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tlanszedan

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   エントシプレヒェンドバイン

   5話 森に住む者



 どのくらいの時間が過ぎたのだろう。トランスは意識を取り戻した。しかし起きているのか眠っているままなのかはっきりとは分からない。暗闇の中、ゆっくりと起きあがろうとしたが、起きあがることはできなかった。ようやく両手を動かしてみると、何か狭い所に閉じこめられているということに気付く。手探りで回りを調べてみると横一メートル、縦二メートルほどもある広さの長方形の箱のような感じで、外側から鍵がかかっているようだ。トランスは冷や汗をかいていた。どうやら自分は生きてはいるようだが、ここから出られない限り本当に死んでしまう。トランスはこの狭い空間で暴れ始めた。それ以外に方法が浮かばなかったから。
 しばらく時間が経つと、何かの足音が聞こえた。耳を澄ませているとすぐ近くまで来た足音が止まった。
「ようやく目覚めたかね?」
 すると急に視界に光が流れ込んだ。しばらくは顔をしかめていたが、すぐに目は慣れていった。どうやら時間は夜で、思ったより外は明るくはなかった。
「おはよう。今夜は満月だ。月の光を浴びるがいい。素晴らしい目覚めだろう。夜こそが我の世界だ」
 視界がはっきりしてくると、トランスの目には横に立っている人影が映った。月光に照らされたその姿は背が高く、肌の美しい房々とした金髪の男だった。さらにその身のこなしは音を立てず猫のような雰囲気をかもし出していた。おそらく先ほどの足音はわざとトランスに聞こえるようにしていたのだろう。男はトランスが起きあがるのを待つと、顔を近づけてきた。灰色の瞳が光輝いていた。両脇にたらしている長い白い手は人間の手ではない。少なくともトランスにはそう見えた。
「素晴らしいとは思わないかね? 闇の中の月は美しく、君はまだこの世に生きている。あのとき俺が助けたのだ。醜いブラド監獄の連中に君を殺させてしまうのはもったいないと思ったのでね。さあ、来たまえ」
 トランスは言われるままに灰色の瞳の男についていった。男は館の内部のことを淡々と説明した。足どりは軽く、全く物音をたてずにいる。まるで幽霊の後を追っているような奇妙な感覚だ。トランスの足音だけが響いていた。
「俺の名はベステトだ。君の名は?」
「……僕はトランス」
 トランスはあの寒気をこのベステトという男にも感じていたが、助けてもらった以上は名前を名乗るべきだと思い、そう返事をした。
「トランスか、いい名前だな。トランス、お前にはしばらくこの館に住んでもらうぞ」
 ベステトは階段を下り、一階へ向かった。トランスもその後に続くと一つの扉の前に立ち止まった。
「さあ、この部屋に入るがいい。きっといい友達になれるだろう。俺はこれから用があるのでまた明日の夜に会おう」
 そう言ってベステトはふっと姿を消した。一人取り残されるとトランスは戸惑ったが、目の前の扉を開けることにした。扉を開けると大きな窓があり、その前には小さなテーブルがある。そのテーブルの左右にはベッドが並んでいた。小さなテーブルの横には椅子があり、そこに誰かが座っていた。
「やあ。気がついたようだね」
 ベステトとは違い暖かく優しい声をかけられると、その声の主に勧められるままに近くの椅子に腰を下ろした。窓から入ってくる月明かりに移るその姿は、背が低く体が丸みを帯びていて瞳は優しそうだった。しかしよく見るとその瞳からは悲しみも見て取れた。
「君は彼……ベステトに連れてこられて、一週間は目を覚まさなかったんだよ。よほど体力を消耗していたんだね。私の名はリスタ。君と同じでブラド監獄へ連れて行かれたんだけれど、うまく護送車から逃げ出せてね。明るくなったら話をしようか」
 リスタという男はそう言うと、自分はさっさとベットで眠ってしまった。しかしトランスは目が覚めたばかりだったのでとても眠れず、ベットの中で一晩中この館やビル達について考えていた。



 翌朝、眩しい日の光の中で目が覚めたトランスは、いつのまにか自分も眠っていたのに驚きながらもリスタと一緒に部屋を出た。リスタはトランスを館の外の井戸まで案内し、顔を洗った。その後に二人は館へ戻り、朝食を取ることにした。
「へえ、食べ物もちゃんと用意してあるんだね」
「ああ。この食料や皿などはみんな彼が持って来るんだ」
