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美しき祖国






「気をつけろよ、シン。オーブがどうやって滅びたのかお前だって知っているだろう?」
「えっと・・・」

 シンはまたも頭を引っ掻き回すが、歴史の講師は、眼鏡が顔にあっていなかったことくらいしか思い出せない。確かに、オーブと言う国が昔あって、連邦に滅ぼされた事は知ってはいるけれど、その時の詳しい状況までは覚えていない。

「お前、もっと勉強した方がいいぞ・・・」

 帝国の王子のくせに、かなり頼りない返答のシンにアレックスが落胆する。
 シンが覚えていなくても、王女であるラクスは知識として知っている。

「あれからもう10年経つのですね」

 10年前。大陸から一つの国が消えた。
 コスモス連邦が領土拡大を始めて、一体幾つの小国が飲み込まれただろうか。豊かな鉱山資源と保養地として名を馳せたオーブ首長国も、連邦に飲み込まれた国の一つだった。

 地の利を生かして連邦と戦い抜き、比較的長く持ちこたえた国だった。独立独歩で自負が強く、国民の団結力があり最後まで抵抗する、しかしそれが災いして、連邦は責めあぐねたオーブ首長国に病原菌を放つ。原因不明の疫病が流行り、水が濁り、風が途絶えた。

「こうして見ると何もなかったように見えるのに」

 高原に咲く花や、建物を覆う蔓などは何も変わらない。
 しかし、それら全て、人には毒なのだ。

 アレックスが古びた建物に這う蔦を引っ張る。
 建物から引き剥がされる時に、葉っぱや茎の一部が千切れて飛び散る。青臭い匂いとともに、青紫の樹液がポタリと落ちて、シンはぎょっとする。

「植物達は環境に合わせて、生き延びたが・・・」
「アタシ達にはできないものね。水も飲めない、何も口にできないじゃ、この地を去るしかない」

 急速に国力を失ったオーブが原因を突き止めた時には、すでに戦う力は残されていなかった。以来、オーブの民は土地を離れ、大陸を流離うことになる。結果、同じように飲み込まれながらも民がその地に残った周辺の国に比べて、オーブは国そのものが立ち消えた。

 ただ、時間を掛けて毒素に対応した国土と草花が残されるのみ。

 アプリルの場合、国は消えても民と土地が残ったが、種石によって帝国との国境沿いが吹き飛ばされた。あの光景とはまた違った滅びの形だった。何一つ残さず一面灰になるのと、何一つ変わらず残される景色とでは、どちらが、つらいのだろうとシンは思う。

 俺だったら・・・。
 こんなのは嫌だな。
 どうせなくなるなら、きれいさっぱり無くなったほうがまだ踏ん切りがつくのに。

 でも、もしかしたら、時間が経てばいつかは。

「今だって、そんなに長居はできないな」
「そうそう。オノゴロで茹蛸になるってね」

 ゆで? だこ?
 シンが訳が分からないという顔をしていたのが分かったのだろう。

「お前、本当に何も知らないな・・・オーブを抜けると湯治で有名なオノゴロがある。そこで毒素を洗い落とすんだよ」

「毒素・・・」

 そうやって聞かされると、なんだか急に息苦しくなった気がして不思議だ。自然と手が喉を押さえている。

「選民思想もこーなっちゃ、お終いだな」

 ここまで聞いて、シンはオーブの事を思い出した。退屈な帝都での講義が今頃になって蘇る。地母神ハウメアを崇め、教えを貫けば楽園へと導かれると信じていた民。オーブの平和を希求し、他国と迎合するを良しとしない不帰の民。

「ここはまるで楽園のように美しいですのに」

 それこそ、お花畑と儚い表情のラクスのはまさに楽園とそこにいる天女のような組み合わせだ。

「オーブの住民はどこに行ったんだ?」
「確かに戦争末期はひどい状態だったらしいが、全滅したわけじゃないしな」
「あー、難民って奴か」

 シンとアレックスの会話を聞いて、ラクスが俯いた。

「オーブの方達は、今、どうされているのでしょうね」

 シンは、国家とは何かを問われているような気がした。
 国土を失ったオーブは、もはや国家としては存続していない。かつて、オーブに住んでいた者は、今は違う国の国民なのだろうか。

「そんなこと・・・もう、どうでもいいよ。そろそろ出発しようか」

 キラが出発を即す。
 シン達は地図を確認し、次の目的地までの道程を確認する。いくら、人が居つかない土地とは言え何が起こるか分からないから、日暮れまでには町に辿り着きたいのだ。

