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 どうせやるのなら、きちんと演奏したい。
 最初で最後となるのだから、納得のいく音にしたい。

 アークセンターの第2練習室で一度弾いてみて、俺はがっくりと肩を落とした。

「まずいよな、これ」

 はっきり言って、弾けないのだ。
 何度も聞いたことのある有名な曲だし、楽譜を追うことに何の問題もない。しかし、定番であり、かつ典型的なソナタ形式のピアノ協奏曲はやや古典風味で面白みがない。

 間違えずに譜面どおり弾くことは当たり前。
 そこから如何に自分の音にするか。交響楽団の音にするか。そのあたりの回答がさっぱり見えないのだ。

 リハの前の音合わせまでに形にしようと思っていたのに。

「相変わらず面白みのないピアノだよね」
「悪かったな」

 こいつはそんなことを言いにわざわざこの街にまで来たのか?

「お前こそ、演奏ツアー中じゃないのか? 余裕だな」
「ほら、僕って天才だから。一番いい音を引き出すのなんて朝飯前なんだよね」

 天才・・・ね。

「君はさ、難しく考えすぎなんだよ」

 鍵盤を見たまま、ひび割れた白鍵を指でなぞる。

「そうだ、ちょっとリハ見に行かない? アークシンフォニーが練習しているよ」
「リハ? しかし、あまり時間が」

 俺は週の半分を夜だけにして、昼の間を練習時間に当てていた。何せ、皇帝は3楽章合わせると40分にも及ぶ。弾ききる体力と精神力、ましてソロを受け持つピアノならばそれだけの技量が要求される。

「ちょっとだけでも、ね」



 ホールの後ろの方の座席に座って、俺達は練習風景を見ていた。
 明日からの公演に備えて今は最終リハーサルの真っ最中だったが。

「大丈夫なのか? これ」
「大丈夫じゃないんじゃない?」

 音は飛ぶし、歌は高音が出ていない。
 誰か故人を偲ぶコンサートだと聞いたけれど、これでは偲ぶに偲べないのではないか。

「間に合わないだろ、どうするんだ?」
「どうするって、どうもしないよ」

 どうもしないって。まずいだろ。
 トランペットは音をはずすし、せっかくのホルンも音が響いていない。
 ああ、ティンパニのタイミングもずれている。
 これは徹夜で猛特訓しても、とてもじゃないが聞かせられる音楽にならないぞ。
 と、俺が胸のうちで落第点をつけた時、キラが笑うように言った。

「君って、とことん思考が後ろ向きだよね」
「どういう意味だ・・・」

「ネガティブってこと」

 失礼だな。
 このオケがのっぴきならない所にまで来ているのは本当のことだろう。

「カガリさ、音楽院を卒業するまでに三年かかったんだ」
「カガリが・・・?」

 何故ここでカガリが。
 いぶかしむ俺を無視してこの男はどんどん先に進む。

「結局ベルカントがちっとも歌えるようにならなくて、一年余分にかかっちゃった。ラクスにも言われるしさ」

 声楽だけはたまに3年かかる奴もいると聞く。
 しかし、あれほどいい声を持つ彼女が?

「男の嫉妬は見苦しいって」
「嫉妬?」
「あっ、いや、こっちの話。にしても、女って容赦ないよね。『声だけいい歌手なら吐いて捨てるほどいますわ』だってさ。野外コンサートがなまじ上手くいったのがいけなかったのかな。楽することを覚えるとついそればかりになって、やっぱり基本って大事だよね」
「そうか」

 としか、俺には言いようがない。
 でも、歌えるようになったのならいいじゃないか。

「僕はすぐその時の最善を求めてしまうけれど、結局、君の言うとおり、大切なのは基本なんだよね。だから、君はもっと自分を信じたらいいのに」

 ステージの上のオケメンバーを見ていた彼が視線を逸らす。
 これは俺を励ましているのだろうか。
 この天才が、一介のピアノ弾きをか?

