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 母に教えられ、父に内緒で探険した城の抜け道を走り抜ける。途中、普段ならばどうってことない段差に躓き転びもした。けれど、少しでも早くと急く心には、擦り剥いた掌の痛みも、硬い地面に打ち付けた膝の痛みを感じない。
 ここは、忙しなく行きかう人々で騒がしい場所だった。けれど今は、ドォンという地響きの度に、パラパラと埃が舞い落ちるだけ。そんな誰も居ない回廊を、走って、走って、やっと扉に辿りつく。
 いつもやさしく微笑んで開けてくれる衛兵はやっぱり居らず、見事な彫刻が施された扉を見上げるも、直ぐに哀しげに目を臥せて、震える小さな手を伸ばした。


『    っ!!』


 叫び声は、出なかった。それは決して、半ば予測していた光景だったからではない。
 駆け寄って、どうする事も出来ずに、ただ助けを求めて視線を彷徨わせた先で、思わず息を止めた。
 人では決してあり得ないピンクローズの髪を持つ少女。明るい茶色の髪に、緑の小鳥を肩に乗せた青年。

「―――キラ?」

 ほんの少し前の筈なのに、悠久の時の流れを思わせる記憶のフラッシュバックに、我知らず言葉を紡いでいた。
 その呟きが聞こえでもしたのか? 青年が急に振り向くも、轟音と共に崩れてきた天井が、容赦なく彼らの間に降り注ぐ。
 しかし、完全に隔てられる寸前、彼の、あの紫水晶の瞳が見えたような気がした。



 ~プロローグ~



「キラ?どうかなさいましたか?」
「今、そこに・・・」

 一瞬、彼の声が聞こえたような気がして、キラは振り返った。崩れ落ちてきた天井の隙間を縫って、激闘の末倒した男の傍らに、懐かしい藍色の髪を持つ少年の姿が見えた。

「キラ?」

 突然振り返ったかと思えば、そのまま立ち竦んでしまった青年に、ローズピンクの髪を高く結い上げた少女は、躊躇いがちにその名を呼んだ。

「ううん、何でもない。―――行こう、ラクス。早く脱出しなくちゃ」

 瓦礫の向こう側、閉ざされてしまった視界の先に見えるものを振り切るように、キラは数度頭を振った。
 でも、そんなハズはない。だって、あの日彼は永遠に喪われてしまったのだから。
 だから、僕は剣を手に取り戦って、魔族を大勢殺して、そして―――。

「キラ、魔王討伐おめでとうございます。これで世界は救われます」



 そして僕はこの日、魔王を殺して英雄になった・・・・・・。






第1話 オークの棲む山




 各地に散らばる<魔族>と総称される種族を統一し、史上初めて、<魔界>という世界を構築した魔王。その偉大なる王を失った魔族達は、戦いの混乱の中で秩序を失い、人に、あるいは精霊に追われ姿を消していった。
 僅か百年足らずの寿命しか持たない人間達の間では、魔王も英雄も御伽噺の主人公になって久しく、力有る魔族の真の姿を知る者は、一握りの特権階級か、過去より脈脈とその技を伝えるハンター達のみとなっていた。
 この時代、たいした知能もない醜悪な生き物が魔族とされ、一攫千金を狙う腕自慢や戦場を渡り歩く傭兵達は、魔族狩りと称してオークやトロールばかりを狩っていた。
 ところが、一匹の魔族が、呪いの言葉と共に吐き出した最期の一言により、世界は、彼らが御伽噺に成り下がっていなかった事を知る。

『 再び、魔王即位す 』

 それは、新たな年を迎えたばかりの、聖クライン暦977年の事だった。



 1-1



 湿度を帯びた暗い通路を、パラパラと埃の舞い落ちる廊下を、一人の少年が走っていた。時折聞こえてくるドォンという地響きにも構わず、必死になって走っている。
 前方に見えてきた扉に気づき、ああ、そうだった・・・・・・とぼんやりと思う。確かこの時、初めて自分の手で扉を開けて―――

(何度呼ばせれば気が済むんだっ貴様はぁ!!)

 そうそう、力一杯ドアを開けて怒鳴り込んで・・・・・・・・・怒鳴り込む?

