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NOVEL


髪 を 結 う 記 憶


 響くのは唯流れるせせらぎの音と、さわさわと風に揺れかさなる木々の、葉のふれあう音。
「こうしてあなたに髪を梳いてもらうのも、ほんとうに久しぶりね、シルメリア」
 ここは天空と地上の間。
 神の世界と人の世と。どちらにも属せない特別な存在である、戦乙女たちの住まう場所。
 木々のあいだから漏れた光が、ちらちらと瞬く。つまさきを濡らす川の水はつめたく澄みきって、女神達の姿を水面にうつしてゆれた。
 ふたりの女神は、暫くぶりの再会を果たしたところだった。
 暫く、といっても、永く続いてゆく生命を持つ、神々の時間の物差しで測ったならばそれは、ほんとうに短い時でしかなかったが、つい先まで人間として生きていたレナスにとって、妹の姿を見るのはほんとうに久しぶりのことだったのだ。
「何故、髪を結うようになったの?」
 レナスの長い髪を、もてあそぶように細い指で梳きながら、シルメリアが聞いた。
「こうしているのが綺麗だって、そう言われたの」
 レナスは、人間としてのひとつのの生を終えて戻ってきたところだった。
 幾度も繰り返されてきた輪廻の中で、何度も出会い続けてきた恋人と、そうとは知らずに広い世界の中で出会い、結ばれ、世界の片隅でひっそりと、それでも幸福に包まれながら生き、ふたたび会うことを約束しながら、天寿を終えた。
「しあわせだったのね」
 シルメリアが、やさしく言う。ことばをかえすかわりに、レナスはやわらかく笑んだ。
 美しい長い髪を束ねていたリボンを、シルメリアがほどいた。
「きれいな色のリボン。よく似合うわ」
「そうかしら」
 リボンの色は、橙がかった赤い色。
 あのひとがすきだった色。
 おだやかで、やさしくあたたかなひとだった。
 まるでこの色のように。
「また会うことを誓ったの。遠い未来の、どこかで。そしてひと目見てわかるよう、私はこうして髪を結い続けると、約束を」
 どれほど愛し合っても、同時に生を終えることはやはりできなくて。人間とは老いてゆく生き物で、過ぎる時には逆らえず、あのひとをおいて先に来てしまったけれど。
 それでも自分との約束と、共に過ごした日々の思い出を胸に、時にそれを懐かしみ涙しながらも、人々に囲まれ、幸福に包まれ、日々を生きているはずだった。
「それじゃあ、わたしが結ってあげるわ」
 シルメリアが微笑んで、レナスの髪を手にすくいあげた。
 レナスは瞳を閉じた。そうして思い出す。
 いつかまた、あの草原で。
 ふたりで暮らした、あの草原で出会う。
 短い夏には、緑が見渡す限り広がっていた。
 秋がやってくれば、野原は金色にかがやいた。
 気候は厳しく、生活も貧しくて決して何もかもが楽ではなかったけれど。
 それでもしあわせだった。
「次にまた人間として転生するときも、今みたいに静かで、平和だったらいいわ」
「そうね。……そうしたら次も、戦乙女としてではなく、そのひととも、人間として出会ってゆけるものね」
 シルメリアの指が、器用にレナスの銀の髪を編んでゆく。
「ええ」
 足下に流れゆく川、その水面に、愛しいひとの面影を描く。
 ただの人間でしかない、あのひとは忘れてしまうだろうけど。
 それでも何度も、繰り返す転生の中で何度も邂逅を果たしてきた。
 きっと、そういう運命を手に入れているのだ。幸運なことに。
「シルメリアには、そういう誰かはいないの?」
「わたし?」
 かすかに頬を赤らめて、シルメリアが笑う。
「まだ言えないの、けれど、いつかきっと、うちあけるわ。その時は聞いてくれる?」
「勿論よ」
 シルメリアの笑顔があまりにしあわせそうなので、レナスはそのことを、もっと知りたくなった。
「どんなひとなのかしら。シルメリアを夢中にさせるなんて」
「ふふ……そうね、そのうちに、きっと」
 シルメリアが、編み終えた髪にリボンを巻いた。
「できたわ、レナス」
「ありがとう」
 レナスは立ち上がり、流れゆく川のおもてに、自分の姿を映した。
 ゆるく編んだ髪。かつてあのひとがそうしてくれたような。その自分の姿が懐かしかった。
「そういえば、アーリィはどうしているの?」
「少し前に、フレイに召致されたわ。私ももうすぐ、行かなければならないの」
「今度は何が?」
「不死者の王と、オーディン様とのあいだに、争いの兆しがあるのですって」
 シルメリアの笑顔が、かすかに翳りを帯びた。それをレナスは、諍事を厭う彼女の、その性質ゆえのことだと思った。
「……しあわせなときに、それをそうと感じるのはとても難しい事ね。いつでも素晴らしい事柄というのは、失ってから初めて存在していたことに気付くのだわ」
 そう言ったシルメリアの視線は、何処か遥か遠いところへと向けられていた。
「そうね……。そうなのかもしれない」
 レナスは頷いた。が、それは相槌のようなもので、このときレナスもそのことを、真に知ってはいなかった。
 運命はいつでも、突然に急降下をはじめる。
 兆しもなく。
 後に、レナスは驚愕の事実を聞くことになる。
 けれどそのとき、女神達の楽園は、ほんとうに静かで、光に満ちていたのだ。
「静かで幸福な時間だけが、いつまでも永遠に、続いてゆけばいいのに」
 空を見上げた、シルメリアの金の髪が陽に透ける。
 まるで光にとけて、消えてしまいそうだった。
 まぼろしのように美しいその光景を、その後レナスは何度も思い出すことになる。
 けれどこの時は、まだ何もはじまってはいなかった。