桃春@Wiki 軍事参議官@元帥

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前置き

最近、さまざまな方から質問をされることが多くなりました。

できるだけ詳しくお答えしたいのですが、なかなか時間やスペースの都合もあって自分の思うようにお答えすることができません。

実は、私も自分で「歴史教科書」を執筆しようとしていた経緯があり、少しばかり考えてきたことがあるのです。

これも何かの縁かと思いますので、この場をお借りして、こっそり「歴史」について簡単にまとめてみようかと思います。

(いったいどの位、時間がかかるやら。長い目で見て下さいね。)


<日本史と世界史という分け方>

まず、皆さんあまり知らないことですが、「日本史」と「世界史」というように、高校などの高等教育において「自国の歴史」と「世界の歴史」を分離しているのは日本だけなのです。

どの先進国も、小学校から高校に至るまで、教科書のなかでは人類の誕生から始まって現在に至るまでの時間を、ひとつながりの一貫した意味を持った存在として、記述しています。

そうすると、そうした歴史記述を行っている現在に至るまでの、自らの国家および国民の歴史が主体的かつ中心的にそこでは記述されることになります。

つまり、その国家・民族の歴史が同時にまた世界史でもある訳で、当然ながら、教科書は「歴史」一冊しかないのです。

これは、海外に出てみると非常に不思議に思います。

日本の歴史教育をみると、「世界史」のなかでは日本の記述が少なく、「日本史」においては世界史の記述がない、という非常にストイックな態度で貫かれています。

両者の間に、何か一貫した関係があるのか、皆さん、一度でも聞いたことがあるでしょうか?

なぜ、堂々と自らの国家・民族の「歴史的」意義を主張しないのでしょうか?

世界のなかで、声なき者は存在しないのと同じです。

もし、日本が世界で堂々と自己を主張し、真に世界史的意義のある役割を果たそうとするならば、このように自国の歴史と世界史を分離するといった、根拠のない領域区分をこそ、まず廃止するべきでしょう。

ところが、昨今の教科書論議を見ても分かるとおり、事はそう簡単にはいきません。


<戦後の教科書執筆者>

戦後、日本の歴史記述を担ったのが、マルクス主義的な唯物史観の影響を受けた「進歩的」歴史学者たちであったことは言うまでもありません。

まず、第一に先ほどの「ストイック」さの原因がここにあります。

彼らの基本的なスタンスをまとめると次の2点に要約されます。

国土および文化の徹底的破壊をもたらした第二次大戦における、あの敗戦は、

① 革命を担い進歩させるべき「市民」の不在、「市民社会」の未成熟がもたらしたものであり、

② その結果、「アジア的な封建制度」が近代にまで残存し、「ファシズム」を許容してしまった。

したがって、教科書では近代市民社会を創設するための法制度や議会が、いかにして封建的な領主によって抑圧され不成功に終わったかに強調が置かれています。

はっきりと言及されてはいませんが、基本的にプロレタリアート、なかでも完全な無産市民である、差別・抑圧された者たちに視点があるのです。

このように考えると、成熟した市民社会のもと、民主主義によって勝利を収めた西洋諸国の歴史学では取り扱うことのできない、ある「歪み」をもった異質な要素を持つものとして、日本の歴史は位置づけられてしまうことになります。

日本が独自の歩みをしていたのは確かですが、そうすると、逆に、西洋世界の方は「標準的な」発展を遂げていたことになってしまい、両者を結びつけることが原理的に不可能になってしまうのです。

大学受験にまで及ぶ「日本史」選択か、それとも「世界史」選択かといった、まったくもって不可解な区分のこれが由来です。


<明治人の時代意識>

また、問題はもうひとつありました。

日本の近代の端緒である明治を担った人々のなかにも、自分たちが「古代」国家の復興を成し遂げたのだ、という意識があったことです。

ここでいう「古代」とは、自分たちのお手本となり、モデルとすべき時代という意味で、天皇を中心とし朝廷が政治を行っていた「奈良・平安」時代を指しています。

つまり、武家が政治をおこなった「鎌倉」以降「江戸」時代に至るまでを、武士が権力を簒奪し、封建制度のもと野蛮な暴力によって支配が行われた暗黒の時代として、西洋の中世にモデルを取って比較すべき対象としてしまったのです。


