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西方はどっちだ 1

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 列車の終点からバスに揺られること1時間。午前中は晴れ渡っていた空も雲が広がり冬特有の薄曇へと変わった午後、イザークは肩に担いだ荷物をドサリと道の上に置いた。

 小さいながらもそれなりに活気のある町から田畑を揺られ、峠を越え、懐かしい原風景の向こうにあったこじんまりとした村。農協と郵便局しかないような、それこそ大八車が大手を振って舗装されていない道を走っていそうな、田舎も田舎である。
「くそっ。ミゲルの奴、こんな所に飛ばしやがって」

 ――宗―――彫照寺

 石の柱に彫られた文字を読み取れば、辛うじて寺の名前だけ。
 誰もいない境内、葉を落とした箒のような木、石畳の上のじゃりじゃりとした音に唇をかみ締めた。異様に物悲しく聞こえるのは子供達に帰宅を告げる部落放送だった。
 来てしまったものは仕方がない。
 ため息をつく前に、気持ちを入れ替えて、境内をズンズン進む。
 古い事は織り込み済み。
 思ったよりも広く、仏閣の佇まいそのものは田舎にしては立派な方だと感心したのも束の間、思わぬモノがイザークの目に飛び込んできた。
「あれはどう見ても鳥居だと思うが・・・」
 イザークはL字型をした敷地の頭の方から右に折れる辺りでそれを見つけた。南向きに立てられた慎ましやかな鳥居は、どんなにちんまりしていても寺にはそぐわないもの。
 まさか、俺としたことが迷ったのか?!
 いやそれはない。隣の敷地に入り込んだ気配はない。
 用心深く辺りを見回して顎に手をやった時、背後から声を掛けられた。 
「あー。実はうちの神社が間借りさせてもらってるんだ」
 振り返れば、有名スポーツメーカーのトレーニングウェアを来た青年が立っていた。その彼が続ける。
「もしかして・・・新しく来たお坊さん?」
「ああ、多分」
 濁した答えになったのは期限付きだから。それでも僧侶であることは変わらないからそうだと答えた。イザークは尋ねた相手の両手の買い物袋に目がいったが、目の前の相手はイザークを覗きこんでいた。年は自分より若干若いくらいだろうか。
「結構若いけど、本物?」
「貴様、言うに事欠いて本物かだと!? 当たり前だ。俺を誰だと思っている!!」
 大体、若いのは貴様の方だろうが。
 お互い同じ事を考えていたらしいが、それを指摘されると腹が立つ。イザークはつい、怒鳴り返してしまった。
「あっ、いや、ごめん。悪気はないんだ。同じ年頃で安心したと言うか、その、随分誰も来なかったから、今年も来ないんじゃないかとひやひやしたよ。待っていたんだ! こっちだから」
 最初こそおどおどしたものの、すぐに悪びれもせず妙にうきうきと応対を始めた。見知らぬ相手の変わりように戸惑いながら、これから自分が主を勤める寺へと足を乗り上げる。冷たい板間。

 ギシ。

 まあ、こんなもんだろう。屋根があるだけましと言うものだ。
 耳についた音をやり過ごしていると、トレーニングウェアの彼が電気を付けた。一呼吸置いて、ぱらぱらと蛍光灯に明かりがつく。
「前の住職がいなくなってからもう結構経つから・・・」
「確かにな」
 これから新年を迎えるというのに辛気臭くて堪らない。
 お山の本堂など、僅かな明かりにさえ光り輝く仏具が鎮座しているのに、ここにはそれが一つもなかった。

 そこでふと思いつく。入り口で見た鳥居を。
 そして思い出す。彼の言葉を。

「一つ確認したいんだが、貴様、何者だ」
 凡庸と立つ青年と、問いただすイザークは対照的だった。瞳に鋭い眼光を湛えて、視線だけで悪鬼を調伏できそうなイザークの視線の先に言いにくそうに立ち尽くしている。
「あー、えーと俺は、隣の神社の神主」
 そう言った彼の後ろ、壁を一枚隔てた向こうにある造り、開け放たれた扉の向こう、電気をつけようと彼が入ってきた場所。それは、僧侶のイザークとて知っている。

