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■「黄金子供」における座敷童子の基本的な設定
・「家」に寄生する日本の妖怪、元は童神。作品に登場する座敷童子もその一族。
・日本人の生活様式が「家」に定住しなくなったので、「人」に寄生するようになった。
・自分を庇護してもらう礼として、寄生した「人」の運気を操作し、「富」を与える。
・人の世界に潜り込む方法は、主に不慮の事故で亡くなったりした子供になりすます。
・元々「童子」の妖怪だから、大人になれない。
ある程度周りに合わせて見かけを成長させる事はできるが、「性差」を出す事ができないので
限界が来たら寄生した人間から離れる。
タイムリミットは15歳前後。
・成長できない事が隠し通せなくなった時点で、その姿を放棄する。
方法は神隠しに遭う、殺す等、怪しまれないように自然に存在を消す。
■栄養該当本「1/0/0/0/年/生/き/て/も」における吉良の基本的な設定
・人間が「何かを望む心」から生まれた存在。吉良もその一族。
・色々な国の伝承に登場する「幸せを運ぶ子供」。ある島国では「座敷童子」とも呼ばれているが、
実は「家」に寄生する訳ではなく、元々「人」に寄生する存在。
・人の望みを叶える為に生まれた種族なので、寄生した人間の望みを叶える。
(「望み」なので「富」とは限らない)
・人の世界に潜り込む方法は、周りの記憶を操作する。
・幸せを運ぶ「子供」である為、大人になれない。
詳しい説明はなく、「子供」だから16歳までしか人間の形を取る事が出来ないと書かれている。
よって、タイムリミットは16歳の誕生日。
・16歳になったら寄生した人間の元を離れる。去る時に周りの人間全ての記憶を消す。
栄養本の基本設定の説明箇所で、ひっかかった部分を抜粋します。
「またある小さな島国では「座敷童子」という名前まで付いてるらしい。だが実際には少しだけ異なる。
座敷童子は家に寄生をすると言われているが、吉良達は人間に寄生をするのだ。」
この部分が、ラレを知っていた上での言い逃れのように感じるのですが…。
以下は読み比べた上で自分が感じたことも書き足してますが、
内容を知らない方への補足になればと思い、なるべく初めに感じたひっかかりとして
そのまま上げてます。
【特に被り方が怪しい設定・表現方法】
■人の「強く望む心」に引かれて寄生する
・「黄金子供」→交通事故で家族を亡くした子供の強く家族を望む心に引かれ、
その子供の死んだ双子の姉になりすまし(元々居た存在)、その子供に寄生する。
・栄養→事故で両親を亡くした明日欄の強く家族を望む心に引かれ、
明日欄の1つ下の弟になりすまし(元々は居ない存在))周りと明日欄の記憶を操作、明日欄に寄生する。
栄養の本文に、
「16歳になったらその(寄生している)人の傍を離れ、新しく「何かを望む人間」の傍へと跳んでいく。」
とあるが、「黄金子供」の方で、寄生先から新しい寄生先へ童子が移動する際のビジュアル表現が、
まさしく「跳んでいく」ように描かれている為、このビジュアルが先に頭にあった為、言葉にした結果
上のような文章になったように思えます。
でないと普通「跳んでいく」といった言葉は出にくい気がします。
また、ラレ作品では、座敷童子が取り憑く事を、「寄生する」という言葉で表現しているのですが、
この言い回し自体も特殊に感じるので(普通なら「取り憑く」と表現しそう。)、栄養本でも同じ言い回しが
出てくるのところもひっかかります。
※ただし、寄生する時のシチュエーション(物語冒頭)は
・「黄金子供」→交通事故の直後、事故現場にて。
・栄養→明日欄の両親の葬儀にて。
という違いがあります。
■人に触れると、その人間の欲しいものがわかる
・「黄金子供」→双子の片割れに化けた座敷童子が自分達を引き取りたいと申し出た伯母さんに触れられた時
