桃春@Wiki 満州国


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

【中国】黒竜江省鶏西市で日本語ブーム 旧満州の日本語教育を受けた人がきっかけに

より

1 名前:諸君、私はニュースが好きだφ ★[] 投稿日:2005/10/06(木) 18:29:54 ID:???0
 ロシア国境に近い中国東北部の都市が、日本語教育に沸いている。
旧満州で日本語教育を受けた中国人男性が設立した日本語学校から、
卒業生らが次々に独立して新たな学校を開設。中国各地から入学者が
相次ぐようになった。日系企業の進出で日本語のできる人材の需要が
高まる中国で「言葉を身につけるなら鶏西へ行け」と言われるほどに
なっている。
 ロシア国境まで約70キロ。黒竜江省鶏西市は人口約200万人の炭鉱
都市だ。冬には零下30度近くまで冷え込むこの都市にある日本語学校
は16校。いずれも私立校で、1~2年のコースに年間約6700人が学ぶ。
(中略)
 この天立外国語学院を設立したのは、地元の公立中学の校長を務めた
金天一(チン・ティエンイー)さん(72)。戦前の旧満州の小学校で日本語
教育を受けた。
 戦後は戦争映画などで日本軍の残虐行為を見て、一時期日本人を敵視した。
しかし、北京で実際に日本人と接して、科学技術を発展させた日本に好感
を持ち、42歳で再び日本語を独習し始めた。84年に同校を開いた。
 同校の卒業生はこれまで1万1000人以上。市内に次々と新設された
日本語学校の大半は、同校の卒業生や教師が開いたものだ。「貧しい
出稼ぎの若者が日本語を身につけることで豊かになって欲しい」と金さん。
 鶏西市教育局によると、学費や宿舎など日本語教育関連の売り上げは
年1億元以上で、すでに一大産業になりつつある。地元は「鶏西日本語
教育」をブランドとして中国全土に売り込むほか、日本語学校を集中させた
開発区を建設する計画も立てている。

※全文はソース元をご確認ください。
ソース(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/1006/007.html

97 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/06(木) 20:40:25 ID:yuSTB5050
デジタル東洋事情
          「満州人」は健在か?
                        深田祐介 週間新潮 2000.6.1号
▽「悠揚迫らざる賢人」
 東北三省に住む民族は昔、「女真族」といい、十七世紀の「満州族」を経て、現在は「満
族」と称されている。戦前に日本が植民地帝国を立ちあげ「満州」と名づけたのは、そん
なに見当違いの命名ではない。
 この民族の特色は男女とも大柄で背が高く、民族性も悠揚たるところがあり、しかし同
時に鋭い観察眼も備えている人物が少なくない点だろう。

 私が敬意とともに思い出す典型が二代目満州国総理、張景恵である。
張は日露戦争直前、東北部を占拠したロシア人の暴虐、残酷な性癖を見聞し、激しいロシ
ア憎悪の感情を抱き、張作霖とともにロシア軍後方部隊を襲撃し、徹底して日本軍に協力
した。張作霖爆殺事件の際九死に一生を得た張景恵は、満州国建国から敗戦に至るまで「老
獪不敵」と呼ばれ、大物ぶりを発揮した。

 日本は次官、部長級のポストを掌握し、事実上満州国の経営にあたるのだが、張はそう
いう日本人の「指導」を平然と許容していた。
 そして張は、建国後十年、満州帝国の国家財政を十六倍に伸ばし、鉄道を六千キロから
一万二千キロへ、石炭生産量を四倍にする一方、百三十万人いた阿片吸引者を絶滅させる。
 ロシア人よりは日本人のほうがよほど扱いやすいと思っていたらしく、満州国の役人が
「日本人が実権を握っていてなにもできない」と歎くと、
「日本人ほど便利な民族はないではないか、地位さえ与えておけば、安月給で夜中まで働
く」という秀抜な警句を吐いて、大笑したという(元外務次官黄白太喜夫氏談)。
 この一言は、日本民族の、肩書きに異常に拘る狭量の民族性を皮肉って、今日なおきわ
めて痛烈に響く。

