Mystery Circle 作品置き場

望月来羅

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

不死鳥見聞録  著者:望月来羅



 物事が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。分かっているからこそ、望む思いもある。

 大昔にも、不死を求めた皇帝がいた。
 不老不死というのは、恵まれた人間か、もしくはどん底にいる人間が望むものだという。
 現状に満足している人間は、老いると摂理に従い死んでいく。心に不満を抱えた人間は、良き来世をと願って眠りに就く。
 財産に恵まれた者に多いのは、少しでも長生きをして、自分の財を守り、増やそうとする者たち。
 愚かな、と呟く。
 永遠の時間の苦しみに、限りある時間の幸せに、なぜ気付かないのだろう。
 ため息をつきつつ、ハネの目立つ尾羽を手入れする。波打つ焔のような艶やかさと、ビロードのような滑らかさを持った真紅の羽は、私の自慢でもあり、苛立ちの原因でもある。
 苛立ちが出てしまったのか、足元のとまっている枝から細い煙が出始めた。
 片足をそっと持ち上げて、鉤爪の形に押された焦げ後に、慌てて皮膚の温度を下げる。

「母(はは)様?」

 いかがされました、と柔らかいトーンが響いて、私は首を右に巡らせた。
 私よりも一回り小さい、それでももうすぐ成鳥なのだと分かる、若い雄の紅鳥がいた。

「何でもないよ、クル。ちょっとだけ、頭が痛くなった」

 苦笑しながら言うと、クルは漆黒の眼を瞬かせた。我が息子ながら、整った顔立ちをしていると思う。優しく、そして、賢い子に育ってくれた。
 数え切れないほどの年月を生きた中で、初めて生まれてきてくれた我が子。紅鳥一族は、一生涯に、一度しか子を宿すことは出来ない。
 気遣ってくれる息子がいとおしくて、自身の嘴をすり、と息子のほっそりした首にすり寄せた。

「あの者達のことですか」
「まさしく」

 問うてくるクルに頷いて、私は視線を、とまっている柿の木と、その向こうの崖越しに放った。向こう側からは死角になっていると思うが、果たして見えていたとしても誰にも捕まりはしない。

 低く轟く、地響きと雄叫び。燻された大地と、肉の焦げる匂い。鉱物が弾ける時の音にも似た、金物のぶつかり合う高い音。流れてくる火薬と血の匂いは、こちらの嗅覚まで麻痺してしまいそうだ。
 広大な平原の緑を赤と茶が染め上げている。折り重なる死体を踏み潰して、あるいは足を取られながら、馬と鎧に身を包んだ人間とが殺し合いを続けている。
 規模はけして大きくない。だが、見逃すことの出来ない戦だった。

「愚かなことを・・・」
「誰が私たちに気付いたのでしょう。私達がここにいることは、仲間しか知らないはずですが・・・」
「空を飛ぶ姿を見られたのかもしれない。人間の伝承というのは、本当に厄介なものだ」

 戦っている二つの陣営、双方の上に立つものが、この土地を賭けて争っているのだ。
 その目的は、私と息子のクルに他ならないという。
 紅鳥は、数少ない一族である。成鳥してからは一羽で暮らしていくのが常とされ、鳥の仲間でいうところの孔雀ほどの体躯である。
 紅鳥は、古くから進化を遂げずに生きてきた一族である。寿命は数え切れないほど長く、焔を操り、その血には不死の力があるのだという。
 正確には、不死ではない。ただ、他の生物の寿命と比べても、比べられないほど長いために不死と伝わってしまったようだ。
 迷惑なのは、山奥に篭り、高地から降りてこないはずの紅鳥が、長い歴史の中でたびたび人間に目撃されていることである。
 古い書物にも姿を描かれ、不死鳥や火炎鳥などと呼ばれ、その伝承を追って紅鳥を捕まえようとする権力者も少なくない。

 さて、どうして止めたものかと思考を巡らせる。
 私とクルは、どうしてもこの戦を早期に止めなければならなかった。
 空を飛ぶ雀の一族を筆頭として、多くの鳥達に助けを求められたのだ。
 木々のあまりない草原では、鳥達の巣は専ら草原の中、生い茂った青草の中なのである。
 それが今、大掛かりな戦争によって巣も焼き払われ、多くの鳥達が命を落としたという。不幸中の幸いは、今が雛の生まれる春ではなかったということか。