 トランスは久しぶりにおいしい物が食べられて満足だったが、その本人のベステトが姿を見せないので不思議に思っていた。その様子に気がついたのか、リスタはベステトに関して話を始めた。
「どうやら彼がいなくておかしいと思っているね? ベステトは昼間は活動できないらしいんだ。……吸血鬼《ヴァンパイア》なんだよ、ベステトは」
「えっ、ヴァンパイア?」
 一瞬トランスは耳を疑った。しかし昨夜見たあの白い手、灰色の瞳を思い出すと普通の人間ではなかったとも感じていた。
「彼は夜になると森へ出かけ、食事をとるんだ。その時に私に人間の食べ物を持ってきてくれるんだ。そして夜になると彼はこの館の二階で眠るのさ。日中、私はこの館に侵入者がやってこないか見張りをしているんだ。もっとも、彼の不思議な力で誰もこの館に近づけないような力が森に作用しているので、よほどのことがない限り何者もここに来ることはできない。それは私も同じだけどね」
 リスタは水を飲みほすと椅子から立ち上がり、窓の外を眺めた。その目はなぜかベステトには憎しみを抱いていないかのようだったが、悲しい目をしていた。
「トランス君……といったね。確か君はブラド監獄から逃げ出したそうだが、もしかしたらラルファという者を知らないかね? 彼は私の身代わりになってくれた男なんだ。生きていて欲しいんだが……」
 トランスはすぐに思い出した。あの背は低く、丸まった体型の人の良さそうな顔をした仲間のことを。ビルと一緒の部屋にいて、共にブラド監獄から逃げ出し、トランスが空間移動を使ってみんなを助けたことを。
「ラルファ! 確かに僕はラルファに会ったよ。仲間達と共にブラド監獄を逃げ出したんだ。モーロアやアミュレスがいるからみんな無事だとは思うけど……」
トランスが答えるとリスタは振り返った。
「一緒にいたのか! しかしベステトは君一人しか連れてこなかったぞ。ラルファや君の仲間達はどうしたんだ?」
 リスタが訪ねるとトランスはこれまでのいきさつを順を追ってリスタに話した。ブラド監獄での生活のこと、拷問に近い重労働、仲間達との別れ、脱走のことを。リスタは黙ってトランスの話を聞いていたがとても悔しそうだった。
「あの……身代わりって何のことですか? 良かったら話してくれませんか?」
 トランスはさきほど言いかけていたリスタの言葉が気になるとリスタに尋ねた。リスタは口を開いた。
「いいでしょう。君には話してもいいでしょう。
 ……私とラルファはドリプスロバー大陸の東南に位置する国、ベルファラスに住んでいたのです。
 私はある日、倉庫の奥で不思議な首飾りを見つけました。それは決して綺麗とはいえませんでしたが、何か不思議な力を発しているのが私には分かったのです。その首飾りのことを相談しようと長老の家に行き、首飾りを見せると長老は言いました。『これは〈次元の鍵〉じゃ』
 長老の話では、その首飾りの魔力を使えば我々の世界と別の世界とを繋ぐことができるらしい。最近海を越えた東の大陸から魔物が現れているということを話に聞いている長老は、この〈次元の鍵〉が魔物に奪われるようなことがあれば、一気に魔界の入り口が拡がり、我々の世界は滅んでしまうというんだ。
 私は決意した。その首飾りを魔物に奪われないように遠くへ持っていってしまおうと。長老の話では西へ向かえば偉大な賢者と呼ばれる者が住んでいるらしい。私はその時にラルファと共に旅に出たんだ。
 しかしその道中なぜか私の国の兵士に捕まり、ブラド監獄まで連行されたんだ。そしてこの森まで来ると、ラルファが突然私に殴りかかってきたんだ。始め私は何がなんだか分からなかった。ラルファは私に殴りかかる時に大声で叫んでいた『この役立たずめ! お前のような部下を連れてきた私がバカだった!』と。走行中の護送車が止まると、兵士達は何事かと思い鍵を開けた。するとラルファは私をつかみながら地面におり、私を突き飛ばしたんだ。『お前のような家来はもういらん!』と叫びながらね。兵士達はその家来ごとき一人がいなくなってもいいと思ったのだろう、私はそのままにされ、ラルファを護送車に連れ戻すとそのまま走っていってしまった……」
 二人は食事が終わると、館の外へ出た。木々は高々と生い茂り、緑の匂いが鼻を突いた。ラルファの主人に対する忠誠心に驚きながらも、トランスはビル達のことを心配していた。この目の前の森のどこかにビル達はいる……。
 トランスは昼過ぎになると、自分の能力が消えていないか落ち葉や木の枝などで試そうとした。始めはぴくりともせず、トランスは不安になったがすぐにふわふわと浮かびだした。