 馬の頭を巡らせて、麓に向かう。
 高度が下がるたびに、少しずつ息苦しさがなくなってくるような気がする。

 あと少しでオーブの地を抜けると言う所で、シン達のようにオーブの地に訪れた人物を見つけた。これから向かうのか、もう抜けてきたのか、小休止を取っている姿からは判断できない。

 声を掛けようとしたハイネが、相手に物凄く驚かれて、珍しく遅れを取っている。旅人にしては少し変わった格好の男が、ガバッと立ち上がっていた。

「・・・お前、キラ?」

 シンは、少し後を進むキラを振り返った。
 馬上の彼は、皆の視線をもろともせず、立ち上がった男を凝視している。驚きも恐れも何もない無表情のまま、唯一言呟いた。

「・・・サイ」






 短く切りそろえた明るい髪に眼鏡をつけた若い男が、荷物に囲まれて立ち尽くしている。見るからに戦うには向いていないタイプで、猛獣避けか火を焚いている。

「生きていたんだな、キラ」

 途端に眉を潜めるキラが不思議だった。
 旅の途中で知り合いに会えることは滅多に無い。賞金を掛けられて、騒動に巻き込まれるアレックスのような空賊がむしろ珍しい。それなのに、二人の間には、再会を喜ぶような雰囲気は微塵もない。

「君こそ、こんな所で何をやっているの?」

 心なし咎めるような口調。

「調査だよ。オーブの生態系の、さ」
「誰も住めないのに?」

 お互い会話が短い。
 問い詰めるようなキラと、冷静に答えるサイという男。

「だからさ。誰も住めない土地だから、その特殊性は調査対象になるだろ?」
「ふぅん・・・で、何か分かったの?」

「まあ、立ち話もなんだし、お前達知り合いならここで休み取るか?」

 いつまでも馬上と立ち尽くしたまま会話を進めようとする二人を見かねて、ハイネが提案するが、キラが顔も向けずに短く断る。

「いい。もう、終わるよ」

「相変わらずだな、お前は。でも、俺たち親友だっただろ? そっちの女性は・・・王女?」

 サイが見上げる先に、馬の上のラクスがいた。
 軽く目を見開くから、彼にもラクスがどこの誰なのか分かったらしい。その後、少しだけ雰囲気が柔らかくなる。

「始めましてラクス王女様。俺はサイ・アーガイル。元はオーブの首長府の役人で、今は連邦の地質研究員です」

 ラクスのこと、見ただけで分かるなんてこの人一体・・・。
 シンはサイとキラを交互に見て、アプリルの元将軍のキラの知り合いらしい彼を見る。

 役人の割には、ラクスを知っていた。そりゃ、キラの知り合いなら当然だろう、けれど、それにしては反応が変だ。なんと言うか、落ち着きすぎている。

「・・・。今度こそ守れよ、お前」
「君も、調査だかなんだか知らないけど、ガンバッテね」

 フッと立ちっぱなしの彼が、重心を片方の足に預けて力を抜いた。

「少しずつだけどさ、変化してきているんだ。ほんの僅かだけどな・・・」

「まあ!」
「ほう」

 ラクスとハイネが感嘆の声を上げる。
 シンの視界の片隅でアレックスとミーアが顔を見合わせていた。

「オーブがどんな風に、この先、人が住めるようになるのか、それとも誰も見たこともない未知の土地に変わるのか分からない。けどさ、まだ希望があるって事だから」

「サイ様はオーブが好きですのね」

 ラクスが嬉しそうに言う。
 オーブが元に戻る可能性よりも、それに賭けているサイの存在が嬉しいようだった。
 戦争で多くを失い、祖国を離れちりじりになった民でも、故郷の土地を諦めない国民がいた。

「俺の故郷だからな」

 ほんの微かだけれど、シンはキラが唇をかみ締めたのを見た。
 手綱を握る手に力を込めたのに、キラは何も言わなかった。

「オノゴロに行くんだろ? 今週から白湯祭だから、早く行かないと宿がなくなるぞ」
「白湯祭! そりゃまずいな」

「オノゴロは混んでるわね」

 ミーアが馬を進める。

「シン!」

 アレックスが呼ぶ。
 それが呼び水になって、再びシン達は移動を始める。

「じゃあな。キラ」
「サイも」

 坂道を下り、オーブを後にする。
 シンが振り返った時、キラと偶然目が会った。彼は肩を竦めるけれど、その向こうにシン達を見送るサイの姿があった。

「オーブの出身なのか?」
「そうだよ」

 シンとキラの会話は、恐らくハイネやラクス、アレックス達にも聞こえていただろう。

「それからアプリルの将軍?」
「そうだね」
「なんだか、すごいな。・・・あれ?」

 と言う事は、キラと双子だと言う彼女もオーブ出身だと言うことだろうか?
 シンは口を尖らせて考え込む。今までに彼女がキラに吐いた数々の暴言を照らし合わせれば答えは自然と出てくる。