「母様」

 ふと、考え込んでいたらしいクルが、理知的な瞳を瞬かせて柔らかく鳴いた。

「この戦争、どちらに利があると思われますか」
「そうだな・・・」

 呟きながら、双方の陣営を眺める。鈍い鋼の色合いを放つ鎧は同じ。違うのは、片方は湾曲した刀を使い、片方は槍を主として使っているということ。湾曲刀を使っている兵士達は皆、頭上の鎧部分に赤い房のようなものをつけていた。
 数としてみるならば、湾曲刀の兵士の方が多いように思えた。ただし、馬の数は槍の兵士の方が多い。そして、陣形を見ても。

「槍を扱っている方だな。人数は少なくとも後方で包囲するような陣形があまり崩れておらず、倒れている馬の数も少ない」
「やり・・・というと、あの長い武器のことですね」
「兵士が整っている部隊は、その上に立つものが秀でているからだ。こんな戦いでも、良い軍師がいるのだろう」

 比較的近くで弾けた火薬の煙が漂ってくる。羽毛に匂いが染み込まない様に翼で空気を攪拌しながら、圧倒的な煙の量に無駄だと悟りため息をつく。
 数え切れないほど昔、まだ私が母親の庇護の元にいた時に、初めて人間の戦というものをみた。使われる火薬の匂いが嫌いで、互いに刃物を持って殺しあう人間達に恐怖を抱いた。
 母親は、醒めた瞳で戦いを眺めていた。あの時は分からなかった母親の表情が、今では自分の表情のように理解できる。

「勝つというのは相手の意思をいかにして削ぐかということだ。利害の少ない対等な和解は難しい。名将と言われる者達も、皆いかにして相手を殺すかを考えているのだろう」

 戦乱の最中では名将と祀り上げられ、平和になった途端に異分子として排除される。
 過去に、そんな人間を数人見てきた。それでも、また数年経つと新しい戦が始まるのだから、人間の世はまさしく繰り返しなのだと思う。

「槍を使う陣営は、すぐに勝てると思いますか」
「それはないだろうな。いくら上が優れていても人数に差がある。もうしばらく掛かるだろう。・・・早期に止めなければならないというのに」
「では、そちらの上に立つものに我らの血を与えては如何でしょうか」

 醒めた思いで戦争を眺めている耳に、クルの静かな声が入ってくる。その言葉を理解するのに数秒を要した。
 思わず瞠目する。

「クル! それは」

 その血を求めて戦が起こっている。どのようにして戦をやめさせるか。いっそ一面を焼き払おうか、とも考えていたところで、自分達の血を分け与えるなどとはちりとも考えなかった。

「母様が嫌がられるのもわかります。ただ、これ以上仲間に被害を増やすことはできません。戦争が終わるのであれば」
「あれだけ意見が対立しているのだから、片方に与えれば良いというものではない。むしろ欲を出して悪戯に争いを広げることになるだろう。・・・そんなことができるわけがないだろう」
「どちらかに不死を与えれば、おのずと死なない方が勝ちましょう。士気も上がり、何より『死』という背負うものがなくなるわけですから」

 考えながら話す時の癖で、ことさらゆっくりと話すクルは、そこで眼下の争いを複雑そうな瞳で見下ろした。
 仮に負けたとしても、と呟くように言う。

「仮に負けたとしても、血を与えるのが一人だとすれば、その者は死なずに捕虜にされるはず。不死を求めるのであれば、その者を割いてでも秘密を探ろうとするでしょう。その現場はここではなく、おそらく人間の国の施設が整った場所のはずです。どちらになったとしても、この者達はここから引き上げるでしょう。仲間の巣場所は出来ます」
「・・・・」

 すぐに意見を退けなかったのは、クルの意見が現状打破に適していると思えたからだ。
 それでも渋ってしまうのは、数滴の血を求めてここまで争いを繰り広げる人間に、血を分け与えるのが嫌だったからでもある。

