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 商談は夏には始まっていると言われるが、実際に注文を受けてキースのバイト先の工場がフル生産に入るのは年が明けてからであった。主力製品は小麦粉であるが、一部、他の材料を混ぜたケーキミックスやココアミックスなども扱っている。
 そして今キースがえっちらハンドリフトで運んでいるのも甘い匂いのするカカオパウダーであった。番号どおりにパレットを置き、ビニールでぐるぐる巻きにする。
「おーい、キース! それ朝便なー」
「分かりました!」
 いつも粉っぽい工場に、甘さが混じったなんともいえない空気にキースは呼吸が浅くなっているのを感じていた。
(こんなに砂糖ばかりのチョコなんて反則だ。まるっきり砂糖じゃないか)
 実体を知ってしまうと残念な真実を前に、軽くため息をつく。やっぱり、お菓子メーカーの陰謀だ。けど、世の女性達が買ってくれなければ工場の売上は落ちるのだから、馬鹿にしてはいられない。

 しかし、チョコレートに踊らされていたのは女性ばかりではなかったのだ。

 奇しくもキースが昼休み中に学校の掲示板を見上げていると、ピンポンパンポンとチャイムが鳴った。こんな時間になんだ? と思う間もなく、周囲から「キャー」と黄色い声が沸き立つ。放送の主は生徒会長だった。

『あーあーテステス』
 キャー! 
『諸君!今年もバレンタインデーが明日に迫った今日!』
 キャー!
 耳に響く声にキースは思わずのけぞりそうになる。

『恒例のチョコレートレースの開催を宣言する!』

 そのまま倒れたい気分だった。
(また面倒くさいことを始めたのか)
 はしゃぐ女子と、少し対応に困った様子の男児達。一世一代のイベントも、大半は親族からにとどまる高校生も多く、一部の学生との温度差はある。
『期間は2月14日朝8時から夕方6時まで』
 しかしである。一縷の希望を捨てきれないのは若さゆえか。構内はやはりどことなく騒然と、浮き足立った、奇妙な甘い空気が流れている。明日はそわそわした校内で居心地が悪いに違いない。校内の女子など確実に誰からももらえないと分かっていると、面白くもなんともない日である。
(勝手にやってろ)
 キースは窓際の席に着くと、つまらない午後の授業を右から左にスルーするのだった。


 はたして当日。
 オッズは朝から生徒会長と次期生徒会長の激しい一騎打ちが繰り広げられていた。ハロウィンもクリスマスもそうだがいつも思うのだ。女子どもはイベントを楽しむのが上手いと。誰が何個もらうか、誰が玉砕しただのHRから早速話題になっている。
「女どもは楽しそうでいいよな」
「バレンタインって女のイベントだぜ、全く」
 貰う立場の男は待っているしかない。
 教室の会話で少しは話題に上るが、そうそう大っぴらにする話でもなく、皆がお互いを刺激しないようにチョコレートはあっさり会話の表面を滑っていく。
「生徒会長の下駄箱が溢れてたらしいぜ」
「まじかよ」
 授業も上の空で放課ばかり盛り上がる。1限・2限とエスカレートして、昼休み。キースが屋上で学食のいつものパンを食べていると別の学生の声が聞こえてきた。
「ジョミーの奴、もう紙袋提げてたってよ」
「あーあ、俺なんかもらえてお袋からだってーの」
 その一つだってキースにはない。
 去年と同じくバイト先のコンビニのオーナーがくれた一つと、工場のおばちゃんがくれた大量の義理チョコの一つ。あれなどはおそらく300テラもしないだろう。
「あいつらにやったって、食べてもらえるとは限らないのによ」
「あんなに貰ってどーすんだろうなあ」
(あれだけあれば半年は非常食になるだろうな)
 空腹を睡眠で誤魔化す特技を持つキースからみれば、一度に食べてしまうなんて勿体無いの極みであり、まず自分で買わないので一つのチョコを少しずつ食べるのが当たり前だ。他人の心配をしても仕方がないと、チャイムが鳴る前に腰を上げた。


 放課後ともなると、バレンタインフィーバーも少しは落ち着いて、結果が見えてくる。敢え無く期待が外れた者、念願かなった者にまだあきらめていない者と悲哀こもごもになるのだが、勿論キースには関係なかった。
 図書館で問題集やチャートの連続貸し出しの手続きをして自転車置き場へ向かう。ドタドタと駆け下りてくる音がして階段で顔を上げた。

「どっ、へ?」

 両手に紙袋を持った学生が宙を飛んでいた。
 んなわけはない。次期生徒会長のジョミーが滑って転んでチョコレート共に落ちてくる。飛び込んできた小さな箱を思わずキャッチして目を瞠る。
(このままなら衝突コースだ)
「うわ」
 目が合ったかも知れない。しかし、キースは咄嗟に避けて衝突を免れ、踊り場に顔から着地したジョミーの頭にきれいにラッピングしたチョコレートが降り注いだ。