 拝殿。
 手前に立てられた看板の文字には、はっきりと「二礼二拝一礼」と書いてあった。

「こ、これには、色々事情があって・・・」
「・・・の、ようだな」
 呆れてモノも言えなかった。
 間借りと言っても、敷地内にこっそり別棟がある、その程度を連想していたのに、見事に一間を借りられている。いや、もしかしたら一間どころではないかもしれない。
 今すぐにでも退けろと叫びたい気分だったが、生憎別宗教でもあり、握られた拳がわなわなと震えるに留まる。彼を知る者が見たら驚くことなし間違いなしの、自制であった。
「でも、意外と便利なんだ、一緒になってると。正月三が日とかさ」

 怒る気も失せる。
 なんなんだ、こいつは。

「・・・改造したようだが、宿坊とか残っているのか?」
「宿坊? 他の場所なら一応は。けど、全く手入れされてないぞ」
 どんなに汚くてもいいさ。眠ることができれば。
 イザークは小山の寿司詰め同然の入門時代を思い出した。むさ苦しい男達が集団で眠りにつくのだ、身体が大きい者、寝相の悪い者、やかましい者、一同に押し込まれた十畳間はひどい有様だった。それに比べれば、一人である分気楽だった。
「いい。どうせ1週間足らずの事だ。なんとでもなる」
 古く半分神社になっていようが寺であることには変わりはない。廃寺同然でもイザークとて僧。まして修行僧の身、これも修行だと言い聞かせた。

 ぴちょん。

 と、イザークは頭に手を置いた。冷たい。先程から降り始めた冷たい時雨は重みを増して、暮れ始めた窓の景色に白い筋を描いている。
「本堂の屋根はちゃんと直してるぞ、一応。けど、まあ、今日はうちに泊まった方がいいと思う」
「貴様・・・」
 あはは・・・と罰が悪そうに笑う若い神主が頭の後ろに手を上げる。
 それは直しているとは言わん。
 イザークは乱暴に畳の上に置いた荷物を引っ手繰った。


 ********************


 今年も残す所あと3日という年の暮れに、ついに現れた住職。彫照寺に間借りしている伊々室神社の神主アスランは、村で唯一の食料品店、ファミリーショップ・鷹屋の帰りに見つけた不審者が、まさか僧侶とは思わずに声をかけていた。銀髪に似合わない袈裟姿はどこの狐の妖怪だろうと思ったのだ。
 あの格好がなければ僧侶だなんて思えない。
 線香の匂いに塗れ、木魚を叩き、念仏を唱えている姿を想像できない容姿だった。凛と張り詰めた空気を感じるけれど、内にあるものは別物のようだった。

「まさか、本当に来るなんて」
 しかも絶対に曰く付きだ。

 隣の神社が火事で消失しても、連絡一つ寄越さなかった宗派だ。勝手に間借りしてもいいかと問い合わせた時も音沙汰なし。それほど程に無視されていた寺にやって来る僧侶が、只者であるはずがない。

 どうせ今年も、隣の彫照寺の分まで掃除をし、年末年始が大忙しになるだろうと踏んでいた。年末にかけて洗濯機の調子が悪くなり、悪天候も重なって中々片付かない。この時期、大掃除と大洗濯はセットである。ずるずると先延ばしにしていると気がつけば今年も残り3日となっていた。
 新年を迎える準備だけはしようと食糧も買い込み、掃除グッズも揃えたのだ。今はそれが功を奏して、半分は彼の手にある。
 髪を首の後ろで括り、襷がけして、屋根の上に跨る彼の手にはピンクのビニール手袋がはめられていた。

