俺の学校の校庭は狭く、二百メートルトラックがそのほとんどを占めている。 校舎はその北側にあって、一階が一年生、二階が二年生で三階が三年生の教室と、階層と学年が一致しているのが、なんとなく可笑しかった。 校舎と、校庭を囲むように雑木林があって、まさにここは田舎の代表とも言える疎開中学校だということを証明していた。 あとあるのは、トラックのカーブを避ける様に立てられた鉄棒。俺が今いる場所でもある。 結局何も無い学校の娯楽は、トラックでの徒競走と、雑談と、鉄棒しかない。 昨日飽きるぐらいにトラックを走り回ったので、順番的に雑談をするのが慣例でもあった。 もっとも、走っていようが、鉄棒をしていようが雑談しないとは言えないのだけれど。  いつもどおりのメンバーが、お昼休みになると集まってくる。 同級生のマトメとおにゆり、そしてにゃんだ。 一番は俺。四時限目はデフォルトでサボリなので当然。 「ちょっwwwwwwおまっwwwwwwww今日もさぼりかよって教室に居なかったからあたりまえかwwwww」  昼休みのチャイムと同時に、あまり多くない生徒の波を圧し避けて咆哮するのはマトメだ。 マトメはクラスを取り仕切る委員長で、切れものでナイスガイ。学校の女子みんなが狙っているという噂を否定できないぐらいの出来すぎ君だ。 続けてくるのは―― 「あ〜〜〜〜っ!! 今日も負けちゃったぁ……」  という、全戦全敗のチャレンジャーにゃん。 「ちょっとまちなさいよッッ! そんなに急がなくたってお昼は逃げないわよッッ!!」  続けて聞こえてくる雄たけびはおにゆり。いつも言葉は怒ってるんだけど、顔は笑ってる。 おにゆりとにゃんは女の子で、顔もそっくりの一卵性双生児。ウインナー姉妹っていうあだ名で親しまれている。 アンバランスな仲良し四人組は、顔を合わせると一目散にお弁当を広げる。 そもさん説破。禅問答のごとき速さではじまるのはにゃんのオカズ自慢。 「へっへ〜っ。今日はタコさんウィンナーなんだぞぉ♪」  なんて、すごく幼いことばかり言うのがこの子のチャームポイントで、欠点……であるかはわからない。 「私も同じメニューなんですけどッッッ!!」  勿論、こちらの説破も研ぎ澄まされているのは言うまでも無い。 ここまでは何時もどおりのイベントで、ここからだって何時もどおりの押収が始まる。 「をいwwww俺にwwwくwwれwwwwよwwww」  狼が来たよ! なんて表現がぴったりなぐらいの、捕食者の呻き。 まさに、口にはいらんとするウィンナーを、宮本武蔵顔負けの箸捌きで奪い取り、噛み砕き、骨肉へと変える。 ここにある生態系のピラミッド、食物連鎖は、淘汰をもってその存在を知らしめるのみ。 けれど窮鼠猫を噛むような、生産者の反撃が日常なのは目を瞑って欲しかったりもする。 「ひっどぉぃ〜。マトメ君のはんばあぐ食べちゃうんだから……」  声は弱く、けれどその動きは俊敏にして正確。俺たちの中ではネズミ最強説さえ裏打ちされてるとでも言わんばかりに。 「なあ、おにゆりって学校の先生に為りたいんだっけ?」  俺はそうだよ、って心の中で早口に言うと、 「そうだよッッッ!!!」  なんて、解りきった答えが返ってくる。 「それで君の将来の夢はッッッ!?」 「俺はなぁ……」 「オマエは特にねぇwwwだろ?wwwっうぇ」  結局にマトメが代弁するのも、これまた日常の風景。 何時だって他愛もない雑談。 お互い判りきってるコトばかりなんだけど、それが俺の、俺たちの日課。 「おいwwwポークビッツwwっうぇ! 逆立ちはwwww出来るようにwwwなったwwwのwwかwwよwwww」  結局話題がなくなると、マトメはいつもの様にポークビッツをからかういはじめる。 その様子はいい加減見飽きたけれど、ついつい仄々してしまうのが関係が上手く言っている所以かもしれない。 