101 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/06(木) 20:42:42 ID:yuSTB5050
張景恵は演説中に草稿の字が読めなくなると、平気で壇を降り、原稿を書いた秘書のと
ころに訊きに行ったりする大物ぶりを随所に発揮しつつ、敗戦の折りに又鋭い警句を放つ。
「日本の軍隊は世界一強いが、戦争も政治のとりひきのうちで、負け戦を五分か七分で食
い止めることを知らない」(松本益男秘書)。
 恐らく張景恵は、ロシアよりはましな日本と組んで、七分ぐらいの利益を引き出せれば
十分と考えていたのであろう。

▽「プロ革」を越えて
 中国では「文化大革命」のことを「プロレタリア革命」と呼び、略して「プロ革」と呼ぶ。
 あの革命運動は要するに共産主義の「プロレタリア独裁」の原点に戻り、インテリに
代表される不純分子を排撃しようとしたキャンペーンだから、「プロ革」という呼称が正
しいに違いない。このキャンペーンがカンボジアに輸出され、「眼鏡をかけている」こと
などが糾弾の対象になり片端から殺害され、その数二百万人に及ぶというが、この事実か
ら見ても文化大革命とはインテリ文化排除の運動だったことは間違いない。

 大連に長い某商社のS氏は、
「戦前、ここには大連一中、二中、三中、大連商業や旅順工大もあった。だから日本語が
できる人は多かったし、中国では一番の親日都市だった。この点は今も変わらないが、
プロ革のときは日本語のできる人たちはスパイ扱いされたりして大変だったようです」と語る。
「どの日本の学校にも少数ながら満人がいて、その方たちは日本の学校、特に医学関係へ
進学されるケースが多かった。そして帰ってきて、病院や開業医をされていたんですが、
プロ革のときは、紅衛兵に襲われるのを恐れて、自ら志願して、内陸部の無医村などへ行
って医者をされていたらしい。大連にいたら家族までねらわれますからね」

105 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/06(木) 20:46:09 ID:yuSTB5050
現地で熟年の女性経営者のAさん、Bさんにお目にかかったが、日本語はほとんど日本
人同様で、A女史などは「どう、私の日本語、東京弁でしょう」などと自慢してみせるほ
どの実力者だが、それでも「プロ革」のときは苦労したようだ。

 Aさんは
「私はプロ革前、小学校五年から学校で日本語習ってたのよ。沙河口小学校っていうんだ
けど、あれが東北の伝統だと思うの。それで大連八中でも日本語やってたから、日本語に
は自信があった」
 なにしろAさんは貫禄たっぷり経営者だが、家は日本家屋に住んで三代目で、今でも畳
の部屋を使っているし、ベッドは柔らかいのは嫌だから、普通のベッドに畳を載せそこに
布団を敷いて寝起きしているという、代々の日本愛好者なのである。
「私は大連を離れたくないから、大連外国語学院日本語学科へ行きたかったんだけど、プ
ロ革のおかげで急に日本語は北京外国語学院でしか教えないなった。それで北京へ行って
日本語勉強して、通訳になってから大連に戻ってきた。大連でまあ、日本相手の商売して
いるんだけど、最近はちょっとえらくなっちゃって日本語喋る機会が減っちゃって、まず
くなっちゃったなあ」
そう云って豪快に笑う。

109 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/06(木) 20:48:59 ID:yuSTB5050
B女史の場合はもっと深刻である。
「父は北海道の大学出ているし、母は長春の日本の女学校出ているから、家風というか、
家の空気は日本的だったのよ。それで私も妹も日本語を勉強したいと思っていた。けど父
が日本の大学を出ているとかそんなことで、プロ革のときは睨まれてね、私は大学にゆけ
ずに三年間、下放されて田舎での強制労働をやらされた。なかなか大連に戻れなかった。
戻ってきた頃には大連の外国語学院の日本語科も復活していたんだけど、タンアン(共産
党関係の人事調査票)が悪かったんでしょうね。落第してしまった。やっとのことで夜学
のほうの日本語科にもぐりこんで、昼間働きながら日本語勉強したんですよ」