「保険金」「遺産」「金」といった欲望が流れ込んでくるシーンで、「金」「金」「金」といった
文字が乱舞しているといったビジュアル的表現あり。
その時、目を回した座敷童子が「た…単純だ…すごくわかりやすい…」というセリフを言う。
・栄養→パ/ト/リ/ッ/クの叔父夫婦に引き取られる明日欄と吉良。以下本文抜粋。
「パ/ト/リ/ッ/クの弟だというヴ/ェ/ル/ナ/・/ザ/ラはそれでも一応愛想を浮かべて二人の頭を撫でた。
―金、金、金……
ヴ/ェ/ル/ナの「願うもの」が伝わってくる。わかりやすいな、と吉良はこっそり笑った。」
これもラレ作品のビジュアル表現に引っ張られて文章を書いてしまっているように思えます。
■寄生した人間への望みの叶え方
どちらも、単純に「寄生した人間に富を与える」訳でなく、ワンクッション置いているのが特殊かと。
・「黄金子供」→寄生した生き残りの双子の弟の「欲しいもの」が、双子の姉(一緒にいてくれる家族)だった
為、その望みを叶える為に自分達を養育する親類の大人たちに間接的に「富」を与える。
・栄養→寄生した明日欄の「欲しいもの」が、家族だった為、その望みを叶える為に自分達を養育する叔父夫婦に
間接的に「富」を与える。
ラレとの違う点は、ラレ側の座敷童子があくまで「富」を与える能力に限定されているのに対して、
栄養は「望むものを与える」能力なので、「富」とは限らないと言ってるころです。
でも、どちらも寄生した人間が子供な為、生活の保障を求めて結局周りの大人に「富」を授けるところは
結果的に同じ。
■寄生先を変えたら、以前の記憶を失う
・「黄金子供」→本来、一つの存在に執着は持たないように出来ている、と座敷童子本人からの発言あり。
(明記されていないが、執着を持ってしまうと人から人へ渡り歩けないからと暗に言っているようにとれる)
その為、自分が以前どういう人間であったかは、姿を変えると殆ど忘れてしまう。
その話を聞いた狂言回し役のキャラが「短い期間で転生してるようなものか」と発言している。
・栄養→以下該当部分を本文より抜粋。
(上記の通り、16歳までしか人間の姿でいられないとの説明の後)
「そして生まれ変わる。吉良が生まれ変わった瞬間、今まで吉良と共にいた人物の、吉良に関する
記憶は全て失われる。吉良自身も過去の記憶を失う。」
また、その理由はストーリー中、吉良が明日欄への恋愛感情に気付いた時に
「人間の望みを叶える筈の存在である自分達が、一人の人間に固執するなど、あってはならないことであった。」
と説明している。
ここまで、主に栄養本の冒頭プロローグ5pを見た上での設定の類似を上げてみました
印象としては、ラレ作品が一つ一つの設定に、何故そのキャラがそう考えるのか、
そういう行動を取るのか等の意味付けがある事に対して
p数の制限もあってか、(本自体は90pほどの短編)栄養本には「そういう設定だから」で済ませてる部分が多いと感じました
1000年生きても…ラレ作品:G/o/l/d/e/n/ C/h/i/l/d/(漫画)
*■「黄金子供」における座敷童子の基本的な設定
・「家」に寄生する日本の妖怪、元は童神。作品に登場する座敷童子もその一族。
・日本人の生活様式が「家」に定住しなくなったので、「人」に寄生するようになった。
・自分を庇護してもらう礼として、寄生した「人」の運気を操作し、「富」を与える。
・人の世界に潜り込む方法は、主に不慮の事故で亡くなったりした子供になりすます。
・元々「童子」の妖怪だから、大人になれない。
ある程度周りに合わせて見かけを成長させる事はできるが、「性差」を出す事ができないので
限界が来たら寄生した人間から離れる。
タイムリミットは15歳前後。
・成長できない事が隠し通せなくなった時点で、その姿を放棄する。