<時代区分のズレ>

すると、ここに日本と西洋における重大な時代区分のズレが生じます。

その前にまず、西洋で何が「古代」や「中世」、また「近代」と考えられているかを知っておきましょう。

西洋諸国においては「古代」が時代区分の原点になっています。

エジプトやメソポタミアで誕生した文明が、ギリシアを経てローマ帝国へと受け継がれ、その覇権のもと地中海世界が統一された時代、これをヨーロッパ人は自己のアイデンティティーの基盤として位置づけたのです。

日本の歴史教科書の最大の問題点がここです。

つまり、「近代」という時代意識のなかには、「古代」帝国の復活の意識があり、西洋各国は、それぞれがローマ帝国およびその文明の継承者を自認している、ということなのです。

もはやこれは、たんなる時代区分の問題ではなく、まさに「歴史」的意義の問題であり、日本側の視野の狭さが目立ちます。

両者の時代意識を対比すると次のようになります。


西欧諸国                                     日本

古代=文明の時代

(都市国家としてのローマの建国から西ローマ帝国の滅亡まで)

紀元前753年~紀元後476年 [約1000年]


中世=暗黒の時代                               古代=朝廷政治の時代

(西ローマ帝国の滅亡から東ローマ帝国の滅亡まで)           (聖徳太子の治世から鎌倉幕府建国まで)

紀元後476年~紀元後1453年 [約1000年]                 紀元後593年~紀元後1192年


近代=復活の時代                               中世=武家政権の時代

(東ローマ帝国の滅亡から現在まで)                     (鎌倉時代から江戸時代まで)

紀元後1453年~現在      [約1000年?]                紀元後1192年~紀元後1868年


                                            近代=古代王朝復活の時代

                                            (明治維新以後)

                                            紀元後1868年~現在


一見して明らかななように、日本の古代は西洋諸国から見れば後期中世に過ぎず、世界帝国の背景となるエジプト・オリエントのような遠大なバックボーンがありません。

また、時代区分も、1000年を単位として区切られており、キリスト教的な三位一体の考えのもと、ヘーゲル哲学をも含む形で正-反-合の弁証法的な展開をするように整序されています。

日本もこれを真似しようとしたわけですが、非常に視野の狭いものになってしまっています。

さらに、空間的な視点を取ると、西ローマ帝国はカトリックやプロテスタントを産み出し新大陸へと拡大し、東ローマ帝国はギリシア正教文化とともに旧ソヴィエト支配圏へと拡大したことが分かります。

西洋諸国がなぜ中東地域にこだわるのか、その理由は、これを見ても一目瞭然です。

古代文明の発祥地である中東地域を支配することこそが、自己がローマの築いた世界帝国の後継者である証しなのです。

たしかに東西ローマ帝国は滅んだ訳ですが、その文化は形を変えて受け継がれており、その盟主が現在ではアメリカとロシアという訳です。

アメリカの中東への進出、ロシアの南下政策も石油や天然資源獲得の問題を超えて、そうした文明史的視点から見なければ理解できないことでしょう。


<日本とその世界戦略>

では、このようにイデオロギー的に強固な背景をもつ西洋諸国に対して、またアジアの一角をしめる東洋と西洋の狭間にあって、世界戦略として、日本はどのような道を取るべきなのでしょうか?

アメリカの文化的属州となるべきなのでしょうか、それとも中華文化圏の一部に組み込まれるべきなのでしょうか?

大国に対して、この島国の自己主張とは、また独立とは何なのでしょうか?


<東西文明の融合と歴史記述>

日本の歴史は西洋と東洋との融合です。

世界史的な意義をもつ、独創的な新たな文明の始まりとこれを捉えるべきでしょう。

実際、東洋的伝統を体現しつつも、これほど深く西洋を理解した民族はいませんでした。

西洋とは、聖書の伝統に立つヘブライズムおよび古典的ヘレニズムであり、また

東洋とは、仏教をつうじたインド文明および漢字を中心とした中華文明に他なりません。

日本とは、この二つの統合であり、まさにその意味において新たな文明への昇華が現在、進行中なのです。

こうした視点から、歴史記述は行われるべきであり、ここで試行してみたいと思うわけです。







(つづく)