「僕より、カガリのほうがすごいよ。なんせ、帝国のフェイスマスターだから」

 亡国の民のその後に、シンは唯、頭を垂れた。
 国は滅びても、人は生きていくのだ。国土がなくなっても、人は。

「―――ったく、暗い会話してんじゃないぜ!」

 馬のいななきが起こり、眼下に幾つも湯煙が立ち昇っていた。
 風に乗ってざわめきが伝わってくる。保養地オノゴロにシン達は到着する。






 一方、毒素とは違って、飛行戦艦特有の燐光とオイルが満ちる帝国のドック。換装作業を受ける軽巡行戦艦の間を二人のフェイスが歩いていた。

「今はまだ動くな、か。だが、抜かりなくとはね」
「事実上、亡き陛下の一軍とあわせた2個軍団がギルバート殿下の指揮下にあるからな。何か考えがあるのだろう」

 ここの所、定例のように呼び出しがかかるフェイスマスター達にも、ドックの技術者達も慣れたもので、整備の手を止めずに片手で敬礼する。ドック全体を覆った大きな天井には幾つもの照明が光っていた。鎧の音を響かせて歩く二人の足元には四方に伸びた影ができている。

「知っているか? その第2軍が不穏な動きをしているらしい」

「それも、お前の部下の情報か? フェイス・ディアッカ」
「俺も一応フェイスマスターだし?」

 長い渡し通路の両側には、最新装備に換装中の戦艦の帝国のエンブレムが迫る。帝都防衛の為の第1軍とは別に、ギルバートは自身の艦隊を自由に動かせる。アプリルの反乱討伐にも出さず、連邦とのぶつかり合いに備えて軍を再編するでもなく、今だ表立った動きを見せないギルバート・デュランダル・プラント殿下。

 お陰で、帝国軍は連邦の脅威を感じながらも、帝都で足止めを喰らっている格好になっていた。無論、時間があるからこそ、こうして開戦に備えることができる。ひっきりなしに響く鋼材を打ち付ける音に、クレーンを動かす蒸気があちこちで吹き上がる。

「しかし・・・・・・一体いつまでギルバート殿下はイザーク殿下を帝都に留めておくつもりなのだろうなあ」

 吐き出された蒸気の向こうで、フェイス・カガリが足を止めて待っていた。

「長男の想いはえてして伝わらないものさ」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
「ああ、空気みたいなものだからな」

 ディアッカはバレないように目を瞠った。
 微かに笑ったように見えたのだ。
 カガリの言いたいことも分からないことはないのだ、ギルバートがイザークやシンに取っている対応は、そのままイザークがシンに対する過剰なまでの応対と同じだからだ。むしろ、目の前の女がそういったこの帝国の王子たちの反応を目に留めて、あまつさえネタに出きる程だった事に驚いていた。

「それで、何か、用か? ディアッカ」
「用ってかさ、シン殿下の事をもう少し詳しく聞いておこうと思ってね」

 シンの名前が出た時、微かにカガリが横を歩くディアッカを確認する。
 ギルバートとイザーク、二人の兄に守られる帝国の末弟。

「話すことはないぞ」
「そう言わずにさ。今どうしているか?とか、誰かと一緒にいるのかとか、さ。色々あるだろ?」

 ディアッカが溜息を付いて追いかけるから、質問を受ける気になったようだ。通路の手すりに手をかける。

「アプリルの元将軍や元王女達と共にいる」

 カガリがディアッカをきもち睨みつけて、にやりと笑う。
 ディアッカも初めこそ驚いて目を瞠ってしまったが、考えてみればカガリも知っているのだと思い出す。むしろ、第8艦隊消滅時に自分よりも早くにシンに会っていた。

「それから、空賊も一緒だ」

 やはり。ディアッカは構える。
 今となっては、ラクス王女やヤマト将軍よりも厄介な存在だった。シンに与える影響力が比ではない。無論、空賊が問題なのではなくて、彼の空賊の存在そのものが問題なのだ。