「仲間の巣を壊した者達に、望むものを与えよというのか」
「確かに双方に望むものを分け与えれば、さらに血を求めて大軍が押し寄せないとも限りませんが・・・私が思うのは、大勢の人間でも双方の武将ではなく、片方の武将に与えることにこそ意味があるのではと。母様の血ではなく、私の血で構いません。・・・先ほどの哀れな雀の婦人をご覧になったでしょう。子と夫が目の前で殺され、友も・・・皆、各々ではあまりに対処が追いつかないのです。今、私達の目の届かない草原の草むらの中で、あるいはあの死体の中に仲間の姿もきっとあるのでしょう。縋ってくる仲間に対して、できることがあるのであれば、やらないわけにはいきません」

「だが、我等が血を与えれば、伝承をいよいよ真実と知らしめてしまうことになる。血を求めて権力者の争いが激化しないとどうして言える」
「人間の性質を教えてくださったのは母様ではありませんか。例え我等を探すものがいようとも、以後決して姿を見せず、且つ目の前に餌があれば矛先を変えるのが人間の性だと」

 漆黒の瞳に静かな、だが揺るがない決意を見る。
 クルと私の住む家は、この草原から少し離れた、切り立った崖の中腹にある。
 かなりの上空にあるのだが、仲間内の中では皆の見張者のような存在になっているらしく、どうしても解決しないことは私かクルが対処している。
 最近連日、様々な鳥達が相談に来たのがこの戦争である。仲間が殺された。食べられるのを見た。どうぞ、助けてください―――。

 私は数秒クルの顔を見て、ため息を吐き、その後で苦笑いした。まったく、ため息の多い日である。だが、それと同時にそこまで仲間のことを考える息子のことが誇らしくもあり、喉の奥が、ク、と鳴った。

「分かった。確かに、早期にどうにかしなければならないことだからな。だが、血は私の血を与える。同じ種族で骨肉の争いをする人間に、大切なお前の血を与えたくはないからね」

 望むものを与える為には、まず人間に身をやつさなければ、と、私は崖下に転がっている死体を複雑な思いで見つめた。


「―――で、孝に呉と言ったか。・・・これがその不死鳥の血だと」
「さようでございます」

 今、私は薄暗いテントの中央で両膝をつき、顔を上げないようにしながら両手に一枚の大きな紅い羽を掲げ持っていた。体を作り変えて人間の兵士を象っているものの、死体から剥ぎ取った衣服はそこかしこに泥と血がこびり付いていて気持ちが悪かった。
 隣では同じように人間の若い少年兵に身を変えたクルが、神妙な面持ちで跪いている。本当は兜を被っていたかったが、人間の礼儀として脱がねばならなかったのだ。

 掲げ持っている羽は、私の翼の先から抜いたものだ。重要なのはその羽ではなく、その羽の先に染み込み、傾ければ滴る数滴の血だ。
 人間に身をやつし、争いを避けて戦場から離れ、武将のいるテントまで潜り込み、面会を申し込んだ。
 跪いている私とクルの周りには、椅子に反り返って座っている目の前の武将を中心として、壁際に立っている十数人の兵士たちがいる。
 目の前に座る武将は、黒い甲冑に身を包み、やや白いものの混じる髪の毛を頭上で無造作に纏め上げ、特徴的な長い顎下の髭と、ぱらぱらと落ちる前髪の間から油断のならない瞳が私を見ていた。
 一目で頭の切れる人間だと分かるが、それと同時にその男から漂ってくる血の匂いに見破られない程度に顔を顰める。残虐さと、貪欲さも持っていそうだと検討をつけた。

「・・・何故分かる。その紅い羽が不死鳥の羽だとでもいうつもりか」
「おそらく。・・・先ほど、この者と崖の上にて不思議に輝く鳥を見つけまして、射止めようとしたのですが逃げられてしまいました。ですが、その際に矢が掠ったものとみえ、鳥の飛び立った後にはこの血の滴る羽が残ったのでございます」
「なんだと? 貴様、不死鳥を見たのか!」
「・・・はい」

 尊大な態度の男に軽く苛立ちが募る。血の匂いを撒き散らしている男の前に跪くのも、こうして使いづらい人間の言葉で敬語を使うのも好きではない。
 私の胸中を察したのか、ちらりとこちらを見やったクルの瞳に、苦笑の色が滲んでいた。

