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プロローグ


 テラスから望む景色の中で次々に灯る家々の明かり。
 暖かい光に混じって、かぼちゃの中で揺れるオレンジ色の小さな光がポツンポツンと浮かび上がっていた。
「あっという間に日が暮れてしまったわ。もう、こんな季節なのね」
「奥様、そろそろお部屋の中に」
 テラスで街を見下ろしていた女性は振り向かずに答えた。
 沈みきった太陽の残光を映す瞳は緑色。
「家の中はきれいにしてあるわね?」
「それはもう」
 少し微笑んで、テラスの扉を閉める。肩にかけたショールが緩やかにカーブを描く。
「お部屋のほうは大丈夫?」
「心得ておりますとも。明日、マティウスのご子息がお見えになると、先程早馬が参りました」
「今年も一番乗りはエザリアの息子なのね。アスランはもう帰ってきた?」
「ええ。今しがた」
 それなら、夕食も一際おいしいだろうと、彼女は微笑んだ。
 一人息子がその日の出来事を報告するのを聞きながら、夕食をするのが家族の日課になっていた。彼女が黙って聞き、夫が時折、茶々を入れる。時には喧嘩になることもあるけれど、それすら彼女には喜びだったのだ。
 ほら、今日も急いで身なりを整えてきたのか、少し息が弾んでいる息子が最後にテーブルにつく。


 キラが初めてその若い伯爵を見たのは爵位の授与式の時だった。
 国王は養子に迎えた王女の婚約相手、つまり自分に殆どの公務を任せきりだったのに、この時ばかりは、静養先の離宮からまかりこして一切を取り仕切ったのだ。
「あれが新しいザラ。父親と似てないね」
 夫人が病床に臥した事を理由に爵位を譲ると言い出した前伯爵。
 国の中枢にいて敏腕を振るった伯爵を正直キラは疎ましいと感じていたので、まだ若い息子に代替わりするのであれば口出しもしないだろうと歓迎した。
 ディセンベル伯ザラ家と言えば、王国の北に広大な領地を構える大貴族である。しかし、爵位で言えば第3位に過ぎないザラ家の跡取に王自らが授与の為に御手を振られるのは、ザラ家が古くからの選定侯であったからだった。
 歴史書を紐解けば、彼の家系の変遷が分かるのかも知れないなと、新しい伯爵が広間に現れるのを待っていた気がする。
「お母様に似てらっしゃるのですわ」
 傍らの婚約相手がさらりと告げる。
「男だよね?」
 一見男装の麗人を思わせる容貌に口を付いて出てしまう。ピンク色の髪をした彼女も美しいが、彼の爵位継承の為に貴色のローブを羽織った姿も掛け値無しに美しかったのだ。
 しかし、女では王位はおろか爵位も継げない。
 だから、キラが養子として王家に名を連ねる羽目になったのだ。
「はい、アスランは立派な男性ですわ」
 国王の前で臣下として膝を折る所作。錫を受けるために頭を下げる姿。
 なぜ、あれが僕じゃないのだろうと、小さな嫉妬を国王に向けたのには気付かず、洗練された振る舞いに目を奪われていると、あっという間に継承式は終わってしまった。
 国王が退場した後は、彼を知る貴族の師弟達が彼を取り囲む。
 マティウス公やマイウス公の後継ぎ達。
 次期国王の自分がその中に混じるのも、可笑しな気がして一瞥する。
 彼はこれから王宮に伺候する身になるのだ、一言挨拶があってしかるべきじゃないのか?
 国の要職を預かるものは、王宮近くに屋敷を構え王を助けて国務を行う。彼もザラ家を継いだ以上、これから毎日会えるのだろうと高を括っていた。
 しかし、彼はあの後、王宮のサロンにも顔を出さずにその足で領地に帰ってしまった。意味なく笑ってやり過ごしたキラはその後、一度足りとも彼と会うことなどなかった。
 前伯爵が完璧にお膳立てしていたせいか、国政に混乱はなく王国は何事もなく月日を重ねる。
 ザラ家の跡取のことを思い出したのは、季節が二つも巡った秋も深まった頃だった。