 イザークと言ったっけな。お坊さんの癖に短気だ。

 昨夜の夕食の席で軽く自己紹介をした彼らは、初日から噛みあわなかった。仏門のイザークが経文を唱える傍らで、アスランはさっさとぱくついていた。便利なものを使うことに躊躇のないアスランの神社の裏方は田舎には有り得ないほど近代的で、自作の食器洗い機が回り、風呂も全自動追い炊き機能的。使い方を説明しようとしたら、『それくらい俺でも分かるわっ!!』と怒鳴ってからの彼が10分はバスルームで悪戦苦闘していた姿を思い出す。
 翌日は朝早くから、雨漏りの修理から始めると言って張り切って登っていった。
 それを見上げているアスランの手にはバケツと雑巾があった。
「大体、貴様のその格好はなんだ」
「あっ、これ? 去年貰ったんだ。福袋に入っていたはいいけど、家族の誰もサイズが合わなかったのだそうだ」
 着ているトレーニングウェア引っ張る。袈裟姿よりも断然動きやすいと思ったアスランがもう一着あると告げた。
「サイズが大きいのがもう一つあるんだ。着るか? 汚れるだろ」
 数秒の間を置いて彼は真っ黒な袈裟と目で追い、短く「ああ」と寄越した。


 ********************


 おかしな奴だった。
 こんな片田舎で意外と文化的な生活を送っているかと思えば、奴は常に微妙な妖気を漂わせていた。「今日中に掃除をしてしまわないと!」と言う割にはのんびり、庭の石を拾って、奴の居場所、神社へと置きに行っている。

 今までにいなかったタイプだ。
 行動が意味不明だった。

 何十人と修行僧がいるお山にはそれは多彩な人材が揃っている。本場インドで修行してきて女好きだったり、歌手に転進したり、大人しそうに見えて小姑だったりだ。イザークはその中でも折り紙つきの目立つ存在だった。
 容姿もさることながら、お山の修行僧の中では既に実践に借り出される程の法力だったのだ。先輩であるミゲルについて、各地に飛んだものである。しかし、竹を割ったような性格と熱しやすさから、期限付きで頭を冷やせと言われたのだ。
 聞いたこともない田舎の寺。
 実践だけでなく、日々文献を漁り、教義を深めていたイザークには見知らぬ寺の存在は驚きだった。本尊こそ、無冠の虚空蔵菩薩であったが古さで言えば国宝級とまではいかないがそれなりに価値のあるものだろう。

「何が『これが現実だ』だ。ただ、手を抜いているだけだろうが」
 最後にかかわった調伏の仕事で止めをさそうとしたら、まだ早いと止められた。食って掛かったイザークはミゲルから、「まだ金になるだろ?」と言われてぶちきれた。そして、今に至る。
「金儲けなどと、くだらん」
 イザークがふいに視線を逸らした先で何か黒いものが翻った。

 あれは俺の仕事着・・・!?

 竿に干され、風に吹かれて棚引いている。黒い袈裟も法衣もバタバタと舞っていた。

「貴様、何をやっている!」
 屋根から飛び降りて、指差してズンズン進む先は洗濯竿。
 あー、とポンと手を叩いたアスラン。
「乾燥機も作ればよかったか?」
「そういう意味じゃない!」
 タオルやTシャツに混じって袈裟がはためいているのだ。ありがたみも合ったものじゃない。イザークは米神を押さえて、神官から視線を外した。
 仏門には仏門のやり方がある。
「まあ、いいさ。今日から俺は宿坊だからな」
「ふーん」
 寺の前の道を左に進めば店らしき建物があった。昨日の奴の買い物はそこでしていたものだろう。まだ時間もある、こんな得体の知れないやつの世話になってたまるか。
 イザークがフンと鼻を鳴らして本堂へと向かった時、アスランが思い出したように声を出した。
「あ、そうだ。そっちはガスと水道、止まってる」
 なんだと!?
 彫照寺はかれこれ一年以上も無職の寺、当然である。
「今すぐ開通させろ!」
「その前に本堂の掃除だ」
 三角巾で頭を多い、マスクをしたアスランが晴れやかに言った。

