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インドネシア」(2005/10/10 (月) 18:38:25) の最新版変更点

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<dl> <dt> 【戦争】「あらゆる手段で武器を渡した」インドネシア独立の為に戦った日本人“逃亡兵”の話<br> より</dt> </dl> <hr> 1名前:時をかけるメイドさんφ★[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:02:21ID:???0 <p> 独立六十周年を迎えたインドネシアと日本がどのような関係を持っていたのか。<br> その歴史を学ぼうと、ジャカルタ日本人学校(JJS、桐生直校長)小学部六年生は七日、<br> インドネシア独立戦争に参加した宮原永治さん(八三)を講師として招き、独立戦争当時の話を聞いた。<br> <br> 宮原さんは一九二二年台湾生まれ。第二次世界大戦で出兵し、四五年、インドネシアで敗戦を迎えた。<br> 「(インドネシアを)独立させてやらなければ、自分の人生は真っ暗闇になる。否が応でも助ける」と誓い、<br> 日本へは帰らず、インドネシア人とともにオランダ軍と戦う道を選んだ。<br> <br> 一九四五年九月から四六年にかけ、ジャカルタから日本へ向かった帰還船に乗らず、インドネシアに残留した元日本兵は約千人。<br> 日本が降伏し、インドネシアを再支配したオランダ軍との独立戦争でゲリラ戦を戦い約半数が戦死した。<br> <br> 子どもたちは、石居さんの話や日々の学習を基に、頭に浮かんだ疑問を宮原さんに直接ぶつけた。<br> <br> 「独立戦争時代は何を食べていましたか」「軍事訓練とはどんなものだったのですか」<br> 「銃弾の痕はありますか」「独立に協力しているのに、日本からは『逃亡兵』と言われて、どんな気持ちでしたか」。<br> <br> 「逃亡兵」の質問に、宮原さんは<br> 「敗戦直後、武器をインドネシア側に渡さないよう連合軍から厳命されていた。<br> しかし、日本人としては、何としてもインドネシア側に武器を渡したかった。<br> 日本兵は、(インドネシアの独立を支援するために)あらゆる手段でインドネシア人に武器を渡した。<br> こっそり渡したり、川に捨てた武器をインドネシア人に拾わせた。<br> 日本政府が、私たちを脱走兵、逃亡兵として扱ったことは苦肉の策としてやったと理解した。<br> それなら、逃亡兵で、我慢しようと思った」<br> <br> 一九九一年、一部の残留日本兵に日本政府から軍人恩給一時金が渡され、<br> 「逃亡兵」の汚名が初めて正式に返上された。<br> インドネシア政府からは、独立戦争を戦った「愛国の志士」としてゲリラ勲章が贈られ、<br> 南ジャカルタ・カリバタなど各地の英雄墓地に埋葬されることが約束されている。<br> <br> 「戦争とは、殺すか殺されるかということ。ただ、こういうことがあったということを分かってほしい」<br> <br> <a href="http://www.jakartashimbun.com/top.shtml" target= "_top">http://www.jakartashimbun.com/top.shtml</a></p> <hr> 2名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:02:53ID:BLrB+Lil0 <p>2なら自民党政権崩壊!</p> <p> 3名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:03:37ID:Q9UekVJX0</p> <p>3なら政権交代</p> <p> 4名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:05:09ID:G9zfIm0G0</p> <p>4なら菅直人復活<br> <br></p> <p> 5名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:05:18ID:Sop1Iz42O</p> <p>2げって<br> <br></p> <p> 6名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:06:25ID:urNpJCIt0</p> <p>6なら俺のチンコ見せてやる<br> <br></p> <p> 7名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:00ID:eh4ZLswC0</p> <p>7なら池田先生が国主<br> <br></p> <p> 8名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:49ID:qM2EFRd60</p> <p>映画化決定!<br> プレミアショーにデビ夫人は来ないでね。<br></p> <p> 9名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:50ID:XAIpR4Nk0</p> <p> あらゆる手段でっていうから来て見れば、「こっそり渡した」って・・・<br> <br></p> <p> 10名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:09:07ID:A4tsmOac0</p> <p>10<br></p> <hr> 17名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:10:51ID:FZp3MGRf0 <p>&gt;&gt;9<br> いまだに言えないこともあるんだよ、、、<br> <br> マラリヤで死ぬことがわかった兵士が、自分弾丸を死ぬほど飲み込んだり<br> 腹を一度裂いて短銃をつめこんだりして、オランダ軍の監視のきびしい地域に、<br> 現地人に自分の死体を埋葬させるふりをして、銃器をもちこんだりまでしてるのに、、、</p> <hr> 47名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:30:36ID:GvJjIglw0 <p> 連合軍から「武器を『破棄』せよ」と命令が来たが『破壊』せよ<br> ではなかったので、完全に整備した上で川の右岸に「捨てる」と、<br> 対岸の茂みで待っていたインドネシア独立軍が、日本兵が立ち去った<br> 後に川を渡河してみんな持っていった<br></p> <hr> 55名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:34:28ID:ZwZo+SdF0 <p>&gt;&gt;2-10<br> あたりが凄まじいことになっている件について。