(さっさと起きんか!馬鹿者っ)

 再度記憶と違う台詞を聞くに及び、ハッと目を開けた。

「やっと起きたか。この寝汚い生き物が泣く子も黙る魔物ハンターだと?とんだ笑い種だと思わんか、アレックス?」

 人の状態お構いなしに布団を剥ぎ取り、勢い良くカーテンを開け、振り向き様にニヤリと笑って厭味を吐く男の名は、イシュカ・ヴェルグという。朝日(といっても既に日は高いが)を受けて無駄にキラキラしい輝きを放つ銀髪の持ち主だ。

「全く、今日は仕事が入っているから夜更かしするなと言っておいただろうが。さっさと仕度して降りて来い」

 気分的には、彼の消えた扉に向かって枕の1つでも投げたいところだが、眩しさの余り目を瞑っていた間に、彼はちゃっかり寝具一式を干し終えていたらしい。ベッドの上には、着崩れた夜着に、寝癖であちこちに髪が飛び跳ねている自分が居るばかりで、ついつい、一体どこの主婦の回し者だ?などとクダラナイ事を思ってしまう。

 ふわぁと盛大な欠伸をしたアレックスは、仕方なくもそもそと活動を開始した。



 酸味の効いたドレッシングのかかったサラダを突付いていて、あれ?とアレックスは首を傾げた。

「そういえば、仕事って午後からじゃなかったか?」

 暗に、こんなに早く起こさなくても良いじゃないか、というニュアンスを込めて言えば、完璧な作法でパンを千切って食べていたイシュカの眉間に皺が寄った。

「お前、仕事に行く前に、マージおばさん家の納戸を直しに行くとか言ってなかったか?」

 マージおばさんとは、直線距離にして1.5キロ離れた所に住んでいるお隣さんである。
 アレックスは、マージおばさん、マージおばさんとイシュカの言葉をしばし反芻して、あっ!と思い出した。

「そうだった。雪が降り出す前に直さないとと思って」

 人との約束事に煩いアレックスの失態に、ますますイシュカの皺が深くなる。

「何か悩みでもあるのか?」
「え?」
「約束は守る奴だろ、お前は。それをすっかり忘れるなんて、らしくないじゃないか」

 キツイ眼差しの奥に、確かな気遣いの色を見つけてアレックスは苦笑いを零した。

「ちょっと最近夢見が悪くて・・・」
「夢だと?」
「ああ、違う。そんなんじゃない。子供の頃の・・・。ただ、何で今さらと思って」
「なら、良いが。貴様の夢は洒落にならんからな。何かあったらちゃんと言えよ」
「ああ、頼りにしてる」
「そう願いたいものだな。まあいい。片付けは俺がやっておくから、お前はさっさと行って来い」

 そして食事もそこそこに、工具を詰め込んだザックを手に持ち、慌しく玄関の戸を開けるアレックスの背に、ダイニングからイシュカの声が掛かる。

「昼までに帰って来いよ」
「分かってる。じゃ、ちょっと行ってくるから」

 外には、冬将軍が直ぐそこまで来ているとは思えない、暖かい日差しが降り注いでいた。





 1-2



「で?お前ホントに変な夢とか見てないだろうなぁっ!?」
「何でそうなる!?関係ないだろっ、それとコレとは!!」

 双方、全力ダッシュして逃亡中の会話である。

「くっそぉ~オークの分際で猪口才な!!」

 昼過ぎに出掛けた先で受けた仕事は、牧場の牛を襲う魔物の駆除だった。依頼主の情報から、魔物はざっとオークが五、六匹と推測された。

 その筈だったのだが・・・。

「はぐれオークじゃなかったのか!?」

 残された痕跡を辿って行った先で待っていたのは、百匹は下らないと思われる群れオークだった。
 この辺り一帯に縦横無尽に走っている鉱脈の影響か、それとも澱んだ空気に感覚を鈍らされたのか、彼らともあろう者達が、うっかりオークに見つかってしまうほど接近していた事に気づかなかったのだ。
 しかも不運な事に、彼らが全力疾走している場所は、とっくの昔に放棄された坑道である。狭すぎて剣は振るえず、周囲は脆すぎて滅多な魔法は使えない。

