Mystery Circle 作品置き場

松永 夏馬

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nightstalker

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Last update 2008年03月16日

さよならフィフティ・ナイナーズ  著者:松永夏馬



 人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。

「どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
 そう彼が言った時、私の中で必死に抑えてきた何かが崩れた。張り詰めていた何かが切れた。


 ********************

「今日はさぁ、ユキの為に企画したんだからね。気合入れてよッ」
 店に入る前にアンナにそう言われた。頼んだつもりもない。そもそも私から奪った彼がいるにも関わらず合コンを企画する彼女の神経を疑うが、そんなことも言い出せずにいる。
「でも私は……」
 彼女の濁流のような強引さに引きずられてここにいる。それでも、その濁流に逆らおうという意思もない。自己嫌悪の螺旋は下へ下へと落ちていく一方。

 先週彼が私の部屋へ来て、別れを告げた。
 彼の隣にはアンナがいた。
 修羅場……にすらならなかった。頭の中は混乱してぐるぐる廻るだけで、文句も口から出てくることはなく、やっとの思いで搾り出した声は「しょうがないよね」

 馬鹿だ。

「アンナを大事にしてあげてね」

 馬鹿すぎる。

 それでも普段と変わらない一週間を過ごした。朝出勤してお茶を煎れ同僚と談笑し上司のグチを聞き電話を取り事務仕事に勤しんだ。ルーチンワークに徹することで、心の平静を保ちつづけてきた。私は大丈夫。

 女友達数人に囲まれて、わざと約束の時間よりいくらか遅れて店へと向かう。
 どうして言われるがままにここにいるのだろうか。
 そんなの決まっている。私は普段どおりにしているだけ。別に辛くなんてないんだから。

 洒落た居酒屋は押さえ気味の照明とBGMがステキだった。静かにお酒を飲むのならきっと美味しく飲めるだろうに、私達のテーブルだけはアホみたいに騒々しくて、そこにいるのが恥ずかしかった。
 私の為だなんて言いながら、私のことをすっかり忘れたように媚びた笑顔を振り撒き喋るアンナ。自由奔放で人のことなど気にせず自分自身の為に生きる彼女。羨ましい。

 羨ましい? まさか。彼女のような品のない厚顔無恥な女には絶対になりたくない。

 そう思う反面、彼女のようにワガママに、自分勝手に生きてみたい。
 グラスのウーロン茶を飲み干しながら、そんな相反する願望が頭の中を駆け巡る。ワガママで自由で自分勝手で、それでいて良識と気品あるお嬢様? アホくさ。正反対じゃないか。それだけ意見が対立しているんだから、そんなことできるわけないじゃない。

「ユキちゃん飲んでる? グラス空っぽじゃん、何飲む? カクテル? おーい、お姉さん注文ー」
「……でも、私は」
「もうこの娘ったら大人しいでしょぉ? 真面目すぎるのよねー。誰かいい男紹介してあげてよぉ」
「あ、じゃぁオレオレー」
「えー、ユウジさんてユキみたいなのがタイプなのぉ?」
 爆発する笑い声。
 ますます帰りたくなった。
 どうしてこう、私は言いたいことも言えずに愛想笑いで済まそうとするのだろうか。悲しくなって、聞いたことの無い名前のカクテルを一気に飲み干してやった。


「それでさぁ―――」
 「ユキちゃん飲んでる?―――」
     「―――」
「―――コレ美味しくなくない?」
        「あはははははッ―――」
  「―――昨日のテレビで」
 「今度―――」
          「―――」
      「―――マジでぇ?」
    「誰か注文―――」
       「―――」
 「飲んで飲んで―――」
     「―――ユキはさぁ」

