Mystery Circle 作品置き場

空蝉八尋

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

赤緑連盟  著者:空蝉八尋



『仲間のお節介につきあう暇もないほど、死に急いでるわけじゃないんだろ?』
 またしてもこのパターンか。
 人間が格好付けて生きていくために必要な【余裕】を強調させるいやらしい言い方。
 電話越しに囁かれる気味悪い猫撫で声に顔をしかめた。
 窓の外は珍しい小春日、和蛇のようにうねるブロンドの髪をかきあげ、鹿撃ち帽にインバネスコートを着込んで貧乏ゆすり。
 彼女は3代目なのだ。
 格好だけは初代を気取る、その服装とは奇妙なほど不釣り合いな女の名前はシャーロック。
『あーホラ、そんな変な顔しないでよ』
 電話線で繋がれた向こう側は幼馴染のレストレード、使いっ走りでうだつのあがらない警察捜査官である。
 タイミングを見計らったように言い当てられ、彼女はますます心境を悪化させた。
「くだらない事にさく時間はこれっぽちもないの」
『そりゃないよ! この俺さまの必死のお願いがさァ、くだらない事ってのはないでしょシャーロックゥ』
 声ひとつでレストレードのへこたれた表情がありありと目に浮かび、思わず頬を緩める。
「ていうか、私に願い事をするならワインの一本や二本持って頭下げにくるって約束でしょう?」
『だってさァ、そしたらまたあの健康オタクのワトソン君に怒られちゃうと思ってぇ』
「ああ、大丈夫よ」
 彼女はロッキングチェアを回して背後を見やった。
「ワトソンなら今そこでのびてるから」
 ふわふわと手触りのよさそうな栗毛の少年。
 うっかり花瓶を割り飛び散った破片が指をかすめたらしい。自らの血を目にして顔面蒼白で倒れている。
 世の中そう少なくなく存在するのだ。血を視界に入れると倒れるほどの貧血を起こす、気の毒な性質。
『あー……そ、そう。彼が医師免許とれる日はまだまだ遠いね……だから姿見えなかったのか』
「えー? ごめん最後聞き取れなかったんだけど?」
『おーっとなんでもない! なんでもないよ!』
 突然の大声に目を閉じて受話器を耳から遠ざけたシャーロックは、咳払いをひとつして会話を終わりへと運ぶ。
「ま、とにかくそういうワケだから。またくだらない、みみっちーい事件に手をかそうとは思わないの。家でテトリスしてる方が楽しいもん」
『じゃあどういった事件がお好みで?』
 シャーロックは少々俯いて考え込む。
「そーねー。ベーカー街を騒がす血抜き亡霊殺人事件、奇妙奇天烈連続爪はがし殺人事件」
『おえ。バイオハザードとかやればいいのに……まあいいや。ありがとうシャーロック』
「ちょっと待ちなさい! まだ引き受けるなんて言ってないわよ」
 今度は電話の向こう側が受話器を遠ざけたであろう。呆れかえった声が返ってくる。
『人の話す大事な話は、最後まで聞くもんだよキティ』
「あら、これ大事な話だったの?」
 いけしゃあしゃあと言ってのけたシャーロックだったが、そんな反応に慣れているのかレストードは得意げに声を荒ぶらせた。

『二人死ぬはずだった事件が、何故か片方死んでないんだよ!』

「…………はぁ?」
 一呼吸置いて、疑問詞な迷探偵の声。お調子者はなおも興奮した口調を崩さずに続けた。
『今回は浮気調査でも猫ちゃん探しでもないよ。列記とした殺人事件なんだよねコレが』
「そ、それで?」
 予期せぬ事態に、返事の間隔は短くなっていく。
『君がさっき言ってのけた怪奇事件にも劣らない、新聞未公開事件さキティ!』
「ワオ! 最ッ高! アンタやればできるじゃないの」
 電話だと言うことも忘れ、手を合わせるように飛び跳ねる。感情の急激な高ぶりは最高潮に近い。
『題して! 二人のはずが一人しか殺されなかった事件ッッ!』
「そのまんまじゃない、ばか」
 お約束の肩すかしをくらい、少々平静を取り戻しつつあるシャーロックは我に返ったとばかりに溜息をついた。
「……ま、とにかく。私最近スランプなの。そんな気分でもないし。そろそろワトソン救出しなきゃいけないし」
『ここまできたのに!? そーれはないでしょ!? ケーチ!』
「うううううるさいわね! じゃ、じゃあ今すぐ貢物持ってこれたら引き受けてやるわよ!」

「…………」

 騒がしかった受話器の向こうが、糸を切ったように静まり返った。
 シャーロックは嫌な胸騒ぎに襲われる。
「『……言ったね』」 
 不意に彼女はしまったという風に顔を歪めた。背後に絶対的な気配。恐る恐る振り返る。
「やっほーい、便利だねぇ文明の利器って」
 携帯電話を耳元に寄せ、蝶が舞うように手をふるレストレード。包装紙に包まれたワインボトルを片手に勝ち誇った笑みを浮かべている。
 シャーロックは無言のまま電話を切った。