「・・・それが不死鳥の羽だという証拠はどこにある」
「証拠と言われましても・・・ただ、私は御大将殿がご所望しておられる不思議な鳥ではないかと思い、こうして持ってまいった次第でございます・・・」

 いらぬのであれば・・・と捧げ持っていた手を下ろそうとすると、それより早く男が羽を奪い取った。思わず胸中で笑ってしまう。いくら頭が切れようとも、戦をしてまで手に入れたいと望んでいたものの前では思考力も鈍るらしかった。

 武将は、目の前の羽を水平に持ちながらおそるおそる傾け、羽軸の先から血が僅かに滴りそうになるのを確認し、慌てて元にもどした。

「・・・ごう殿。いくら毛色が珍しかろうとも、普通の鳥かもしれませぬし、仮に敵の仕掛けた罠かも知れませぬ。危険です」

 羽を見つめる武将に進言したのは、男のすぐ右隣に立っている兵士だった。ごうと呼ばれた武将はその兵士の言葉に、カカと笑う。

「わしに毒は効かぬ。分かっているだろうが。確かに、見たことのない羽よ。なに、わしとて信じているわけではない。そもそもが絵空事に僅かに信憑性が出てきたからこうして探しているだけのこと。ただの鳥ならば、飲んでも利はないかも知れぬが害もあるまい」

 周りの者に言い聞かせるように言うと、武将は、口を開け、私の羽の先から滴る血の雫を、ごくりと音を響かせて飲み込んだ。
 自分の血を、気に入ったものでもない武将に与えることは気持ちのいいものでもなく、この瞬間ばかりは下を向いていて良かったと思った。

「―――っぐぅッ!」

 瞬間、武将が低く呻いて喉を抑え、椅子から立ち上がったかと思うと床に四肢をついて体を痙攣させた。相容れないはずの血を飲んだことによる、瞬間的な相互干渉である。

「ごう殿っ!」
「貴様! やはり間諜か!」

 壁際に佇んでいた人間達が、主の異変に瞬時に駆け寄る。槍の切先を向けられながら、これが親衛隊というやつか、と冷静な思いで観察していた。

 瞬間的な干渉に長い時間が掛かることもなく、しばらくすると見ている前で武将の動きが止まり、額に玉のような脂汗を浮かべながら、武将がよろりと立ち上がった。

「ご、ごう殿・・・お、お体の方は・・・」
「・・・大丈夫だ。心配いらぬ・・・わしの外見に変化はあるか」
「いえ、お変わりはありませんが・・・」

 部下の言葉を聞いた武将は、自身の額に浮かぶ脂汗を拭い、束の間動作を止めると、ゆっくりと両手を日に透かすように目の前に持ち上げた。

「不思議だ・・・」

 武将自身、何かの変化を感じ取っているのかも知れない。紅鳥の血は、瞬間的に体に働きかける。

「鼓動がおかしな拍動を刻んでおる・・・まるで自分の中にもう一つの意思があるかのようだ」

 呟いた武将は、突然自分の腰元から細い短刀を抜き取ると、自分の左の手の甲に突き刺した。血がパタタ、と私の目の前の床に滴る。

「! ごう殿! 何を・・・」
「・・・見よ」

 自分自身でも信じられないものを見たというように、男が部下に自分の手の甲を見せた。みるみるうちに塞がっていく傷跡に、どよめきが上がる。当たり前だ、と私は胸中で呟いた。一族の血なのだ。紛い物であろうはずがない。

 目的を達した今、早々に私とクルは引き上げなければならなかった。長居したところで良いことは何もなく、経過を見守る側に徹するつもりだった。顔は上げないまま、恭しく平伏して注意を促す。

「喜びの最中を遮ること、失礼いたします。・・・御大将殿。一兵に過ぎぬ私めがお力になれたのであれば、まこと嬉しく思います。ですが、外は未だ戦場の最中。私もこの者も、自分の務めを果たしとうございます」
「おぉ・・・そうだったな。礼を言うぞ・・・」

