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erabare_06

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tlanszedan

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   選ばれた者達

   No.6

   監視された少女、パーシア 3/3



 夢。
 夢を見ている。
 チャッキーと一緒に何もない草原を走っている。建物も、自動車も、道もない草原。
 パーシアは裸足にワンピースという格好で、大きなレトリバーのチャッキーと走っていた。
「待ってチャッキー!」
 視界がぼやけてくる。体の動きが緩慢となり、自分の声すらも耳に届かなくなっている……。
 チャッキーは目の前から消えてしまった。青空だった草原は急に灰色がかった空に包まれ、すぐにあたりは真っ暗となった。パーシアの意識はそこで途絶えた。

 治療室。四つの個室の治療室にはそれぞれカメラが設置され、病院の上部職員だけが入ることの許される場所にモニターされている。スーツに身を包んだ黒メガネの男。頭部にまで脱毛が進行し、後頭部に僅かに毛が残っているのみの老人。更には呼び出されていたパーシアの母の姿もあった。
 モニターにはパーシア、幼稚園児、ダックスフント、バイクのライダーがベッドに横たわっている様子が映し出されている。
「オリジナルに、試作品A、B。それと新薬の投与を施した被験者です」
 白衣の男はそれぞれのモニターの説明をした。
 三人と一匹は危篤状態だった。酸素マスクをつけられ、ベッドに固定されている。黒メガネの男は老人に話しかけた。
「この様子だと、意識を取り戻すのにどれほどかかるのだ?」
「はい。試作品Aが明日の夕方には目を覚ますと思います。続いて試作品B、被験者でしょうか。オリジナルよりも今の三体の方が能力は上回っているはずですので」
「そうか。では監視を頼むぞ。俺は用事がある」
 黒メガネの男は四つのモニターを確認した後、その場を離れた。パーシアの母も説明を受けると自宅へ帰された。老人は満足げに四つのモニターを睨んでいた。
「ふぇっふぇっふぇっ。これでもうすくこの研究も最終段階になるということじゃわい」

 翌日、パーシアの母は再び病院へ呼び出されていた。パーシアの意識が戻ったというのだ。
「え、意識を取り戻したんですか? 他の二人と一匹よりも早く?」
「ええ、そうなんですよ。とりあえず、娘さんに顔を見せてやってください」
 病室に入ると、パーシアは動かせる左手だけをベッドから出していた。視界に母の姿を捉える。
「マ、ママ?」
「ええそうよ。ママよ。ひどい事故だったようだけど、命に別状はないわ」
 状況を飲み込めなかったパーシアは、母に説明を求めていた。母は説明をした。先日登校中に道路で事故を起こしたことを。その時の幼稚園児、犬、バイクのライダーも同じ病院で治療を受けているということを。
「そうよ、その子と犬はどうなったの?」
 パーシアは心配になると、左手でしっかりと母の腕を掴んでいた。パーシアの母は嫌な顔をすると手を振り解いた。パーシアは、あっと呟くと暗い表情になった。
「危ない状態だけど、まだ死んではいないわ。きっと持ち直すんじゃないかってお医者さんは言ってる」
「そう……良かった」
 パーシアはほっとすると喉の渇きを覚えた。パーシアの母は病院に来た時に言われた通りに飲み水を用意していた。
「ほらパーシア。喉が渇いたでしょう。水を持ってきたわ」
「ありがとう、ママ」
 パーシアは一人でうまくコップを持つことが出来なかったので、母が口に持っていって飲ませてやった。パーシアは水を少しこぼしてしまったが、十分水分を取ることが出来た。
「あの、学校は……」
「ちゃんと連絡を入れておいてあるわ。あなたはしばらく絶対安静よ」
 母は安心させるように優しい声色でパーシアに答えた。パーシアは今度は金魚のことが頭に浮かんできた。
「あ、金魚達の世話もしないと。……ねえママ、金魚達にエサをあげてくれる?」
「仕方ないわね。確かに今のあなたじゃ世話は出来ないだろうしね。わかったわ、あげておくわ」
「うん、ありがとう。金魚達には一日二回、朝と夜にエサをやってね」
「はいはい、分かりました。あなたはゆっくり休んでなさい」
 母はそういうと病室を後にした。パーシアは真っ白な天井を見つめながら考えにふけっていた。あの時助けようとした幼稚園児とダックスフント、大丈夫かなあ。でも、あの子達の目、何だか冷たい感じがしたなあ……。

