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岡田監督に直撃インタビュー(第1回)」(2006/06/25 (日) 01:58:13) の最新版変更点

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岡田監督に直撃インタビュー(第1回)①  安芸キャンプを打ち上げた岡田監督に直撃インタビュー。2年ぶりの優勝、日本シリーズでの4連敗。これらに監督は「これが岡田野球よ」と真正面から答えた。  1回目は、米へのポスティング移籍を求め、球団との初交渉が12月2日に決まった井川への思いのすべてなどを語る。  ―1年間お疲れさん。  「ありがとう」  ―いきなりやけど、監督は井川という存在をどう見ている?  「一番勝てるピッチャー。それだけや。この何年間そうだったし、今季(13勝)にしても、下柳が井川の上(15勝)を行くなんて、だれが思ってた?」  ―確かにだれも思わんかったわなあ。  「これは考え方の問題。年間にチームが消化する1300イニングのうち、井川は200イニング投げてくれるんやで。それも4年も5年も続けて年間のローテを守り通してくれてる。 6分の1を投げるということは、(先発6人と仮定して)数字からいけばリリーフがいらないくらい投げてる計算になる」  ―『なんで井川をエース扱いするんや』という声もある。  「“扱い”やなくて、エースなんよ。何勝するか、なんてのは後からの話よ」  ―8月31日、9月6日の中日戦とか日本シリーズ初戦とか、大事なところで勝てないイメージがあるんやなあ。  「よくそう言われるんやけど、二回や三回の序盤で『きょうはあかんなあ』いうようなピッチャーもおるけどな、井川は絶対に五回までは投げ切りよるよ。そんな見方をなんでせえへんのかな。 何勝したら、ということではないんよ。五回までに4点も5点も取られるようなピッチャーは、200イニング絶対に行けへんもん」  ―星野SDは『(メジャーへ)もう行かしちゃれ』と言った。しかし岡田監督の思いは『井川は手放さん』で変わらんということやね。  「(気持ちに)何にも変わりはない」 岡田監督に直撃インタビュー(第1回)②  ―日本シリーズが終わって3週間。今、振り返ってどう?  「やった気がせえへんわ(笑)」  ―こっちも見た気がせんわ(笑)。冗談はさておき、初戦の初回に赤星が出塁、2球目にスタートしたのに鳥谷がファウル。そこで流れをつかめんかった。  「本当は初球にスチールのサインを出したんや。けど、行けんかった。しかもストライク。ボールやったら0―1からの2球目、鳥谷は手を出さんかったんやけどね。そういうことが、だんだんとずれていった」  ―日程の不利もいろいろ言われたけど。  「それは最初から分かってたことやん。ただ(準備期間中の)失敗はあった。シーズンが終わって、ちょっと休んでから安芸で調整しようと思ってたんやけど、移動もせなあかんし、宮崎でフェニックスリーグもあったりで結局、妥協してもうた部分がある」  ―短期決戦ならではのキーマンが出てくる展開にならんかった。  「一番迷ったんは初戦。DHで浜中をどうしようかという…」  ―右の清水やったけど、DHの使える千葉で使う手はあった。  「使うとすればそこしかなかったんやけどね…。そやけどシーズン中に、満足に野球できんかった選手を使いたくなかったんよ。周りはどう思うか分からんけど(チームの)中の人間にすれば、 やっぱり1年間やってきた選手が日本シリーズという最後の大舞台に上がるのが当たり前やし、それによって浜中も来年以降『ちゃんと守れるようにならんとアカン』と思ってくれるはずよ」  ―外から見ても分からない部分か…。でも第3戦、同点の四回一死満塁で、里崎のショートゴロ。微妙な判定でゲッツーにできんかった。下柳も激しく抗議した。 それでも監督は動かんかった。あそこは監督が猛抗議することで、ナインを鼓舞するとこやったと思うけどなあ。  「フォースプレーは審判の見方やもん。あれで行っとったら毎試合行かなあかんようになる。そんな場面での勝負やないんよ。あのプレーが何で出たかということ。満塁にせんかったらええんよ。まずそこ(が問題)や。もっと冷静に野球をせんと」  ―それでもファンや選手には、目に見えることでしか分からんときもある。事実、9月7日の中日戦は、岡田監督の猛抗議で歴史に残る試合になった。  「あのとき、ほんまは…」  (第2回に続く)

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