「―――」

     「―――」

「―――ねぇ聞いてる? ユキ」

 帰りたいのに帰りたいと言い出せない自分が嫌いだ。大嫌いだ。

 ********************

 終電1本前の電車を降りると、タクシー乗り場は長蛇の列で、私はため息をついた。寒々しいこのロータリィで待ちつづけるのと、歩いて帰るのと、どちらがマシかしら。ロクに考えもせず私はくるりと踵を返す。酔った時の高揚感などというものはまったくなく、ただただ気だるい。
「タクシー、使わないんスか?」
 振り向くと彼がいた。合コンの男性陣の中で一番若い、おそらく私よりも年下の……申し訳ないが名前は憶えていない。
「近いから」
「じゃぁ。送ります」
「でも……」
 店では盛り上げ役に徹していた騒がしい印象だったが、こうしてみると落ち着いた、というか大人しい穏やかな顔つきをした青年だった。
「ああ、別に隙あらば上がりこもうとか思ってないスから。送り届けたらそのまま帰ります、ホントに」
 静かにそう言った。変に言い訳っぽく聞こえないからそんな気もなさそうで、むしろ困った。真面目そうな彼だから、おおかたメンバに酔った私のお守りを押し付けられたかしたのだろう。
「……ホントはけっこう遠いよ?」
 歩けば30分くらいかかるだろうか。
「タクシー待ちしようとしたくらいですからねぇ。そんなことだろうと思いました」
 なんだか楽しげにそう彼は言った。
「でも遅くなっちゃうよ? もうすぐ終電だし」
「この近所にツレがいますんで。イザとなったら転がりこみます。大丈夫」
「でも……」
 言いよどむ私を尻目に、行きましょう、と促した。優しげな顔をして、何気に強引だ。それが使命だと言わんばかりに頷いた彼に、私は苦笑いしつつ灯りの乏しい駅前商店街を歩き出した。

 会話はそれなりにあった。彼が「星が綺麗スねぇ」とか「あ、猫だ」とかのんびりとした声で脈絡無く話し、私がたまに相槌を打つとその話題を膨らませてくれる。
 酔った私を気遣ってくれているのがわかる。それでいて馴れ馴れしくならずに適当な距離を保ち続ける彼が、ありがたかった。彼の目に私が女性として映っているかは疑問だが、今はそのくらいが心地いい。

 今夜はとても辛かった、それなのに何故か今はちょっぴり楽しかった。
 ひさしぶりに感情が揺れ動いた夜。

 ********************

「人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。……どっかで読んだ本の受け売りなんスけどね」
 どういう話題の流れでこの言葉が出てきたのかわからないが、この言葉は私に突き刺さった。その衝撃は一瞬にして私の奥底に沈めていた澱をかき混ぜ浮かび上がらせる。淀んだ澱が膨れ上がりその体積を増す。

 あの人はもういない。とりえのない自分を愛してくれたあの人はもういない。真面目で優しくて人がいいのが君のとりえだと言ってくれたあの人はもういない。真面目すぎて、いい人すぎた自分が悪い。調子に乗って女友達に自慢がてら彼を紹介した自分が悪い。わかっている。そんな女友達に何も言えない自分が嫌。わかっていて変わらない自分が嫌。変わろうとしない自分が嫌。自分が変わらなければ世界だって変わらないのに。私は。私は。

 私という個は、小暮ユキという脆弱な個は、時の流れから取り残されていく。

  ―――あふれる。

 その瞬間堰を切って溢れ出す何かを、私は押し留めることができなかった。
 ぼろぼろと零れ落ちる涙に気付いた時はもう遅かった。止められなかった。

 深夜の住宅街のど真ん中で、私は泣いていた。号泣していたといってもいいだろう。
 不安げな手付きでふわりと抱きしめてくれた彼の胸を叩き、掴んだコートの胸元をしわくちゃにして、時に子供のように声を荒げ、時に嗚咽を漏らし、歯を食いしばり、泣いていた。地面に崩れ落ちそうになりながら、彼のコートを千切らんばかりに掴みながら、泣き続けた。
 泣いて泣いて。泣いても何も変わらないと知りながら、それでも、それだからこそ涙は止まらなかった。


 どれだけ泣いていたのだろうか。

「―――」
 彼が何か言っている。歪む視界の中で彼の困ったような顔も歪む。
「―――」
 聞こえない。
「―――」
 何? 何を言ってるの?
「―――めん」
 ああ、そうか。私の所為か。自分の嗚咽が煩わしい。

「ごめんて」
 聞こえた。泣き疲れた私の耳に、ようやく彼の声が届いた。
「ごめんね」
「……何?」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった頭では彼が何を言っているのかわからなくて。
「なんで、謝ってんの?」
 どもりながらそれだけ言うと、彼はどうしようもなく不安げな顔で私を見返し、思い出したように慌てて私を背から手を放した。彼のコートの胸元が濡れている。
「ごめん、なんかオレ変なこと言って……言った?」
 そうか、彼は私が突然泣き出したから。
「違う。大丈夫。ごめんね」
 無理矢理笑顔を作って彼にそう言った。慌ててハンカチで彼のコートの染みを拭くが上手くいかない。申し訳ない気分と共に急に寒さが身にしみて、私はマフラに首を埋めた。
「ごめん、汚しちゃった」
「庶民の味方ユニクロですから」
 真面目な顔の彼の返事にクスリと笑う。
「合コンにユニクロじゃモテないよ」
「それを言われると痛いですね」
 への字にまげた彼の口元。彼はきっとモテないのだろうな、と私は思う。