 旧満州の張景恵は「ロシア人よりは日本人のほうがまだましだ」と考え、満州国建国に
協力したのだが、今の満州族は日本についてどう考えているのだろうか。
「商売の上で、支払い期限を延ばしてくれとか、納品が遅れるとか、そういう話は当然出
てくる。そのとき私は日本人が相手なら無条件でOKする。あとはダメよ。中国人も韓国
人も信用しない。父はね、本当に信頼できるのは北方国、北の人間だというけれど、具体
的に云えば日本人以外は私は信頼しない。日本人との信頼の上に私の商売は成立している
のよ」
 B女史は父親譲りの、北海道訛りの残る日本語でそう云ってはばからない。
「北の人間、東北の人間と日本人だけが世界で一番信頼できる人種なのよ。南はズルイ人
間が多いからね」
「私の父は厳しくてね、家庭では日本語しか許さない。中国語喋ったら怒鳴られる。それ
で一週間に一度はカレー・ライスよ。あれ食べないと長生きできないというのよ。それに
しても日本で二百円のカレー・ルウがここでは五百円よ。高すぎると思わない」
 私はスーパー・ダイエーの商品部長にそれは伝えましょう、と云った。
 その話は次回に譲るが「大連人」「親日感情」は健在なり、と云ってよいのではなかろ
うか。

111 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/10/06(木) 20:51:00 ID:yuSTB5050
大東亜共栄圏は日本の財産だ
                                    Voice 2月号
深田: .............
 満州国のあった大連などの中国の東北部というのは、現在でも非常に親日的な地方なんです。
東北地方にある朝鮮族の民族学校では、中学生になると外国語として日本語か英語を選ぶのですが、
日本語を選ぶ人が非常に多い。

 そのため東北地方は日本語通訳の養成地域のようになっていて、いま広東省や上海など中国各地
で日本語通訳をやっている人は、東北地方から来ている人が殆どと言ってよいほど多いのです。
 だから大連でも朝鮮族のおばさんに日本人相手の観光ガイドが多く、例えば203高地へ行くと、
乃木希典の爾霊山の石碑の前で、「皆さま、あそこに見えますのが、かの旅順港でございます。ご
覧のとおり水門が非常に迫っていて、水路は幅90メートルしかございません。」などと滔々と語
るんです。 ......

 また私が現地の女性経営者の会に行ったときは、「先生、どうしてお土産にカレールー持ってき
てくれないのよ」と言われました。彼女たちはカレーが好きで、週に一回は食べているんです。
でも日本製のカレーのルーは値段が高いから、お土産でもらうと嬉しいそうです。ほかにも、畳の
上じゃないと寝られない」というおばさんもけっこういて、不思議な親日地帯が形成されている。
それがまた彼らの食べることの糧になって、通訳をしたり、日本と貿易をやったり、旅行会社を経
営したりしている。

 そう考えると、満州国が何を残したかと言うと、やはり「親日感情」という大きな遺産を残して
いると思います。満州国建国というと、いまだに完全な悪としてとらえる向きもありますが、決し
てそうではない。現実問題として、中国における唯一最大の親日地域になっているんです。

145 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2005/10/06(木) 22:35:43 ID:pJZxdoEb0
旧満州の地の満州族は戦後強制移住させられ、集落がばらばらにさせられ、
おまけに清の時代に多くが漢化しているし、かの地で満州語を話すのはおらず、
満州族のアイデンティティってのは他族より薄いときいたが。
清時代以前に満州の地を離れ、権力側にならなかった遊牧の民がいる西方には
満州語が残っているらしい。

146 名前:名無しさん@6周年[age] 投稿日:2005/10/06(木) 22:36:23 ID:nL+wkqHF0
ビザ拡大され、日本語を覚えた彼らが
大挙して日本に流入してくるわけですね。
そして、売春・強盗・殺人・強姦・麻薬・・・
凶悪犯罪を多発させる。
外貨獲得策として、
中国政府も応援しています。。。。_| ̄|○

151 名前:名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2005/10/06(木) 23:00:45 ID:0Bxthf+P0
 >>145
共産党が天下を取ってから50年以上も経過しているからね。
文化大革命で満州国時代を知る親日派の大半は粛清されて
反日教育で育った世代が主流だから、満人と言えども今では
中国人としてのアイデンティティのほうが強くなっているだろうと思う。






 2005.10.06 Written by Spica