 声に喜色を滲ませた武将は、だがそこで言葉を切ると、何かを考え込む表情になった。私とクルの詳しい情報などを聞かれても困ると思いながら、建前上顔は上げられない。

「・・・御大将殿?」
「・・・いや。そなたらのこと、忘れはすまい。帰ってよい」

 隊名などを聞かれなかったことを、安堵の思いと不審の思いが交差する。
 それでも目的は叶ったとクルと共に再度深い礼をした。

 物体の空を切る音が聞こえたのは、私が顔を上げ、クルが私の方を振り向いた時だった。
 引き下がろうかと腰を上げかけた瞬間、喉元に当てられた冷たい感触に皮膚が僅かに引きつる。ゆっくりと刃を辿ると、すぐ傍の兵士が私の喉元に持っていた槍を構えているのだった。兵士の顔は兜で見えず、隣を見ると、私の方を向いているクルの喉元にも同じように刃が押し当てられており、怒りが溜まる。そのままの格好で、椅子から立ち上がった武将を睨みつけた。
 右手を軽く挙げたままの武将と視線が合う。

「・・・何をなさるのですか」
「一つ・・・聞き忘れていた。このこと、ここに来る前に誰かに話したのか」
「・・・話しておりません。御大将殿がご所望のものであるなら、と戦場を避けてこちらまで」
「・・・そうか。ご苦労だった」

 武将は顎を撫でながら、ゆっくりと頷く。だが、問いが終わっても私とクルの喉元から武器を下げさせようとはしなかった。

「誰にも漏らしはいたしません! ですから、どうか」
「すまない・・・お前達は、よくやってくれたと思う。だが、この情報を知っているものを悪戯に増やすわけにはいかんのだ」

 その言葉を聞いて、思わず全身が熱くなった。
 ここまでやらせておきながら。誇り高い一族が人間に身をやつし、腰を折ってまで血を与えてやったというのに。
 ざわり、と全身の細かい羽毛が逆立った。

「は、母様。落ち着いてください。用は済んだのです。帰りましょう」

 私の気配を悟ってか、今まで身を弁えて口を開かなかったクルが、少年の少し高い声で焦ったように言う。

「帰らせぬ!」

 自分の治癒の力を確認した武将は、血に酔っているようだった。自分の腰からスラリと長剣を抜くと、あろうことか、私の方に向き直っているクルの背に向かって刃先を突き出したのだ。

「クル!」

 兵士の槍を押しのけて咄嗟にクルを引っ張るが、突き出した刃先はそのままクルの肘下を深く抉った。押し付けられていた喉元の刃も、浅い傷を作り出す。
 血管を切ったのか、腕から吹き出る血に愕然とする。傷はすぐにふさがるとはいえ、紅鳥は、一族の血を重んじる。たかが数滴の血ですら自分が代わったというのに、本来の姿ならば紅く、美しい、風切羽があるところを、傲慢な人間風情が!

「駄目です母様!」

 瞬間、何も考えられなくなり思考が爆発した。
 白光とともに、じゅ、と何かが焼ける音がして、私とクル、そして目の前の武将を除いたテント内にいた全ての人間が消えた。
 肌を覆っていたはずの衣服が一瞬にしてなくなり、人間の形を保ったままの手を目の前にあげると肌から熱が立ち昇り、揺らめく大気の向こうに引きつった顔をした武将が映った。

 周りの大気が瞬間的に紅くなり、肌が熱せられた硝子のような色合いになる。
 右腕をクルに掴まれやめてくださいと首を振られた。だが、掴まれている腕を振り払ってクルを後ろに退ける。
 武将は、何かを必死に叫んでいた。痛みに声を上げていたのだろうが、あまりの熱で歪んだ空間の中では音は早すぎて聞き取れなかった。

 顔面が溶け、鎧も刀も熱に溶かされながら、それでも私の血のせいで再生し続けている。
 熱に耐性のある紅鳥一族でもない人間が、あまりの高熱に瞬間的に肉体を溶かされながら、それと同じ速さで肉が再生しているのだ。死を何回も経験しているようなものだ。
 私はそれをみて良い気味だと思いながら、動かしづらい人型から本来の姿に戻る。
 大気中の熱で、あっという間にテントが崩れ落ち、隙間から空へと舞い上がる。
 異変に気付いてか、争いをやめて遠巻きに眺める兵士たちの畏怖の視線が不快なことこの上ない。私は視界の端に、同じく本来の姿で空に舞い上がったクルを見ながら喉の奥でクククと鳴いた。