 戦い難い事、この上なし―――だ。

「だー、イライラする」

 奴らは、この坑道を根城にしているだけの事はあり、わらわらと横道から沸いてくる。進路を妨害する者や、襲い掛かってくる者だけを、傍から見れば非常に無造作に見える所作ではあるが、細心の注意を払って放つ魔法で蹴散らしながら、イシュカが絶え間なく文句を言う。
 頼むから、キレるなら坑道を抜けてからにしてくれよ、と心の中で祈りつつ、アレックスも軽く指を弾いて背後から飛来する矢を凍りつかせた。

「・・・・・・撒いた・・・かな?」

 さすがに息の上がった二人は、入った処と別の入り口から暫し内部を窺って、疲れた――と座りこんだ。

「この、変に歪んだ感覚は奴らのせいだと思うか?」
「多分。僅かだが、狭間石の波動を感じた」
「例の破損事件絡みという訳か。ったく、厄介な。で、どうする?」
「石の方は問題ない。あの程度なら数日で効力を失うだろう。だが、拙いな。奥に居たのはオークレスだった。奴ら、繁殖している。これ以上増殖する前に手を打たないと大変なことになるぞ」

 簡単に補足すると、オークが♂でオークレスが♀である。彼らは間違っても分裂して増える訳ではない。

「俺達だけでは無理だ。この鉱山にどれだけ出入り口があると思う?それとも、この際多少の事には目を瞑って一息にやってしまうか?」
「―――それだけは止めてくれ。無闇に地形を変えるのは良くない」

 怖ろしい提案を力なく却下して、アレックスは立ち上がった。

「仕方ない。ギルドに連絡して騎士団に繋いで貰うとしよう」

 事情を依頼主に説明し、取りあえず、麓の村人達に不用意に近づいてオーク達を刺激しないよう伝言を頼み、二人は馬で四時間ほど離れた街へ向かったのだった。







 1-3



 オーブ首長国 衛星都市ヘリオポリス『笑う子ブタ亭』

 店名そのままな笑う子ブタを、コミカルなタッチで描いた看板が目印のチェーン店である。キャッチフレーズは、≪ より安く より速く そして笑いを提供致しマス ≫。

 具体的に、店側が笑いを提供するために一体どんな策を講じているのかは知らないが、大陸を網羅する勢いで展開する店舗から、確かに喧騒と笑いが絶える事はない。
 兎に角、人と待ち合わせたり、情報をやりとりしたりするには持って来いの場所と言えよう。

 大いに賑わいを見せる客席を避けて、アレックスとイシュカの二人はカウンター席に陣取っていた。ゆっくり酒を飲む雰囲気を出す為か、照明はほの暗く、やたら光を反射するイシュカの存在も、ここでは目立つ事もなく周囲に溶け込んでいる。

「今なら、まだ間に合うぞ」

 アレックスとは異なり、足が長く背凭れのない椅子には腰掛けず、カウンターに背を押し付けたような格好で立っているイシュカが、何処を見るともなしに言った。

「近場の駐屯地から派遣されるとしても、なんだかんだと最低一日は掛かる」

 この国のトップは民想いの徳の高い人物として通っている。間違いなく騎士団を派遣するだろう。しかし、たった今ハンターギルドを通じて国に要請を出したばかりなのだ。早朝総攻撃という方が無理な話だ。
 感情を込めず言われたその言葉に、人肌の温もりに落ち着いてしまったカップを置いたアレックスは、緩く首を振った。

「いや、いいんだ。確かに、救える命ならば救いたい。だが、彼らは拒んだ。もう一度言ったとしても、彼らが説得に応じるとは思えない」
「そうだな。その上、我らとの約定を違え人里を襲っている。今のところ被害は家畜のみだが、遅かれ早かれ奴らは人里に降りる。そうなれば末路は同じだ」
「ああ。分かっている」
「なら、余り気に病むな。奴ら自身が選んだ道だ」

 微妙な沈黙が二人の間に落ちて、イシュカはグラスの中身を飲み干した。軽く視線だけで傍らの状態を窺い、チッと軽く舌打ちする。
 そして、手っ取り早く現状を打破するために口を開こうとした時だった。