</p> <hr> 51名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:33:09ID:FBF/ueYtO <p>オランダについて戦った日本人もいたんだろ?<br> 悲しい事に日本人同士で戦う事に</p> <hr> 52名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:33:26ID:aOvqEha80 <p>間違ってる認識かもしれないけど<br> 戦時中の人たちはやっぱり<br> アジアを欧米から開放するって意識で戦ってたのかな?<br> 誰か教えて</p> <hr> 57名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:36:07ID:t3B5SMun0 <p>&gt;&gt;52<br> 一応そういうお題目だったのは事実で、そいういう認識の人は少なからずいた。<br> しかし、国家組織として、その意識で戦ったと言えるかどうかについては、議論が要る。</p> <hr> 58名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:36:42ID:XYfESkhe0 <p>&gt;&gt;51<br> そんなやつは、おらんだ</p> <hr> 59名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:37:27ID:Oiz47aKg0 <p> 「ここに武器を捨てるから拾うなよ。絶対拾うなよ。」とかやった</p> <hr> 60名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:38:05ID:aOvqEha80 <p>&gt;&gt;57<br> そういう認識の人がこの日本兵のわけね・・・<br> 建前=開放<br> 本音=侵略<br> なのかな?</p> <hr> 61名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:38:04ID:85L747Xz0 <p>&gt;&gt;52<br> 間違ってない。<br> そのとおり。<br> だから現地の人間も日本兵に協力した。<br> <br> それを歪めて報道し、教育しているのが中国の情報戦に踊らされている戦後の自称知識人</p> <hr> 71名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:45:04ID:LRT4OY4Y0 <p>&gt;&gt;67<br> インドネシアの学校では小学校の頃から、独立戦争に参加した日本軍の事を教えてる。<br> <br> <a href="http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html" target= "_top">ttp://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html</a></p> <hr> 72名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:46:07ID:dpiwsjYXO <p>旧軍が開戦から快調に南進できたのは<br> これが解放戦争・独立戦争の意味を<br> もっていたからだ<br> <br> と水木先生の本で知った。ふはっ!</p> <hr> 82名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:55:10ID:dqi0Qm8O0<br> &gt;&gt;78 <p>大本営陸軍部なんかは今村中将の温情政策に対して<br> 「現地人を甘やかすな」と何度も通達してるしね。</p> <p>でも他の占領地区よりも治安が安定してるのを見て<br> 渋々黙認していたとか。</p> <p> 上層部の指導通りにやってた地区は抗日ゲリラ多発で四苦八苦。</p> <hr> 87名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:59:21ID:dqi0Qm8O0 <p>  今村の軍政方針は、自身が起案した「戦陣訓」の「皇軍の本義に<br> 鑑み、仁恕の心能(よ)く無辜(むこ、罪のない)の住民を愛護す<br> べし」に則ったものであった。<br> <br>  たとえば、敵が破壊した石油精製施設の復旧に、民衆は全力を挙<br> げて日本軍に協力した。今村は石油価格をオランダ時代の半額とし、<br> 民衆は石油が安く使えると喜んだ。<br> <br>  また日本では衣料が不足して配給制となり、ジャワで生産される<br> 白木綿の大量輸入を申し入れてきた。しかし、白木綿を取り上げた<br> ら、現地人の日常生活を圧迫し、さらに死者を白木綿で包んで埋葬<br> する彼らの宗教心まで傷つける、と今村は考えて、日本政府の要求<br> を拒んだ。<br> <br>  今村の融和的な方針は、強圧的な軍政を行うシンガポールの日本<br> 軍幹部などから批判を浴びた。