 既に晦日の午前中が終わろうとしていた。


 ********************


「この寺には檀家はいないのか?」
「いない、な」
 即答だった。
 考えてみれば当たり前で、何年も機能していない寺に檀家が残っているとは思えない。しかし、それならそれで問題である。檀家がいなければ収入がないし、有事に人手がない。
「毎年どうしていたんだ?」
 昼食時の会話である。
 アスランが作ったあまりものを混ぜた焼きそばをつつきながら、イザークは必死にその様相に目をやらないようにしていた。見た目はいたって普通だが、味がでたらめだった。曰く、あまりもので作ったからだそうだ。

 そもそも、檀家さえちゃんとあれば、掃除は彼らがやるし差し入れもあるだろう。地鎮やお祓いなどで訪れた各地の寺ではそうであった。
「俺が掃除していたんだ。自腹で」
「お前が?」
 この寺を一人でか?
 呆れる共に感心し、さもありなんと納得する。何せ、こいつの神社はこの寺に間借りしているのだ、掃除くらいして当然であろう。うむ、全くもってその通り。
「でもまあ、結構面白いよ。仏像を磨くなんて滅多にできないだろ? 背中の後光が取れそうになった時は焦ったけど」
 口に入れた箸が止まった。背中の後光がなんだって?
「あれ、古いよな。何年ぐらい前に作られたものなんだろう」
 そう、古い。パッと見ただけでも年代物だと分かる。恐らく鎌倉後期か、いや、お顔や手にした剣から考えればもっと前かも知れん。作者の名が分かれば調べることもできるが・・・全く無名の寺だから手間取るかも知れん・・・と、問題はそこじゃない。
「貴様、後光が取れそうだと言ったな?」
「ああ。あれ、木造だろ? ぐらぐらして拭きにくいし、接着剤でとめちゃったよ。だから今年は安心だけど」
 握り締めた箸が震えた。他宗派の奴だ、悪気はないのだと頭では分かっているが、イザークの沸点は低い。それが元でこの田舎に飛ばされたのだ。
「なんて事を! き、きしゃまっ、ご本尊様にそんな事をしたのか!!」
「えっ、だって」
 えも、だってもない。
「本堂の掃除は俺がする。貴様は賽銭箱の準備でもしてろ!」
「それは俺の掃除能力が低いと言う事か?」
「余計な事をされても困るんだ! 俺達をなんだと思っている」
 神道の貴様にとってはただの木造でも、俺達にとっては大切なご本尊様で、信仰の対象だ。
「なっ・・・僧侶じゃなきゃここの掃除をしちゃいけないって言うのか? 言っておくが、昨日来たばかりの君よりずっと詳しいし慣れている。君より早く掃除できるさ!」
 俺より早く・・・!?
 イザークの琴線に触れるにはジャストミートだった。
 曲がったことが嫌いなイザークは、誰よりも熱い男だった。
「そこまで言うなら勝負だ! 俺は本尊周辺、貴様はそれ以外だ」
「いいだろう」

 こまごまとしたものがごちゃっと密集している本尊や須弥壇と、伽藍とした広大な畳と柱、取り囲む板の間では果たしてどちらが有利なのか。二人はお互い手にしたバケツと雑巾を持ち、火花を散らして背を向けた。


 ********************


 短気な上に気位の高い奴。
 きっと扱いに困って、ここに飛ばされたに違いない。アスランはイザークがこの寺にやってきた理由をこう推測した。(そしてそれは当たっている)
 はっきり言って、掃除能力なんて誰も対して変わらないと思うんだけど、そんな所に拘るなんて変な奴だよな。
 雑巾を絞って柱からまず手を付けた。
 逃げられたら困るし、できるだけ親切に接してきたつもりだった。
 掃除だって押し付けず、共同作業で進めるつもりだったのに、妙に対抗意識を燃やされてしまった。僧侶といえば、何事にも動じず冷静に、仏の御心を説くものだと思っていたら大間違い。
 今時のお坊さんってああなのか?
 怒りっぽく、他の宗教と対決姿勢を露にする。勝ったからどうだって言うんだ、宗教家どうし争ってなんになる。だから、世の中平和にならないんだ。あっ、そこではたと気がついた。

