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erabare_16

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tlanszedan

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   選ばれた者達

   No.16

   クアンと不思議なお友達 1/3



「じゃあクアン先生、また今度!」
「またね」
 小さな男の子が元気に手を振って部屋から出ていく。クアンは笑顔で男の子を見送っていた。
「クアンはいつも人気だね」
「そんなことないですよ。ただ私が子供っぽいから、あの子達も警戒心を持たないで接してくれるだけですよ」
 勤務終了後、クアンは先輩とそんな話しをしていた。内科・外科のみの診察を行っている診療所でクアンは働いている。大きな病院が近くに無いこともあり、この診療所は常に人で溢れている。子供はよく病院にいくと泣き叫んでいる場合もあるが、そんな時クアンは優しく声をかけ、子供の視点になって話しを聞いてあげていた。どんな時でも患者がいれば仕事に入らなければならない。交代制で休憩が取れるとはいっても、夜間でも完全に気が休まることはない。そんなつらい勤務だったが、クアンはその状況をつらいと思うだけでなく生きがいとしてこなしている。

 その日も先輩と話しをして診療所を出る前に、クアンは診療用具や制服、植木に挨拶をしていた。
「今日もご苦労様。また明日ね」
 先輩はそんな彼女を不思議そうに眺めている。
「本当にあなたは不思議ね。モノがお礼を言われて嬉しいのかな」
「彼らも患者さん達の為に力を貸してくれているんですよ。植木は患者さんの心を和ませてくれるし、診療用具はちゃんと治療をしてくれるし」
「あなたの擬人化には驚いちゃうわね。私なんか自分に『ご苦労様』って真っ先に言っちゃうけど」
 そんな話しをして最寄り駅に向かう。帰る方角が違うのでここで二人はお別れだ。
「じゃ、また明日」
「はい。お疲れ様です。また明日」
 先輩は軽く手を振ると、時刻表を確認し、反対側のホームへ歩き出した。クアンは電車に乗り込むと、手すりに寄りかかって夜の町を眺めた。今日も無事に患者さん達を診てあげられた。なかにはいつも怒っているような老人もいたが、人の喜ぶ顔を見れるのは嬉しかった。ふとつぶやく声が手のほうから聞こえる。手さげカバンにはクマのキーホルダーがぶら下がっている。
「おつかれ、クアン」
「ありがとう」
 人がまばらな電車内では誰の耳にも入ってはいなかったが、その声の主はクマのキーホルダーだった。クアンは微笑んでそのクマのキーホルダーの頭をなでている。
「でも、僕の声が聞ける人間なんて未だにクアンだけだからなあ。他のモノもクアンにしか話しが通じないって言ってるよ」
 クマのキーホルダーの言葉にクアンは周りを見渡すと、他に乗車している人達の手荷物からも声が聞こえるのを感じていた。
「私にもよく分からないけど。子供の頃からずっと当たり前のように聞こえていたから。でもそのおかげで優しい気持ちで今の仕事ができるんだよ。あなた達は純粋だからね」
 クアンはものに宿る魂のような存在を感じ取ることが出来た。髪の毛が伸びる人形、涙を流す石像など、世界のあちこちでは不思議な出来事として考えられている事柄もあるが、クアンは是非そのような存在に実際に会ってみたいと思っていた。会って話しをすれば何故人間に気づかれようとしているのか、それとも気づかれてしまったのかなど、謎が分かるだろうから。しかしクアンは今のささやかな暮らしにも満足しており、世間の前に自分をさらけ出すのを嫌ってもいた。ペテンのマジシャンなどと言われてしまうのが目に見えている。マスコミは残酷なのだ。だからこそ、純粋な心をもつものにクアンはほっとするのだった。
 その日はクマのキーホルダーの言葉が何となく心に残り、横になっても少しの間は寝付けなかった。なんだか何かを忘れているみたいな……。