「深紅の空賊?」
「ああ。真っ赤な飛空艇に乗っていた」

 だとすれば、間違いないだろう。
 マルキオ教の本山で見た「彼」だ。思案するディアッカを見て、カガリが面白そうにもう一つ情報を口にする。

「空賊はもう一人いるぞ。何と言う名だったかな・・・ハイ、ジ。ハイ・・・ネ、そう、ハイネだ」

 ディアッカは耳を疑った。

「はいね~?」
「オレンジ色の髪でな、乗りの軽い奴だった」

 ディアッカはとんでもない人物の名を聞いて、眩暈を覚える。
 暫く忘れていた名前を、とんでもない時に、とんでもない所で耳にしたものだと驚く。

「やけに帝国の内情に詳しかったぞ。研究所に忍び込むわ、王宮の抜け道を知っているやら、帝国軍の情報管理をもっと見直さなければな」
「イヤ、それ無理だから」

 漏洩元が情報を管理する奴では無理と言うものだろう。

 そもそも、なぜ奴が?
 まさか、生きていた。
 一体、何を考えている?

 ディアッカが顎に手をやってぶつぶつと呟く。

 はぁ~と額を押さえるディアッカの横で、黒いフェイスマスターのマントが翻る。ガチャリと鎧が鳴って、カガリが再び歩き始める。ディアッカが思い溜息を付いて、来た通路を戻り始めた。

「私に話せるのはこれくらいだ。ではな」
「あ、ああ。すまないな」

 少し、感じが変わったか?
 今までは、凝り固まった復讐の鬼のような奴だったが・・・ちょっと良い感じじゃん。

 颯爽と去っていく後姿を見つめて、ディアッカはあれこれと考えるのを止めた。
 帝国の軍事工廠では、急ピッチで軍備整備が行われ、帝都にはいつになく緊張感が漂っている。連日のようにコスモス連邦の動きを伝え、帝都上空を哨戒機が飛ぶ。日に日に高まる緊張に、開戦の足音を誰もが聞き知っていた。






 ところが遠く離れた空の下、宿に馬を預け、早速シン達は疲れを癒すはめになっていた。
 オーブを抜けて来たのだと伝えた途端血相を変えた店主に強制的に、温泉治療を進められたと言ってもいい。シンは帝国にある温泉とはまた違った、オノゴロの白く濁った温泉に浸かって水時計を見ていた。

 半刻まで後少し。

 既に上せ気味の頭で、水かさが増えるのをじいっと凝視する。熱さで一緒に浸かっているアレックスやハイネと言葉を交わす余裕もない。

 これで毒気を抜くって言ったって、毒が目に見えるわけでもなし。
 ただの宣伝文句だと言う事くらいは、シンにも分かっている。ただ、宿の主の言葉が気になってずるずると浸かっている。

 って、あの人達、マジで平気なのかよ。

 岩で囲った屋外の温泉が気持ちいいと思ったのも途中までで、ついに決められた時間を温泉に浸かったシンはいそいそと温泉から出て行く。立ち上がった途端ふらりと来たが、ここですっ転ぶという醜態を晒すわけには行かずになんとか持ちこたえる。

「俺たちも上がるとしますか」
「あー喉が渇くよ。ったく、何が楽しくて男ばっかで温泉なんだよ」
「まあまあ、お楽しみは取っておこうぜ。なっ、アレックス!」

 そう言って、ハイネがウィンクして親指を向けた所には壁で仕切られた女湯。

「死にたいのか?」

 男連中が問題発言を吐いてシンの後をぞろぞろと続き、シン達は全員が赤く火照った状態でオノゴロの町に湯冷ましに出ることになった。白湯祭の町は人混みもさることながら、シンは未知の両脇にずらりと並んだ屋台に圧倒される。

「異様な雰囲気って言うか」
「すごいな」

 食べるものだけはなく、水風船や、お面なども売っている。お酒に混じって川魚の塩焼きなどは食べて大丈夫なのか若干不安を誘うが、ちらほらと買う人がいた。
 そんな中、シンは露店の中に懐かしいものを見つけた。

 射的である。

 今なら、結構いい線行くかも。

「なあ、あれ―――」

 過去の雪辱を晴らそうと、誰かを誘おうと振り返るが、ハイネとキラはさっさと歩みを進めてしまっていて、そこにはアレックスしかいない。

「・・・あれ?」

 彼の視線がシンの斜め後の射的の台に向かい、シンを見てははーーんと笑う。

「やりたいのか?」
「別に、俺は・・・ちょっと珍しいなって・・・」
「射的がか? さすが育ちがいい奴は違うな」

 街を抜け出して、こっそり下町の祭りに参加したこともあった。
 兄の後ろをついて王宮を抜け出す。路地を走りぬけ、祭りの人混みにまぎれてしまえばこっちのものだった。
 確かに、下町の少年のように、慣れ親しんだとは言えない。
 けれど、自分だって、射的くらい経験があるのだ、と、シンはカッとなる。

