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erabare_21

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tlanszedan

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   選ばれた者達

   No.21

   日常と非日常の狭間で、マレスター 3/3



 翌日、テレビを見ていたが、公園での暴行事件は話題にはなっていなかった。匿名で通報したので、目撃者もなく、被害者が浮浪者ということでニュースにはならないのだろう。マレスターはそれはそれでいいと思った。下手に騒がれたくはなかったから。しかしあの若者の連中がどう出るか分からない。暗がりの中、マレスターは自分の顔は相手にはほとんど見えてなかっただろうと確信していた。見ていたとしても、後半はボコボコにされたサンドバック状態の顔だったので、人相も覚えてはいまい。
 昼過ぎになり、マレスターはその公園に向かった。浮浪者は無事に運ばれたようだ。数人の警官らしきものが現場検証を行なっている。マレスターはさっさとその場を立ち去った。

 しかしその日からマレスターの生活は変わってしまった。一度戦いの味を思い出してしまったマレスターは、日常の些細な出来事に対しても怒りを感じるようになっていた。例えば信号無視をして排気ガスを撒き散らしていくバイク。例えば出発間際の電車に駆け込み乗車をし、他人を突き飛ばしていくスーツの男。
 マレスターはこの自分勝手な連中に会うたびに怒りを感じ、その感情を抑えつけていた。
 そうした思いを断ち切ろうと、マレスターは本屋で雑誌を読んでいた。旅の本だ。しばらく都会を離れるのもいいかもしれない。すると狭い本屋の中、大きなリュックを背負った男が入り込んで来た。男はきょろきょろと目当ての本を探しているようだ。マレスターはなるべく本棚に体を寄せた。まわりの人も同じように本棚に寄り、リュックの男の為に道を開けていた。男はそんなことは気にもせずずかずかと歩き、数人をなぎ倒していた。
「いたい!」
「おい、何するんだよ!」
 倒れた者がそういっているが、リュックの男はちらりと睨んだだけで態度を改めようともしない。そしてマレスターに近づいてきた。マレスターは無言のまま本棚に寄っている。男はマレスターにもぶつかった。マレスターは本棚に倒れかからないように必死でこらえたが、男はマレスターを邪魔に思うと、思い切り本棚に突き飛ばした。
「邪魔なんだよ、てめえ!」
 マレスターは本棚にぶつかり、本棚が倒れる。バタバタと本が落ち、まわりの人間は驚いてうろたえていた。マレスターはゆっくりと立ち上がると、リュックの男を正面から睨んだ。
「おい、何様のつもりかは知らんが、ここはお前だけの場所じゃないんだ」
「へ、なんか言ってるぜ。お前らが邪魔だからどけたまでのことよ。俺に指図するんじゃねえ」
 リュックの男はマレスターのシャツを掴むと顔を近づけてすごんだ。マレスターはつま先で相手の脛を蹴りつけた。突然の痛みによろけた男の耳を素早く掴むと、表に向かって歩き出した。
「いててて! て、てめえ何するんだ!」
「店の中でこれ以上暴れてもらっても困るんだよ……」
 表に出ると、マレスターは相手の耳を離した。男は真っ赤になった耳を抑えて息を荒げている。
「ゆるさねえぞ! 俺にはむかう奴は容赦しねえ!」
「俺も気が立ってるんだ。あまり怒らせるな」
 マレスターの言葉も聞かず、男はいきり立って襲い掛かってきた。正面からの右ストレート。マレスターは微動だにせずにまともにそれを受けた。男が拳を離すと、マレスターの鼻から血が滴り落ちていた。
「どうした? 怖くて動けないのか?」
 マレスターはゆっくり歩き出すと、右拳を振りかぶり思い切りストレートを叩きつけた。男の鼻が折れる感触が伝わる。男は道を転げていた。鼻が曲がり、顔中血だらけになっている。驚きの表情でマレスターを見つめていた。
「どうした! 人に迷惑をかけてきたが、自分が迷惑に巻き込まれることはなかったのか?」
「ひ、ひぇ……許して」
「甘ったれた奴だな。お前、今まで逆の立場の相手のことを考えたことなどないだろ? いい機会だ、俺が教えてやるよ!」
 ゆっくり近づいたマレスターはわき腹に蹴りを放った。男は苦悶の表情でわき腹を抑える。更に胸元に蹴りを放つと男の顔に直撃した。うずくまっている男を無理やり起き上がらせると、顎に拳を突き上げた。突き抜ける拳に、男の歯が何本か抜け落ちた。
「ひ、ひぃぃぃ! 助けて、助けて……」
「まだだ」
 更に男に攻撃を続けたマレスターだったが、しばらくしてサイレンの音が耳に入ってきた。本屋の主人が警察に連絡をしていたのだ。
 はいずって逃げようとする男を掴むと、丁度パトカーが到着した所だった。すぐに二人の警官が降りてくると、状況を判断する。血まみれの男に、それを押さえつけている男。本屋内部は本棚がいくつか倒れ、本が散乱している。
「お、おい! 二人とも動くな!」
 若い方の警官がマレスターに向かって叫ぶ。マレスターは相手を見たが、男の首根っこは離さなかった。もう一人の警官はマレスターの様子を見ると、相棒に銃を下ろさせた。
「大丈夫だ。あの人は悪い人じゃない」
 警官はそう言うと、マレスターに近づいて敬礼をした。
「マレスター名誉帰還兵殿ですね」
「……よく俺の名前を知っているな」
「もちろんですよ。あなたの武勇伝はこの町の警察仲間では有名です。もっともこいつみたいな若造で知らないって奴もいますけどね。……その男は?」
「町の害虫だ」
 ほう、と息を吐くと、警官は若い警官に合図をして手錠をはめさせた。そしてパトカーに乗せられた。
「では、ご協力ありがとうございました」
「こんな奴らを町にはびこらせるなよ。それは俺の仕事じゃなく、あんたら警察の仕事なんだからな」
「わかっています」
 警官は再び頭を下げると、その場から去っていった。本屋には別の警察が現れ、現場検証を行っている。マレスターは一言二言証言をすると、帰路についた。



