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 欲しいものを遠くから眺めていた。

 クラスの皆が持っていたビデオゲーム。
 学校の帰り道の怪しいネオンのお店。
 夏の休暇に俺だけ行かなかったキャンプ。

 父はいつも忙しそうで、母が亡くなってからはいっそう仕事にのめり込んだ。俺が口をはさむ時間はなくて、いつも喉まで出掛かって、父を目の前にすると言えなかった。手にした二つの入学案内を強く掴んだまま立ち尽くす。

『父上、聞いていただきたいことが・・・』
『何だ、アスラン』

 そう言って、俺のほうを見もせずに書類を捲る。大きな書斎の窓を背にして父はデスクの向こうに座っていたけれど、逆行を受けてシルエットのみの父は大海の果てにでもいるようだった。

 デスクの電話が鳴る。
 このままでは、本当に音楽院に入学することになってしまう。手習いではじめたピアノは、いつの間にかせっかく習うのだからと有名な先生に付くようになり、強く勧められた音楽の道。

『もう、そんな時間か。アスラン、話なら後で聞く』
『・・・はい』

 そんなやり取りを二、三度繰り返すうちに、会社にとって大きな案件をいくつも抱えていた父は家にほとんど帰らなくなった。子供の俺に父は何一つ仕事の事を話そうとせず、学校の成績をだけを気にしていた。

 父は18歳になった息子の進路のことを何一つ尋ねないまま。
 俺は何一つ言わないまま、海の向こうで新学期を向かえた。

 あの時、俺が相談していたら、父は俺を引き止めただろうか。

 俺は父に必要とされたかったのに。
 18の時に戻りはしないけれど、通り過ぎた4年を今からやり直せば、まだ間に合うだろうか。





「父上の後を継ぎます」
「会社経営は口で言うほど簡単なものではないぞ」
「この秋からUCLに行きます」

 合格通知が届いた時、柄にもなくガッツポーズをしたことは誰にも内緒だが、本当に胸を撫で下ろしたのだ。父の言うとおり、いずれトップを目指すなら、手堅く一歩ずつ進むしかない。
 大学に入りなおすという事を、その意味も含めて父に告げる。本当に久しぶりにお互いが顔をつき合わせていた。父の視線は鋭く、俺には計り知れない深さを湛えていた。

 父も母も緑の瞳だけれど、こうして見ると俺の瞳は父の色なのかもしれない。
 しばらく会わないうちに、髪が大分白っぽくなった。

「お前はそれでいいのか」

 2年を音楽院で過ごし、敵わないと思う頂に出会った。
 2年をミネルバで過ごし、この世界を支えるものを知った。

 必要とされるに違いないと俺は自惚れていたのだ。

 4年の歳月を無駄にするわけじゃない。

「コンサートでピアノを弾くのは俺なりのけじめのつもりです。ピアノはいつでも弾けます。けれど、父上の傍で勉強する時間はそんなにありません」

 黙って聞いている父が、ははっと笑った気配。

「何を言う。目の黒いうちはしっかり働くつもりだぞ」

 少しおどけた口調も、人から見れば叱咤するように聞こえただろう。

「それでもです」

 追いつけないかもしれない。

「ふん、最後尾からのスタートだな」

 現会長の息子だとて、右も左も知らぬ若造がいきなりトップに立てるほどこの世は甘くないと、88階のスカイラウンジで知った。どんなに努力しても天才には及ばないけれど、逆に相手が天才でなければ、努力は実るのだと言う事も知った。

「コンサートのチケットです。もし、スケジュールがあえば」
「心配はいらん」
「では、これを。2枚しかないですけれど」

 俺は鞄の中から、封筒に入ったチケットを取り出した。演奏会は2夜あるが、コンチェルトは2日目の夜だけ。

「必要ない」

 やはり、父は忙しい方だ。

「そう・・・ですか」
「そうではない・・・お前に都合してもらわなくてもよいと、言っておるのだ」
「はっ?」

 目に見えていつもと様子が違う。
 意味が分からない俺に助け舟を出したのは、よく家に出入りしていた人物。

「とっくに入手済みということだよ。そうですよね、会長?」
「ユウキ!」
「会長も、せっかくご子息が手ずからお渡し下さるというのに、何のために日程調整してここまで来たと思っているのですか」

