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 部屋に戻ったシンを待っていたのは、きちんと敷かれた布団だった。
 いかに少ない荷物とは言え、開店状態だったのを思い出して部屋の中に駆け出す。器用にも敷かれた布団を飛び越えて脇に置かれたカバンにひとっ飛び。
「良かった・・・何も取られてない」
 少々失礼なことを呟いて、いそいそと風呂の支度をする。部屋の設備を確認したら、洗面台しかない実に質素なものだった。トイレ、シャワーは言うに及ばず、テレビもないのだ。ためしに携帯を取り出してみたが、1本もアンテナが立っていない。
「本当にすごい田舎なんだな」
 途中、電車とバスに揺られて5時間も掛かったのだ、逆にそこまでして今までいた所と遜色なく生活できては悲しいというものだろう。
 お腹に手をやって、少し時間をおいてから風呂にしようと思ったのだが、テレビもないから本当にすることがない。仕方なく、幾分重たい腹を抱えて腰を上げて、主の言葉を思い出す。
「露天風呂、あったんだ」
 シンの為に準備してくれたのだとしたら、随分と至れり尽せりである。
 部屋で暇を持て余していては、一人でこの民宿を切り盛りしている青年に悪い気がして、いそいそと露天風呂へと向かった。


 スリッパから履き替えて屋外に出る。生憎の雨だったが、屋根があったおかげで濡れずに済んだ。服をかごに入れて露天風呂に向かったのはいいが、シンはそこで立ち尽くしてしまった。
 露天とはつまり屋外なのだ。
 雨なのだ、今夜は。
 今まで雨の中、露天風呂に入った経験のないシンはこのまま湯に浸かればいいのだろうかと自問自答する。
「なんか、濡れるよな。ああ、でも温泉だから別にいいのか?」
 と、自分に納得させて身体を軽く洗って身体を浸す。
 きっと、天気がよければ星空がきれいなのだろうなと思って、夜空を見上げてみる。
「うっわっ!」
 案の定、猛烈な雨の攻撃を受けて、思わず温泉に潜ってしまった。
 ザバンと頭を出し、とりあえず髪を拭こうとしてタオルを取りに立ち上がる。そこで、シンは露天風呂の端に立っている人物を見つけてしまった。
「雨の日は此れを被るんだよ」
 誰だ? 誰ってここにはシン以外に一人しかいない。
 何か丸いものを差し出しているように見える。そう、時代劇の中でよく武士や百姓が頭につけている笠をシンの方に差し出している。
 確かに今は夜で、脱衣所の明かりと露天風呂に落ちる電灯だけが頼りの暗がりであるが、お互いの顔が分からないほど真っ暗じゃない。
「アンタ・・・」
 少し困った顔をして見ていて、シンは自分のあられもない格好に慌ててその笠を受け取るべく手を伸ばした。男同士で恥ずかしいもないだろうと必死に自分を宥めすかしたのだが、動転した脳はうまく手足に命令を伝えることができなかった。踏み出した足が滑る。指先が触れていた笠を引っ手繰りながら、シンは温泉の中で盛大にひっくり返っていた。
 沸き立った水音は有に一人分を超えて。
 何が起こったのか自分でもわからない。
 顔まで温泉に浸かって、ブハッと息を吸えば、自分の上にずぶ濡れになった青年がいた。
「すまないっ! 大丈夫かっ!?」
 お湯を滴らせてシンを覗き込んでいるが、悪いのはこの場合シンなのだ。
「うわっ、俺こそ、すいませんっ!」
「いや、俺はいいんだけど、ごめん」
 起き上がりながら髪を掻き上げる仕草に目が行ってしまい、シンはこの宿の主を始めて意識した。身体にへばりついた衣服が醸し出すラインから色香が匂い立つ。ここでシンの名誉のために言っておくと、それは男の色香であって、それをシンは羨ましいと思ったのだ。
 このひと、結構いい体している。と。
 シンより背があって痩せてはいるが、贅肉のないしなやかな体。
 見とれていることに気付いて、慌てて口に出す。
「あっ、そのままだと風邪引きますよ!」
「あー、そうだな」
 苦笑して、湯船の中の笠を拾い上げる。
「もうあまり意味ないけど」
 そう言って、シンの頭に乗せる。
「あまり・・・似合わないな」
 笑われたのだと知ったのは彼の背中が消えてから。それまでシンは情けなくも露天風呂の中で立ち尽くしていて、体の中心に熱が集まるのを感じてしまった。誰も見ているものはいないのに、キョロキョロして深くはない温泉にじゃぶんと沈みこんだ。


 なんか、カッコイイでやんの。
 シンは長男だったから、年上の兄弟を知らない。家族が亡くなった時も誰かに縋るなんて事もできなかった。
「兄貴がいたら、あんな感じなのかなあ」
 なんて、名前なんだろう?
 優しくて、格好よくて、万能で、きっと子ども扱いされる。でも、それもいいかも知れない、わがまま言って困らせるんだ。きっとその度に『こらっ、シンー!』って俺がマユにしたみたい怒るんだ。
 うっわ、俺、何、考えてんだよ。
 そんな想像に恥ずかしくなって、鼻まで湯に使ってぶくぶくと息を吐き出す。
 笠の下から民宿の建物が見え、窓から明かりが見えている。
「あれっ?」
 その一つ2階の窓に人影が見えた。シンは湯船の中からその姿を見上げる。
 えっ?
 目が合ったような気がして、目を凝らせばその姿はなく。
 でも確かに、紫の瞳で見下ろされていた。
「なんだ、俺のほかにも客がいるじゃん」
 貸切だって言ったくせに。
 ガッカリした自分に気が付いて、露天風呂から上がる。
 浮かれた気分が急速に冷めていく。
 兄貴だって、馬鹿じゃねーの?
 籠の横に笠を放り投げると、身体を拭くのもそこそこに脱衣所を後にする。
「明日の朝食だけど、和食と洋食どちらがいい?」
 髪を拭く主がロビーで待っていたけれど、シンは見向きもせずに階段を上る。
「なんでも」
 投げ捨てる。
 それじゃあ駄目だと分かっているのに、振り返りもせずに部屋に閉じこもってしまった。彼はこの民宿の主で、シンは客。シンに親切なのは主として当然なのだ、それはシンが特別だからじゃない。今までシン一人だったから、そう錯覚してしまったのだ。
 まるで家族みたいだと。
 でも、これが現実だった。
 シンは明かりをすぐに消して、布団に潜り込む。
「俺って、本当に馬鹿だよ」
 何を期待していたのか嫌ほど分かってしまって、そんな未練がましい自分が嫌でシンは頭まで布団を被って目を閉じた。



暗い話のはずだったのに、なんだか路線変更しそうです?