 まさか、俺が負けたらこの寺から出て行けって言うんじゃないだろうな。

 間借りさせてもらっている事を思い出したアスランは、イザークをこっそり盗み見た。彼は仏像の裏に回ってなにやらゴソゴソやっている。しかし、周辺の仏具は心なしきれいになっているように見えて焦った。
 今、ここで出て行けといわれると初詣が困る。
 お神酒やおみくじの準備はもう終わってしまっているのだ。
 第一、俺はどこで寝泊りしたらいいんだ?

 負けられない。

 そう結論付けた所で、アスランはせっせと柱を拭き、畳へと移っていった。畳の目に沿って雑巾をかけ、絞っては噴き絞っては拭きを繰り返す。汚れていないように見えて、一年の埃はすさまじく、すぐにバケツの水が真っ黒になった。
 しかし、頑張りの甲斐あって畳を終えて板の間へと移ると、ゴールはもう目前。対するイザークはまだ本尊の裏でなにやらぶつぶつ呟いていた。

「いいのか、そんな余裕で。俺、もう終わるんだけど」
「---ウン・カン・ソワカ。・・・俺には俺のやり方がある」

 アスランはイザークの両手を見つめた。どこかで見た事のある形、そして彼の声が聞こえた。念仏ではない呪文のようなその言葉をなんと言うのか彼は知らなかった。

「・・・何だ・・・?」

 イザークの姿が霞んで見えた。耳に届くのはブーンと言う高周波で、彼の一際大きな声が聞こえたと思った時には空中に舞い上がった埃が自身めがけて飛んできた。
「うわっ!?」
 あっと言う間に飲み込まれ、吹き抜けていった。

「埃を払う真言だ」

 咽ながらイザークを見ると口元をにやりとさせた彼がゆっくりと歩いてくる。勝負は一瞬のうちに逆転され、アスランが手にしていた雑巾も頭の三角巾もマスクも一瞬にして埃まるけになったのだった。


 ********************


「お、俺にもあの呪文教えてくれ。一発で掃除が終わるアレ!」

 なんて便利なんだろうと思ったアスランはその日の内に持ちかけていたが、結果は芳しくなかった。

「遊びじゃないんだ。教えてもらってできるようになるようなものじゃない。まして、貴様は神道だろうが」

 アスランにしてみれば、その違いははっきりしなかった。神主にあるまじき心構えであるが、こんな田舎で仏教が、神教が、と争うようなことはなかったのだ。毎年の行事は何一つ変わらない。元旦は初詣に出かけ、節分には豆まきをし、桃の節句も鯉のぼりもささやかに祝う。盆には先祖を祭り、刈り取りの時期には村一番の祭りがあり、クリスマスはプレゼントを贈りあって大晦日に除夜の鐘をつく。そこに宗教の違いはなかった。

「貴様は他宗教のことより、自社を再建することを考えるべきだろう。狛犬さえおらんではないか!」
「いや、あれは去年の台風で落ちて割れて、新しい狛犬を置いてもすぐ落ちるんだよ。風の通り道みたいで、3回も割れたからもう置くのは止めたんだ」

 なんとも縁起の悪い話であるが、社もないのだと、アスランは拘りも無かった。本宮の支援を仰いでも一人では限度がある。村々を回って寄付金を募っても到底追いつかない。再建とはそれ程の大事業だった。

「そうか。なら一つ聞きたい事がある、いいか?」
「うん」
 幾分冷めてしまった夕食をつついてアスランは答える。

「貴様に纏わりつく妖気はなんだ、この村にいる魑魅魍魎はなんだ?」

 イザークからの質問を聞いて、ああやっぱり彼は僧侶だと思った。だから映画になったり、漫画になったりするのだ。悪を生かしておかないから。
「答えなきゃいけないか?」
「害を及ぼすものなら退治してやると言っているんだ」

