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erabare_08

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tlanszedan

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   選ばれた者達

   No.8

   ステイク、忍び寄る影 2/3



 数日後、首にあったあざはすっかり消えていた。仕事の忙しさで毎日があっという間に過ぎていってしまうステイクは、そのあざのことなどすっかり忘れていた。
 休日、ステイクは近所のデパートへ買い物に出かけていた。
「えーと、書籍売り場は五階か」
 上りのボタンを押し、エレベーターの前で到着を待つ。チーンという音と共にエレベーターの扉が開いた。奥には左肩から下の腕がない霊が立っている。ステイクと目が合うと、睨み付けてきた。ステイクはなるべく気づいていないふりを装い、霊とは反対側の奥へ進んだ。ステイクの後ろには人が多く並んでおり、エレベーターはあっという間に満員になってしまう。霊の立っていた場所にも人が入ってくると、その姿はステイクの前から消えてしまった。
(うざったい連中だ……)
「えっ?」
 ステイクは今聞こえた声に反応し、辺りを見渡した。エレベーターに乗っている人達は頭上の階を示すランプに見入っており、話し掛けてきたものはいないようだった。
 すぐに五階に着くと、人ごみをかき分けてエレベーターから下りた。気のせいかと思いたかったが、さっきの声はあの腕のない霊のものだったのではと強く確信していた。今までは〈見る〉だけで〈聞こえる〉ことはなかったのだ。嫌な気分だった。

「おいステイク、最近なんだか顔色悪いぜ」
 ガソリンスタンドでの仕事中、仕事仲間にそう言われた。ステイクは気がついていなかった。
「そうかな? 体調はいいけどな」
「何言ってるんだよ。鏡見てみろ、青白い顔になってるぜ」
 スタンドを仕事仲間に任せると、ステイクは洗面所に向かった。扉を開け、洗面所にある鏡を見る。言われたとおり、ステイクの顔は多少の青白さが現れていた。目には僅かにくまが出来ており、半死人のようだった。
(いい顔じゃないか……)
 驚いて後ろを振り返るが、洗面所にはステイク一人しかいなかった。疲れているのかもしれないな。ため息をつくともう一度鏡に向き直った。鏡に映るステイクの背後の個室から男が睨みつけている。
「うわあああ!」
 洗面所を飛び出しスタンドに出ると、地面に手をついて肩で息をした。仕事仲間が心配そうにステイクの様子を見にきていた。
「おい、大丈夫か? そんなに青い自分の顔がおっかなかったのか?」
「ち、違う。中に人が……」
 ステイクはそこまで言うのが精一杯で、後ろも振り返りたくなかった。仕事仲間の一人は怪訝そうな顔をしたが、ステイクが飛び出してきた洗面所へ一人で入っていった。しばらくすると何事もなかったようにステイクの前に戻ってくる。
「誰もいなかったぜ。個室も全部空だったよ」
「……ごめん、見間違いだったみたいだ」
 ステイクは愛想笑いで仲間にごまかしていた。普通の人には見えないからいくら説明をしても納得してくれないだろう。
 その日はガソリンスタンドの洗面所を使用することはなかった。

 それからはなるべく意識しないようにはしていたのだが、頻繁に声が〈聞こえる〉ようになっていた。まだ〈見える〉くらいなら実害はないのだが、今は精神的にも追い詰められている状態だと自分でも感じていた。駅のホームで電車を待っている時には、
(お前もそこから落ちるんだ!)
 と叫んでいる声が聞こえたり、道を歩いていても交通事故で死んだ人の霊が、
(苦しい、お前も私の苦しみを味わえ……)
 と誘ってきたりと、ステイクはノイローゼ気味になっていた。このような症状は医者へ行っても治るわけでもなく、せいぜいが鎮静剤をもらえる程度だろう。ステイクは〈見える〉ことと同じでそのうちになれるだろうと思い、我慢をすることにしていた。だが慣れてはきているものの、いい気分ではなかった。
 ある時、ステイクは連休を取ることにした。気分転換のため小旅行でもしようと考えていた。なるべく静かな所がいい。人の多い所ではそれらに遭遇してしまうことも多いだろうから。

 ステイクは昔住んでいた町にあるキャンプ場へ足を運んでいた。ホテルやモーテルでは地縛霊がいると思ったからである。キャンプ場もなるべくそのような噂のない場所を選んでいた。
 時期的にキャンプ客が集まることも無く、ほぼステイクの貸切状態のようだった。食事は適当に材料を買い、バーベキューを楽しんだ。幸い天気もよく、太陽の下で木陰にテーブルを置き執筆活動をすることが出来た。
 心地よい風がステイクを通り過ぎる。深呼吸をすると体の中の悪い気が抜けていってしまうようだった。執筆に行き詰まると、ステイクは芝生の上に横になった。頭の後ろで腕を組み、空を眺める。遥か上空の雲はゆっくりと流れていた。太陽は雲に隠れ、暑くはなかった。そのうちに気分がよくなってくると、ステイクはうとうととし始めていた。