「・・・いたたた」
 さすがに立ち去ることはできずに、キースはおもむろに散らばったチョコレートを拾い始める。ぶちまけられて中身はボロボロになったであろうチョコレートの箱は両手両足でも足りないくらいあった。起き上がった持ち主も紙袋を拾い上げたが、それは見事に破れて持ち手も千切れていた。キースは図書館で借りた本を鞄に入れなおして、紙袋を差し出した。
「え・・・・・・あ、サンキュ」
「大丈夫か?」
「ん・・・僕はいいけど、こっちはやばそうだよね。多分、味に変わりないけどさ」
 苦笑するジョミーが紙袋の中のチョコレートを並び替えている。
「全部食べるのか?」
 他人の心配事のはずだったのに、キースは口に出していた自分に驚いた。中にはかなりの大きな箱もあったはずだ。ところが問われたジョミーの方が驚いて、目をぱちくりさせている。そして、軽く笑って視線をそらした。
「えっと、それは君にあげるよ」
 すっかり忘れていた最初の一つを持ったままだった。
 赤い包装紙にピンクのリボンがついたオーソドックスな小さな箱。
「それは駄目だろう」
「や、チョコがそうしたいって飛んでったんだからさ。遠慮せず、貰ってくれ」
 返そうとした手を無理やり押し返して、ジョミーが踵を返す。
「って、おい!」
「うわ、やばいっ。この紙袋、ちょっと借りるから!」
 階段下から黄色い声援が響いてきて、ジョミーが慌てて降りてきた階段を上り始めた。追いかける間もなく3階に消えて、キースはチョコレートを持ったまま立ち尽くすことになる。どやどやと下級生達が通り過ぎて初めて、手にしたチョコレートをまじまじと見つめるのだった。
(返しそびれてしまった。中に手紙とか入っていたらどうするんだ)


 嵐はそれっきりのはずだったのに、自転車置き場で待っていたのは生徒会書記のリオ。物腰は柔らかだが、有無を言わさぬ見えないベールを纏っている。あの曲者の生徒会長とやっていける3年生である。
「君がキース・アニアン君?」
 返事はせずに訝しげな眼差しを送る。勿論面識はない。キースは生徒会のせの字程もかかわりはなく、初めて会話をしたかもしれなかった。
(どうして生徒会役員がこんなところに)
「ちょっと生徒会室によってもらえるかな」
「時間ないんだが」
「こっちです」
(聞けよ)
 校庭の時計を確認すれば5時40分。今日も勿論シフトの日である。
「バイトの時間には間に合いますから」
 考えていることを先回りされて、キースはムッとした。

 生徒会室。その部屋に入るのも初めてで、黒板に書かれた自分の名前も初めは何がなんだか分からなかった。上に書いているのはブルーとジョミーの名前でその後ろにつづく「正」の字も。
(もしかしてあれはチョコの数・・・)
 だとしたら物凄い数だった。と言うよりこの2人しか黒板に名前がないのはどうしたことだろう。ここでは自分の名前は無視である。確かに今日、話題になっていたのは生徒会長ことソルジャー・ブルーと次期生徒会長のジョミーばかりだった気がするが。
「自己申告制だったのがまずかったようだね、フィシス」
「殿方は皆さんシャイですから」 
(そういう問題じゃないだろう)
 ずらりと並んだ数に1個や2個を申告するなどできやしない。それにだ、貰ったことを告白すれば、送り主の追及は免れない。
「ジョミーから聞いたよ。君も貰ったんだって?」
「は?」
「チョコレートですわ。ピンクのリボンがついた可愛い箱だとか」
 とか言って、会計のフィシスがキースの名前の後ろに「ー」の字を書いた。
(ちょっと待て、どうして名前があるんだ)
 チョコレートの数は自己申告で、キースは今ここに来たばかりなのだ。
「ブルーが2人じゃつまらないって言うから、ちょうどいいかと思って。幾つ貰ったんだよ、キース・アニアン。我ら2年の学年トップ」
 答えようにも答えられない。
 別に彼らに悪気があっての事ではないのだろう。純粋に祭りを楽しんでいるだけのなのだが、ないものはない、けれどそれを口にするのも癪だ。
「なぜ言わなきゃいけないんだ」
「僕が聞いているから」
 生徒会長は噂に違わず実に偉そうだった。右と言えば、まるで全校生徒が右を向くがごとく。
「それとも実は一つも貰っていないとか」
 前言撤回。
(こいつら・・・絶対面白がっているだろ)
「まあ、こんなにカッコイイのに。ブルーより背も高いですわ、それなのに」
「フィシス、愛に背の高さは関係無いだろう。そうだろ、リオ」
「そこで僕に振りますか、ソルジャー」
 漫才を始めた生徒会の面子に呆れたジョミーがやって来て、肘で小突いた。顔がいかにも笑っている。
「で、どうだったんだよ」
 何をしに来たのか天井を見上げれば、部屋の時計は6時を回っていた。
(やばい。こんな時間じゃないか)
「2組の金髪の子とかさ、6組の子とか、昼に屋上で貰ったんだろ」
(昼に来たのは野郎だけだ)
「貰ってない」
「えー、違うのか!?」
 一体どんな目をしているのか。時間ばかりが気になって、くだらないことで絡んでくるジョミーが恨めしい。正直、チョコレートなどキースにとっては運が良ければただで手に入る非常食以上のものになりえない。それが新婚さんだろうが、おばちゃんだろうが、高級娼婦だろうが関係ないのだ。食べられさえすれば。
「じゃ、数だけでも教えろよ」
 キースはジョミーを無視して生徒会室の黒板の上に黒板けしを滑らせた。勝手に名前をを消して出て行く。
「1個はあるよな、だから・・・」
「数は4つ!! 全てこの学校の女子以外からだ。だから、俺には関係無い!」

 ガラガラ、バン!

「嫌われたな」
「ブルーがでしょ」
「でも、勝負は僕の勝ちだね」
「1個の違いでしょ」

 ジョミーが勝ちを逃した一つをアパートに持って帰ったキースは、箱を開けて4つある小さなチョコレートを見つめた。
「お前、運がなかったな」
 一つだけ食べて、また包みなおして冷蔵庫にしまう。
 懸案の愛のメッセージは入っていなかった。






 おわり



学園ネタの初お披露目がイベントものに・・・。即席なので即席なできだなー。