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代打亀山


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92年に訪れた最大の屈辱

 85年に日本一を遂げた後も、岡田はチームリーダーとして働いた。ただ、フル出場が信条だったバットマンにも、次第に力の衰えが見え始める。最大の屈辱となった日が訪れた。

 中村勝広が3年目の指揮を執った92年4月25日、ナゴヤ球場での中日戦。1点リードの5回1死満塁。この試合、岡田は5番から7番に降格されていた。先発でクリーンアップを外れたのは、6番に下げられた84年9月23日巨人戦以来。これだけでもプライドは傷ついた。その上、この絶好機に、中村から代打に亀山努を告げられた。

 ベンチは静まり返り、ネット裏の記者席は騒然となった。引退後、タレント活動をする亀山は「僕自身も驚いた。右太もも肉離れでテーピングしてたし、まさか岡田さんの代打だとは思わなかった」と振り返った。代打を送られたのは91年9月21日大洋戦(甲子園)以来だったが、この時は5点リードの9回で状況が違った。試合も序盤で、勝負のかかる場面での代打は初めてだった。投ゴロでベンチに戻った亀山が「すいません」と頭を下げると、岡田は「お前のせいやない」と答えている。

 シーズン17試合目でチーム10勝に到達。13試合でクリアした76年以来、16年ぶりの4月10勝でチームが加速する中、ただ1人、岡田にはモヤモヤしたものが残った。試合後、名古屋駅近くのホテルに帰った岡田は荒れに荒れた。

 その夜、岡田の自室にはベテランを含めた選手、チーム関係者の数人が集まった。酔いも手伝って、岡田は代打を出されたことに不満をもらし、その場にいた者に当たり散らした。その時、主力だった中西清起(現投手コーチ)が口走った。「プロなんだから、打てないのは岡田さんが悪い!」。当然のことを言われると、目をひんむいた岡田は、飲み残した灰皿代わりの缶ビールを、中西に向かって投げつけた。岡田本人ではなく、関係者も暴れた。勢い余って部屋のドアを蹴りまくって破損させ、後に球団はホテル側から50万円の修理代を請求された。

 92年は新庄剛志、亀山ら若手台頭でチームは優勝争いを演じた。世代交代の狭間で決断を迫られた中村とは早大の先輩後輩だったが、ここから溝ができた。2人を知る吉田義男は「岡田も将ともなれば、勝(中村)の気持ちも理解してくれると思う。今後の勝負ではもっと厳しい決断を迫られる。それを乗り越えていってほしい」といった。翌93年オフには戦力外通告を受け、それにとんでもない“事件”が絡んだ。(敬称略)

【編集委員・寺尾博和】


2003年11月5日付紙面掲載

(日刊スポーツ)