方法は神隠しに遭う、殺す等、怪しまれないように自然に存在を消す。
*■栄養該当本「1/0/0/0/年/生/き/て/も」における吉良の基本的な設定
・人間が「何かを望む心」から生まれた存在。吉良もその一族。
・色々な国の伝承に登場する「幸せを運ぶ子供」。ある島国では「座敷童子」とも呼ばれているが、
実は「家」に寄生する訳ではなく、元々「人」に寄生する存在。
・人の望みを叶える為に生まれた種族なので、寄生した人間の望みを叶える。
(「望み」なので「富」とは限らない)
・人の世界に潜り込む方法は、周りの記憶を操作する。
・幸せを運ぶ「子供」である為、大人になれない。
詳しい説明はなく、「子供」だから16歳までしか人間の形を取る事が出来ないと書かれている。
よって、タイムリミットは16歳の誕生日。
・16歳になったら寄生した人間の元を離れる。去る時に周りの人間全ての記憶を消す。
栄養本の基本設定の説明箇所で、ひっかかった部分を抜粋します。
「またある小さな島国では「座敷童子」という名前まで付いてるらしい。だが実際には少しだけ異なる。
座敷童子は家に寄生をすると言われているが、吉良達は人間に寄生をするのだ。」
この部分が、ラレを知っていた上での言い逃れのように感じるのですが…。
以下は読み比べた上で自分が感じたことも書き足してますが、
内容を知らない方への補足になればと思い、なるべく初めに感じたひっかかりとして
そのまま上げてます。
【特に被り方が怪しい設定・表現方法】
*■人の「強く望む心」に引かれて寄生する
・「黄金子供」→交通事故で家族を亡くした子供の強く家族を望む心に引かれ、
その子供の死んだ双子の姉になりすまし(元々居た存在)、その子供に寄生する。
・栄養→事故で両親を亡くした明日欄の強く家族を望む心に引かれ、
明日欄の1つ下の弟になりすまし(元々は居ない存在))周りと明日欄の記憶を操作、明日欄に寄生する。
栄養の本文に、
「16歳になったらその(寄生している)人の傍を離れ、新しく「何かを望む人間」の傍へと跳んでいく。」
とあるが、「黄金子供」の方で、寄生先から新しい寄生先へ童子が移動する際のビジュアル表現が、
まさしく「跳んでいく」ように描かれている為、このビジュアルが先に頭にあった為、言葉にした結果
上のような文章になったように思えます。
でないと普通「跳んでいく」といった言葉は出にくい気がします。
また、ラレ作品では、座敷童子が取り憑く事を、「寄生する」という言葉で表現しているのですが、
この言い回し自体も特殊に感じるので(普通なら「取り憑く」と表現しそう。)、栄養本でも同じ言い回しが
出てくるのところもひっかかります。
※ただし、寄生する時のシチュエーション(物語冒頭)は
・「黄金子供」→交通事故の直後、事故現場にて。
・栄養→明日欄の両親の葬儀にて。
という違いがあります。
*■人に触れると、その人間の欲しいものがわかる
・「黄金子供」→双子の片割れに化けた座敷童子が自分達を引き取りたいと申し出た伯母さんに触れられた時
「保険金」「遺産」「金」といった欲望が流れ込んでくるシーンで、「金」「金」「金」といった
文字が乱舞しているといったビジュアル的表現あり。
その時、目を回した座敷童子が「た…単純だ…すごくわかりやすい…」というセリフを言う。
・栄養→パ/ト/リ/ッ/クの叔父夫婦に引き取られる明日欄と吉良。以下本文抜粋。
「パ/ト/リ/ッ/クの弟だというヴ/ェ/ル/ナ/・/ザ/ラはそれでも一応愛想を浮かべて二人の頭を撫でた。
―金、金、金……
ヴ/ェ/ル/ナの「願うもの」が伝わってくる。わかりやすいな、と吉良はこっそり笑った。」
これもラレ作品のビジュアル表現に引っ張られて文章を書いてしまっているように思えます。
*■寄生した人間への望みの叶え方
どちらも、単純に「寄生した人間に富を与える」訳でなく、ワンクッション置いているのが特殊かと。
