川越奉行


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「そのほうは黒岩村百姓、五郎が倅、純造に相違ないか」
「相違ございません」

・・・父さん、僕はお縄にかかってしまいました。

やみくもに熊八さんを探しても仕方ないこと
(死体はありませんでした。絶対に生きているはずです)、
そして難民を避難させる必要から、僕らは川越に向かいました。
例の侍がしんがりをつとめ、僕が先頭を歩くことになりました。
無事川越に辿り着き、役人に事情を話して難民を彼らに託しました。
役人が踏み込んだのは、宿で一息ついたときでした。
おそらくあの侍が訴えでたのでしょう。
僕がこの襲撃に一役かっているのだと。

北辺開拓掛の長官じきじきのお調べを受けました。
この人は澤田兼久といい、在任4年。
能吏であると評判のお人で、ここ川越では絶対的な権力を持ち、
「川越奉行」と呼ばれているそうです。
いろいろなことを訊かれました。
生国、身分、家族関係、生業、誰を師としたのか。
人別帳で調べるか、あるいは人をやって調べさせればすぐわかることばかり。
いっこうに本題に切り込んでくる様子はありません。
一見すると穏やかな40代といった風で、まるで僕と談笑するかのよう。
時折笑顔すら見せます。
しかし、その眼。
心の奥底まで見透かそうとするようで、
じつに「おそろしいお方」といえます。

話題が僕の旅のことに及びました。
その瞬間お奉行の眼が鋭く光ったように思えました。
「・・・そのほうは北辺をひろく見聞するが目的と申すか」
「は・・・」
僕ははじめから嘘をつく気などありませんし、
この人に嘘をいっても通じないと思いました。
すべてを話し、熊八さんを探す助力を乞いたいと思ったのです。

「北辺に来てひと月にもならぬというのに、ずいぶんとあちこちへ
足をのばしておるな」
「はい」
「その方の一番の目的は、北辺絵図の作成と申したな」
「はい。この地を拓くには、この地を知らねばなりません」
「それも師である平賀源右衛門の教えか」
「はい」
「測量術を識るか」
「はい」
「師は誰ぞ」
「高橋幸吉先生でございます」
「陰陽術、測量術、算術、医術・・・多芸じゃのう」
「平賀先生ほどではありません」
ここでお奉行は唇にゆがんだ笑みを浮かべました。
「しのびのわざも心得ておるのではないか」
「いえ」
笑みは消えることはありませんでした。
「今のは戯言よ。気にするでないぞ」
「・・・は、はい」
射るような彼の視線を感じました。
「・・・明日、改めて詮議を行う。その方の身柄は会所に留めおく」

役人に引き立てられ、連行される間際のお奉行のお言葉は忘れられません。
「・・・いずれその方の『友人』からも話を聞くこととなろう。
存外長い付き合いになるやも知れぬな」
眼だけが、笑っていませんでした。
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