 もう少しで仕舞われる寸前だったチケットに触れる父の手は、記憶よりずっと皺が増え、震えていた。




 エタフィルが海を越えてやって来て、最初の音合わせ。リハが終わったと同時に懐かしい声がした。
「お前―――っ! 心配したんだからなっ」
「うわっ」

 抱きつかんばかりの勢いでカガリが駆け寄ってくるから、俺はとっさにキラを盾にした。

「楽しみだな。あのアスランがコンチェルトだなんて、嬉しいけど心配だぞ。お前どっか抜けてるから」
「抜けてるは余計だぞ、カガリ」
「だって、初舞台だぞ!」
「カガリなんてドレスの裾踏んで転びそうになっていたよね」
「言うなよ、馬鹿。どうせ、お前達は転びっこない服だろー」

 確かに。

「そういえば、君は何を着るの?」
「何って・・・別に。シャツとジャケットだよ。他に持ってないし」

 大学の編入試験の面接と同じだとは口が裂けても言えない。
 しかし、キラが眉をしかめてじろりと覗き込んで来る。

「本当に?」
「何だよ。ちゃんとプレスしてあるぞ」
「そうじゃなくて・・・そうじゃなくってさあ・・・もう、いいよ。そのままで」

 気に入らなかったらしいが、俺は着飾るのが苦手だし、変な目で見られるからいやなんだ。ファッションセンスがないのは自覚しているつもりだ。

 たて襟のシャツとジャケットはデパートのセール品。
 でも、クロスタイはミネルバの皆からお祝いとしてプレゼントされたもの。後は、靴を磨けば準備万端というわけだ。

 当日、オケの楽団員より砕けた格好のソリストが、一夜限りのコンチェルトの為にコンサートホールにいた。



 それは、秋の気配を感じる、夏の夜の夢。
 最終日、最後の曲目が始まる。


 第1楽章。

「皇帝」はベートーベン最後のピアノコンチェルトだ。

 既に固まっていたコンチェルトの形式に則ったオーソドックスな楽章。
 しかし、唯一違うのは、ソリストの技巧を披露する創作パートすら自分で書いてしまっていたのだ。単なるピアニストのテクニック披露に陥らないシンフォニーとしての高みを目指していた。

 皇帝の名にふさわしい華々しいピアノの独奏。
 如何に俺の音を出すかという点と、その音を破綻なく如何にキラが指揮するオケの音と合わせるかという点で、試行錯誤していたのに。

 この楽章は果てしなくピアノが独立していた。
 第一主題をオケとともに奏でることはなく、掛け合いもひたすら鍵盤を上に下に駆け巡る。競い合うようにかき鳴らす音、音、音。
 あれだけ、オケに合わせようと腐心していた俺は、第一楽章の残り30秒で、頭で思い描いていた音とは全く違う世界にいた。

 第2楽章。

 ピアノが物言わぬなんて、とんでもない。
 孤高の楽器の王と謂われるピアノは、一台で交響曲を奏でることができる。それ故に、ピアノ以外の全ての楽器で奏でるテーマがこれ一台に全てが託されてしまう。緩やかに、流れるような第2楽章で俺は完璧に暴走していた。

 つまり、全く指揮者を意識していなかった。
 歌手が伴奏を無視して歌うようなものだ。

 ピアノの孤独と独り舞台を任される戸惑いと、なかなかオケに混じって一緒にやれないもどかしさ。木陰から楽しそうに笑っている皆をこっそり覗いているような。

 まるで、どこかで出会ったことがあるイメージに自然と笑みが浮かぶ。
 遠くて彼らの歌声が聞こえ―――。

 切れ目なしに始まる第3楽章が始まる直前、キラがこつんとつま先を指揮台をたたいた。

「・・・アスランっ」

 夢から醒めるような。そんな感触。
 名前を呼ばれて現実世界に戻される。
 慌てて駆け出して転びそうになる冒頭は、都合よくピアニッシモの変則リズムで。

 第3楽章。

 顔を上げてキラを見れば、笑顔の中に青筋が見える。
 ピアノの後に入ってくる弦と管楽器をこれでもかと被せてくる。

 負けじと、同じ主題を掛け合う。

 ピアノもこの交響曲の一つの音。
 さまざまな音が交じり合って、曲を作り上げていく。形式を変えて何度も繰り返される主題が絡み合って、ついには一つのメロディーを分担して奏でるようになる。

 難しく考えなくても、ピアノの音はこんなにもこの曲に受け入れられている。
 俺の音は存在をかけて葛藤していたけれど、俺の音が、オケの音がと悩まなくても。

 こんな終わりも終わりになって、このコンチェルトをようやく弾けた気がするなんて。
 曲が終わって茫然自失。

 キラに声を掛けられてようやく立ち上がったくらいだから、客席に父や、ミネルバの皆を探す余裕などなかった。

 拍手もあまり大きいと騒音だな。




 楽屋で一息つくと、終わったんだなと感傷が押し寄せてくる。きっとキラの方は今頃、数々の雑誌記者に囲まれて大変だろう。花束を持った女性も多く来ていた。

 それに比べてこの部屋は、俺と俺の持ち込んだ鞄だけ。
 隣の部屋が「僕が、第2楽章丸々持ってかれるなんてっ!」と叫ぶ大荒れのキラのせいで、立ち入り禁止になっていることなど知らない俺は、さっさと荷物をまとめ始めた。