1.イザーク・ジュール


 北の地。ディセンベルの城のエントランスの重苦しいドアが開いた途端に、ホールに響く声。
「今年も来てやったぞっ!」
 ジュール公爵と聞いて、王国でその名を知らぬものはいない。プラチナブロンドの髪にブルーアイズという整いすぎた氷の美貌の女性。王宮で国政の一翼をになう女傑。その一人息子が怒鳴り込んで来たイザーク・ジュールであった。
「おやめください、ジュール様! エルスマン様もっ」
 高貴な人にドアを開けさせるなどとんでもないと、慌てて駆け寄ってくる城の者たち。
「アスランはどこだ?」
「はい、ただ今、主はすぐ参りますゆえ」
 伯爵となった今でも、屋敷の者達にとってイザークは主人の学友だった。
 それをイザークも分かっているし、何より自分自身がそうであると思っている。ジュール公爵について国務を手伝う王宮とは違って、この城は王都とは随分と離れている。
「あいつはまだ、工房で遊んでいるのか!」 
「遊んでいるわけじゃないぞっ」
 右の小さなエントランスからエプロン姿の主が現れる。
「貴様・・・なんだ、その格好は!」
「まあまあ、イザーク。着いたばっかでそんなに張り切るなよ」
 城の主は作業着に黒のエプロンと言ういでたちだった。イザークが旅装束なのとは雲泥の差である。仮にも次期マティウス公を出迎えるのだ、いくらなんでもそれはないだろう。主の身なりを整えようと濡れたタオルに着替えをもって来る。
「何だって・・・今、工房で作業中だったんだよ」
 手を拭き、エプロンを外して渡す。
「イザーク、久しぶり。ようこそ、ディセンベルへ」
「お前もな、アスラン」
 だが、作業着を着ていてもアスランはディセンベル伯だった。
 向き合った瞬間、イザークは変わらないものを感じて肩の力を抜きつつ、身体の芯に力が入る。学友だった時代は終わってしまったけれど、自分がただ一人認めたライバル。
 それゆえ、遠くはなれた辺境に引っ込んでいるのが口惜しかった。
 ディセンベルは代替わりして変わってしまったと、王宮の口さがないもの達は言う。
「父は母上の所だ。二人ともおまえ達が来るのを楽しみにしていたんだ」
 アスランの母が大病を患って以来、この家族はこの地を離れない。
 王宮で国政を動かしていた前伯爵まで息子に爵位を譲って、退いてしまう始末。はじめはなんと軟弱かと思ったが、前伯爵夫人の事情を知ってそれは改めた。
 イザークは父を知らない。
 幼い頃に亡くなったと聞かされたが、実感が湧かない。それだけ母の比重が大きいのだが、死にゆく大切な人を看取りたいという思いを踏みにじることはできない。
 何より、イザークはアカデミー時代のアスランを知っている。家族が満足にそろうこともなく離れ離れだった頃の彼を。
「では、挨拶に行く。それが終わったら、勝負だ」
 驚いて少し目を丸めて、すぐに力がこもる。
 幾度となく見てきた挑戦的な顔。
 今、こいつはとんでもなく不安なはずなのに、力のある瞳を向けてくる。
 どんなに月日が移り変わろうとも、培ってきた日々の上に今が成り立っているのだ。変わらない瞳はまだ終わっていない証拠なのだろう。
「今年こそは俺が勝つ!」
「で、今年は何の勝負をするわけ? チェス? 狩り?」
 今までどれも僅差で届かない。だが、イザークとて無駄に過ごしてきたわけではない、国政の中心で王国を見ている自負もある。
 負けず嫌いはお互い様だ。
 変わらないようで、変わっていくのだ、俺たちは。
「チェスだっ!」
 だから貴様も早く来い。
 俺は負けん。
「あー」
「うるさいぞ、ディアッカ!」


2.ディアッカ・エルスマン


 ディセンベルの城は古い。
 かと思えば、石造りの階段や部屋は驚くほど暖かい。廊下には煙のでない明かりが灯っていたりして、毎度の事ながら驚かされる。
「ディセンベル公にも、奥方に置かれてもご機嫌麗しく」
「久しぶりだな、ジュールにエルスマンの息子達。ゆっくりして行ってくれたまえ」
 奥方の座る椅子を離れて、窓を開ける。
「アスランにはもう会ったの?」
「はい」
 前にいるイザークは気が付かないようだが、たった今、先代が開けたテラスのドアも普通とつくりが違う。
 音が違い、注意してみていると、ドアの下に小さな滑車がついているのがわかった。きっと、少ない力で簡単に動かせるように配慮したのだろう。
 ディアッカはアスランのこういう気付かないような気遣いに感心する。
 アカデミーでのそっけなさがなんだったのかと。
 ただ単に気付かなかっただけなのか。
「何を考え込んでいる?」
 アスランの待つ部屋へと向かう途中、イザークが見咎める。
「別に、何でも」
「フムン。まあ、いい」
 確かにそんなことはどうでもいい。
 チェス盤を囲んで何時ものように白がイザーク、黒がアスラン。ディアッカは勝負がつくまでギャラリーとなる。
 ゲームが進むにつれて、二人とも無言になるが、表情を見てればどちらが優勢かは分かる。
 あれっ? と思って、チェス盤を覗き込む。
「どうした、早くうて」
「うるさい。ちょっと黙っていろ」
 珍しく、イザークが優勢ではないか。
 白いシャツに着替えてきたアスランが難しい顔をしている。
 これはひょっとするとひょっとするのかも知れない。この二人のチェスのスコアはイザークの1勝のみである。負けた勝負をカウントしていないからだ。そう、今までにイザークがアスランに勝てたのはアカデミー時代の一度しかないのだ。そんな珍しい瞬間を拝めるかも知れない。
「ディアッカも、嬉しそうな顔するなよ」
 知らず、顔に出てしまっていたらしい。
 嬉しいわけじゃないがな。二人の反応が楽しみってだけだ。
 アスランがルークを動かすと、すかさずイザークがナイトを動かす。
「クイーンででも防衛するか?」
「ん・・・大人気ないな」
「お前、俺が勝ったら王宮へ上がれ」
 アスランの蒼い髪が揺れて、じいっとイザークを見ていた。
「今すぐとは言わん」
 勝ち誇ったイザークが本題を切り出すと、アスランがポーンを1マス進める。途端に顔色を変えるイザーク。なるほど、大人気ないのは。
「貴様、卑怯だぞ。チェンジリングを狙っているな!」
「卑怯なわけあるか。正当なルールだ」
ポーンは相手ゴールに辿り着くと、ほぼクイーンと同じ力を持つ。縦横無尽に動き回るポーンから防衛せざるを得なくなる。
 ディアッカはどこかでホッとして、二人が言い合う光景を視界に納める。
 王宮に行けば、こんな光景めったに見られなくなるだろう。
「王宮なんてごめんだ」
 あー、でも、王宮の老獪なじじいどもに弄られるアスランも少し見てみたかった、かも知れない。
 それに一々反応するイザークも。
 ディアッカは少しだけ、負けたイザークを恨みのこもった目で見つめた。


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