「へえ、すごいねトランス。それは魔法かい?」
「うん。だけどまだまだ力不足なんだ。……みんなを助けることができなかった……」
「そうか、しかしその能力は……」
 リスタは話をやめると耳を澄ました。トランスは不思議に思い、自分も耳を澄ましてみた。しかしトランスには何も聞こえなかった。
「リスタ、どうしたの?」
「ん? いやなんでもない。たぶん気のせいだ」
 リスタは話をやめると、トランスに説明するように館の回りを巡回し始めた。太陽は地に沈みかけていた。



 ブラドの森の中にビル達はいた。うまくトランスに助けてもらい、一週間の間は何とか一人も欠けることなく森で生きていた。トランスと同じ部屋だったモーロア、アミュレス、ティーク、リーク、ミニング。ビルと同じ部屋のガラム、ラルファ、ユール、ソーンの十人は、森の中で狩りをしたり、植物を食べたりして暮らしていた。
「ブラド監獄から脱出できたのはいいが、いつまでこんなサバイバル生活を続けなきゃいけないんだ? もう一週間は経ったぜ」
 ビルは何となく声に出したが、その理由は自分が一番よく知っていた。必ずトランスを見つけだすまではここから逃げないと。トランスの力によってビル達はブラド監獄の連中の包囲網から逃げ出せたが、当の本人のトランスはビル達と一緒ではなかった。様子を見ていたモーロア、リーク、ティークの話では黒い塊がスクリームを攻撃し、トランスを包んでしまったというが……。不安な顔をしていると、いつのまにかアミュレスがビルの横に立っていた。
「大丈夫だ。必ずトランスは生きているさ。ビル、お前が見つけだすんだろ? そんな顔をするな」
「そうだったな。みんなすまないな、本当は今すぐにでもブラド監獄から離れたいだろうが……」
 ビルは他の仲間に行ったが、仲間達はトランスを探すことに協力することにためらいはなかった。皆、トランスを心配に思っているのだ。
「何いってんのや? ワイらの命を助けてくれたトランスを放っておくような奴はここにはおらんで」
「オラ、ご主人様も早く見つけだしたいけど、トランス君を捜すのも同じくらいに思っているだ」
 ユールやラルファのそんな言葉を聞くとビルは嬉しかった。そんな時に木の上に登っていたソーンが突然警報を出した。
「何かが近づいてくるぞ! 大勢だ!」
 ビル達はそれぞれ自分の武器を手に持つと、木の陰に隠れた。次第にその音は大きくなってきた。
「この音は……森の動物か?」
 リークがささやくと、音のする方向から木の倒れる音も聞こえてきた。土を蹴る音、枝の折れる音。その音を聞くとビルの心の中に恐怖がわき起こった。
「これは……、暴れ牛だ!」
 ビルの悲鳴のような声は途中でかき消されてしまった。目の前にランスの命を奪った牛と同じ種類の数頭の暴れ牛が現れたからだ。その暴れ牛達は町で見たものとは一回り小さかったが、数が多かった。その数頭はビル達を見つけると突進してきた。木の陰に隠れていても暴れ牛の攻撃をかわすことができないと知ると、ビル達は木の陰から姿を現して戦闘態勢に入った。すかさず木の上のソーンは弓を引き絞り、先頭の暴れ牛の頭を狙った。矢は暴れ牛の額に突き刺さり、暴れ牛は進む方向を失うと倒れる。他の数頭はかまわずにビル達に突進してきた。ビルはロングソードを構えると跳躍し、足下を走る暴れ牛に突き刺した。暴れ牛は一撃で絶命した。すかさず剣を引き抜き、次の攻撃に備える。
 モーロアは森の中では炎の力が宿った指輪を使えないので、ティークと共にボラを投げつけて牛の足を絡め、動きを止めていた。他の物もそれぞれ剣や棍棒を使って戦っていた。アミュレスは呪文の詠唱が終わると、暴れ牛達に睡眠の呪文を唱えた。とたんにすべての暴れ牛達は次々と倒れだした。
「ふう、助かったぜ」
 ガラムが額の汗を拭い、皆が集まると、森の奥からさらに十数頭の暴れ牛が飛び出してきた。その後にも次々と別の暴れ牛達が続いている。
「なんだ、こいつら!」
 リークが叫ぶと、ビルは仲間達に叫んだ。
「とりあえずここから逃げるんだ!」
 ソーンはビルの声を聞くと、木の枝を飛び移りながら暴れ牛達を弓矢で攻撃した。
「みんな、こっちや!」
ユールが走りながら叫ぶと、ビル達もその後を追った。アミュレスは息を切らしながらも後ろから迫ってくる暴れ牛達に睡眠の呪文、盲目の呪文などいくつかの呪文を唱え続けた。しばらくユールは暴れ牛達の走りずらそうな場所を選んで走っていたが、突然目の前に小さな洞穴を見つけた。小高い丘のように盛り上がった岩の下に三人ほどが並べる程度の穴があいている。
