牢破り

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お奉行配下の兵およそ300が、早朝、川越を発ちました。
僕は相変わらず牢の中です。
しかし、僕の幽閉生活に彩りを加えるものがいました。
一匹のねずみです。
どこから迷い込んだのかはわかりませんが、
戯れに食べ残しの食料を投げ与えたことがありました。
それ以来、食事時には顔を出すようになったのです。
「ねず吉」と名前をつけました。
我ながらひどい名前をつけたものですね。
でも、なんだか似合いの名前のような気がしたのです。

その夜は食事がのどを通りませんでした。
ねず吉がいつもの通りに現れ、僕のそばによって来ました。
食べ物を投げ与えてやると、「ちゅっ」と一声啼き、
嬉しそうに食事を始めました。
そしてそれが、ねず吉の最期の食事となりました。
痙攣し、やがて動かなくなったねず吉を見ながら、
僕はひどく静かに物事を考えていました。
僕などを毒殺したところで仕方のないことです。
まして何の罪もないねずみ一匹が死ぬことになろうとは。

一計を案じました・・・といえば聞こえはいいのですが、
あまりよい策であるとは思えませんでした。
しかし、やる気になっていました。
その気を起こすのが遅すぎたかもしれません。
兵がコタンに向かっていると知った時点で、
こうすべきだとは思っていたのですが・・・。
ねず吉の小さな命が、僕の背を押す結果となりました。
幸い、お奉行も芦尾どのもここにはいません。
逃げられる、と思いました。
仮に逃げられなかったとして・・・それが何だというのでしょう。

毒がなんであるかはわかりませんでしたが、
毒を盛られたふうを装うことにしました。
膳を盛大にひっくり返し、必死で助けを求めました。
牢役人が二人やってきました。
慌てているようです。
役人すべてが僕の毒殺に加担しているわけではなかったことが、
これでわかりました。
一人が医者を呼びに行ったようです。
もう一人は、僕の様子を見るためでしょうか。
わざわざ牢の鍵を開けて、中に入ってきたのです。
それが芦尾どののかけた呪を、一時的にであれ破ることになるとは、
陰陽の道の玄人ではない役人にわかるはずがありません。
部屋というのはそれだけでも結界の役割を果たします。
それが大きく開け放たれたとあっては・・・
芦尾どのの呪をもってしても、僕を阻む力はもはやありません。
痙攣している振りをしつつ、ひそかに印を結び、
呪を唱えました。

役人を眠らせると、呪によって姿を消し、ねず吉の亡骸を
懐におさめました。
後はたやすいことです。
騒ぎを尻目に、呪によって宙に浮き、
会所の高い塀を越えました。

川越を出てしばらくしたところで、
ねず吉を埋葬しようとおもいました。
しかし、ふと思い立ち、呪を唱えました。
ねず吉には気の毒ですが、彼を式として用い、
一足先にコタンへ危機を知らせてもらうことにしました。
呪は、すべてのもののありようを縛るものです。
僕は呪によってねず吉にいまひとたびの生をあたえました。
酷なことです。
これはねず吉が望んだことではないのですから。

ねず吉が呪によって得た翼でコタンを目指し飛び去ったとき、
背後に気配を感じました。
例のアイヌ娘が、二人のアイヌとともにそこにいました。
二人はチュプライ党の男たちでしょう。

「まさか自力で抜け出すほどのことができるとはね」
「・・・君は・・・」
「ついてきて。熊八はあたしたちが預かってるんだからね」
「・・・」
僕は静かに頷きました。
事態の急な進展にも、もう慣れてしまいました。
北辺の地は、そういう場所なのです。
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