「射的くらい俺だってできますよ。なんならここで勝負です!」
「いいだろう」

 ふわふわのわた飴を手にしたラクスとミーアがくすりを笑う。
 シンは銃を構え、台に並べられた中央の小さな的を狙う。息を吸って、狙いを定めて引き金を引いた。控えめな音がして、的に穴を穿つ。

「どうですか!」
「やるな、坊主・・・」

 真ん中の赤い円の中に見事に命中して、露店の親父も関心している。

「勝ったら・・・お前の驕りだぞ。焼きそば、たこ焼き、アイスボールだからな」

 アイスボール・・・。帝国ではカキ氷をそう呼んだ。
 シンは打たれたような衝撃に息を止める。

 あの時も確か、そんな事を言っていた。
 露店で見せてくれた射的に自分もやりたいとダダをこねて。
 勝負は見事に負けて、執事のアデスや女官たちから貰ったお小遣いを、すっかり兄に持って行かれて涙半分で後を付いて回った。

 引き金を引く瞬間の時が止まったような時間だけは鮮明に思い出すことができる。

 銃を構える姿、狙いを定める横顔が。
 的を射るエメラルドの瞳がすっと引き締まる。

 あれから何年も経つのに、まるで昨日のように蘇る。

「兄上・・・」

 あの時と、同じ空気を感じていた。



 ダン。



 的のど真ん中に命中して、シンは現実に引き戻される。
 目の前にいるのは兄ではなく、空賊。
 何度、思い知れば済むのだろう。

「すごいな、アンタ・・・もしかして、空賊ってやつか?」

 露天商と一言二言、言葉を交わしているアレックスがいる。

 兄上じゃないけれど、確かにあの瞬間は兄上だった。
 兄上じゃないけれど、こんなに記憶と重なるのはなぜだ。

 兄上じゃないけれど。
 兄上じゃない。
 兄上じゃ。

 なんで俺、こんなに悔しいんだよ。
 今の自分を一番見て欲しかった。
 何を考え、どう行動したか、経験して来た事を一番、伝えたい存在。一緒に帝国や大陸の事を話し合いたかった。

 そして、俺なんかよりずっと上手くやるんだ。

 シンは彼が自分の兄であればいいと思った。





「それって、射的の景品?」

 シンとアレックスが手にしている玩具をキラが見つけて、射的の屋台を探している。手にお酒のコップを手にしたハイネも合流して、人混みに流されてオノゴロの町を歩く。オノゴロは山の麓の町らしく夜が早く、湿った空気が空を覆っていた。

「なあ、アレックス。ちょっと付き合えよ」
「断る」
「そう言うなよ~。今からは大人の時間だろ、いい店知ってんだ、空賊同士親睦を深めようぜ」

 やはり空賊の雰囲気を纏っているのか、ハイネとアレックスが往来で視線を集めている。シンは興味半分、呆れ半分で二人を見る。チラリとキラを見れば、一瞥をくれただけで宿への道を歩き始めている。

 二人が流れに逆らって、夕闇の中に消えていくのを見ながら声を掛けるタイミングを無くしてしまった事に気がついた。

「ったくもう。大人大人って、どこか大人の男なのかしらね。アタシ達を置いて・・・」
「あ~」

 取り残されたミーアが腕を組んでため息をつき、シンに帰ろうかと即す。仕方がないかと思って、もう一人を探すが。

「あれ、ラクスは?」
「キラが連れてったんでしょ」
「こっちはこっちで、ややこしいッすね」

 ミーアがシンに温泉饅頭を買ってくれたが、まるで子供の扱いに、シンは純粋に喜ぶことができなかった。





 小雨が降り始めた温泉町の裏通りを過ぎて、こんもり茂った森の中に古びた建物が見えた。小道の両脇に立つ布がはためいていて、よく見れば今日、オノゴロの町で散々目にした布だった。露天商も跡形もなく消えて、祭りの主役だった建物がひっそりと佇んでいた。

