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「何だあれは!?」

 イザークは留学先から屋敷へ戻った翌日、早速執事達に問いただしていた。昨晩、バスルームで寛いでいたところ、天井から怪しげな音が聞こえたのだ。久々の我が家でゆったり寛いでいた所を、頭上から聞こえる怪音。
 しかし、執事達はしれっとして答えた。
「ねずみでございます」
「はあ?! ありえないだろうが、なぜ捕らえない」
「賢いねずみでして、害はありません」
 それは執事の失言だった。常に自分を磨く事を厭わないイザークは元来かなりの負けず嫌いだったのだ。賢いねずみだから、捕らえる事はできない、共存することにしたのです。と言われて、ハイそうですか、と引き下がるわけはなかった。

 その日から、イザークのねずみ捕獲作戦が開始された。



 屋敷のものに事情を聞くと、なるほど半年前に住み着いて当初は捕まえようと躍起になっていたらしい。しかし、仕掛けた罠がことごとく失敗し、餌だけが巧妙になくなっているのを見て、その翌月には早々に諦めたのだとか。よくよく調べてみれば、夜中にバスルームの上で少々音がするくらいで、チーズが少々齧られていても、この屋敷には少しも痛手がない。
「それは無害とは言わん!」
 チーズではない。
 バスルームでの至福の時間を邪魔されることである。
 文献を漁り、これはと思うネズミ捕りを屋敷のあちこちにセットさせた。翌日にはどれかに掛かっているだろうと、眠りについたが、期待は外れた。バスルームに近いネズミ捕りの餌だけとられてねずみの姿はなかった。


 その次の日も、次の日もあの手この手でネズミ捕りを仕掛け、猫も放った。けれど、餌だけなくなり、猫は屋敷から逃げ出した。掛かった後はあるものの、見事に抜け出ていたりして、4日目、イザークは寝ずにねずみが姿を現すのを待った。
 日が暮れて数時間。
 チーズをのせたネズミ捕りを仕掛けて、息を凝らして出現を待つ。

 来た!

 ガサゴソと音がしたかと思ったら、梁の向こうに暗闇の中に浮かび上がる小さな目があった。ねずみの色は良く分からないが真っ黒だった。
 ねずみが緑色の目とは、まるで猫だな。
 そんなどうでもいいことを考えているのは、これで捕まえることができるという自信があるからだった。
 様子を伺っているのかねずみは、くんくんを鼻をひくひくさせながら近づいてくる。
 後、少しだ。もう少しで網に掛かる。
 イザークの自信作、イザーク式ネズミ捕り4号キョシヌケがねずみが掛かるのを今か今かと待ち構えている。今度の仕掛けはネズミ捕りの本体は囮で、本当はその周りにしかれた網が本命だった。
 だが、何かを感じ取ったねずみはそこから一歩も進まずに、ひょいっとジャンプしてネズミ捕りの上に乗った。
 声には出せないが、驚愕のまま、イザークはねずみが尻尾で流暢にチーズを巻き取って去っていくのを見た。ご丁寧に梁の向こうに消える前に、挨拶ばかりに振り向く様までしっかりと。



「今日も仕掛けますか? 旦那様」

 5日目、執事に問われて、イザークは今日からは一人でやると断った。誰かの助けを借りたくないほど、あのねずみに対抗心を燃やしていた。
 各国のネズミ捕りを取り寄せ、一人で天井裏に仕掛ける。奴の行動原理を分析し、ねずみの生態まで調べてしまっていた。夜行性、あまり目は良くなく、髭で障害物を感知していることなど。
 知れば知るほど、今屋敷に住み着いているねずみが規格外れだということが分かった。罠を事前に感知したり、一度引っかかったネズミ捕りから脱出するなどありえない。
 打つ手がなくなって、考え込む。
「ねずみの思考など俺に分かるはずもない」
 人間とねずみでは頭のつくりが違う。奴らは思考はもっと単純で、一度に複数を処理できないはず。

 6日目は頭脳戦に出た。
 ネズミ捕りで捕まえるのではなく、退路で捕らえることを考えたのだ。餌はくれてやる、上等なカマンベールを用意して、奴が餌を手に入れ、意気揚々と帰るところを捕獲してやる。
 昼間、バスルームの天井裏に上がって、埃だらけになりながら、通り道を調べ、本来虫を捕らえる為の捕獲シートを貼り付ける。一度張り付いたら、早々身動き取れない強力なものを使って、翌日を待った。

「どんな器用な奴なんだ・・・」
 結果を見て、イザークは呆れた。
 確かに、ねずみは引っかかっていた、ただし毛だけ。かなりの痛さに違いないが、ねずみは逃げおおせていた。
 屋敷の奴らが諦めるのも分かる気がする。
 こんなねずみがいてもいいのではないかとイザークはそんな事を思う。確かにバスタイムを邪魔されるのは迷惑だが、特に屋敷のどこかを齧るとか、子孫を増やすわけではない。
 毎日、問題のねずみと向き合っていると、それもいいかと思えてくるのだ。明日で最後にしよう、イザークは苦笑しながら決めた。きっと、奴は逃げおおせるだろう。そんな事を考えながら最後のネズミ捕りをセットした。