しかしその実情を調べに来た政府高<br> 官達、軍幹部は、「原住民は全く日本人に親しみをよせ、オランダ<br> 人は敵対を断念し、華僑に至っては日本人に迎合これつとめてお<br> り」、あるいは、「治安状況、産業の復旧、軍需物資の調達におい<br> て、ジャワの成果がずばぬけて良い」などと報告して、今村の軍政<br> を賞賛した。<br> <br> <a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog045.html" target= "_top">http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog045.html</a></p> <hr> 91名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:00:56ID:9EYdoZxY0 <p>&gt;&gt;82<br> <br> そうですね。<br> 南方の現地将校は、現地人から慕われた。。。。<br> しかし、中華系とかの出稼ぎ労働者に訴えられて、戦犯にされた人が多くいる。。。</p> <hr> 93名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:02:08ID:ob4WgPXB0 <p>&gt;&gt;82<br> まぁ抗日ゲリラって華僑のことだけど。<br> オランダと一緒に搾取してたから</p> <hr> 96名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:03:48ID:PQEG/lnf0 <p> インドネシアの独立宣言文の日付けは、皇紀2605年8月17日となっている。<br> <br> インドネシア独立記念式典では、今でも日本兵の姿をした人が、<br> インドネシア人たちといっしょにインドネシア独立旗(国旗)を掲げる。<br> <br> 独立戦争に参加した元日本兵たちは、インドネシア各地の<br> 独立戦英雄墓地に埋葬され、いまもきちんと敬意を払われている。<br> <br> <br> <br> 映画「ムルデカ17805」では、彼らの複雑な思いとアジア解放への情熱が描かれていた。<br> 一部の日本兵の暴虐ぶりや、大本営の身勝手さなどもよくわかる映画。<br> インドネシア国軍と政府が全面支援した映画だから、一方的な内容ではない。<br> DVDは入手可能だから、見ておくといいかも。</p> <hr> 98名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:04:54ID:2xsebnb00 <dl> <dd>&gt;&gt;92<br> 大東亜共栄圏のなかで、日本によってビルマやフィリピンが独立した時、インドネシアはそれに含まれなかった<br> その時くすぶった不満を解消するために東条首相などが自ら訪れ、視察を行うことで決してインドネシアをないがしろにはいていない姿勢を示そうとした</dd> </dl> <hr> 99名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:05:32ID:IcJxi9Rt0 <dl> <dd>「義」を感じる。<br> 打算や損得勘定で動かない日本人の義</dd> </dl> <hr> 108名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:10:56ID:t6lKt1iA0 <p>&gt;&gt;99<br> まったくだな<br> 結構、有名なユダヤ人の命を救った杉原千畝<br> <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D" target= "_top">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D</a><br> <br> 特定アジアは、WW2を振り返り<br> 日本を悪の象徴にしたがっているが、こういう事をしていた事実がある。<br> <br> 南京大虐殺なんて無い気がする。<br> 有ったとすれば、支那人の盗賊団に対抗したと言う方がしっくりくるな。<br> </p> <hr> 111名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:12:01ID:jyS6Kpii0 <p>&gt;&gt;65<br> アジアから見れば現代日本は中国様にべったりという認識だろうな。<br> これが本当にアジアを開放しにきてくれた盟主の有様かと悲しいどころの<br> 騒ぎじゃないんじゃないのか</p> <hr> 112名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:14:18ID:iEfUrXIA0 <p>第二次世界大戦って<br> <br> 日本VSアジア<br> <br> じゃなくて、<br> <br> 日本VSアジアを植民地化していた西欧<br> <br> だったんだなぁ、と改めて思った</p> <hr> 113名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:19:32ID:PQEG/lnf0 <p>「アジアを侵略した」と言って日本を責めるのは、<br> もともとアジアを侵略して植民地としていた(そして日本に奪われた)欧米諸国と<br> 中国系・朝鮮系の人々だけ。<br> 当のアジア人たちは、日本が侵略者だなんて少しも思っていなかった。<br> <br> しかし、日本の反日勢力や華僑たちの地道な活動によって、<br> 他の人たちも「残虐な日本に侵略された」と思うようになってしまった。<br> それが最大の問題。