「しかしレストレードさん、いつも突然来ますよねぇ」
 まだ顔色が良いとは言えないが、意識が戻り回復したワトソンが自慢の紅茶を煎れる。  
「突然じゃないよ。ちゃんと電話でアポとったよ」
 香りを楽しみティーカップを優雅に口へと運ぶレストレードの向かい側で、いかにも不機嫌を現したようなシャーロックが机に足を投げ出していた。
 ワトソンの子犬のような瞳がつりあがった。
「シャーロック! 行儀悪いですよ! 客人がいらっしゃっているんですからもっとキチンとして下さい」
「コイツは客じゃないわよ、厄病神」
「もはや人外化してるんだネ俺さま」
 シャーロックは一気に紅茶を飲みほすと、カップをソーサに叩きつけるようにして置いた。
 耳障りな音にワトソンが肩を震わせる。
「……――で。さっさと話を展開させなさいよ。お茶飲みに来たんじゃないんでしょ?」
 その隣にお盆を抱いたまま、ワトソンも腰を下ろす。
「今度は、その、本気でほんとの殺人事件……なんですか?」
 レストレードはすっかり怯えきった表情のワトソンを上目でみると、にやりと微笑した。
「本当だよー。ばっちり人も死んでるよ」
「ひえぇ……こ、怖いですねシャーロック!」
 ワインの品定め中の彼女の袖を掴んで引っぱる。
「おばか。探偵が死体怖がってどーすんのよ」
「僕は一応助手っていうポジションですからっ。人並みに怖がりです、ハイ」
 レストレードは黙って立ち上がると、まるでもうすでに謎解き中の探偵のように部屋中をぐるぐると回り出した。
「これは昨夜とある住宅街、マンションの一室で起こった事件だ」
 シャーロックが視線を戻し、ワトソンは膝の上でこぶしを握り喉を鳴らした。
「そこで穏やかな時間を過ごしながら最高のディナーを楽しむ男女が居たのさ……よし、ここは一丁仮名を使おう。何がいい?」
「え? ……普通に、Aさんとかでいいんじゃないですか?」
「OK、ワトソン坊やのを借りよう。そこで最高の夜を過ごすはずだった男……A吉」
「オイなんでアレンジ加えた!? ちょっと、万が一ソイツの苗字が」
 反射的に騒ぐシャーロックを人差し指で静止すると、レストレードは続ける。
「奴は女との食事中、なんの前触れもなく急に苦しみ倒れてポックリ逝っちまったらしい」
「わ、わぁっ……なんだかサスペンスみたいですね」
「念の為聞くけど、それちゃんと事件だって言い切れるの?」
 シャーロックの眉が訝しげに顰められる。もはや彼の信用はどこまでないのだろうか。
「勿論。A吉に持病なんてもんなかったし、それに検死の結果毒殺だって事も判明した」
 レストレードは相変わらず部屋の中を動き回っている。それを律儀に見つめ続けるワトソンは目を回しかけていた。
「フーン。で、肝心の毒はどこに入ってたのよ」
「A吉の皿。トマトサラダだ」
 そこでシャーロックは口元に手を当て、床と壁の中間に視線を走らせながら何かを考え込む。
 レストレードはしばらくその様子を眺め、また話を再開させる。
「うーん……そうなるとやっぱり怪しいのは」
 首を捻ったワトソンに人差し指を突きつけ、レストレードはお得意のウィンクをする。
「ああ、やっぱりA吉と食事をしていた彼女……仮名は必要ないか。矢沢マキだ」
「彼女の苗字矢沢!? 婿養子になったらどうなっ」
「仮名だって言ってんだろキティ、ちょっと落ち着け」
 思わず席を立ったシャーロックを再び静止させ、レストレードは尚も続ける。
「まっすぐ矢沢に疑いがかかった。でもな、彼女の主張だと『A吉はきっと自殺したんだ』って一点張りさ」
 シャーロックは小馬鹿にしたような溜息をついた。
「随分目立ちたがり屋の自殺ね。遺書もないのに……さっさと矢沢マキを逮捕すればいいじゃない」
「いや。彼女にはおかしなアリバイがあるんだよ」
 ワトソンが元々大きな目を益々ころげ落ちそうにして反応する。
「おかしなアリバイ?」