「戦って戦って、滅びればいい」

 遠くから見上げる周りの兵士ではなく、眼下のテントの残骸に囲まれた、顔面を押さえている武将に、人間の言葉ではき捨てる。

「例え貴様が捕らえられ、幾度身を裂かれ地獄の苦しみを味わおうとも、寿命が尽きるまで死ぬことは叶わないだろう。愛するものが出来たとしても、同じ時を歩むことはできない。私は助けない。幾度貴様が死を請おうとも、この自由な空に舞い上がり、惨めな貴様をあざ笑ってやる」

 何か言いたそうなクルを視界の隅でとらえながら、私は最後に惨めな男を一瞥すると、未だに高温を持ったままの翼を翻して飛び去った。


 しばらく飛ぶと、辺りの切り立った山々に隠れるようにして見慣れた垂直の崖が見えてきた。翼に力を入れて体をぐんぐんと上昇させる。
 途中で霧のような雲を熱で蒸発させながら、頂上付近に開いている小さな洞穴へ入り、細かな砂の目立つ暖かい巣床に入り、翼を畳む。

 翼を立たんで、しばらくすると冷静にもなり、先ほどの自分の暴言の数々が蘇ってきた。
 それとともに、自分の教育の結果、礼儀正しく育った息子に、先ほどの自分の姿が映っていたことを思い、背後の無言の息子が怖かった。

「母様」

 どこか強張った、いつもより大分低いクルの声に不覚にも羽毛が震えてしまう。
 数えられないほど年の離れた息子だが、教育は愛情を持って厳しく育てた。日頃自分が注意していた言葉遣いを、まずい形で披露してしまったようだ。

「クル、あれだ。・・・人間の使う言葉というのは、きわめて乱暴なものでな」

 礼儀正しい息子に居たたまれなくなり、視線を泳がせながら呟くと、クルのいかにも呆れた、というような気配が伝わってきた。言外に、人間の使う言語に責任転換を試みてみたが、無駄だったようだ。

「母様・・・言葉に非はなく、使う側の問題です」
「だ、だが・・・」
「やりすぎです。我等に怪我など残らないというのに、怒りに任せて・・・いくら人間とはいえ・・・」

 滅多に起こらないクルが、戸惑いながらも怒りを顕わにしている。弁解しようとしても、私が関係のない人間十数人を殺してしまったことには変わらず、クルの言葉を聞いて今更ながらに頭が冷えて項垂れた。

「・・・すまなかった・・・お前が傷つけられて我を忘れてしまった」
「一瞬で死んだ人間達が少し哀れです。・・・あの場では、戦どころではないでしょう」

 厳しい表情でそういった後に、数秒黙り込み、ただ、と言ったクルの雰囲気が少しだけ和らいだ。

「・・・ただ、あの場にいた人間であればあの武将が不死であると思うでしょうし、空高くに飛び去る母様と私の姿も見ました。戦にも決着がつけば、また緑の草原に戻るかもしれないというのは、皆の期待を裏切らないですみました」
「・・・すまない」

 ほっそりとした嘴から流れる言葉に、改めて反省をしながら苦笑する。
 いつのまに息子はこれだけ考えるようになったのだろう。ついこの前までは餌を強請る幼子だったのに。

 少し考えたあと、クルに体を寄せ、疲れを訴える首をクルの背中、翼の生え際に横たえる。僅かに驚いた反応をするが、好きにさせてくれた。
 少し高い体温も心地よく、私とは僅かに違う色合いの、柔らかな羽毛を首の下に感じて瞼を閉じる。

「母様」
「ん」
「あの時・・・私のことで怒ってくださり、ありがとうございました」

 顔をつけているせいで内側に響くように聞こえるクルの声は、いつもの優しさを含む声音に戻っていた。

 明日、また見に行きましょうねと言うクルに顔の動作で頷いて、私は頬を、温かなクルの羽毛にそっと押し付けた。




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