ポークビッツはそのまんまウィンナー姉妹の妹のにゃんのことだ。 「なんだとぉ〜〜!!」  ぷんぷんという表現が最も似つかわしいぐらいの怒り方で、その実まったく怖さは無い。 姉のおにゆりも、その様子がお気に入りみたいで、くすくす笑っている。 「あはは、にゃんは鉄棒だめなんでちゅよねぇッッッッ!?」  何故か子供をあやす様に言うのだけれど、嫌味さを感じないのはおにゆりの性格を象徴しているのかもしれない。 見た目はそっくりなのに、おにゆりはスポーツが得意で、にゃんは勉強が得意。苦手なものはお互いの得意なものという分裂ぶりは、初めて知った時からの話しの種の一つでもある。 結局そのからかいに乗るのも何時もどおりの光景で、出来もしない逆上がりに向きになるポークビッツは、ドキリとしてしまう位可愛いことがある。 ここだけの話なんだけれど、マトメはおにゆりのことが昔から好きで、俺はポークビッツの事が好きなのだ。 もともとは、四人グループじゃなかったんだけど、そういう利害関係もあってウィンナー姉妹に近づいたのは男だけの秘密だった。 「んしょ、こにゃろ〜」  漫画のオトボケ幼馴染みたいな掛け声を上げながら、三角定規の高さまですら足を上げれないポークビッツ。 「どうしたんでちゅか〜ッッッ!! できないんでちゅか〜ッッ!!」  その様子を見るたび、おにゆりの煽りはエスカレートしていく。 沸騰したヤカンよろしくポークビッツが激昂したぐらいになると、何時もどおりにマトメは俺に目配せする。 それを合図に俺がポークビッツの腰を押してあげて、逆上がりを成立させるのがセオリー。 カムみたいにいびつな円を描いて、これまた不細工な着地しか出来ないのは当然といえば当然だった。  もう一つのここだけの話……俺がポークビッツの体を触れるように逆立ち煽りは行われていたりもする。 触りなれた筈の腰まわりは骨ばっていて、少し不健康なイメージを与えるぐらい。 鉄棒をくるりと回ると、シャンプーのフローラルな香りが鼻腔に流れ込む。 俺の楽しみはこの瞬間に収束しているかもしれなかった。 もちろん、それだけというわけでもない。 一人で出来たわけでも無いのに、「えっへん」と自慢するその様子も楽しみの一つである。  至福のひと時が終わると、ちいさな白黒ショーは役者交代である。 何時もどおりにポークビッツに逆立ちの練習をしようって、一番離れた鉄棒まで誘導する。 マトメとおにゆりのねるとんショーの幕開けであった。 まあ、なんというか……そのショーは見ているほうには酷くつまらないのだが、マトメにそれを言ったことは無い。 「…………」 「wwwwwwwwww」  二人で見つめあいながら、マトメはくねくねしたり、笑い出したり……別の意味ではつまらなくは無いのだけれど、逆にそのもどかしさがいらいらしたりもする。 その様子は稀に、付き合いはじめたばかりの恋人のように見える時があって、羨ましいと感じるのは素直に認めざるを得ない。  結局その様子がずうーっと続いて、出来すぎたタイミングでチャイムが鳴る。 「あッッ、チャイム鳴ったッッッッ!!」 「ああ、そうだな……」  解りきったことばかりの繰り返される日常。 終わりを示すチャイムが、今日だけはその繰り返しを邪魔しているような気がしてすこし恨めしくなった。 「俺……今日は寝るわ」 誰かに向けていった一言は、すでに居ない三人に届くはずも無い。 だのに土臭い風がふいて、それがどこかの誰かへ届けるという幻想を希求しているのが馬鹿らしかった。  結局眠れず、かすれかけた雲を眺めていると、ポツポツという冷たい雫が降って来る。 「しょうがないよ、これも日常なんだからさ」  何処からか聞こえた一言は、まるで心を読よんでいるかのようだったが、その声の持ち主だけは判らなかった。