「まっすたー!いつものヤツ。それと、コレのおかわりもネ~」

 妙に語尾の弾んだ言葉に先んじられた挙句、アレックスとワンセットで抱き締められ、危うく舌を噛む所だった。

「な~に深刻な顔してんの、お二人さん。折角美人さんなのに勿体ない。ね、マスターもそう思わない?」

 必要以上に愛想の良い男に、イシュカは深く溜息を吐き出した。お陰で場の雰囲気は変わったが、アレックスは突然の襲撃に今だ目を丸くして硬直している。

「毎回毎回、お前はもう少し穏やかに登場出来んのか?」
「あ、ひっどーい。今オレのことボウフラ扱いしたでしょ。傷つくなぁ。慰めて、アレックス」

 一体何処から湧いて出る・・・の一言を、何とか寸前で飲み込んだイシュカの眉間に皺が寄る。

「久しぶり、ミゲル。出来れば俺も、もう少し普通に登場して貰いたいな」
「うーん。可愛いアレックスの頼みなら聞いてあげたいのは山々だけど、こればっかりはなぁ。どうしよっかなぁ~、悩むなぁ~」

 ミゲル・アイマン。巷でちょっと有名な、何かとリアクションの派手な男である。






 1-4



「ところでさ、聞いたよー。オークの大群見つけちゃったんだって?」

 至って明るく言うミゲルの顔つきは、特ダネを聞きつけた情報屋以外の何者でもなかった。

「相変わらず耳聡い奴だな、お前は」
「当たり前でしょ!情報が命なんだから、この業界。って、ぶっちゃけ言うと、ちょうど今ここのギルドマスターに会って来たトコなんだよね」
「なんだ。お前、下から上がって来たのか」
「残念。ちゃんと入り口から入って来ましたー。ほら、一応これでも有名人だからさ、あんまし一般の常連さん達にあっちに出入りしてる見られるのは、やっぱ拙いっしょ」

 有名人なんたらの件は聞こえなかった事にして、ミゲルが言うところの『あっち』とは、一般人における『裏の世界』であって、アレックス達にとっては『ギルド』と呼ばれる場所の事である。
 そして、イシュカが言ったように、その存在を知っている者達は、その場所を指して『下』と比喩する。何故ならば、どのギルド支部も、大陸全土にマルチ展開する『笑う子ブタ亭』の地下に存在するのだ。

 要するに、『笑う子ブタ亭』はギルドの隠れ蓑という訳だ。

 とは言え、別に疚しい事をしている訳ではなく、どこの店も一般客の常連で繁盛しているのは事実であり、二階で営んでいる宿の客も、半分は普通の旅行者である。ちなみに怪我などでハンターや傭兵業を引退した者達の再就職先にもなっており、まさにギルドにとってこの『笑う子ブタ亭』経営は、一石二鳥の事業なのだった。

「それで?俺たちに何の用だ?」
「相変わらずだなぁ、そのクールビューティぶり。タマラナイネ」
「一遍死ぬか?」
「いくら美人でも、野郎と心中はちょっとなー」

 いつもの様に、自分を挟んで展開されるイシュカとミゲルのコミュニケーションに、アレックスは助けを求めるように、マスターに紅茶のおかわりを頼んだ。

「ま、その件はあっちの方~に置いておいて。だって気になるじゃない?お宅らが受けた依頼を放棄するなんてさ。やっぱり場所の問題?」

 その話ぶりからすると、ミゲルは相当詳しい情報を入手しているようだ。それを聞いて、イシュカはあのスカしオヤジのおしゃべりめ!と居場所が見える訳でもなかろうに、ある一点を睨みつけた。
 だが、オヤジ呼ばわりされたここのギルドマスターの名誉の為に言うが、彼は決して口が軽い訳でも、ミゲルの話術に騙された訳でもない。実はこう見えて、ミゲルも別の地区のギルドマスターなんて肩書きを持っていたりする訳で、情報は流れるべくして流されたのである。

「あそこ、閉鎖される前から地盤が脆くて、結構事故が多かったらしいよ」
「だろうな。所々で、其れと思わしき死霊がわんさか居たぞ」
「うわっ。鎮魂祭ぐらいやっとけっての。ひょっとしてソレも放置?」