「祭りの後か・・・」
「この先に、最初に温泉が出た場所があるんだろうなあ」

 森の入り口に白湯源泉と辛うじて読める石が立てられていた。


「で、こんな所に空賊の隠れ家があるのか?」

 アレックスがハイネを振り返る。
 夜空に月も星もなく、遠くの町の明かりがオレンジの髪に反射していた。

「まさか、本気で飲み交わす為に誘ったわけじゃないんだろう?」
「言うねぇ」

 くっくっくっと笑うハイネが肩を震わせる。一度視線を外して、アレックスを射た。

「お前、あの場に別の部隊がいたことを知っていたか?」
「あの場? 別の?」

 アレックスが眉を潜めて、声の主を探る。
 その間、ハイネはずっとアレックスを見ていて、うっすらと笑みを浮かべている。

「気がついているんだろう? ・・・殿下」 

「誰かと―――」
「間違えてるって? それはないね・・・まあいいさ」

 今度はアレックスが視線を外した。
 しんと静まり返った場所に遠くで温泉が湧き出る音だけが微かに響く。

「しっかし、どうなっちゃうんだろうね。このまま開戦だと、俺たち空賊も上がったりだしな」
「そうならない為に、シンやラクスがいる」

 戦争が始まれば、空賊やハンター達が生業にしてきた事がおおぴらに行われるのだ。国家と言う巨大権力の前に、自由人が自由にできる場は思ったほど広くはない。そうならない為にシンもラクスも連邦議会へと急いでいる。種石が悪用されないように4つ目の種石を探している。最も、彼らの目的は空賊やハンター達の為ではないだろうが。

「シンか。王子にしちゃ物事を知らな過ぎる、大丈夫かねえ、あの無鉄砲さは空賊向きだけどよ」
「ああ、いい筋してる、飲み込みが早い。セイバートリィもアイツなら上手く飛ばせる日が来る」

 話題がシンへと移るとアレックスがホッとして、シンを評する。
 初めて会った時から、弟子に迎えるまでずっと見てきたのだ。ハイネは何も知らない無鉄砲だと言ったが、今はそうではないと思っている。

「随分買ってるんだな」

 何かを決意し、何かを考えている顔だ。
 それが、ステラという少女の事であっても、帝国のことであっても、ゴールを見据えて行動するようなっただけでも大進歩である。

「あんなに兄殿下の後ろを付いて回っていたあのちっちゃな末弟がさ、連邦まで来てるなんて、当時からしたら考えられないよなあ」
「俺も正直、驚いてるよ」

 プラントの王子らしく、なったのか。
 今、自分と一緒にいるのは空賊になりたいからじゃない。目的を達成する為には、その方が都合がいいからなのだ。

「お前、弟まで空賊にする気か?」

「な、分けないだろう。シンは自分で進む道を決めている、今までも、これからも。アイツはいつの間にか自分で歩くことを覚えたよ」

 少し前までは子供だと思っていたのに、アレックスはシンを遠く感じていた。

「ははん、お兄ちゃんは気苦労で一杯だねえ」

 片方の眉を上げて、ハイネがにやりと笑う。

「散々王宮を抜け出して連れて回してたもんなあ」

 シンが懐いていたのは、3人いる兄の中で唯一人。
 上の2人の兄にバレていたとは言え、3番目の王子が弟のシンを連れてひそかに帝都に遊びに行っていたのは公然の秘密で。

 その度に、上の2人の王子が独自に護衛を忍ばせていた事も、王宮では下の王子2人以外にはバレバレだった。

「だっ、だから違うと・・・そう言うお前こそ! どうして同行しているんだ」
「心配するな、別に誰かに言うつもりはないさ」

 笑いながら手を振る。

「しつこいぞ、ハイネ」

 アレックスが憮然としてハイネを睨む。

 夜中に無言で対峙していると、如何せん思い出してしまう。
 昼間の喧騒が嘘のように静まり返って、町には湯煙がうっすらと靄がかかる。小雨はいつの間にか霧雨になっていた。

「一つ、言っておきたい事があったんだ。―――すまん」

 突然、ハイネが頭を下げて、アレックスを真摯な瞳で見つめる。普段のおちゃらけた態度とは雲泥の差で、貫禄さえもあった。

「あの時、レノア様を害するつもりはなかった。結果を言えば、謝って済む問題ではない事は承知している」

 アレックスは答えられなかった。

「俺は・・・」

 ここで、返事を返したら、あの場にいたと認めることになる。ハイネも彼の強情を察してか、肩で小さく笑って、気を緩める。

「俺がそう思ってんだからいいだろ。ま、ニコルと一緒さ。決めるのはお前だ」

 自分が何を言おうと、相手がどう思うかまでは強制できはしない。
 何かと気を利かしてくれ、連邦まで追ってきたニコルがいい例ではないか。それを突き放しもできず、頼って、甘えているだけなのだ。