 ……クアンちゃん、今日も遊ぼうよ。一緒に散歩に行ってくれるんでしょう?
 身長30センチメートルほどの金髪の少女がベットで眠っている少女に語りかけている。瞳はガラス玉で蒼く輝き、プラスチック製の手の平はぬくもりを持たない。その手がそっとクアンの頬に触れた。
「ん……。あ、おはよう。いつも早いんだね」
 クアンは眠い目をこすって身を起こした。枕元に座っているフランス人形はクアンが支度をするのを待っていた。着替えを済ませ、洗顔をする。パタパタとスリッパを鳴らし、窓際によってカーテンを開く。痛いくらいの陽射しがクアンの体に降り注いだ。
「わあ、すごいいい天気だよ。エリザ、散歩楽しみだね」
 エリザとは人形の名前である。クアンの両親がその人形をプレゼントした時に、箱には「名前・エリザベス」と書かれていたのだが、あまりに長く、まだ幼かったクアンには覚えられなかったのだ。つたない口調で「エ、エリ、エリザ!」と言ってからは、それがそのまま名前となっていた。
 クアンは洋服に着替え終わると、エリザを抱きかかえてダイニングへ向かった。時計は七時を指していたが、母親はすでに起きていて朝食の支度をしていた。
「あらクアン、今日は日曜日なのに早いのねえ。いつもはまだ眠っている時間でしょう」
「うん。でも今日はエリザと散歩に行く約束をしていたからちゃんと起きたんだ。……本当はエリザに起こしてもらったんだけどね」
「まあ、そうだったの」
 時々この子はおかしなことを言う。母親はそう思っていた。人形やぬいぐるみと仲良く遊んでいるのはいいが、時々不気味に感じることもあるのだ。本当に人形達が生きているかのように振舞う娘。
 いつだったか人形達は生きてはいないんだと言ってみたことがあるが、クアンは絶対に自分の主張を曲げなかった。そのうちに母の言葉に傷つき、泣き出しそうになってしまったので、その時はその話題をするのはやめにしたのだ。だがまだクアンは六歳。学校にも上がっていない少女だから人形遊びに夢中で多少夢見がちなところがあってもいいのだろう。
 朝食のトースト、サラダ、ミルクを食べ終わったクアンはエリザを抱えて玄関へ向かった。すぐに散歩に出掛けるつもりだった。
「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけてね。庭より外に出ちゃ駄目ですよ」
 小さな赤い靴をとんとんと音をさせて履くと、クアンは強い陽射しの中へ走っていった。クアンの家は中流家庭で、大きな庭まで持っていた。まだ子供のクアンにとっては、外に行かなくとも庭で遊ぶだけで十分なくらいだった。
 適当なところまで来るとクアンは芝に腰を下ろした。家のほうを振り返ると窓から母親がこちらを見ているのに気がつく。クアンは母の名を呼びながら両手を大きく振った。エリザは母親に気づかれないくらいまで離れるとクアンに向かって話し始めている。
「ねえクアンちゃん。もう少し向こうに行ってみない? 向こうに何かいるみたいなの。聞こえるわ」
 エリザは腕を上げ、植木のほうを指差す。クアンは少し困った顔になった。
「え、でも向こうまで行ったらお母さんから見えなくなっちゃうよ」
「大丈夫よ。ほんの少しの間だけだから。すぐに戻ってくれば大丈夫よ」
「……うん、そうだね。行ってみようか」
 クアンはエリザを抱え、ゆっくりと歩いていった。植木の中へ入り、暗い隙間を突き進んでいく。子供のクアンなら通り抜けられるほどの小さな抜け道だった。しばらく歩いていると少し広めの空間に出ていた。
「わあ、なんか不思議な所だね。うちの庭にこんなところがあったんだ」
「……あそこ」
 エリザは浮かれているクアンの腕の中から暗闇の先を指差した。草の上に何かがある。何かが。
 近寄ってみると、それは人形だった。捨てられてしまい、野ざらしになっていたカウボーイ人形。大きな皮のハットのおかげで、顔はそれほど汚れてはいなかった。そばの木にエリザを寄りかからせると、クアンはカウボーイ人形を持ち上げて土や砂を払った。
「結構汚れちゃってるね。でもちょっと汚れを落とせば、すぐに綺麗になるよ」
「……キミは誰なの? 僕に用でもあるの?」
 カウボーイ人形は小さな声でそう言った。クアンはちょっと驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んでいた。
「よかった。もう動けないのかと思ったけど大丈夫そうだね」
「……僕はもういいんだよ」
 カウボーイ人形は、優しい表情で微笑んでいるクアンに語りだした。自分が男の子に飽きられて捨てられてしまったこと。草木の中に捨てられ、何日も人間と会っていなかったこと。その間に草木や虫達と交わした会話のことを。人間に大事にされているうちはこの世界に未練があり人形の中にとどまっていられるが、人間の相手としての役目を終えた今、自分は新しい体を得ることが出来るということを。