 背後から何者かが近づいてくる。気配を消しているようだが、マレスターにはぴったりとつけられているのが分かった。攻撃に備えるようにして振り返ると、そこには十歳くらいの少年が立っていた。
「……俺に用か?」
「うん……。死ね」
 腰からリボルバーを引き抜いた。唖然とするマレスターに少年はまっすぐ銃口を向け、引き金を引いた。
 耳鳴りのする音と共にマレスターの肩に衝撃が走る。弾丸は貫通したが、どくどくと血が噴出していた。マレスターはその場から走り去った。少年は追いかけては来なかった。路地裏に逃げ込むと、マレスターは壁に寄りかかった。傷はふさがらず、血が流れ続けている。
「そこの兄さん。私に恵んでくれないかえ?」
 ふと気づくと、老婆の浮浪者が手を伸ばしてこちらを見つめていた。白く濁った瞳。まともにものが見えてはいないだろう。
「すまないな。今、それどころじゃないんだ……」
「冷たい人だね……。死ね」
 老婆はもう片手には果物ナイフを持っていた。マレスターが行動を起こす前に、膝にナイフをつき立てる。貫くような痛みに悲鳴を必死でこらえたマレスターは、老婆を突き飛ばすとナイフを引き抜いた。すぐにシャツを破り、傷口を縛った。フラフラとしてゴミ袋につまづき、空き缶を蹴り飛ばしながら路地裏を抜け出した。広い道に出ると、背後を振り返る。老婆は追っては来ない。しかし広い道を歩いていた歩行者達は皆恨みのこもった目でマレスターを睨んでいる。
「この前の浮浪者を救ったことといい、本屋での男を押さえつけたことといい、善人ぶっているようだがな。マレスター、お前だって戦争ではさんざん人を殺めていただろう? お前は一生罪に苛まされて生きていくしかないんだよ。それから解放されるにはお前は死ぬしかないんだ……。死ね、死ね、死ね、死ね!」
 集団は皆拳銃を取り出していた。マレスターはシャツに力をこめて弾丸を弾く鎧に変化させようとした。だがあせっているせいか、力は発動しない。集団は一斉射撃を行った。マレスターは蜂の巣になりながら痛みを感じていた。
 ……そうか、夢だな。俺の力が発動しないんだから。ぐったりしたマレスターは観念して動こうとはしなかった。集団はゆっくりと近づいてくる。マレスターはその集団が周りを囲む前に意識を失っていった。



 時計は深夜三時を指していた。うっすらと意識を取り戻したマレスターはゆっくりと起き上がり、洗面所で顔を洗った。全くひどい夢を見てしまった。少年に撃ち抜かれた肩の傷、老婆が突き刺した膝の傷、集団に撃たれ蜂の巣になった体。そんな傷は何処にもない。
 マレスターは鏡の中のげっそりした男を見るとため息をついた。
「これが、今の俺か。随分身体も心もやつれちまったなあ……」
 コップ一杯の水を飲むと、マレスターは再び横になった。まだまだ夜は明けない。今は無理やりでも眠っておいて、日が昇ってから気分を落ち着かせよう。夢の中とはいえ、戦いの場にいたマレスターの気は高ぶっていた。それに昼間の本屋の男、先日の浮浪者を襲う若者の集団。戦いの場が続いて起きたことで、マレスターは疲れきっていた。

 そして朝、マレスターは日の光で眼がさめると、画材道具を集めて自転車に乗り込んでいた。
「やっぱり、何かに夢中になっていないと、昔を思い出しちまうからな。変化のない日常に何か刺激をもたせないと、過去の亡霊に取り殺されちまうぜ……」
 マレスターは今まで行っている公園ではなく、地図を見てかなり離れた所にある湖へ向かっていた。本当なら海がよかったのだが、この都会には近くに海などない。電車やバス、タクシーを使えばいけないことはないが、人に接触するのは嫌だった。それに風を切って自転車を走らせるのはそれだけで憂鬱な気分を晴らしてくれる。画材道具を自転車のカゴでがちゃがちゃと鳴らしながら、マレスターは風を全身に受けて走り続けた。その日は快晴で太陽はマレスターを照り付けていたが、暑さなどマレスターには不快ではなかった。現実にある感覚。マレスターはかえってこの暑さに、自分は日常に存在しているんだということを実感していた。自転車を走らせていると、早くも昨夜の悪夢が色褪せて消えていくのが感じられる。

 二、三時間かけて自転車を走らせ、湖に到着したマレスターはほっとしていた。平日なのでほとんど人はいない。それに湖の周辺はところどころに木陰が出来ていて、そこにいれば風も心地よい涼しさを届けてくれる。何度か場所を変えて、数箇所でスケッチを行ったマレスターは、まだまだ子供レベルの絵をみて、まあこれからどんどん書いていけばいいものが出来るさと考えることにした。とにかく今は戦いから離れたかった。
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