<br></p> <hr> 118名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:26:59ID:OF6xKQWi0 <p> オランダ  サンティン・アムステルダム市長 (1994年内務大臣)<br> 「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦<br> したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から<br> 追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の<br> 功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分<br> をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」<br> <br> タイ  ククリット・プラモード 元首相<br> 「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産<br> して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南ア<br> ジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であ<br> るのか。<br> それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。<br> 12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して<br> 重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床<br> に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」<br> <br> マレーシア  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員<br> 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ<br> て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。<br> しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ<br> れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教<br> 育をおこなってくれたのです。」<br> <br> インドネシア  モハメッド・ナチール 元首相<br> 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の<br> 戦争を日本が代表して敢行したものです。</p> <hr> 123名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:45:42ID:PQEG/lnf0 <p>彼らは、インドネシアのためというだけではなく<br> 日本人としてアジアの平和に貢献するために、<br> そして、後世の日本と日本人が平和に暮らせることを祈って<br> 理想のために命をかけたのだと思う。<br> <br> …日本は、こんな国になってしまった。<br> 亡くなった元日本兵たちに顔向けができない(涙)</p> <hr> 134 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月) 18:08:02 ID:02BqjJhw0<br> 独立に協力したことはまあ確かだ<br> でも 別にこいつらが何かしなくても、独立は時間の問題だったわけで、<br> 戦果には影響ない範囲でちょっと協力した程度。 <p>誇大もその逆もしてはいけないよ</p> <hr> <dl> <dt>137 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月) 18:13:03 ID:PQEG/lnf0</dt> <dd>&gt;&gt;131<br> インドネシアには、アメリカが絡んだことはありません。<br> <br> インドネシア独立戦争は、オランダ(&イギリスも少々)の軍隊が<br> 再植民地化するために駐留してきたところを、独立派市民軍が迎え撃ったものです。<br> <br> オランダは自ら手を汚さず、同じキリスト教徒のインドネシア人たちを<br> 同胞と戦わせました。<br> (インドネシア人の大半はイスラム教徒です)<br> <br> イギリス軍も、イギリス人ではなく英領インドの人々が戦場に送られました。 <hr></dd> <dt>143 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月) 18:15:20 ID:S9a9TUq4O</dt> <dd> 少なくとも他の国と違うのは日本の南進を侵略と捉えないアジア人が多いということ<br> これは侵略~略奪~破壊・搾取というそれまでの海外での戦争の在り方を日本が変えたということでもある<br> そして今は世界二位の経済大国<br> 特定アジア以外のアジアの人が日本に向ける尊敬はこういう面から生まれる<br> <br> 先祖・英霊に報いるためにも我々の世代も身を引き締めないといけない <hr></dd> <dt>149 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月) 18:27:05 ID:Af0wU9Hj0</dt> <dd> <p> >日本政府が、私たちを脱走兵、逃亡兵として扱ったことは苦肉の策としてやったと理解した<br> <br> 安倍ちゃんの言った言葉を思い出した。<br> 「日本人の生命を1人たりとも疎かにしないことが、『右翼』というのなら、<br> 私は右翼と呼ばれても構わない」<br> ちと違うんじゃという人もいるかもしれないが、<br> 心情的には通ずるものを感じる。</p> <hr> <p><br> <br></p> <p><br> <br> <br></p> <p>2005.10.10 Written by Spica</p> </dd> </dl>