 彼に悪気はないのだろうと思う。
「ここは田舎だよ。空気は綺麗だし、水もおいしい。村の皆はそれは優しくて、君から見たら別世界だろう。確かにここは都会と比べれば別世界なんだと思う、色々な物の霊が多く残っているからさ」
 彼のように妖気に気づいた人間なら、巷に溢れる妖怪や精霊を見るのは容易い事だろう。
「でも、別に悪いことをするわけじゃないんだ。ちょっといたずら好きなだけで」

 食べるスピードの遅くなったアスランに比べて、イザークは点でバラバラの余り物の食卓を効率よく消化していた。


 ********************


 なるほど、のんびりもここまで来れば拍手物だ。
 アスランは悪いことをするわけではないと言ったが、その夜、イザークが見つけたのは到底穏やかではない代物だった。
「あいつはああ言っていたが・・・これは調伏したほうがよかろう!」
 境内からゆらりと立ち上る白い霧が形を無数に変えながら、本堂へとゆっくり近づいてくる。ちかちか光る砂利を目に留めながら、イザークは笑った。
 この程度の下級霊など、真言を唱えるまでもない。
 すばやく指を立てると、身体の前で空を切った。

「イザーク、待ってくれ!」

 背後で異変に気がついたアスランがドタドタやって来るの聞こえたが、構わず口を開いた。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」

 空気の刃が白い霧へと迫り、―――そのまま境内の木へと叩きつけられた。グオンと木が大きく唸って、冬でも葉を落とすことのない枝を激しく揺らした。

「貴様! 何をしたっ」

 いや、何をしたかは明白だ。イザークの九字を妨害したのである。あっという間にイザークを追い越したアスランが白い霧に向かって一言叫んで、ポロリと地面に何かが転がった。吸い込まれるようにして消えていく白い霧を見て、イザークは見にまとう微弱な妖気の正体を知った。
 退治せずに封印し、その石を拾い集めているから、拭いきれないのである。
「これで充分だよ。たいした力もない」
 指でまだ封じの術をかけているアスラン。イザークが歩いていくと、ひょいと拾い上げる。
「大丈夫さ」
「いつもこんなことをしているのか」
「いや、滅多にないよ。最近じゃ、参道の入り口で二つ封じたくらいかな。大抵は通り過ぎるか散ってくれるから・・・それよりさ!」
 甘いな、それではいつか足元をすくわれる。この片田舎では早々大物はでないだろうが、霊も悪意があればすぐ成長する。イザークはついそんな事を思った。
「あれ、九字って言うんだろ!?」
「駄目だ」
 先手を打つ。アスランも結果を予想していたのか、物々言いながらも大人しく引き下がった。が、突然大きな声を上げた。
「あーっ、またあんな所にある。ついでにあの石達も拾ってきてよ。足元に黒いのと白いのがあるだろ?」

 アスランが地面に見つけた石は、いつも奴がせっせと運んでいた石に似ていた。
 真っ暗な参道まで歩いて、拳大の石を見つけて手を伸ばす。両脇は木々に囲まれて、夜空より深い闇を作っていた。
「5日しか居ないんだ」
 気にした所で長居はしないのだから、あまり関わらないほうがいい。年が明ければ、またお山に戻り、目の回るような忙しさが待っているだろう。呑気に石拾いどころではない。
 手の中の黒い石はやんわりと赤い光に包まれていた。
 イザークは石が放つ霊力に眉を顰める。
 もしかして、この石にも何かの霊が封じられているんじゃないのか?
 しかも、いつの間にか参道に転がっていくとなると・・・。参道の先にある主の居ない台座を暗闇の中に見つける。イザークは、真っ黒な石と真っ白な石を見て気がついた。

「お前達、災難だな・・・」

 悪霊と間違って封じられた狛犬達を不憫に思った。



*

日記で連載していた小噺です。お正月話だったんですよね。
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