 申し訳なさそうに肯くアレックスに、ミゲルは肩を竦めた。

「ま、しょうがないわな。場所がヤバいって、今回は。なんつっても二人とも馬鹿力だもん」

 なにぃ~とイシュカが眉を吊り上げるのも構わず、ミゲルはアレックスの肩をポンポンと叩く。

「よかったな、アレックス。超短気なイシュカがキレなくて。下手したら山半分ぐらい吹き飛ばしかねんからな、アイツの場合」

 洒落にならないミゲルの控えめな表現に、アレックスは乾いた笑いを返すのが精一杯だった。






 1-5



 親しき仲にも礼儀あり。

 ミゲルは、いきなり部屋の入り口を蹴り開けることはせず、扉の外から二人に呼びかけた。しかし、声を掻き消すほど激しく扉を叩いているにも関わらず、一向に二人は現れない。

「あー、もうっ!緊急事態だってのに。って、ひょっとして!?」

 1つの可能性に気づいたミゲルは、今度こそ躊躇わず扉を蹴り開けた。

「やっぱり。ってゆーか、気づいたんなら俺も連れてけよ!っと」

 案の定、部屋の中はもぬけも殻だった。部屋に飛び込んだ勢いのまま、ミゲルは何を思ったか、窓から外に飛び出した。綺麗に一回転して路地裏に着地すると、間髪置かず街の外に向かって走る。

「来い、グレース!」

 すると、朝靄に煙る大気を裂いて一羽の巨大な鳥が出現し、ミゲルを背に乗せるとアッという間に彼方へ飛び去っていった。
 お約束的に、偶々その現場を目撃してしまったおっちゃんが腰を抜かしていたというのは、まあご愛嬌。
 今のロック鳥やサーベルタイガー、マーメイドといった幻獣達の目撃例はそう珍しくはない。とは言え、騎士団の騎乗用にペガサスを所有したりしている首都等は別にして、一般人が人生の中で彼らを目にする機会は滅多にない。しかし、それでも幻獣は、精霊や高位魔族に比べれば、人間達にはずっと身近な存在だった。

 大地が震撼しているのが伝わってくる。アレックスは目を閉じ、意識を大気に拡散させていく。

 悲鳴、混乱、恐怖、興奮、錯乱、哀しみ・・・・・・。渦巻く負の感情の重さに、思わず平衡感覚を失いふらついた。

「大丈夫か?」

 すかさず支えられた腕の温もりに、ホッと息をつき、問題ないと告げて、体を起こす。

「血の臭いが増した。これでこの国はオークどころの話ではなくなったな」
「ああ。しかし、なぜ連合がオーブに攻め入る?」
「さあな。どうせまたくだらない言い掛かりとかだろ。この国がどうなろうと俺の知った事ではないが、問題は―――」
「鉱山だな」

 二人は、所々煙の上がる国境線を見下ろした。アテが外れた以上、別に策を講じる必要がある。そこへ、見覚えのあるロック鳥が飛び込んできた。

「グレース?」
「やっと見つけたー」

 鳥の背には、置いてけぼりを喰らったせいか、ややご機嫌斜めのミゲルが乗っていた。

「気づいたんなら、俺も連れてけっての。ま、いーけど。で、状況は?」

 文句を言って一人で自己完結するのは、ミゲルのお得意だ。大して取り合う事もなく、イシュカは至って普通に言葉を返す。

「見ての通りって、そりゃそうだけど。それにしても連合の連中、一体何考えてんのかね?」
「連合といっても、大西洋連邦が主戦力のようだ」

 アレックスの付け足しに、そーなん?と見返したミゲルだが、次の瞬間あーっ!?と大声を出した。

「大変大変!!ヘリオポリスのカレッジの連中が鉱山に逃げ込んだらしいって情報がっ!!」
「何故それを先に言わんっ!!」
「言うつもりだったってば!けどあんたら部屋に居ないし、探してる内にちょっと忘れただけじゃん!」
「アホかーーっ!!」