 帝都に降りた時に自分たちを見守る存在も、ハイネの言う別働隊の事も。

「それに、お邪魔虫はとっとと退散しますってね、じゃあな」
「じゃあなって・・・」

 すっきりしたとばかりに、ハイネがひらりと手を振って去っていく。
 アレックスがただ一人残されて同じように帰途に着こうとした時、前方にたたずむ影を見つけた。それが誰なのか分かったから、ハイネとは反対方向に歩く。

 森の中へと、そして気配を探り、相手が付いて来た事に溜息を付いた。

「君は・・・」





 シンが零した一言を、この耳は捉えていた。

 射的に挑む二人をミーアと二人で見ていたのに、あっという間にアレックスに釘付けになる。彼は空賊で、ラクスの知る婚約者ではない。

 ようやく、彼を空賊として見ることができるようになったと言うのに。
 なぜだろう、胸がざわついて仕方がない。
 わたくし、必死になって否定してきましたけれど。

「・・・アスラン・・・?」

 彼は何者なのでしょう。

「ラクス、もしかして人混みに酔った?」
「え?」

 握り締めた手が、初めから答えを知っていた。
 本当は気づいていた。

「ハイネ達も戻ってきたし、そろそろ戻る頃合ね」

 宿に戻る途中、雲行きの怪しい空に気づいた。湿った空気に降りそうですわと思って、宿の主に雨避けの街頭を出してもらった。遅れているシン達に持っていこうと再びオノゴロの町に出る。

 ハイネとアレックスの後を付いていった事に理由はない。
 二人の会話を聞くつもりもなかった。

 むしろ、ラクスにとっては聞きたくなかったのだ。
 これでは誤魔化すこともできないではないか。

「ラクス?」

 暗闇の霧雨の中、アレックスがラクスを見つけたようだ。
 外套を手にしたまま、立ちつくす。

「貴方は、アスランなのですか?」

 これ以上、曖昧にはしておけなかった。

「違うよ。俺はアレックス、空賊だ」

 まだ、そんな事を!

 気がつけば走り出していた。
 目を瞠る彼の胸に両手を叩きつける。いきなりの事で抱きかかえることになった彼が2人分の体重を支えることができなくて、倒れこむ。

「大丈夫か?」
「優しくしないでくださいませ!」

 わたくしが好きになった人は、永遠にわたくしに嘘をつき続け、自分を偽り続ける。
 今更、真実が明るみに出ることがないと痛いほど分かっているけれど。

「貴方が好きですわ」
「俺は、君の婚約者だったアスランではないよ」

 わたくしが彼を好きになったことは変わらない。
 本当はどちらでも構わないのかもしれない、この思いは叶えられないのだから。

 でも、もしかしたら、辿るはずだった未来に想いを馳せてもいいでしょうか。
 少しくらい、夢を見てもいいでしょうか。

 静かに見上げるエメラルドグリーンの瞳を見下ろして、こんなに間近に見詰め合うのは初めてではないかと思う。霧を含んで重たい髪が森の苔の上に広がった。





 戸惑いがちに触れてくる唇に驚かなかったと言えば嘘になる。
 アレックスは自分が王女に口付けされたのだと気がついた時には、既に2人の距離はまた少し離れてしまっていて、潤んだ瞳で見下ろす彼女がいた。

 地面の木の根や小石で背中が痛いな。
 そんな事を思っていたのに、とんでもない展開だった。

 祭られた源泉が近いのか、湧き出る音がする。

 まさか自分が彼女に好かれているとは思ってもみなかった。
 酷い事を言ってきた自覚があるし、彼女は空賊を毛嫌いしてきたはずだ。

 それなのに。
 ここにいるのは、彼女の婚約者ではないと言うのに。

「君は馬鹿だ」
「貴方の方こそ馬鹿ですわ」

 瞬時に切り返された。
 俺が婚約者の代わりでないとしたら、ラクスのこの行為の意味はなんなんだ。

「こんな男に」 
「たとえ貴方が何者でも」

 分かっているのか。
 思いつめているようには見えなかった。
 いつものように悠然と構えて、未来を見据えていた。今は唯、その視線が自分に注がれているだけ。

 まいったな・・・。逃げ道はなし、か。

「後悔するなよ」

 アレックスはラクスが落とした外套をバサッと広げて、天地をひっくり返す。

「まさか」

 ラクスの挑むような微笑を合図に、先程とは比べ物にならない程深く口付けを交わす2人。お互いを求めて貪りあい、吐息が絡み合う。

 奥にある小さな泉ではコポコポと白いお湯が湧き出して、湯気が地表にわだかまっていた。

 2人が帰って来たのは夜も明ける寸前で、幾つも外套にくるまれたラクスがアレックスに抱きかかえられていた。

「眠っているから」

 ミーアに彼女を渡して、アレックスは宿の部屋に向かう。
 部屋の入り口ではキラが腕を組んで睨み付けていたけれど、無視を決め込んだ。部屋の中にはハイネが窓枠に手をかけて明けてゆく山並みを見ていて、シンがむくりと起き上がる。