<dl> <dt> 【戦争】「あらゆる手段で武器を渡した」インドネシア独立の為に戦った日本人“逃亡兵”の話</dt> <dt>より</dt> </dl> <hr> 1名前:時をかけるメイドさんφ★[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:02:21ID:???0 <p> 独立六十周年を迎えたインドネシアと日本がどのような関係を持っていたのか。<br> その歴史を学ぼうと、ジャカルタ日本人学校(JJS、桐生直校長)小学部六年生は七日、<br> インドネシア独立戦争に参加した宮原永治さん(八三)を講師として招き、独立戦争当時の話を聞いた。<br> <br> 宮原さんは一九二二年台湾生まれ。第二次世界大戦で出兵し、四五年、インドネシアで敗戦を迎えた。<br> 「(インドネシアを)独立させてやらなければ、自分の人生は真っ暗闇になる。否が応でも助ける」と誓い、<br> 日本へは帰らず、インドネシア人とともにオランダ軍と戦う道を選んだ。<br> <br> 一九四五年九月から四六年にかけ、ジャカルタから日本へ向かった帰還船に乗らず、インドネシアに残留した元日本兵は約千人。<br> 日本が降伏し、インドネシアを再支配したオランダ軍との独立戦争でゲリラ戦を戦い約半数が戦死した。<br> <br> 子どもたちは、石居さんの話や日々の学習を基に、頭に浮かんだ疑問を宮原さんに直接ぶつけた。<br> <br> 「独立戦争時代は何を食べていましたか」「軍事訓練とはどんなものだったのですか」<br> 「銃弾の痕はありますか」「独立に協力しているのに、日本からは『逃亡兵』と言われて、どんな気持ちでしたか」。<br> <br> 「逃亡兵」の質問に、宮原さんは<br> 「敗戦直後、武器をインドネシア側に渡さないよう連合軍から厳命されていた。<br> しかし、日本人としては、何としてもインドネシア側に武器を渡したかった。<br> 日本兵は、(インドネシアの独立を支援するために)あらゆる手段でインドネシア人に武器を渡した。<br> こっそり渡したり、川に捨てた武器をインドネシア人に拾わせた。<br> 日本政府が、私たちを脱走兵、逃亡兵として扱ったことは苦肉の策としてやったと理解した。<br> それなら、逃亡兵で、我慢しようと思った」<br> <br> 一九九一年、一部の残留日本兵に日本政府から軍人恩給一時金が渡され、<br> 「逃亡兵」の汚名が初めて正式に返上された。<br> インドネシア政府からは、独立戦争を戦った「愛国の志士」としてゲリラ勲章が贈られ、<br> 南ジャカルタ・カリバタなど各地の英雄墓地に埋葬されることが約束されている。<br> <br> 「戦争とは、殺すか殺されるかということ。ただ、こういうことがあったということを分かってほしい」<br> <br> <a href="http://www.jakartashimbun.com/top.shtml" target= "_top">http://www.jakartashimbun.com/top.shtml</a></p> <hr> 2名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:02:53ID:BLrB+Lil0 <p>2なら自民党政権崩壊!</p> <p> 3名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:03:37ID:Q9UekVJX0</p> <p>3なら政権交代</p> <p> 4名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:05:09ID:G9zfIm0G0</p> <p>4なら菅直人復活<br> <br></p> <p> 5名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:05:18ID:Sop1Iz42O</p> <p>2げって<br> <br></p> <p> 6名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:06:25ID:urNpJCIt0</p> <p>6なら俺のチンコ見せてやる<br> <br></p> <p> 7名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:00ID:eh4ZLswC0</p> <p>7なら池田先生が国主<br> <br></p> <p> 8名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:49ID:qM2EFRd60</p> <p>映画化決定!<br> プレミアショーにデビ夫人は来ないでね。<br></p> <p> 9名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:07:50ID:XAIpR4Nk0</p> <p> あらゆる手段でっていうから来て見れば、「こっそり渡した」って・・・<br> <br></p> <p> 10名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:09:07ID:A4tsmOac0</p> <p>10<br></p> <hr> 17名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:10:51ID:FZp3MGRf0 <p>&gt;&gt;9<br> いまだに言えないこともあるんだよ、、、<br> <br> マラリヤで死ぬことがわかった兵士が、自分弾丸を死ぬほど飲み込んだり<br> 腹を一度裂いて短銃をつめこんだりして、オランダ軍の監視のきびしい地域に、<br> 現地人に自分の死体を埋葬させるふりをして、銃器をもちこんだりまでしてるのに、、、</p> <hr> 47名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:30:36ID:GvJjIglw0 <p> 連合軍から「武器を『破棄』せよ」と命令が来たが『破壊』せよ<br> ではなかったので、完全に整備した上で川の右岸に「捨てる」と、<br> 対岸の茂みで待っていたインドネシア独立軍が、日本兵が立ち去った<br> 後に川を渡河してみんな持っていった<br></p> <hr> 55名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:34:28ID:ZwZo+SdF0 <p>&gt;&gt;2-10<br> あたりが凄まじいことになっている件について。