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学問の自由,表現の自由,セクシャル・ハラスメント規制,インターネット規制,大学 その 2


おまけ

ボクシング選手に「殴るな」って?


表現の自由や学問の自由といった,大学が大学であるための基本ルールをひじょうに軽視して,ルールを勝手にねじ曲げる大学人がいます.

ボクシングの試合中に,何の反則もせずにゲームのルールにしたがってプレーしている選手に向かって,「殴るのをやめろ」と審判するような,気違いじみたことをやっているわけです.

こういうひとは,まちがったことをしているのに,いいことをしたつもりになっています.ゲームのルールを勝手にねじ曲げてはなりません.戦争にルールがあるように大学にもルールがあります.

例外はあるにせよ,罵り言葉とか暴言といわれるものをふくめてどんな発言も認めるというのがデフォルトのルールです.(デフォルトから逸脱したいなら,たとえば授業参加者全員の同意を取ればいいでしょう.)

表現の自由が認められなければ学問は成立しません.成果を表明できないということですから.反社会的な発言,反政府的な発言を安心してできるように,テニュアというのも制度化されています.大学にとって不都合な発言をすればテニュアが剥奪されるようでは,学問の自由は守れません.

表現の自由を制限しておきながら,「多様な考え方を認めなければならない」と言うひとがいます.多様な考えを認めるということは,ある特定の考えを他人に強制できるということではありません.いろいろな考えを 表現すること を認めるということです.一方で「多用な考えを認める」と言っておきながら,他方で強制力に訴えて表現の自由を奪うのは,一貫性がないのです.

表現の自由にたいする例外とは他の個人の権利を侵害することです.

  • だれの権利も侵害していない発言は問題になりません.

  • 物理的な暴力にうったえることをほのめかす脅しは例外になることがあります.たとえば具体性のない「殺す」という発言でも,「命を奪う」という意味にしかとれない文脈では問題になる場合があります.しかし「実際に手を出さなければなにを言ってもいい」というのがゲームのルールであると分かりきった場,たとえば大学であれば,問題にするほうがおかしいでしょう.

  • 他人の権利を侵害した場合,表現の自由がただちに制限されるわけではありません.その権利と,表現者の権利とが比較衡量の対象になるということです.

もちろん個人が自発的に表現の自由を放棄することはあるでしょう.自由を行使しない自由もありますから.

  • たとえば相手を傷つけたくないという思いで,発言を控えるのは自由でしょう.ただ,権利を行使しない自由を持つことは,権利自体を持たないということとははっきりと区別しなければなりません.

  • ある種の交換条件として自由を制限されることを認めるときは,制限されることを認める契約を結ぶことになります.たとえばある企業を調査したとして,その調査結果を公表していい範囲について,企業と契約を結び自らの発表の自由を放棄することはあるでしょう.

  • 契約さえ交わせばいいのかという問題はあります.大学には大学として果たすべき機能があり,そういった高次の要件を否定するような契約は無効でしょう.表現の自由を制限することは,研究成果の発表を制限するということであり,自由な論争を否定することです.真理の探究のための条件が整っていないことになります.

ちなみに自分の祖父は江戸っ子です.罵り言葉は祖父から受け継いだ大切な遺産です.日本語から罵り言葉が消えていく現状を少しでも止めたいと思っています.

三原麗珠