「そうやってすぐ自分を卑下するところ、良くないよ。ただ弾くだけがどれだけ難しいか、このオケ見ていれば分かるでしょ?」
「だが、公演に間に合わないのは変わりないぞ?」
「それはまだ分からないいよ。もしかしたら今駄目出しされている所が本番ではうまく行くかも知れないでしょ。やる前から諦めてどうするのさ」

 励ましているのか、叱咤しているのか良く分からない奴だ。

「楽しみなんだ。君を披露するのが」

 しっかりと両手を掴まれていて、逃げることもできなかった。睨むように見つめられて、生唾を飲み込む。

「きっと歴史に残る演奏になるよ」

 俺は自分の手が頬ずりされている以上に、そのくさい台詞に逃げ出したくなる。ミネルバに行く時間だからと、無理やり切り上げて練習室に戻った。





 その頃には俺がコンサートでピアノを弾くということをミネルバのスタッフ達は皆知っていて、俺の音をシンだけでなくスタッフの皆が聴いてくれていた。コンサート情報に自分の名前が載っているのがなんとも恥ずかしい。

「チケット捌けなかったら俺のせいだよな」

 全く無名のピアニストがコンチェルトで有名指揮者と競演するのだ。
 エタフィルはミネルバのことを一切オープンにしなかったから、今もって88階のスカイラウンジに来ている客は誰も俺のことを知らない。

 指揮者懇意の謎のピアニスト。などといういささか不本意な扱いを受けているとは露知らず、俺は渡されたチケットをどう処理しようか考える。公演の5ヶ月前から予約販売が開始され、ミネルバの店長にほとんどを渡して、手元に残った2枚をどうしても渡せずにいた。

 どうしても、渡したいと思っているのに、勇気が出ない。

 俺は空いた時間を使って今回のことを報告するべく、墓地へと向かった。

 途中で買った花束を墓石に置く。
 頭の中で、この前聞いたホールのリハでのレクイエムが離れない。
 母はモーツアルトが好きだったけれど、こんな暗く悲しい曲が好きだったわけじゃないのに。母が自分の前で最初に弾いてくれたのは「きらきら星」だった。
 あの簡単なメロディを幾通りにもアレンジして弾いてくれ、魔法の手だと驚いていた。今となっては立派な変奏曲だと知っているけれど。

 それなのに、思い浮かぶのはラクリモサの最初のフレーズ。
 僅かな風が、花束を揺らし、花びらを一片舞い上げる。
 命日以外、訪れることのなかった母の墓も、コンチェルトを引き受けた時に真っ先に報告に来ている。

 母以外に相談できる人が俺にはいない。
 手元に残った2枚のうち1枚は決してその人の手に渡ることがないというのに、二人揃って来て欲しかった。

「結局、まだ父上に渡せていないんです、母上」

 そう切り出した時だ、カサと草が踏みしめられた音がしたのは。
 墓石の一番端に立っている長身の男。スーツ姿に一部の乱れもなく、表情のない顔でこちらをずっと見ている。

「父上・・・」

 俺が置いた花の横に花束を置く姿を黙って見つめる。
 立ち上がった父の肩が、俺が思ったよりも高くないのに気がついた。いつも見上げるばかりだった厳しい顔が拳一つ違わない位置にある。

 4年は、短いようで長かったのかも知れない。

「交響楽団に混じってコンサートに出るそうだな」
「よく、ご存知で」

 父の耳に入らないわけがない。

「音楽院に行った時も、バーラウンジで働き出した時も何も言わなかった。だが、今後ばかりはそうはいかん」

 何も言わず俺は進む大学を決め、黙って家を出た。
 卒業した後のことでも何も相談しなかった。

 俺の演奏を良かったと言い、地に足をつけろと言う彼も。
 ピアニストなんて辞めてしまえと言い、最高の音楽を作ろうという彼も。

「お前はどうするつもりなのだ」

 いつも歩み寄るのは相手の方だった。





ついに登場・・・。パパラブ。次回いよいよオーラスです(ってマージャンかい)どうだろう、そんな感じしてますかね・・・。段々一回が長くなっていたけれど、ここに来て、短く済みました。もう、後は締めるだけですから!