 クアンには難しい話しだったが、カウボーイ人形はそんなクアンに優しく分かりやすく説明をしていた。
「だから君達人間が言う所の〈天国〉にいけるんだよ、僕は。それからまた新しい体、たとえば草木や虫達になることが出来るんだ」
「そうなの。もうそのお人形さんの体にいなくてもいいの?」
 残念そうにクアンは尋ねる。カウボーイ人形はちぎれている右腕の肩の部分、破れているズボンのすそを見せてやった。
「僕はもう十分すぎるほどこの体で生きていたんだ。男の子も大きくなってしまうまではずっと僕と遊んでくれたし。だから悲しいことなんかじゃないんだよ」
 そのやり取りをエリザはじっと見ている。
「そう、わかった。エリザとも友達になれると思ったんだけどな」
「私はクアンちゃんがいてくれればそれで幸せよ。カウボーイさん。次の新しい体になっても楽しく生きてね。草木や虫になるとしたらクアンちゃんのような主人に会うこともないだろうけど」
「キミもいずれはそうなるんだよ。その子だっていつまでも子供じゃない」
 急にカウボーイ人形は神妙な表情になった。しかしすぐにやわらかい表情になるとクアンの腕から飛び降り、エリザと位置を交代した。木に寄りかかり、エリザはクアンの腕の中に抱きかかえられる。
「僕はこの体が朽ちていく前に誰かに話しておきたかったんだ。たとえ捨てられてしまった身でも、それまでの思い出は素敵だし、これからの新しい生まれ変わった世界を考えることも出来る。中には恨みをずっと持ち続けてしまう連中もいるようだけど、僕は幸せだったということを言っておきたかったんだ。……ありがとうクアン」
 唐突にカウボーイ人形からは意思が失せていった。ふっと気が抜けてしまったようなカウボーイ人形を、クアンはじっと見ていたが、それから言葉を話すことは無かった。エリザはクアンの腕の中から周りを見ていた。
「カウボーイ人形の、魂といえるものはもうどこかへいってしまったようね。クアン? もう行きましょう」
「うん。……あの人形、幸せだったと言ってたけど、幸せでなかったというような人形もいるって言ってたね……」
「大丈夫よ。私はとても幸せだわ。クアンと一緒にいるみんなはみんな幸せよ」
 クアンはとりあえずその場ではエリザの言葉に納得し、その場から離れることにした。植木の中から四つんばいで庭に這い出ると、陽射しは真上にまで登っていた。時間の経過に気づかなかったが、すっかりお昼の時間になっているようだ。数時間はあの暗い小さな空間で過ごしていたことになる。家に向かう途中、一度後ろを振り返ったが、植木の中にあの不思議な空間があったなどとはとても信じられなかった。確かに植木地帯は広がっているが、背丈はそれほど高くなく、庭と柵の一部に生い茂っているだけだったからだ。
「なんか、夢を見ていた気分……」
「そうね。……でも私もちゃんと覚えているわよ。植木の中、カウボーイ人形の言葉を」
 エリザは安心させるようにクアンにそう言った。家に着くと、エリザはじっとした人形に戻っていた。母親はエプロンの前で手を拭くと玄関に姿を現した。
「あら、どこまで行ってたの? ちょっとした隙に見えるところからいなくなってしまったから心配したのよ。お昼の時間に遅れたらおやつ抜きにするところだったわよ」
「ごめんなさい、お母さん。お腹すいたな」
「そう、お昼の支度はもう出来ているから早く手を洗ってらっしゃい」
「はあーい!」
 元気に返事をするとクアンは手を洗いに行った。エリザは食卓のテーブルに座らされ、じっとしている。同じように別の椅子にはクマのぬいぐるみが座らされている。クアンの母親がいない間、二人は囁くように会話をしていた。もっとも、聞こえるのはクアンだけだったが、人形達は会話はいつもこっそりと行うようにしていた。



 ……朝。
 朝の陽射しの中でクアンは自然に目が覚めていた。……懐かしい夢を見たわね。あれは、確か六歳くらいの時だったかしら。今は一人暮らしで母親もエリザもいない。時々思い出すフランス人形のエリザ。今日の夢は特にはっきりとしていた。目が覚めて大分たってもまだ頭の中に焼きついている。
 クアンはまたエリザに会いたくなっていた。フランス人形のエリザ。学校に上がってからもずっと一緒だったエリザ。子供っぽいからもう人形で遊ぶのはやめなさいと母親に言われ、親戚の小さな女の子に譲ってしまったエリザ。今、エリザはどこにいるんだろう? 幸せでいるだろうか? それとも新しい命に生まれ変わったのだろうか?
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