 怒鳴ると同時に一言呪文を唱え、イシュカはアレックスと共に飛び上がった。ミゲルの乗る鳥と並走して空を飛びながら、もっと詳しい経緯を聞きだす。
 何でもカレッジの生徒達は、学業の一環としてキャンプをしていたらしい。そこへ突然隣国の兵が戦争を仕掛けてきたのだ。まさに不運としか言い様がない。

「それであの感情の渦か・・・」

 ミゲルの言葉を聞いて、アレックスは納得した。先ほど触れた気配の中に、兵にしては違和感のある者が大勢いたのだ。それが巻き込まれた生徒達だとすれば辻褄があう。しかも、鉱山へ追い込まれたとなると事態は一刻を争う。

「急ぐぞ、二人とも」

 肯いた彼らは、一段と速度を上げた。






 1-6



「ムウさん!」
「坊主!ここはヤバイっ、お前は引き返せ」
「でも!」
「大丈夫だ、奥に行った連中は俺が連れ戻してくるから。早く行け!いいな、マリューの側に居るんだぞ」

 一日前、イシュカとアレックスが全力疾走していた坑道を、彼らもまた走っていた。ムウと呼ばれた方は成人男性で、騎士か傭兵かという装備をしている。対して、坊主と呼ばれた方は、まだあどけなさが抜けきらない少年のようだ。
 少年は未練を残しつつも、自分が足手纏いでしかないと分かっていたので、大人しく来た道を戻り始めた。一直線に走ってきたから、同じように一直線に戻った筈なのに、一向に出口が見えて来ないばかりか、見覚えのない辻に直面し立ち止まった。

「あれ?ひょっとして、僕・・・・・・迷った??」

 今一危機感のない台詞だが、少年はそれでも大いに焦っていた。



 一方、首尾良く探し人である残りの学生を発見することに成功したムウは、坑道から飛び出すや否や、外で待機していた仲間達に向かって叫んだ。

「マリュー!撤退だっ」

 再会の喜びに抱き合う子供達を横目に、装備を手早く纏めていると、駆け寄って来たローブを纏った女騎士、マリューから思いも寄らない事を告げられた。

「キラ君は!?一緒ではなかったの?」
「なにぃ!?坊主戻って来てないのか!?」
「ええ」
「あいつ、先に戻ってろって言ったのに!」
「坑道は複雑よ。きっと途中で迷ったんだわ」

 こんな事なら一人にするのではなかったと思っても、後の祭り。再び坑道に戻りかけた身体はしかし、別の存在に反応し立ち止まる。

「オークだ!」

 ムウは鉱山の入り口を睨むも、突撃してくるオークとの戦いを余儀なくされた。



 とにかく、キラは走っていた。道がどうとかいう余裕はなく、オークから逃れる為に右へ左へとひたすら逃げる。外に向かっているつもりだが、実は逆方向が正しいのではないかという疑問の声が聞こえても、今更どうにも出来ない。
 最初は足音が、そして今は息遣いまではっきりと聞こえる。いつ襲い掛かられるかという恐怖に負けて、振り向いた拍子に石に足を取られ転ぶ。その頭上を、タールを塗ったくったような矢が通過して、慌てて立ち上がって走り出したが、幸運はそこまでだった。
 道は唐突に途切れていて、キラはついに追い詰められた。削られた跡も生々しい壁に、これ以上下がれないと分かっていても背を押し付けてしまう。オーク同様決して触れたくないと思わせる黒光りする斧が迫って、キラは実習の時渡されたまま持っていたサバイバルナイフの存在を思い出した。



 遅れてやって来たオークの持つ松明が、断末魔の叫びを上げて倒れたオークの姿を照らし出し、手にしたナイフから滴り落ちる赤黒い血が、土に吸い込まれていく。
 もしそれが他人だったら、不可抗力とだと、正当防衛だと慰めただろう。しかし、それが自分の身に起った事だったとしたら?そんな事を思えるだろうか?

