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Last update 2008年06月01日

パズル  著者:AR1


 全てが白紙である。なぜならば、午前と午後の境目である正午にまさに今、達したからだった。午前であることがリセットされ、新たな時間軸へと移行する。
 それと同時に、私の人差し指が天井の方に向けて垂直に伸びた時、腹の中からご機嫌な様子で小鳥が飛び出し、陽気な歌声を披露する。もっとも、小鳥が今まで不機嫌そうに鳴いたことなど一度としてない。
 寒気の中に徐々に温もりが射し込みつつある四月の陽気。窓を容赦なくノックして来訪を告げた春の嵐はどこへやら、黒い雲の断片すら見当たらない。レース・カーテンを飛び越えてきた木漏れ日のような陽光が、白の壁紙に吸い込まれる。
 液晶画面の中では、かしこまった表情の天気予報士が今日一杯の空模様の安寧を約束し、背景ではカメラが渋谷の交差点の混雑振りを実況で監視している。風の中に冬の凍てつきは薄くなったとはいえ、薄着や大胆なカットが施されたファッションで横断歩道を歩く若者は少ない。
 歌唱を見せてして満足したのか、小鳥は私の腹の中へ舞い戻る。この同居人の声は壁を突き破って隣室に飛び込むほどよく通る。付けっ放しのテレビの筐体からはニュース番組の司会者の抑揚のない語りが流れているのだが、小鳥の歌声の前にはあえなく敗退した。部屋の隅っこにいる私のところまでなんとかナレーションが届くものの、絶対的な音量が小さ過ぎるのだ。
 そういえば、私は一時間前に飛び出した小鳥とおしゃべりをした。普段はこの部屋の主人に会話を聞かれるとまずいので、小鳥との会話は禁忌とされているのだが、あまりにも代わり映えしない時間の流れにお互い鬱屈していたのだ。我慢できなかったのは、私との関係においてはおしゃべりと相場が決まっている小鳥の方からだった。
「なあ、いつご主人様は帰ってくるのかねぇ?」
 楽天的を思わせる高い声にお似合いのあけすけな質問をする小鳥に、私は言葉を選ぶ時間を稼ぐために「うぅん」と唸った。
「きっと、どこか旅に出ているんだよ」
 重厚で渋みがある、とかつて小鳥に評された声で私は答えてやった。
「旅って、どこに?」
「きっといいところさ」
 ふうん、と少し怪訝そうな態度を見せながらも、小鳥は私という巣の中に引っ込んで行った。
 私は一つ、小鳥に嘘をついているが、今はそう答えざるを得なかった。

 午後一時になって再び小鳥が顔を出した時、少し嘴を上に持ち上げたように私には見えた。両目で凝視されているのが何よりの証拠だ。
「君、何か隠しているだろう?」小鳥は少しばかり低く抑えた声で、私に圧力をかける。
「と、言うと?」私はあくまで――存在しないはずの――首を振って白を切る。
「僕は一日に二十四回、しかもほんの少ししか外に出ることが出来ない。だけど、君はいつだって部屋の中を見ていられる。君は何か見ていないのかい?」
「何も見ていないさ」
 何かを聞いてはいたけれど、とあえて私は口に出すまいと心に誓った。この場から身動きすら取れない自分に、例え真相を明かされたところで何も解決する出来ることなどないのだ。一つとして、ない。それは同居人の小鳥にもまったく同じことが当てはまる。
「なんだか、神隠しみたいだね」小鳥が言った。
「謎、か。ミステリー・サークルのように」私は後を続けなかった。――きっと、主人が私と視線を絡める日はやって来ない。
 小鳥はいつもより少しだけ長めに外界に留まっていたが、訊きたいことは全て吐き出してしまったのか、私の腹の中に引っ込んで勢いよく扉を閉めてしまった。扉を力強く閉じる時は、小鳥にとって納得のいかない出来事があった時と相場が決まっている。
 私は静けさと埃が舞う部屋の中で物思いに耽っていた。部屋の主は本当にどうしたのだろうか、と考えるうちに小鳥が姿を消してから五分が経過した。じっくりと考えていたつもりだったが、やおら敏感になり出した耳がつけっ放しのテレビの音声を拾った時、時間がワープしたかのように体内時計の感覚が大きく狂う。私は時間を計ることに関しては絶対の自信があるのだが、とうとう体がおんぼろになり始めた証左かもしれない。
 あまりにも小さかったニュースの音声が、今回ばかりは体の中の歯車が外れかねないほど大きな振動を伴って襲って来た。――その一報は、主人の死体が栃木の山中で発見されたという速報だった。
 しかし、大地震はすぐにある一点へと収束する。この部屋の主が帰館することはないという予感を決定的に裏付けたことで、私には諦めるしか選択肢がなかったのだ。どれほど心配しても、何を嘆き悲しもうとも、結局は誰の耳にも届かないのだから。同居人の小鳥を除いて。
 私には、黙して語らずという選択肢しか残されていなかった。伝わらない独白を愚痴のように落とし続けるくらいなら、いずれは処分されることに身を任せ、悲しみを体の中に留めて眠りたかった。

 時計は沈黙していた。針は凍りついたかのように盤上に張り付けられ、まるで動く気配はなかった。秒針の刻む拍が停滞した今、NHKのテレビ放送の中にだけ真実の時間が流れていた。
 心停止した真っ白な部屋の中央にあるコーヒーテーブルの上には、鮮やかなアネモネがちょこんと生けてあった。




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