</p> <hr> 51名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:33:09ID:FBF/ueYtO <p>オランダについて戦った日本人もいたんだろ?<br> 悲しい事に日本人同士で戦う事に</p> <hr> 52名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:33:26ID:aOvqEha80 <p>間違ってる認識かもしれないけど<br> 戦時中の人たちはやっぱり<br> アジアを欧米から開放するって意識で戦ってたのかな?<br> 誰か教えて</p> <hr> 57名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:36:07ID:t3B5SMun0 <p>&gt;&gt;52<br> 一応そういうお題目だったのは事実で、そいういう認識の人は少なからずいた。<br> しかし、国家組織として、その意識で戦ったと言えるかどうかについては、議論が要る。</p> <hr> 58名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:36:42ID:XYfESkhe0 <p>&gt;&gt;51<br> そんなやつは、おらんだ</p> <hr> 59名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:37:27ID:Oiz47aKg0 <p> 「ここに武器を捨てるから拾うなよ。絶対拾うなよ。」とかやった</p> <hr> 60名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:38:05ID:aOvqEha80 <p>&gt;&gt;57<br> そういう認識の人がこの日本兵のわけね・・・<br> 建前=開放<br> 本音=侵略<br> なのかな?</p> <hr> 61名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:38:04ID:85L747Xz0 <p>&gt;&gt;52<br> 間違ってない。<br> そのとおり。<br> だから現地の人間も日本兵に協力した。<br> <br> それを歪めて報道し、教育しているのが中国の情報戦に踊らされている戦後の自称知識人</p> <hr> 71名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)16:45:04ID:LRT4OY4Y0 <p>&gt;&gt;67<br> インドネシアの学校では小学校の頃から、独立戦争に参加した日本軍の事を教えてる。<br> <br> <a href="http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html" target= "_top">ttp://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html</a></p> <hr> 72名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:46:07ID:dpiwsjYXO <p>旧軍が開戦から快調に南進できたのは<br> これが解放戦争・独立戦争の意味を<br> もっていたからだ<br> <br> と水木先生の本で知った。ふはっ!</p> <hr> 82名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:55:10ID:dqi0Qm8O0<br> &gt;&gt;78 <p>大本営陸軍部なんかは今村中将の温情政策に対して<br> 「現地人を甘やかすな」と何度も通達してるしね。</p> <p>でも他の占領地区よりも治安が安定してるのを見て<br> 渋々黙認していたとか。</p> <p> 上層部の指導通りにやってた地区は抗日ゲリラ多発で四苦八苦。</p> <hr> 87名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)16:59:21ID:dqi0Qm8O0 <p>  今村の軍政方針は、自身が起案した「戦陣訓」の「皇軍の本義に<br> 鑑み、仁恕の心能(よ)く無辜(むこ、罪のない)の住民を愛護す<br> べし」に則ったものであった。<br> <br>  たとえば、敵が破壊した石油精製施設の復旧に、民衆は全力を挙<br> げて日本軍に協力した。今村は石油価格をオランダ時代の半額とし、<br> 民衆は石油が安く使えると喜んだ。<br> <br>  また日本では衣料が不足して配給制となり、ジャワで生産される<br> 白木綿の大量輸入を申し入れてきた。しかし、白木綿を取り上げた<br> ら、現地人の日常生活を圧迫し、さらに死者を白木綿で包んで埋葬<br> する彼らの宗教心まで傷つける、と今村は考えて、日本政府の要求<br> を拒んだ。<br> <br>  今村の融和的な方針は、強圧的な軍政を行うシンガポールの日本<br> 軍幹部などから批判を浴びた。