「殺、した。僕が、僕が殺・・・、う・あ・・・・・・っ!?」

 いくらオークといえども、他者の肉を絶つという初めての経験に恐慌状態に陥ったキラには、今まさに振り下ろされんとしているオークの一撃は見えていなかった。当然、その一撃が不意に凍りついた事も。
 目を逸らす事も、ナイフを離すことも出来ずに、ただ震えるばかりの腕を突如掴まれて、キラはそれこそ飛び上があらんばかりに驚いた。

「こっちだ。走って」

 何処にそんな道があったのか?そんな疑問も湧いたが、ただ手を引かれ、明かりひとつない坑道を走る。何処を走っているのか、手を掴んでいる人は誰なのか、全く判らない。

 しかし、何故かその手を知っているような気がした。

 つと、前を走っていた彼(恐らく)が立ち止まり、キラは危うくそのまま突っ込みそうになりたたらを踏んだ。見上げても、シルエットが辛うじて分かるだけで、条件反射で口を付いた謝罪を思わず飲み込んだ。

「良く聞いて。ここのオークを外に出すわけにはいかない。だから、これから鉱山を崩してオークを生き埋めにする。いい?外の人達に伝えて。出来るだけ遠くに離れるようにと。出来るね?」

 キラの返事はない。顔も見えない救い手の存在によって落ち着きかけていた精神に、オークという言葉が突き刺さってしまったから。
 彼はまだ、手にしたナイフの重みに、オークを殺した衝撃から立ち直っていなかった。まざまざと蘇ってくる感触と光景に震えが込み上げ、何か言おうとしても、言葉にならない呻きにしかならない。

「しっかりするんだっ、キラ!!」

 それは聞きなれた自分の名前でしかないのに、彼が呼んだその響きに、キラの中の何かかが震えた。

「この先は一本道だ。脇道もないから迷う心配はない。あの光を目印に、ただまっすぐ走れば良い」

 やさしく囁かれて、背を押される。促されて、キラはよろよろと歩き出した。不思議と、恐怖はもう感じなかった。

「キラ!もっと速く!!走って!」

 彼の顔が見たい。もっと声が聞きたい。そう思っているのに、どうしてだか振り返る事も出来なかった。
 言われた通りまっすぐ我武者羅に走って、キラはやっと光降り注ぐ世界へと戻った。暗くて顔も分からなかった彼の言葉をムウ達に告げ、半信半疑な彼らを急かして鉱山から離れる。少しでも遠くへと。

 突如身体を突き抜けた不思議なデジャブ。しかし、やっと振り返る事が出来たキラの目には、轟音を響かせて亀裂が走る鉱山しか映らなかった。






 1-7



「ほーらやっぱり馬鹿力だ」

 そんなミゲルの言葉と同時に、イシュカの側に気配が1つ出現する。

「遅かったな」

「・・・・・・・・」

 返事はない。アレックスの視線は、すっかりカタチを変えた鉱山へと向けられている。

「どうした?顔色が悪いぞ。何かあったのか?」

 やり過ぎなんだって、お前は!というミゲルの非難は完全無視で、イシュカはアレックスの顔を覗き込む。

「あ、いや・・・何でもない」
「最近その台詞ばかり聞いているような気がするのは、俺の気のせいか?」

 イシュカの鋭い視線を受けて、アレックスが僅かに目を伏せる。

「ホントに、大したことじゃないんだ。ただ、助けた子供が、オークを殺してしまって、酷く傷ついていたから・・・・・・ちょっと心配で・・・」

 嘘はついていない。しかし、全てでもない。何故か、つい『キラ』と呼んでしまったカレッジの学生の存在に、酷く動揺している自分を、アレックスはイシュカに告げる事が出来なかった。

「まあいい。そういう事にしておいてやる」

 彼が何処まで見透かしているのかは分からない。ただ、今は彼の不器用な優しさが有り難かった。
 松明に照らされた、恐怖と焦燥に縁取られた青褪めた顔を一瞬垣間見たに過ぎない。だが上辺の姿形だけではなく、彼の存在そのものが、奥底に沈めた記憶を揺さぶる。
 願わくば、この出会いが『必然』ではなく、『偶然』であることを、アレックスは心より願った。



 それは、魔王が倒され英雄が誕生したあの日から、千年というミレニアムの年まで、あと3年と迫ったある日の出来事だった。





拍手ログです。なんちゃって系(仮)の正式タイトルは「名を継ぐ者達」というらしいです。続きが読めるかどうか拍手次第・・・。