「ステイク、ここに隠れよう」
 友人がそう言って橋の下を指差す。ステイクは頷くと一緒に橋の下へもぐりこんだ。しばらくして隠れんぼの鬼だった友人が数を数えるのをやめ、こちらへ走ってくる足音が聞こえた。ステイクと友人は声を殺して身を潜めている。鬼の友人は橋の上を通りすぎると、そのまま反対方向へ走っていってしまった。二人してクスクスと笑っていた……。そして時間が過ぎ、鬼は一向に戻ってこない。ステイクと友人の二人は疲れてくると隠れがから姿をあらわした。いくら待っても鬼の友人はこない。夕方になっていたので二人は家に帰ることにした。他の友人達ももう帰っているに違いない。

 道の真中でみすぼらしい野良犬がこちらを睨んでいる。恐怖に体が縮こまっていた。素早く野良犬の横を通りぬけ、学校までの道を走り出していたが、唸り声を上げて野良犬が追いかけてきていた。あっという間に追いつかれ、ズボンの上から噛み付かれていた。焼け付くような痛みが右足を襲う。ステイクは逃げることも追い払うことも出来ないまま、その場にしゃがみこむと泣いていた。しばらくすると、通りすがりの男の人が木の棒を持って野良犬を追い払っていた。
「大丈夫かい君? 近くにお医者さんがあるから連れて行ってあげよう」

 太陽も沈みかかっている赤い空。ステイク達は時間がたつのも忘れ、まだ公園のベンチでおしゃべりをしていた。そこに薄汚れた灰色のぼろを着た男がゆっくりと近づいてくる。
「坊や達、楽しそうだねえ。おじさんになにか食べ物かお金を恵んでくれないかね」
 ステイク達ははっとしてそちらを向いた。黒ずんだ手のひらをこちらに伸ばした男が、ぼろぼろの歯を見せてにやりと笑っている。ステイク達は怖くなり一目散に公園から逃げ出していた。



 ……寒い。
 意識が戻ってくると、あたりはすっかり闇になっていた。ステイクはだるそうに身を起こした。芝生に横になりそのまま眠っていたようだ。午後三時頃に眠ってしまったからもう三時間は経っていることになる。体についている草を手で払い落とすと、表に出していた道具を貸しテントの中に入れ、飲み物を買いに出かけた。歩いて数分の場所に自動販売機があり、コーヒーを一本買うと、テントに戻る。何度か辺りを見渡したが、霊の存在は感じられなかった。
 テントに入ると、昼寝をした時に見た夢を思い出していた。……あれはまだ自分がジュニアハイスクールの頃の記憶だろう。懐かしいこの町に戻ってきたことで記憶が呼び戻されたに違いない。まだ休日はあるのだし、明日明るくなったら町を歩いてみるかな、とステイクは思っていた。そして手帳を取り出すと、見て回りたい場所をメモしていった。昔住んでいたアパート、近所の公園、友人の家、そして学校。まだ時間は午後九時程度だったが、翌日早くから歩きたいと思っていたので早く眠ることにした。昼寝もしていたので早朝に起きて出かけよう。