しかしその実情を調べに来た政府高<br> 官達、軍幹部は、「原住民は全く日本人に親しみをよせ、オランダ<br> 人は敵対を断念し、華僑に至っては日本人に迎合これつとめてお<br> り」、あるいは、「治安状況、産業の復旧、軍需物資の調達におい<br> て、ジャワの成果がずばぬけて良い」などと報告して、今村の軍政<br> を賞賛した。<br> <br> <a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog045.html" target= "_top">http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog045.html</a></p> <hr> 91名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:00:56ID:9EYdoZxY0 <p>&gt;&gt;82<br> <br> そうですね。<br> 南方の現地将校は、現地人から慕われた。。。。<br> しかし、中華系とかの出稼ぎ労働者に訴えられて、戦犯にされた人が多くいる。。。</p> <hr> 93名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:02:08ID:ob4WgPXB0 <p>&gt;&gt;82<br> まぁ抗日ゲリラって華僑のことだけど。<br> オランダと一緒に搾取してたから</p> <hr> 96名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:03:48ID:PQEG/lnf0 <p> インドネシアの独立宣言文の日付けは、皇紀2605年8月17日となっている。<br> <br> インドネシア独立記念式典では、今でも日本兵の姿をした人が、<br> インドネシア人たちといっしょにインドネシア独立旗(国旗)を掲げる。<br> <br> 独立戦争に参加した元日本兵たちは、インドネシア各地の<br> 独立戦英雄墓地に埋葬され、いまもきちんと敬意を払われている。<br> <br> <br> <br> 映画「ムルデカ17805」では、彼らの複雑な思いとアジア解放への情熱が描かれていた。<br> 一部の日本兵の暴虐ぶりや、大本営の身勝手さなどもよくわかる映画。<br> インドネシア国軍と政府が全面支援した映画だから、一方的な内容ではない。<br> DVDは入手可能だから、見ておくといいかも。</p> <hr> 98名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:04:54ID:2xsebnb00 <p>&gt;&gt;92<br> 大東亜共栄圏のなかで、日本によってビルマやフィリピンが独立した時、インドネシアはそれに含まれなかった<br> その時くすぶった不満を解消するために東条首相などが自ら訪れ、視察を行うことで決してインドネシアをないがしろにはいていない姿勢を示そうとした</p> <hr> 99名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:05:32ID:IcJxi9Rt0 <p>「義」を感じる。<br> 打算や損得勘定で動かない日本人の義</p> <hr> 108名前:名無しさん@6周年[sage]投稿日:2005/10/10(月)17:10:56ID:t6lKt1iA0 <p>&gt;&gt;99<br> まったくだな<br> 結構、有名なユダヤ人の命を救った杉原千畝<br> <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D" target= "_top">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D</a><br> <br> 特定アジアは、WW2を振り返り<br> 日本を悪の象徴にしたがっているが、こういう事をしていた事実がある。<br> <br> 南京大虐殺なんて無い気がする。<br> 有ったとすれば、支那人の盗賊団に対抗したと言う方がしっくりくるな。<br> </p> <hr> 111名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:12:01ID:jyS6Kpii0 <p>&gt;&gt;65<br> アジアから見れば現代日本は中国様にべったりという認識だろうな。<br> これが本当にアジアを開放しにきてくれた盟主の有様かと悲しいどころの<br> 騒ぎじゃないんじゃないのか</p> <hr> 112名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:14:18ID:iEfUrXIA0 <p>第二次世界大戦って<br> <br> 日本VSアジア<br> <br> じゃなくて、<br> <br> 日本VSアジアを植民地化していた西欧<br> <br> だったんだなぁ、と改めて思った</p> <hr> 113名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:19:32ID:PQEG/lnf0 <p>「アジアを侵略した」と言って日本を責めるのは、<br> もともとアジアを侵略して植民地としていた(そして日本に奪われた)欧米諸国と<br> 中国系・朝鮮系の人々だけ。<br> 当のアジア人たちは、日本が侵略者だなんて少しも思っていなかった。<br> <br> しかし、日本の反日勢力や華僑たちの地道な活動によって、<br> 他の人たちも「残虐な日本に侵略された」と思うようになってしまった。<br> それが最大の問題。