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【プロ野球】 岡田監督 ナインに辞意 V逸の責任取る 2008年10月12日 紙面から 一時は逆転したものの、再逆転されて横浜に破れさえない表情の岡田監督=横浜スタジアムで(北田美和子撮影)  阪神・岡田彰布監督(50)が電撃辞任することが11日明らかになった。巨人に最大13ゲーム差をひっくり返されてのV逸の責任を取って辞任する。既に同日までに南信男球団社長に辞意を伝え、横浜戦(横浜)の試合前にミーティングの場でも選手に伝えた。球団は慰留する方針だが、本人の意思は固い。翻意できない場合は内部昇格を軸に後任監督の人選に当たる。  衝撃的なV逸から一夜明け、さらなる激震が走った。留任が既定路線だった岡田監督が突如、ユニホームを脱ぐことになった。既に南社長には辞意を伝えてあり、この日、自らの口で選手にその決意を語った。  理由は巨人によもやの逆転優勝を許したことだ。悠然と首位を走っていたシーズン半ば、知人に優勝旅行の日程や過ごし方や、秋季キャンプの構想を話していた。球団とも補強について検討を重ねている。来季への意欲を見せていたが、追い上げられるにつれ周囲には「しんどいわ」と漏らすことも多くなった。  その手腕は坂井信也オーナーも高く評価。球団としては続投が既定路線で、シーズン中に幾度も本人と話し合いを持ち、CSあるいは日本シリーズ終了後に正式要請する方針だった。それだけに、唐突な辞任申し入れには戸惑いもある。南社長は「あす(12日)球場(スカイマーク)で話をします」と話すにとどまった。だが、本人の決意は固い。CS、日本シリーズまで指揮は執るが、翻意は難しい状況だ。  もともと監督の職に固執していなかった。「家のローンも終わっているし、オレには1円の借金もない。いつ辞めてもいいし、何もしなくても35年は食べていける」と話していた。また「岡田家の男は早死になんや。この前、1人だけ60歳になった親せきがいるけど、ほとんどが60歳までに死んでいる。オレもいつ死んでもいい。やり残したことはない」とも口にしている。父の勇郎さんは55歳で亡くなり、岡田監督自身、50歳を迎えた今年は寿命も意識するようになっていた。私欲はない。監督を務めたのも、ひとえに愛する阪神を勝たせたい、強くしたいのいちずな思いからだった。  選手の特性、適性を見抜く能力は人一倍高い。先発だった久保田、藤川をリリーフに回し、鉄壁のJFKトリオを完成。2005年の本塁打王で、フリーエージェントで広島から獲得した新井を長打ではなく、つなぎの3番に徹しさせた。言葉では「ホームランなんて打たんでええ」といい、開幕2カード目の広島戦(広島)では激しいブーイングと厳しい内角攻めで苦しむ新井にヒットエンドランのサインを出した。4番だった広島時代には考えられないサインで、球団関係者は「あれで新井の意識が変わった。広島では王様でも、ここでは違うということをな」と明かしている。  05年には中日と激しく争った末に、セ・リーグ優勝に導いた実績の持ち主。球団は慰留に努めるが、翻意できなければ平田2軍監督、広沢打撃コーチ、木戸作戦兼バッテリーを軸に後任人事を、内部昇格で模索することになる。 http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/npb/news/CK2008101202000140.html

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