 まだ薄暗い中、ステイクは目を覚ました。後数十分ほどで日の出の時間だろう。荷物をまとめると、ステイクはテントを後にした。
 地図は確認せず、記憶だけを頼りに歩いてみる。よく遊んでいた公園は取り壊され、駐車場になっていた。近所の駄菓子屋はほとんどが無くなり、コンビニエンスストアやクリーニング屋になっていた。寂しさを覚えながら、公園を何ヶ所か回る。ある公園を見つけると、懐かしさが頭に浮かんだ。ここは、友人と一緒で浮浪者に会った場所だ。昔と同じベンチに座り公園内を見渡す。横に見える公衆便所が雨よけになり、浮浪者がねぐらにしていたんだっけ。そちらを見てみるが、人の気配は無かった。まさか、まだそこに住んでいるわけないか。ステイクは苦笑すると、公衆便所に足を向けた。やはりそこには人はいなかった。
 記憶に残る公園を一通り見て回ると、今度は友人の家を探してみた。仲のよかった友人の家は、今では別の家族が住んでいた。当時、友人の中でもステイクは一番最初にこの町を出ていた。ジュニアハイスクールを卒業後、ハイスクールへ通うと同時に引越しをしていたのだ。その後は何度か友人との連絡もあったが、次第に連絡も途切れ、今ではどこに住んでいるのかも分からなかった。ここはいい町だったけど、なんとなく寂しさのある町だったからな。友人達はみな出ていってしまったんだろうか。ステイクの住んでいた当時でさえ、学校の合併、クラスの少数化などが行われており、明らかに町の人口は減っていたのだ。あれから十年はたっている今のこの町はどんな町になっているのだろう。
 辺りもすっかり明るくなり、昼頃になると、ステイクは懐かしい学校へ足を向けた。もしや無くなっているのでは? と、少し不安だったが学校は存在していた。校庭では子供達が体育の授業を行っている。その姿に過去の自分を思いだし、少しの間子供達の姿を眺めていた。その姿に当時の自分を重ね合わせる。
「ちょっと、いいですか?」
 不意に肩を叩かれ振り返ると、そこには中年の女性がこちらを見ていた。細身で、小さな眼鏡をかけている。ステイクはその姿に見覚えがあった。
「……先生?」
「やっぱり、ステイク君だったのね。懐かしいわ」
 相手は担任をしてくれた学校の先生だった。握手を交わすと、先生は学校へ案内してくれた。そして午後の授業は無いこと、教員室はあまり人がいないということで、ステイクは先生の机まで案内された。お茶菓子を出されるとステイクはお礼を言って、一口お茶を飲んだ。
「お久しぶりです。今、僕は休暇を取っていて、ちょっと昔住んでいた場所に来てみたんです。先生に会えるとは思ってませんでした」
「そうですね。あれからもう十年経ってますからね」
 二人で校庭に目を向ける。言葉は聞き取れないが、やかましい子供の声がここまで届いてくる。
「十年前は僕もあそこにいたんですよね。僕があんなに小さかったなんて、今では考えるのも難しいですよ」
「声も変わって背も高くなったけど、ステイク君の顔は変わらないわね。今は何をしているの?」
「今はまだバイトの身です。……小説家を目指そうとして、数年前ひとつの作品が出版社に認められたのをきっかけに執筆をがんばっているんですけど、それだけでは生活できないのでバイトもしているんです」
「あら、あなたが小説家に? それは思っても見なかったわ。ステイク君はてっきり家の仕事を継いでいるのかと思っていたわよ。……確か、大工さんだったっけ?」
「はい。父は大工です。でも大工はいつも仕事があるわけではないし、仕事があると長期出張ということも多かったので、両親から自分の好きなことをやりなさいといわれ、一人暮しをしながら働いているんです」
「そうだったの。……でもなんとなくお父さんの仕事じゃなく、小説というのは分かる気もするわね。よく休み時間に本を読んでいたし、国語の物語の授業中は熱心だったしね」
「そんな、昔のことなんてすぐは思い出せませんよ」
 ステイクは笑って返事をした。先生はそれからしばらく黙った後、質問をした。
「そう言えばステイク君。あの病院通いはどうなったの?」
 意外な言葉にステイクは一瞬返事に困った。病院通いって、何のことだろう。
「あれ、僕病院通いしてましたっけ? それとも家族のことですか」
「忘れてるのね。ステイク君自身のことよ。ジュニアハイスクールの卒業までの二、三年くらいかしら。今は全然そんな様子見えないみたいだけど、ステイク君、ノイローゼのようになっていたじゃない」
「僕、ノイローゼになってましたっけ?」
 いくら記憶を探ってもそんな覚えは無かった。小さい時は怪我をしたり、風邪をこじらせたりして病院へ行ったことはたくさんあるが、ノイローゼのような精神的なことで病院へ行った覚えが全く無い。
「……やっぱり思い出せないです。先生、よかったら知っている範囲で教えてくれませんか?」
「そうね。私もそれほど詳しくは覚えて無いけど。話をしているうちにステイク君自身が思い出すかもね。……でももしかしたら思い出したくないことで、自分で心の中に封印しているのかもしれないわ」
 思い出したくないこと……。ステイクはその言葉に重みを感じられた。何故かは分からないが、ここで聞いてしまっていいのだろうかと。しかし先生が知っている内容を、自分は恐れているのだろうか。自分では思い出したくない程の内容を、他人が詳しく知っているとも思えない。相手が両親なら、聞きたくないことも知っているかもしれない。だが先生からの情報にそれほど警戒することもないだろう。
「お願いします。話して下さい」
「分かったわ」
 先生は席を立つとお茶を追加した。そして改めて席に座ると、机の中を探り、バインダーを一つ取り出した。そこには〈一九○○年度 ○年○組〉と記述されている。ステイクの担任をしていた頃の年だった。
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