<br></p> <hr> 118名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:26:59ID:OF6xKQWi0 <p> オランダ  サンティン・アムステルダム市長 (1994年内務大臣)<br> 「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦<br> したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から<br> 追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の<br> 功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分<br> をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」<br> <br> タイ  ククリット・プラモード 元首相<br> 「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産<br> して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南ア<br> ジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であ<br> るのか。<br> それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。<br> 12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して<br> 重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床<br> に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」<br> <br> マレーシア  ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員<br> 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ<br> て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。<br> しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ<br> れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教<br> 育をおこなってくれたのです。」<br> <br> インドネシア  モハメッド・ナチール 元首相<br> 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の<br> 戦争を日本が代表して敢行したものです。</p> <hr> 123名前:名無しさん@6周年[]投稿日:2005/10/10(月)17:45:42ID:PQEG/lnf0 <p>彼らは、インドネシアのためというだけではなく<br> 日本人としてアジアの平和に貢献するために、<br> そして、後世の日本と日本人が平和に暮らせることを祈って<br> 理想のために命をかけたのだと思う。<br> <br> …日本は、こんな国になってしまった。<br> 亡くなった元日本兵たちに顔向けができない(涙)</p> <hr> 134 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月) 18:08:02ID:02BqjJhw0<br> 独立に協力したことはまあ確かだ<br> でも別にこいつらが何かしなくても、独立は時間の問題だったわけで、<br> 戦果には影響ない範囲でちょっと協力した程度。 <p>誇大もその逆もしてはいけないよ</p> <hr> <dl> <dt>137 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月)18:13:03 ID:PQEG/lnf0</dt> </dl> <p>&gt;&gt;131<br> インドネシアには、アメリカが絡んだことはありません。<br> <br> インドネシア独立戦争は、オランダ(&イギリスも少々)の軍隊が<br> 再植民地化するために駐留してきたところを、独立派市民軍が迎え撃ったものです。<br> <br> オランダは自ら手を汚さず、同じキリスト教徒のインドネシア人たちを<br> 同胞と戦わせました。<br> (インドネシア人の大半はイスラム教徒です)<br> <br> イギリス軍も、イギリス人ではなく英領インドの人々が戦場に送られました。</p> <hr> <dl> <dt>143 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月)18:15:20 ID:S9a9TUq4O</dt> </dl> <p> 少なくとも他の国と違うのは日本の南進を侵略と捉えないアジア人が多いということ<br> これは侵略~略奪~破壊・搾取というそれまでの海外での戦争の在り方を日本が変えたということでもある<br> そして今は世界二位の経済大国<br> 特定アジア以外のアジアの人が日本に向ける尊敬はこういう面から生まれる<br> <br> 先祖・英霊に報いるためにも我々の世代も身を引き締めないといけない</p> <hr> <p>149 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/10(月)18:27:05 ID:Af0wU9Hj0</p> <p> >日本政府が、私たちを脱走兵、逃亡兵として扱ったことは苦肉の策としてやったと理解した<br> <br> 安倍ちゃんの言った言葉を思い出した。<br> 「日本人の生命を1人たりとも疎かにしないことが、『右翼』というのなら、<br> 私は右翼と呼ばれても構わない」<br> ちと違うんじゃという人もいるかもしれないが、<br> 心情的には通ずるものを感じる。</p> <hr> <p><br> <br></p> <p><br> <br> <br></p> <p>2005.10.10 Written by Spica</p>

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