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 と改名したほうがいいって、でかカ~ル。
 大きなカ~ルが売っていたので弾みで買ってしまいました。普通のカ~ルも買ったので食べ比べしてみたいです。

 ラスボスについて、今、ちょっと考え中です。
 物語におけるラスボスって定型化されてますよね。
 親友、師匠、恋人、今まで存在すら匂わせていなかった未知の存在。など。ラスボス一個前も大体そんな感じで、お話を考える上で、物語の収束点、着地点って実はあまりないのかな・・・と。登場人物は記号化されて、展開はパターンを選択するだけという。

 心地よい音楽とか、人の想像力とか、実はもう全てで尽くしてしまっているのだよ、という話を聞いたりすると、そうなのかも・・・と思ったりもするし、記号やパターンに捕らわれているだけなのかも知れないとも思ったり。
 頭で考えたことを、他人に伝えるために人は様々な媒体を使うけれど、それはつまり翻訳してるんですよね。言葉や音楽、形、全て。

 ブレイクスルーを産み出せるような才能はないけれど、現在の文化社会に行き詰まり感を覚えない訳じゃない、とね。文化が行き着くとどうなるかと言えば、その文明は滅びるわけですよ、大なり小なり。

 思考をトランスファーして伝達するという文化社会がここに来て、限界に来ているのではないかなと、思うというか、どんなに頭で考えていても、それが表現できなくては意味のないことなんだなと、最近強く思うので、こんなわけの分からないことを考えてしまったわけです。

 出来上がったものが全てであり、それについて言い訳したり、表現できなかった部分を補足したりするのはみっともない。
 そして、こうしてお話を色々書いたりしていると実感するのだけど、そんな無様な羽目にはならないようにするのは、とっても大変!

 と、実はこれが言いたかっただけなんだけど。きっと、シチュエーションだけじゃなくて、やちゃんと自分のテーマが伝わるか伝わらないかが、プロとの差なんだろうな。



カテゴリ: [つれづれ] - &trackback- 2005年11月26日 16:54:10

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