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Last update 2008年07月06日

悪人正機  著者:コサメ


 実に気の回る殺人者であった。
 彼は私のために椅子をすすめ、さらには紅茶とクッキーを出してきた。私は彼の言うがままに椅子にすわり、クッキーをかじって紅茶を飲んだ。しかし私は素直にゆったりと紅茶やクッキーの味をあじわうことができないでいる。すぐそこで、血まみれになって倒れている女がいやでも視界に入ってくるからだ。
「その紅茶は私のお気に入りなんです。おいしいでしょう?」
「はぁ……まぁ……」
 彼は茶葉を買った店のことだとか、他にも様々な茶葉があってとてもおいしいんだとか、そういったことをにこやかに話し始めた。私は適当に相槌をうちながら、どうやって逃げ出そうかということをぐるぐる考えていた。しかしなかなか思考がうまく働かないでいる。そうしていつしか私はこの場の打開策を考えるのはやめて、今までのことをひたすら後悔するだけになっていた。
 なぜ私はすぐそこで死体が横たわっているというのに何もせず初対面の男に茶をすすめられてのんきにお茶を楽しんでいるというこの奇妙な状況にいるのか。それは私が盗みを働こうとしてこの家に侵入したのが全ての始まりだった。よし誰もいないぞ、これはいけるぞ、とびくびくしながら家に侵入。月明かりがさしこむ薄暗い部屋には、たくさんの本が壁一面にならんでいた。さらにそれだけでは足りないというように、平積みになった本の山もそこらじゅうにある。何か金目のものはないだろうかと、そろりそろりと物色していると、いきなりパッと電気がついた。息を止めて後ろを振り返ると、そこには血まみれの男がいた。彼は片手に包丁を握りしめて、もう片方の手では女の頭部をつかんでいた。その女は血まみれで、だらりと四肢を投げ出してぐったりとしていた。人形かなにかだろうかと思ったが、見るからにそれは人間だった。あっけにとられて絶句していると、男は「こんばんは。私に何かご用で?」と微笑みながら言った。私が何も言えないでいると、彼は「ちょうどこれから紅茶をいれようと思っていたところなんです。よかったらご一緒しませんか」とにこやかに言って私を見つめた。私は頷くしかなかった。ここで下手に騒いだら何をされるかわかったもんじゃない。すると彼は「ではこちらへ」と言って、死体をずるずるずるとひきずりながら私を奥へ案内した。彼が歩いた後には血の跡が残った。私はそれを踏まないようによけながら歩いた。そして今に至る。
 彼はとくに何の変哲もない青年だ。紅茶を飲む仕草はどこか中性的でもある。もっと違う場所で出会っていれば、そして彼のシャツに返り血がついていたりしなければ、きっともっと気軽に楽しく話すことができたかもしれない。
「ところで、あの部屋で何をしていたんです?」
 私はぎくりと肩をこわばらせた。しかしここで何を言っても無駄だということは明らかだった。私は正直に白状した。借金を抱えているということ。だからどうしても金が必要だったこと。
「それはそれは、お困りでしょう」
 すると彼は何か考えるようなそぶりをし、ふと自分の腕時計をはずして私の前に置いた。金色の、見るからに高価な時計だった。しかしベルトの部分には血がついている。
「これを売れば、少しは足しになると思います」
「そんな……受け取れません」
「ああ失礼しました。こんな血だらけの時計じゃ、売るにも売れませんよね。すぐに拭きますので……」
「いや、そういうわけでは……いえ、そうなんですけど……」
 すると彼はハハハと笑った。私もつられて笑いかけ、しかしすぐにぎこちないものに変わった。膝の上の手は知らずのうちにぎゅっと握りしめていて、汗でぐっしょりと濡れている。背中も然りだ。それに気付いているのかいないのか、向かい側に座る彼はゆっくりと紅茶を飲んでいる。
 私はちらりと女の死体を見た。それは目をそむけたくなるような、無残なものだった。凝視することができないくせになぜか視線はすぐに死体にいってしまい、そしてまたすぐにそむけ、といった動作を繰り返した。
「彼女は私の恋人です」
 彼の言葉に私は息を止めた。
「いえ、恋人“だった”といった方がいいでしょうか。彼女はつい先日、他の男と結婚しましたから」
 彼は死体を見やった。その視線はとても無機質なものだった。私は背筋がゾクリと粟立つのを感じた。そして何か言わなければ、という強い衝動が湧き上がった。
「あの……私は、勝手にあなたの家に泥棒に入ったくせに、何かを言える立場ではないんですけれど……その……」
 口ごもっていると、彼は次の言葉を促すように、口元に微笑を浮かべながら私を見つめた。私はごくりと唾を飲み、一度息を止めて、
「どうして、こんなことをしたんですか」
 すると彼は目を細めてにこりと笑った。まるで私の言葉に満足しているような笑みだ。
「そうですね……まぁ、しいていえば『それは太陽のせいだ』ですかね」
 お読みになったことはありますか? と彼は静かに言った。何のことだかわからずに黙っていると、彼は続けた。
「なぜ殺人を犯したのかと問われて、主人公は法廷でこう言うんです。『それは太陽のせいだ』――とても正直で、スマートな回答です。そのときの主人公の気持ちが、私にはよくわかる」
 彼は私を見つめた。私が何かを言うのを待っているようだった。しかし私が何も言えないでいるのがわかると、そのまま続けた。
「つまり、理由なんてないんですよ。もし明確な動機が自分でわかっていたのなら、きっと彼は人殺しをしなかったでしょう。私もそうです。理由がわかっていたなら彼女を殺さなかった」
「で、でも……それでもあなたは人を殺して、あ、悪人だということには変わりないと思います」
「悪人」
「はい。わ、私も、ですけど……」
 私は不法侵入、あなたは殺人で、立派な犯罪です。だから一緒に自首しましょう。そう言おうとしたときだった。
「……一体、何が悪で、何が善だというんだ」
 彼は少し目を伏せて、つぶやいた。私が「え?」と聞き返すと、彼は誤魔化すように軽く微笑んで、
「紅茶の味はいかがでしたか」
「は?」
「紅茶の味は、いかがでしたか」
 私はいつの間にか空になったカップと彼を交互にみやり、悩んだ結果、
「……よく、わかりません」
 すみません。そう言うと彼は意外にもにこりと微笑んだ。
「泥棒さん、あなたは非常に礼儀正しい人だ」
 そのとき私は、なぜかこの青年を哀れんでいた。借金に困っていると言えば何のためらいもなく腕時計を差し出すが、その一方で人を殺す凶悪な部分も持っている。死体の傍らで紅茶を飲み、泥棒に入った私と出くわしても口封じをしようともしない。
 法律の上では、私よりも彼のほうが重罪だろう。しかし私はどうしても自分のほうがよっぽど悪で、汚い人間であるとしか思えなかった。




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