 また1からスタートだ。

 本当、ぶっつけ本番でも、何とかなるもんだな。

 もっと前向きに、当たって砕けろ、だ。
 それがいかに甘かったかはすぐに思い知ることになる。





「時間が惜しいといったのはお前だ。分かっているな? アスラン」

 俺はUCLへの編入と同時に父の会社にも籍を置くことになって、昼も夜もない生活を送る羽目になった。特に仕事を受け持つわけでもなく、ただのかばん持ち。しかし、西へ東へ飛び回る日々を思うと、ミネルバにいた頃のほうがずっと規則正しい生活をしていた。

 しかし、父は身だしなみに一々口うるさく言ってくる。そこらへんのビジネスマンとなんら変わらないコンサートでの格好に後悔しているらしい。
 別の意味で、一糸乱れぬ姿の父に別の意味で感心する。

 プラントの新ビルが完成して、ミネルバは店の看板を降ろした。

 UCLの論文を仕上げる頃には、かばん持ちからスケジュール管理を任されるようになっていて、国際展示会で実に2年ぶりにあの銀髪と再会した。

「ようやくここまで来たか」
「君はまた出世したんだな」

 世界の金融を牛耳るジュール・マティウス銀行の頭取代理。
 政治・経済界で知らぬものはいない、イザーク・ジュールとは彼のことだ。

「これは・・・プラントのプリンス」

 俺は危うく、左手で持っていたペットボトルを握りつぶすところだった。キャップは既に飛んで行ってしまっていて。 

「な、なんだそれは・・・!?」
「プラント総帥の後継者の椅子に誰も座りたがらないのは、総帥の後を付いて回っているプリンスを待っているからだと専らの噂だ」

 それは確かに付いて回っているけれど。
 片手を挙げて、別のブースを覗きに言った彼を見送って、俺は慌てて父を探す。

 そんなありがたくもない称号を返上できるのはいつになるやら、追いかける背中はまだまだ遠い。まさか会場内を探す俺を面白がっているのではないかと思い始めた頃、某銀行屋と談笑している姿を見つける。

 唯一、プラントが自社で抱えない部門がある。確か、潤沢な資金運用の件で業務提携の話が持ち上がっていた。今思えば、プラント・ジュール連合の仕込みはこの時から始まっていたのだと思う。

「ジュール殿。紹介しよう―――これが不肖の息子で」

「お初にお目にかかる。イザーク・ジュールだ」
「こちらこそ」






D.C.






やー、ようやっと終わりました。何度も「皇帝」を聞いているうちに、これはこれでいい曲だなと思うようになったのでした。第一楽章でピアノとオケが仲悪そうだなって言うイメージそのものはやっぱり変わらないですけど。心残りと言えば、バッハを入れられなかったことです。モーツアルト、ベートーベン、ショパン、リスト、プッチーニ。ベートーベンとショパンが被っちゃったから・・・うむ、無計画すぎました。








Coda



 月日は流れ、プラントのビルの最上階には、店を閉めたミネルバがメサイアと名前を代えて営業を再開していた。

 シンは大学卒業後、パトリック・ザラに憧れて迷うことなくプラントに入社。
 憧れのプラント会長の斜め後ろに控えている人物を見て、考えていた面接の回答が全て飛んで、あらぬことを口走ったらしい。

 かつてのミネルバのスタッフが半分も残っていないメサイアでまことしやかに流れる噂は、どこからともなく聞こえてくるピアノの音色。最上階の上に今だ公開されないフロアがあると。

「喧嘩するとすぐこれだ。あんたって人は―――っ!」

 そのピアノの音はとても、心地よさを誘うような優しい音ではなく、大音量でビルの床や壁を突き破って聞こえてくる爆音。

「俺はアスランさんの世話係じゃないっ!」

「僕は諦めないからねっ!」

 ごくたまに、今や音楽界の帝王となった指揮者キラ・ヤマトが、何やら叫びながら去っていく光景が見られるとも言う。奇しくも彼の評価を決定付けたピアノコンチェルトの共演者は今だ公開されないまま、二度とステージに立つことはなく。

 しがないバーラウンジのピアノ弾きとも、行方をくらました音楽院の主席とも言われていた。




FINE


お疲れ様でした。爆音ミュージックはバッハのインベンションでお願いします。ちょっと蛇足だったなかなあ・・・なんて。