 母はその頃モニター室に案内されていた。時間はまだ正午にもなっていない。四つのモニターにはそれぞれの治療室が映し出され、幼稚園児、犬、バイクのライダーは依然として意識が回復していない。その様子を見ているうちに、先日の黒メガネの男が現れた。
「博士。これはどういうことかね? これも例の『予想しうる範囲での誤差』ということかね?」
「は、はい。おそらく、個体差が出ているのではと。平均値はばらばらなので、試作品Aはたまたま能力が低いものだったのかと。試作品Bはもしかしたら身体が能力を受け付けていない可能性もあります」
「ふん。まあいい」
 そして夕方。幼稚園児は目を覚ましたが、犬のほうはそのまま息を引き取っていた。バイクのライダーは未だに意識を取り戻してはいない。黒メガネの男は静かに不満感を現していた。
「博士。どうやら研究はまだまだのようだな。このような結果では上部は納得せんぞ」
「お、おかしいですね。確かに試作品Bは基準値をパスしたはずなんですが。A、Bの身体を元にもっと研究精度をあげます」
「そうすることだ。この被験者はどうなのだ? これが一番重要なのではないか?」
「は、はい。ですが、この男はもうしばらく様子を見てみないことには……」
 黒メガネの男は、老人のネクタイを掴むと顔の近くに引き寄せた。
「何年研究を続けていると思っている? そろそろ成果を出してもらわないと。こちらの資金援助も無限ではないのでね」
 手を離すと、老人は苦しそうに肩で息をした。次にパーシアの母に近寄る。
「申し訳ありませんね、奥さん。またこんなことに巻き込んでしまって。あの娘さんは大事にしてくださいよ」
「とんでもありませんわ。私、迷惑だなんて思ってはいませんから。……報酬をいただけるのでしたらいくらでもご協力いたします」
 黒メガネの男は口元に微笑を浮かべると、懐から小切手を取り出した。そこには一万ドルの記述がされている。パーシアの母はそれをしっかりと受け取った。モニター室から黒メガネの男達とパーシアの母が出て行くと、博士はモニターを見て部下に指令を出していた。
「試作品Bを解剖室へ移動したまえ。オリジナル、試作品A、被験者の血液の採取を頼む」
 病院内の一角はにわかに騒がしくなった。

 それから一週間、パーシアは信じられない回復力で、もう病院内を歩けるほどになっていた。右腕と右足の骨折、脳震盪。今では頭に僅かの包帯をし、松葉杖で歩けるまでになっている。犬の死は聞かされていたが、幼稚園児の意識が戻ったことを聞いていたパーシアは何回もその病室へ足を向けていた。バイクのライダーも同じように意識を取り戻していたが、そこへ行くのはいつも母と一緒の時で、それも一回しかいっていない。顔面骨折でしゃべることもできない状態だったからだ。
 その日は幼稚園児の病室に向かっていた。お見舞いにもらったリンゴを持って、パーシアは松葉杖をコツコツと鳴らしながら病院を歩いた。
「……お姉ちゃん、また来てくれたんだね」
「気分はどう? ほら、今日はリンゴを持ってきたよ。一緒に食べよう」
 パーシアにとって今の時間、幼稚園児は同じ事故に巻き込まれてしまった仲間だった。学校でのいじめもなく、家庭内の両親のような扱いも受けない。対等の相手として接することが出来ていた。
 幼稚園児は無表情ながらもパーシアの用意したリンゴを食べていた。
「お姉ちゃんはどうして毎日来てくれるの? それに、あの犬が死んだことをすごく悲しいといっているけど、なんで赤の他人のペットなんかに悲しみを感じるの?」
 幼稚園児の質問には感情を感じられないところもある。しかしパーシアはまだ子供だから感情がコントロールできていないのだと思い、優しく話しをしていた。
「命がなくなるというのは悲しいわ。例え知らない犬でもね。私は金魚を飼っているけど、その小さな魚でさえ、素晴らしい命を持ってるのよ。それがなくなればやっぱり悲しいわ」
「ふーん。僕、あんまり分かんないや」
 幼稚園児はあまり興味がないようなそぶりを見せている。そういえば、この子の両親は病院に見舞いに来ているのだろうか? パーシアは一週間経ったがまだ幼稚園児の両親を見たことはなかった。
「そういえばパパとママはいつも来てくれているの?」
「パパとママ? そんなの知らないよ」
 幼稚園児は不思議そうな顔をしている。パーシアは不安になった。
「え、あの時、横断歩道で一緒にいた女の人はママなんじゃないの?」
「あの人がママっていうんならママだよ。でもあの人は先生なんだ」
 先生。きっとこの子は幼稚園の先生のことをいっているのだろう。するとこの子の母親は普段は幼稚園の仕事で忙しくてここに来られないのだろうか。
「そのうちママが見舞いに来てくれるといいね」
 パーシアは優しく言った。
「別に。あの人は他の子の面倒を見るので忙しそうだもん」
 幼稚園児がそう答えると、パーシアは悲しい顔になり立ちあがった。すぐに笑顔になると、頭を撫でてやり、自分の病室に戻った。

 そして数日後、パーシアは退院した。幼稚園児とバイクのライダーはまだ入院したままだった。
 退院当日、パーシアの母はパーシアの顔を見るとはっとした。パーシアは不安になった。
「どうしたの? ママ」
「ごめんなさい。金魚の世話をするのをすっかり忘れてたわ」
「え? 一日? 二日?」
 パーシアは送迎の車の中、不安になった。母はそれから口を開こうとしなかった。
 車が自宅に到着すると、パーシアはよろよろと自分の部屋に向かった。