 みんなしてなぜ起きているんだよ。
 胸の内で舌打ちして、こうなったら朝風呂でも浴びようと向きを変えた途端、手を不意に掴まれる。

 腕を駆け上がる感覚に悲鳴を上げる。

「・・・っタ!」

 社の森から宿まで、女性一人を抱えてきた両腕は重労働から解放されて、ビリビリと痺れていた。抗うこともできずに引っ張られるまま倒れこんで、引きずられる。

「お疲れの所申し訳ないんだけど、お前一人だけお楽しみって言うのは考えが甘すぎるんじゃない、アレックス?」

 ハイネが腕まくりをして立っている。

「まだ、大人の時間だから」
「そ、シンはまだ寝てなよ」

 シンが眠たそうな目を擦って見ている前で、アレックスは隣の部屋に引きずり込まれてしまった。欠伸をしてまた布団に潜り込むシンがゴソゴソと動きながら、寝心地のいい体制を見つけて寝息をたて始めた頃。

「まっ、自業自得ね」

 聞こえてきた悲鳴に、遠く離れた部屋でミーアが溜息を付いた。そして、眠り続けるラクスに視線を落とす。

「女性に恥をかかせなかった分、今回は許してあげる」 

 安心した表情で眠り続けるラクスの目が覚めたら朝風呂に誘うと思って、窓の外の白むオノゴロの街を見た。オノゴロを出れば、いよいよロドニア地方へと入ることになる。こんなにのんびりできるのもきっと今だけだと、迫り来る事態を夜明けの空に感じていた。





 連邦首都まで半日の位置にあるロドニア地方が緑に囲まれた丘陵地帯で、確かに研究所があった。奥まった場所に隠されるように作られたそこに、今、帝国との戦争に備えて準備をしている集団がいる。

 幾人もの少年少女が同じような制服を着て、一人の男の前で頭を垂れている。
 男は怪しげなお面をつけた金髪の男・ネオであった。

 天井にライトが幾つもつるされた大きなドーム上の建物の中央に安置された巨大な物体。石なのか、岩なのか不明な材質でできた明らかな人工物の中から、光が漏れている。

「はーやっと終わった!」
「これで、ステラ、もっと戦える」

 散らばっていく少年達に混じって、アウルとステラが歩いていた。その後がスティングが歩いていて、後の巨大な物体を振り返る。

「ったく、いつ見ても気持ち悪い物体だぜ」
「でもさーあの遺跡が俺たちに力をくれるんだろ?」

 遺跡と呼ばれた物体には、幾つもコードや装置がつながれて、ドームを形成している。

「まあ、な」
「こんなもん、よく運んできたよなあ」

 ミゲルやラスティが言うように、ロドニアにある遺跡はどこかから運ばれたものであり、元は違う場所にあったらしい。その場所を彼らは知らなかったが、この大陸にはその場所を知っているものがいた。

 遠く離れた帝国の首都・ディセンベルで、イザークは目の前のドクター・クルーゼの言葉を反芻する。

 俺に見せたいもの、だと?

「聞こえなかったかな。君に見せたいものがあると言ったのだよ」

 種石とそれにまつわるコーディネータの存在を探ろうとして、王宮の図書室に向かったら、扉の前で彼が待っていた。今すぐに出陣になりそうもないこともあり、少し考えをまとめようと思ったのだ。

 ドクター・クルーゼとは仮の姿であり、本当は歴史を操るコーディネーターという存在だと言うこの男。その存在がイザークに見ておいて欲しいというものとは何か、純粋な好奇心が首をもたげ、ドクターが仮面の下で笑う。

「では、行くか」

 言葉と共に、周りを取り囲む空間が歪むのを感じた。





なんだかごちゃごちゃとした回になってしまいました。まあ、いろいろとやらないといけないことが多すぎて! 大変だ~。こんなでちゃんと進めるかな、終わるだろうか、ああ心配だ。