「ドレッシング」




 口を開いたのはシャーロックだ。
 ワトソンは急に響いた声に驚いた顔で横へ視線を移す。
「え?」
「だからドレッシングよ。そうでしょ?」
 先を越された感が否めないような表情のレストレードが続きを促す。
「どうしてそこでドレッシングが出てくるんです?」 
「毒の本当の場所よ。サラダじゃなくて、ドレッシングからも出たんじゃないの?」
 レストレードは両手を上げ降参の姿勢をとる。ワトソンはまだ首をかしげていた。
「シャーロックの言うとおり、毒物反応はドレッシングからも出たんだよ」
「じゃあサラダの毒物反応はドレッシングのせいだったんですね。ん?……と、いうことは」
 暫く沈黙が訪れた。
 レストレードとシャーロックの視線が二、三度交差し、話の内容がようやく理解出来始めたワトソンも新たな壁にぶつかっていた。
「そう、そうなんだよ。恐らくワトソン坊やが想像した事さ。その毒の入ったドレッシング、彼女の矢沢もバッチリ自分のサラダにかけてるんだ」
 ワトソンだけがソファから立ち上がった。シャーロックはただ眉間にしわを寄せて黙りこくっている。
「えええ! じゃ、じゃあ矢沢さんは死んでいたかもしれない……いや、死んでいないとおかしいじゃないですか!」
「そ。おかしいんだよ。別に用意したドレッシングも持っていなかったし、同じドレッシングだったし」
 レストレードの視線が斜め横、シャーロックに注がれる。
 事件解決の期待ばかりではない、どこか他の光をそなえているように思える瞳で彼女を見つめていた。
「シャーロック」
「なあに」
「この事件はやっぱりA吉の自殺かな?」
「そんなワケないじゃない。アンタは調査も無能なの?」
 ワトソンが慌ててシャーロックの嫌味を撤回させようとする。
 それを払いのけるようにしてシャーロックは立ち上がると、レストレードの正面で腕を組む。
「キティにはもう、ぜーんぶ分かっちゃってるって事かな」
「まあね……ぜーんぶ、ね」
 言葉を強調させ不敵に微笑んだシャーロックに、レストレードはある種の予感を覚えた。
「いーい、ワトソン」
「はいっ!?」
 急に呼ばれた自分の名に背筋を伸ばして答える助手。彼女は優しく微笑んだ。
「果汁100パーセントジュース。缶入りコーンポタージュ。トマトジュース」
 ワトソンは並べられた意味不明の単語に、張った肩の力を段々と抜いていく。
「貴方は今からそれを食そうとしているわ。さ、どうする?」
「どうするって……ええと、蓋をあける前によく振って」
 彼は何かを握るようにした手を顔の横で上下に振ってみせた。
 シャーロックは満足そうに頷くと、少しきつい眼になってレストレードを睨むようにした。
 彼は一度シャーロックをチラリと見ただけで、またそっと窓の外へ視線を移す。

「もう分かったでしょ。ドレッシングに毒は入ってた。けれど矢沢マキは死んでない。それはドレッシングを振らずにかけたからよ」

 ワトソンが瞳を輝かせポンと手を打つ。
「あぁっ! そうかっ、毒はドレッシングに沈澱していたんだ! 普通の人ならよく振ってからかけますからね」
 シャーロックは先ほどからめっきり大人しく、言葉を発しないレストレードへと顔を向ける。
「……これで正解?」
 その台詞を耳にした途端、堪えきれずに笑いを噴き出した。
「正解、正解だよ! あーあ、そう言ったって事はホントにぜーんぶ分かってたんだな」
「最初にアンタ、自分でお節介って言ってたじゃない」
「ささやかなヒントのつもりだったんだけどなぁ……ちぇっ、言わなきゃ良かった」
 またもやひとりぼっち会話についていけないワトソンが泣きそうな顔で二人の顔を見比べる。
「ど、どういうことです?」
「こんな事件最初っからなかったって事よ。全部この厄病神のウソっぱち」
「えええぇぇーっ!? そ、そんな!」
 ようやく引き攣るまでの笑いが収まったレストレードが目尻をぬぐいながら謝る。 
「ごめんごめん。これはささやかなクリスマス・プレゼントのつもりだったんだ。事件もなくて退屈してるかなっていう俺様の細やかな気遣い!」
「心の底からありがた迷惑だけどね。それにこの程度の事件だったら、アンタでも解決できるはずだもの」
「えー。交通整理サボって、三日三晩必死で考えぬいたトリックだったのにィ」
「オイコラ公務員」

 そこでワトソンは、ハッとした表情で顔を上げる。
「じゃ、じゃあっ、解決料は!?」
「そんなの初めっからないよ。だって俺様の出したクイズだし」
「そんなぁ~…ひどいやレストレードさん! とっておきの紅茶出したのに!」
 同感と言った風なシャーロックからも視線を浴び、レストレードは冷静を装い息を吸い込む。
「まあまあ。まだ人間が空を飛ぶなんて夢にも思わなかった頃、人に羽根を付けて飛ぶ事に想いを馳せた頃。鉄の鳥が空を飛ぶと誰が思っただろうね?まだそれぞれの惑星は、地球を中心にして回っていると信じられていた頃、地動説を唱えたニコラス・コペルニクスを誰かが讃えたっけ?人間が空へ? 宇宙へゆけるだのって、一体何処の夢物語か。そうやって言われてきたじゃないか」

 暫くの間。

「……で、何が言いたいんですか?」
 シャーロックだけがいつまでも笑みを零していた。  
「要するに、宇宙をのぞんだ人間はみんな、はじめはウソつきだったのさ。希望を届ける事はウソなんだよ」
「それ、全然全く言い訳になってないけど」




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