 だが。

 7日目。

 イザーク式ネズミ捕り7号ミンカンジンについに掛かった。
 タイプはオーソドックスなもので、餌はやけくそ気味においた桃。
 イザークがバスの前に天井裏で物音を聞きつけて、そろりと天井裏を覗いた。突然開いた、床にねずみは驚いたのか、ようやく逃げ出せたネズミ捕りから落ちて咥えていた桃を落とし、逃げようとしてその桃に思いっきり滑っていた。
 アタフタとする姿を始めてみたイザークは、こちらに向かってくるのを見てギョッとする。
「うわっ、来るな馬鹿!?」
 慌てて天井を閉じようとして、頭の横を何かが通り過ぎるのを感じた。

 ぽちゃん。
 ねずみが落ちた。

 水を張ったバスタブに落ちた紺色のねずみがじたばたともがく。磨きぬかれた大理石のバスタブにねずみの爪が引っかかるはずもなくどんなにもがこうとも水から上がれるはずもなく、じたばたともがくこと数十秒。
 ねずみが抵抗を止めた。
 ただゆっくりとバスタブの中を沈んでいく。

 ついに、イザークが勝利したのだ。

 この一週間にも及ぶ戦いの末、これでようやく平穏な生活を送れる。バスタブの底に沈んだねずみは身動き一つなく横たわっている。背中から少し左にずれた所に、毛が薄い所があった。
 イザークが予想したように、ねずみは薄汚れて真っ黒なのではなかった。その証拠にバスタブの水は少しも汚れていない。本当は紺色の毛並みをしたねずみだった。
 あれだけ奮闘したのに、あっけない幕切れにイザークは呆然としていた。これで終わるはずがない、まだ何か仕掛けてくるだろうという期待がどんどん消えていく。
「おい、本当に死んだのか・・・お前」
 初めて目にしたわけでもないのに、胸が締め付けられるような罪悪感にシャツを握り締める。
「何とか言え! さっさと上がって来い、お前がいないと張り合いがないだろうが」
 小さな死が確実にあった。
 それをこんなにも恐れている。馬鹿馬鹿しいと思っている、たかがねずみにこんなに動揺して、情を移すなんて。しかし、イザークは認められなかった、許せなかった。

「くそっ、なんならペットにしてやる。俺を退屈させるんじゃない!」

 目の奥から溢れてきた雫が、バスタブに張った水に波紋を描く。
 ゆっくり広がってすぐに消える。

「つ、冷たい!」

 突然の悲鳴に、イザークは目を瞠って、潤んだ目元を拭った。瞬きした瞬間にバスタブにねずみの姿はどこにもなかった。変わりにいるのは、仰向けにバスタブに浸かる、全裸の青年。
「な、な、なんだお前は!?どこから来た」
「お前こそ、いきなり天井を空けるなよ、びっくりしたじゃないか! あーもう駄目かと思った・・・」
 何だ何だ、それはどういう意味だ。
 ありえない現実と、辻褄を合わせようとする思考がぶつかり合う。青い髪に緑の瞳、腰のすぐ後に赤くすりむいた痕を見つけてしまった。
 ありえない。ねずみが人間になるなど。
「お前、まさか・・・」
「始めましてじゃ、ないよな。助けてくれてありがとう」



 魔女の呪いでねずみにされていた?

 何を馬鹿なと思うが、目の前の青年が嘘をついているようには見えず、口を挟むのにも疲れてしまった。アスランと名乗った青年は、今はバスローブを羽織ってソファーに腰掛けている。振って沸いた来訪者に何も言わない執事がありがたかった。
「それで、どうしてバスルームの上になんぞいるんだ」
「漏れた蒸気が気持ちよくて、サウナみたいだったんだ」
 普通にマグカップを両手で抱える姿は、確かに本当に人間だ。しかもかなり上等の。言葉遣いやちょっとした仕草にある種の雰囲気が漂うのだが、本人は天涯孤独の身と言う。家や家族はとっくになくしてしまったのだと。
「それで、これからどうするつもりだ、貴様」
 マグカップから口を離して、目の前の青年がにやりと笑う。年頃は自分とそう変わらない、若干若いだろうか。そんな所だ。
「ここに置いてくれるんだろ?」
「どうしてそうなる」

「ペットにしてやると言ったじゃないか」


 確かに、勝利宣言をして意気揚々と去っていくあのねずみだった。





なんちゃってねずみネタの小噺です。我が家で捕獲されたねずみを題材にできたものです。いつかアスラン側の話も書いてみたいなと思いつつ。