・「黄金子供」→寄生した生き残りの双子の弟の「欲しいもの」が、双子の姉(一緒にいてくれる家族)だった
為、その望みを叶える為に自分達を養育する親類の大人たちに間接的に「富」を与える。
・栄養→寄生した明日欄の「欲しいもの」が、家族だった為、その望みを叶える為に自分達を養育する叔父夫婦に
間接的に「富」を与える。
ラレとの違う点は、ラレ側の座敷童子があくまで「富」を与える能力に限定されているのに対して、
栄養は「望むものを与える」能力なので、「富」とは限らないと言ってるころです。
でも、どちらも寄生した人間が子供な為、生活の保障を求めて結局周りの大人に「富」を授けるところは
結果的に同じ。
*■寄生先を変えたら、以前の記憶を失う
・「黄金子供」→本来、一つの存在に執着は持たないように出来ている、と座敷童子本人からの発言あり。
(明記されていないが、執着を持ってしまうと人から人へ渡り歩けないからと暗に言っているようにとれる)
その為、自分が以前どういう人間であったかは、姿を変えると殆ど忘れてしまう。
その話を聞いた狂言回し役のキャラが「短い期間で転生してるようなものか」と発言している。
・栄養→以下該当部分を本文より抜粋。
(上記の通り、16歳までしか人間の姿でいられないとの説明の後)
「そして生まれ変わる。吉良が生まれ変わった瞬間、今まで吉良と共にいた人物の、吉良に関する
記憶は全て失われる。吉良自身も過去の記憶を失う。」
また、その理由はストーリー中、吉良が明日欄への恋愛感情に気付いた時に
「人間の望みを叶える筈の存在である自分達が、一人の人間に固執するなど、あってはならないことであった。」
と説明している。
ここまで、主に栄養本の冒頭プロローグ5pを見た上での設定の類似を上げてみました
印象としては、ラレ作品が一つ一つの設定に、何故そのキャラがそう考えるのか、
そういう行動を取るのか等の意味付けがある事に対して
p数の制限もあってか、(本自体は90pほどの短編)栄養本には「そういう設定だから」で済ませてる部分が多いと感じました
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まだほんの冒頭のみなんですが、検証してみての感想
これはあくまで私が読み比べてみた印象なんで、余計な事でしたら以後控えます
ストーリーの被りはこれから検証を進めますが、明らかに設定はWパロ表記が必要な被り方だと思います
しかも「座敷童子」を「幸せを運ぶ子供」と言い換えたり、
上でも指摘しましたが、わざわざ「ある島国では「座敷童子」と呼ばれる事もあるようだが、実際は少し違う」
といった言い訳のような説明があったりと、
元ネタがバレないように改ざんしようとして、逆に元ネタを強く意識しているように見えるフシが感じられます。
そういった変更点もなく、素直に設定を使いまわしてWパロ表記がないのなら、
(例えばラレの「座敷童子」という呼び名をそのまま引用していたり)
逆にうっかり表記漏れ、という言い訳も理解できるんですが、
意識的に「座敷童子」を「幸せを運ぶ子供」と言い換えたりしているところ等に、
逆に指摘されたら「設定被りは偶然です」と言える様に、心の準備をしていたような意図を感じるのはうがちすぎでしょうか
また、何故今ごろこのお話(初出は95年)と思ったんですが、
(ラレ作品は、商業だけど、長いシリーズの初期の作品。ラレさん自体もずっと追っかけてるファンの方以外は、名前は知ってても
あまり作品を読んだことはない方が多いのでは、という位の知名度かと思われます)
ラレ作品の文庫版が発行されたのが今年の2月頃、
栄養本の発行が今年の5月というのはタイミングが良すぎに思えるのですが…
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