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Last update 2007年10月07日

タイトルなし 著者:Clown


『ここを出ることができたら一緒に暮らさないか?』と僕は言った。
 そして、その言葉の叶う可能性は、たった今、ゼロになった。




 彼女は、屈託無く笑う子だった。
 僕が落ち込んでいると、いつも笑って励ましてくれた。
 どうしようもなくどん底の気分になって、一人になりたいときは、ちゃんと気配を察してくれた。
 でも、決まってその次の日は、にっこりと笑って僕の手を取ってくれたんだ。

 僕は、それがたまらなく嬉しくて──そして、たまらなく不安だった。

 孤児施設、と言うには、あまりに特殊に過ぎたその環境。
 激しく人が入れ替わり、酷いときには毎日のように入所と出所が繰り返されるこの施設では、昨日まで仲の良かった友達が次の日には忽然と姿を消していることなんて、良くある話だった。
 何せ、僕らは保護されるべき孤児であり、それと同時に買われるべき「商品」でもあったから。

 ──改正孤児保護法第24条。

 親権者の育児放棄による孤児の増多により制定された、この法律。
 幾度かの改正が重ねられ、その時その時のニーズに合わせようと歪められてきたこの法律は、その歪曲部分に様々な綻びをもたらした。
 その、最大の歪曲点が、第24条。
 孤児は、一定の養育費を約束することにより、親権の譲渡が認められる。
 この法律は、すぐにこう解釈された。

「孤児は、売買可能な商品である」

 それが、労働力になるのか、それとも慰み者になるのか……それは誰にも分からない。
 いずれにせよ、孤児である僕たちが、その先幸せな過程を得られるとは考えにくい。
 だからこそ、僕たちはその日その日を精一杯生きている。
「昨日」を、後悔しないために。




「ねぇ」
 菜園にたゆたう陽光の切れ間から、呼び声が聞こえた。
 僕は、熟れ始めた胡瓜を篭に入れながら、左手を挙げる。そちらを向かなくても、それが誰か分かったから。
「熟れてる?」
 きゅ、と土を踏む音に続いて、僕の視界がわずかに暗くなる。僕は初めて頭を動かすと、影を作った犯人の顔を見上げた。
「うん、もう収穫してる」
「そう、良かった」
 彼女はそう言うと、微笑みを浮かべて僕の隣に並んだ。既に他の菜園にも顔を出したのだろう。揺れる亜麻色の髪からは、ほのかに土の匂いがした。
 そよ凪ぐ風に胡瓜の葉が揺れる。
 僕らはしばしの間、黙々と胡瓜を収穫し続けた。二人横に並び座って、会話を交わすこともなく、ただ照る日を受けながら。
 次第に容積を増す篭の中からは、青く若い匂いが漂う。
 それは、僕らが手塩にかけて育てた、僕らの存在証明でもある。
 僕らがここにいて、ここで生活している、その存在証明。
「……そろそろ、終わりにしよっか」
 篭いっぱいになった胡瓜を見ながら、彼女は額の汗をぬぐった。僕も肩からかけた手ぬぐいで額を拭くと、立ち上がって、うん、と背伸びをする。
 見上げた空には、雲一つなく、何も遮るものもなく。
「そうだね」
 少し青ざめた手のひらを、彼女の手のひらに重ねた。
 包み込む感触とともに、心地よい圧力が僕の手を制圧し、二人の体温が等しくなっていく。
 僕は、その手を少しだけ強く握りかえした。
「なぁ」
 蒼穹を見据えたまま、一回り小さな隣人に呼びかける。同じように空を見上げた彼女のことを、伝わる熱だけで感じながら、僕は続きをゆっくりとはき出した。
「ここを出ることができたら……一緒に暮らさないか?」
 一瞬、風が止んだ。
 遠くから、遅鳴きの蝉の声が聞こえる。出遅れたことを気にしてか、遠慮がちで弱々しいその声は、白いコンクリートに反射して、じわじわと響き渡る。
 ふ、と手から力が抜け、僕の手が体温を見失った。再開した空気の流れが、空白になった手のひらを撫でていく。熱を求めて喘いだ手のひらは、しかし確かな熱を得る事は出来なかった。
 だけど、ただ一言。
「……うん」
 その響きが、手のひらの動脈を激しく波打たせた。

 そしてそれが、忘れかけていた「残酷な希望」という奴を、思い出させたんだ。

 その日の夜、僕が寝る準備をしていると、部屋の扉が、とんとん、と鳴った。
 昼間のことで些か興奮していた心臓が、ぴたりと平常を取り戻す。
 運命が決まるのは、たいてい夜だ。
 月の光も差さぬ闇夜の中で、僕らの値段は決められていく。当人達の与り知らぬ様々な付加価値に修飾され、絶対価値の数字を振られて、僕らはヒトからモノへと成り下がる。
 その時が、僕にも来たのか。
 だが、ノックの後に続いたのは、予期せぬか細い声だった。
「……起きてる……?」
 扉越しのくぐもった声でも、聞き間違えるはずがない。これは、彼女の声だ。
 返事をする代わりに、僕はそっと扉を開けた。対面の窓から漏れる月明かりがさっと差し込む中、一本の長い影が僕に向かってのびる。そして、

 ──トス。

 開いた僕の腕の中へ、吸い込まれるように、彼女の体が収まった。
「私ね……」
 小刻みに震える、彼女の体。
 昼に感じた体温は、最早そこにはない。まるで何か、氷の彫像のような何かを抱いている感覚。
 それが、彼女の次の言葉を、予見させた。
「私……買われちゃった……」
 僕の中で、耳鳴りを伴う爆発が起こった。
 全ての色をごちゃ混ぜにしたような幻覚が、一瞬目の前に現れ、そして消える。
 僕は両腕に力を込めると、彼女の細い体を思い切り抱いた。
 耳元で囁かれた悪夢を振り払うように。覚束なくなりそうな足下を、踏みしめながら。
「…………!」
 何かを言おうとして、息が詰まる。
 売買契約は、僕らの意志で覆すことは出来ない。広大な敷地と、高い隔壁を持つこの孤児施設からは、逃げ出すことも能わない。
 そんな状況で、僕に何が言える?
 あのときの言葉が、胸中によみがえる。
 ここを出ることが出来たら、一緒に暮らそう。
 所詮、実現不可能な、残酷な希望。
 それでも、僕たちは、叶えたかったのに。
「ねぇ……お昼の言葉、覚えてる?」
 今まさにそのことを思い出していた僕は、静かに首肯する。空気だけでそれを感じ取った彼女は、顔を上げ、じっと僕の瞳を見据えた。
「……一夜だけで良いから……叶えさせて」
 熱い吐息が、頬を撫でた。
 僕の欲しかった、体温。
 貪るように、唇を重ねる。
 たった一夜でも……たった一夜でも良いから。

 希望を。




 翌日、一人の孤児が、施設の菜園で発見された。
 綺麗に化粧を施されたその孤児は、収穫を待つ野菜に囲まれて、冷たい土に横たわっていた。
 胸を朱に染め、堅くなりながらも、その顔は、満足そうに微笑んでいたという。
 彼女は、選んだのだろう。
 受け入れる道ではなく、抗い続ける道ではなく、
 ただ、去り往く道を。
「……さよなら」
 煉瓦造りの煙突から立ち上る彼女の姿を見上げ、僕は呟いた。
 夏の名残の光が、煙を余計にぼんやりと曇らせた。





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