 空気を循環させるモーターは止まっていた。
 水は濁っていた。
 金魚達は皆、腹を水面に向けて浮かんでいた。
 全て死んでいた。

「い、いやああぁぁ!」
 パーシアはうずくまるとぼろぼろと涙を流していた。開かれたままの扉には母が冷たい目を向けていた。
「ゴメンネパーシアアナタガニュウインシテカラズットワスレテタワ」
 母の言葉はまるで機械のように無機質に感じられた。パーシアはずっと泣き続けていた。そのうち、泣き疲れていつしか眠りに落ちていった。

 目の前を小さなものが通り過ぎる。パーシアはぼんやりとそれを見つめていた。部屋の中を何かが飛んでいる。それは金魚だった。部屋の中を優雅に泳いでいる。パーシアは嬉しくなってその様子を眺めていた。……部屋の中を泳いでいるなんて。この部屋には水が詰まっているの? でも私はちゃんと息ができる。
 一匹の金魚がパーシアに振り返った。ゆっくりと近づいてくる。口をパクパクさせ、時折空気が天井に向かっていく。
「パーシア」
 その言葉は金魚が言っているように見えた。しかし不思議には思わなかった。
「パーシア。君はここを出て行ったほうがいい。誰も君を気にかけるものなんていやしない」
「なんで? 確かに学校は嫌だし、パパとママも意地悪よ。でもあなた達がいるわ」
「パーシア。僕達はもうここにはいないんだ。現実の世界を知っているだろ?」
 パーシアはそこで、今自分は夢を見ていることに気がついた。すぐに意識が戻り始め、部屋の中を泳いでいた金魚達は消えていった。
「……あっ」
 目を覚ましたパーシアはしばらく呆然としていた。時計の音だけが静かな部屋に響く。時計を見ると、夕方だった。朝一番で退院し、帰宅してからすぐに眠ってしまっていたのだ。鏡を見てみると、涙が乾いた白い跡が頬に残っている。洗面所へ行き、顔を洗うと、ダイニングへ向かった。母はいない。キッチンにも姿はなく、母の部屋にもいなかった。今、この家にはパーシアだけだった。
 先ほどの夢の金魚の言葉を思い返す。「ここを出て行ったほうがいい」この言葉はきっと自分の心の中にある思いが夢の中で出ていたのだろう。パーシアは少ない小遣いで再び金魚達を買い揃えるのは無理だと思っていた。水槽の中には今も金魚達が無残に浮かんでいる。バケツと網を用意すると、一匹一匹を掬い取った。家の鍵を持つと、バケツとシャベルを持って近くの公園に向かう。
 誰も荒らさないように、パーシアは茂みの奥に入ると、金魚達の墓を作っていった。かわいそうな金魚達の視線は空を見つめている。まるで空に泳ぎ出したくてうずうずしているようだった。
 全ての金魚達を埋葬すると、パーシアは病院へ向かった。あの子の顔を見ておこう。パーシアにとって唯一残された友達。悲しい顔は見せられない。パーシアはあの子にも早く良くなってほしかったので、つとめて笑顔を作って会おうと思っていた。

 病院内は人もまばらで静かだった。パーシアは、あの子のいる病室までまっすぐに向かった。「私は退院できたからあなたもがんばってね」というつもりだった。退院して言いといわれたのは今朝で、あの子には挨拶も出来ないまま病院から出ていたから。病室へ着くと、そっと中を覗き込んだ。
 あの子はいない。ベッドは綺麗に整頓されていて、あの子の姿はなかった。不思議に思ってうろうろとすると、一人の看護婦に出会った。
「……あの。あの部屋の幼稚園の子供、どうしました?」
「あら、あなたあの子のお友達? 残念だけど今日亡くなったわ」
 看護婦は淡々と説明すると、その場からいなくなった。

 亡くなったわ。
 亡くなったわ。
 亡くなったわ……。

 パーシアは信じられなかった。自分より回復は遅かったが、確かに順調に回復していたはずだったと。
 パーシアの知らない所で何かが行なわれている……。いいようのない不安に襲われ、パーシアは身体を震わせていた。そうしていると、病院の先生も信じられなくなり、そこにいる患者、見舞いに来ている人間の視線も怖かった。パーシアはゆっくりと病院を出て家に向かった。しかし何より怖かったのは、両親だった。金魚を死なせてしまったのになんの感情も見せない。愛犬チャッキーがいなくなってからは全てが変わってしまった。パーシアは金魚の言葉を思い出すと決心した。
「私、ここを出るよ。もうここには未練がないもの……」
 空になった水槽を一目見ると、再びこみ上げてきた涙をこらえ、小さなリュックサックに荷物を詰め込み始めた。キッチンへ向かうと、持てる限りの食料をかき集める。壁掛け時計の裏に手を伸ばし、以前、チラッと目に入った、母のへそくりを手に入れる。
 パーシアはすっかり暗くなった夜の町に飲み込まれていった。
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