「私さ」
 しばらく逡巡した後で、どこか遠くを見ながら私は口を開いた。化粧がもうぼろぼろなのは気にしないことにした。あれだけ泣き喚いて醜態さらしたのだから今更関係ない。
「こないだフラれたとこなんだ」
 彼は頷くだけで何も言わず、傍らの自動販売機にコインを入れた。
「もうわけわかんなくってさ。いろいろ言いたい事あったのに、しょうがないよね、とか言っちゃってやんの。馬ッ鹿みたい」
 無言のまま私の目の前に缶コーヒーとココアが差し出された。躊躇いつつも「ありがとう」と呟いてココアを受け取る。プルトップを開けると、湯気となった甘い香りが鼻腔をくすぐり、何故かホッとした。
「自分は平気なんだって言い聞かせて。うん、別にあの人に未練があるとかそういうんじゃないんだけど、なんか泣いたら負けな気がしてたのよね。あーあ」
 やっぱり負けちゃった。泣かないって決めてたのにな。泣くくらいならあの人やアンナに言いたい事言えばいいのにって。そうしたらきっと。

「言葉ってのは、時には凄まじく乱暴なものだったりするんですよね」

 彼は両手で缶コーヒーを包み、それをじっと見つめてのんびりと言った。
「だから、その時の激情に流されずにいられたユキさんは優しい人です」
「そんなとこ褒めないでよ」
 私が口を尖らせると、彼は肩をすくめた。
「別に褒めてません」
 あっさりと言い返した彼は、ゆっくりと缶コーヒーのプルトップを引いた。
「泣けばいいじゃないですか。思いっきり。さっきみたいに。悔しさも憤りも情けなさも、泣くだけ泣いて全部全部出し切って、空っぽにしちゃえばいいんスよ」
 缶の口から立ち上る湯気の中の何かを見つめ、彼は続ける。
「溜め込んでたら重くなるだけ。ますますバランス取れなくなりますよ。泣きたい時は思いっきり泣けばいいんです。泣きたくなくなるまで泣いて泣いて泣いて、そしたら。そしたら笑えます」

 そっか。そんなもんなのかな。
 確かに、いかに危ういバランスの上で平静を装っていたかが今わかったところだ。
 私が小さく頷くと、彼は急に照れたようにコーヒーをガブリと飲んだ。そして、ふわりと街灯のスポットライトの下へと歩み出ると、顎をあげて猫背気味だった背中を伸ばす。
「泣くだけ泣いて、そしたら顔を上げ、胸を張る。背筋を伸ばす。これだけでも『変わる』んですよ」
 そう言われるとそんな気になっていくのが不思議だ。

「そんでもって、歩く時は、こう」

 片手を腰に当て、足をスッと出して、お尻を振る。
 出来そこないのマリリン・モンローみたい。
 なんだよ、もう。さっそくウチ帰ったらもう一度泣いてやろうと思ってたのに。



出会った頃のように  著者:松永夏馬



 人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい。とはいえ、歳を重ねるにつれ変化していく自分に嫌悪、いや恐怖を感じるのも事実だ。二律背反とでも言うのであろうか。
 私は鏡の中の自分を睨みつつ、愛用のブラシを構える。
 刺激を与えたほうが良いのか。それともそっと大事に見守るほうが良いのか。その手の冊子や相談会でもそれぞれに意見は食い違う。これまた二律背反。それぞれを同時にやれば? などと妻はどうでも良さげ言うが、あれだけ意見が対立しているのだから、そんなことができるわけがないだろうに。

 できるかぎり自然に。身なりを整えて私はこれから十数年ぶりの同窓会へ出かける。懐かしき旧友達に、初恋のあの人に、会う。

「あ、もしかしてケンちゃん? ひさしぶりぃ」
 歳は重ねたが、あの頃の無邪気で明るい笑顔はそのままの君。あの頃の思い出が蘇―――

「すっかりハゲちゃったねぇ。あはははは」

 ……言葉というのは、きわめて乱暴なものである。




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