきゃいけないんですよね。バレたら怒られちゃうんで僕に会ったこと秘密にしててくださいよ」
 じゃぁ何故名刺なぞ持っている。
「で、ですね。ほら、日本は少子化でしょ? 人件費削減でだんだんサンタ数も減らされちゃってさ。地元で仕事できればいいけど、海外出張でこういう手の足りないとこに借り出されちゃうのよね。まぁ、また仕事クビになって職探しするよりはマシかなって」
 あー、もう、なんだなんだこの生臭い話は。なんて夢の無いサンタクロースだ。ルークなんか目が点になってるわ。初めて見たこんな顔の彼。
「あ、なんか僕ばっか喋っちゃってすいませんねぇ、いえほら、同郷の人に会えてなんかもう嬉しくって。こっちの国の人ってなんていうか日本人馬鹿にしてるような目で見るし、手伝いに来てあげてるのに待遇が良くないっていうか、見てよこの地図。去年のコピーだからこの近辺全然変わっちゃっててさ、イヤガラセかっつー話ですよね。大体この国の人は……あ、もしかしてこちらの彼はこちらの人?」
 ようやくルークに気が付いたのか、急に不安げな顔でルークとアタシを交互に見て汗を拭く。この寒いのに汗をかくのかこのオッサン。
「あ……に、日本人ス」
 どもりながら答えたルークに心底ホッとしたような表情を浮かべると、サンタクロースは小さな目でまじまじとルークの顔を覗き込んだ。思わずルークも一歩後ずさる。

「あれ?」
 じぃっと見つめていたサンタクロースは急に目を細め、ポンと手を打つ。
「るぅ君? るぅ君だよね?」
 サンタは楽しそうにルークの二の腕をばしばし叩いた。彼はルークで、まぁ確かにるぅ君でもいいんだけど。
「えーっと、確か……ルシア君、うん、琉士亜君だったよね。いや、懐かしいなぁ。毎年手紙書いてくれてたでしょ、だから僕も憶えているんだ。ちゃぁんと取っといてあるんだよそういうのは。ほら、いつだったかなぁ、プレゼントはいらないからお母さんの風邪を治してくださいってお願いの手紙書いてくれたじゃん? アレはもう、僕感動したっけなぁ」
 手紙? と訝しげにアタシはルークの横顔を見た。ルークは恥ずかしさと驚きが混ぜこぜになった顔で、アタシの視線に気付くと慌ててそっぽを向いた。間違いなくるぅ君だコレは。

 ぶるるッとトナカイが嘶いた。
「まずい。早くノルマクリアしないと査定に関わる」
 思い出したように、というか完全に自分の職務を忘れていたサンタクロースは慌ててそりへと数歩駆け寄り、そして振り返った。
「ひさしぶりに同郷の君らと話せて楽しかったですよ。やっぱ日本語っていいね、ありがとう。あ、でも僕のことは他言無用の秘密厳守でお願いしますね。上にバレたら困っちゃうんだ」
 人の良さそうな中年男はそう言ってからよっこらせとそりへと乗り込み、トナカイの手綱を握った。
「じゃぁねぇ」
 あっけにとられるアタシ達を尻目に、サンタクロースを乗せたそりは、木立の隙間を抜け真っ白に塗られた平原へと乗り出した。トナカイの蹄が雪を食む音と雪原に刻まれた轍が、暗い闇の中に消えていく。白い闇のむこう側、N国から鈴の音が聞こえた気がした。

 そして残された静寂。

 この瞬間だけを切り取って見れば賛美歌やアリアあたりをBGMにとても美しい映像になるはずなのだが、どう考えても非現実的な男の妙に生々しい現実的な話によって、なんとも釈然としないというかスッキリしないというか。おそらくアタシ達がマンガのキャラクタならば、二人の後ろには『ぽかーん』という書き文字があったに違いない。

「……あのさ」
 沈黙を破ったのは彼のほうだった。
「ん?」
「この集落が母の生まれ故郷なんだ」
「へぇ」
「N国側かS国側かも定かじゃないだろうな。国境で切り裂かれたこの場所、このさかい目」
 そうか。彼は、いや、彼の母はロシア人ではなかった。

 元ソビエト人の日本人。そしてその故郷は1991年ソビエト連邦の崩壊によって世界有数の巨大国家から切り離され一転アジアの貧しい一小国となった。落ちぶれた、といっても過言ではないだろうか。そしてその小国も内戦を繰り返し続け、今またS国とN国とに裂かれつつある。
 それが彼女の故郷。彼女の持つ望郷の念とはどういった類のものだろうか。

 琉士亜。ルシア。

 息子に付けたその名にはどんな想いが込められているのだろうか。
 島国でのうのうと生まれ育ったアタシにはさっぱりわからない。戦争も内部紛争も知らないアタシには生まれ故郷が切り崩され別の物に変えられてしまうことなど思いもしない。
 だから彼は来たんだ。母の、そして自らのルーツを自身の目で見る為に。

 アタシはあることに気付いて手袋に包まれてわかりにくいが雪原を指し示した。懐中電灯にぼんやりと照らされた雪原に残る轍。サンタクロースの軌跡。

「……あ」
 彼も気付いたらしい。
 この先は地雷の巣なのだ。足を踏み入れることすらできない国境を、文字通り滑るように駆け抜けていった夢の配達人。……夢の無い話ばかりしてけど。大体他言無用の秘密厳守なんて言ってたけど、この手に残った名刺はどうしたもんかね。

「うらやましいことだわ」
 呆れたようにアタシは言った。息が白い。
「というか、なんか悔しいわね」
 琉士亜もまったくだと頷く。そして少し遠い目で苦笑い。それも白く煙って消えた。
「彼らには無いんだ。世界のさかい目なんてもんは」




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