「あの中に隠れよう!」
ビルは叫ぶと、後ろに振り返り暴れ牛達の足止め役になった。アミュレス、ガラムもその横に並び、それぞれの武器で暴れ牛達をくい止めた。少し離れたところでは地面に降り立ったソーンが弓を引き絞っている。
 ユールは少しその穴を確認すると中に走り出した。ティーク、リーク、ラルファ、ミニングもすぐにその後へ続いた。モーロアもそれに続こうとする。
「早くするんじゃぞ! ビル、アミュレス、ガラム、ソーン!」
 残りの仲間に声を掛けた後、頭上から誰かが叫んだ。
「あ、待って!」
 しかしその声はモーロアには届かず、モーロアはすでに洞穴の奥へ入っていた。すると突然洞穴に鉄のような扉が現れ、洞穴の入り口は閉じてしまった。すぐには気づかなかったビル達は、自分達も早くモーロアに続こうと洞穴に振り返った。するとそこには鉄の扉が入り口を塞いでいた。
「何だこれは? 開かないぜ」
 ガラムはこじ開けようと力を入れてみたが、扉はぴくりとも動かなかった。十数頭の暴れ牛はじっくり襲いかかろうと間合いをつめてきている。その間合いはじわじわと狭まってきている。
「助かりたかったらよじ登ってきて!」
 突然の人の声にビル達は驚いたが、暴れ牛達はすぐにでも飛びかかってきそうだったので、素直にその声に従い洞穴の岩肌を登り始めた。頭上には地味なローブをまとった者が立っていた。その声の主は四人が登り終えるのを見ると、暴れ牛に何か粉のような物を振りまいた。すると暴れ牛は嘘のようにおとなしくなり、もと来た道へと引き返していった。ビルは一息つくと自分達を助けてくれた者に声をかけた。
「ありがとう。助かったよ。……俺の名前はビル。あいつがアミュレスでこいつらはガラムとソーンだ。あんたの名前は?」
「私はケルスミア。あなた達は何者なの? ブラド監獄の連中ではなさそうだけど」
 ケルスミアと名乗った者の声はやけに高かった。ケルスミアがフードを外すとそこからは紫の長い髪が現れた。
「女だったのか! これは驚いたな」
「そうよ。そんなに驚くことでもないでしょう?」
 ソーンが驚いて声を出すと、ケルスミアと名乗った女は言い返した。
「とにかくありがとう、ケルスミア。お礼をしたいのだがあいにく我々はそのブラド監獄から脱走したばかりで何も持ってはいないのだ。まさか女一人でこんな所にいるわけでもないだろう。よかったら、あなたの仲間の所まででも送ってやれるが」
 アミュレスは丁寧にそうケルスミアに話したが、内心は早くモーロア達の様子を見なければと焦っていた。
「あら、心配しないで。私一人で旅をしているから送ってもらわなくても結構よ。それよりこの洞窟に入った六人は大丈夫かしら?」
 ケルスミアは暴れ牛が完全にいなくなったのを確かめると、さっさと洞穴の方へ降りていった。ビル達は驚きながらも後に続いて降り始めた。
「おい、あんた。さっきの暴れ牛達をどうやって追い払ったんだ?」
 ガラムは普段と全く変わらない口調でケルスミアに話しかけたが、ケルスミアは気にはしていないようだった。
「あれはね、〝払いの粉〟を振りまいたからよ。あの粉を浴びると悪い意志が振り払われるの。おそらくあの暴れ牛達は何者かに操られていたんじゃないかしら?」
 洞穴の前まで来るとビル達はケルスミアが扉を開けてくれるのだと期待していたが、ケルスミアは洞穴を見つめているだけだった。
「おい、開けてくれねえのか?」
 ガラムが尋ねるとケルスミアは首を横に振った。
「この扉を外から開けることは無理よ。この洞窟は侵入者を選ぶの。私がいつか行ったことのある街でこんな話があったわ、「勇者達の力により道は開かれ、魔を退ける武器を託す。勇者達には二つの道が開かれる。即ち生の道と死の道」――それからようやく私はその洞窟を見つけだしたんだけど、私一人では入ることはできなかったの」
「おいケルスミア。何であんたはその洞窟を探していたんだ?」
 ソーンは不思議そうに尋ねた。
「私は魔物を倒す伝説の武器というのが欲しいのよ。それにこの辺りには魔物の潜んでいる気配もあるしね」
「ということは俺達は洞穴に入っていったみんなを助ける方法はないのか?」
「残念だけどないわね」
 ビルの話にケルスミアは申し訳なさそうにそう返事をした。
「魔物を倒すと君は言っているが、一体君は何者なんだ?」
アミュレスはケルスミアを疑いの目で見つめていた。
「私は魔物を退治して生活をしているの。これは仕事なのよ。私はモンスターハンターのケルスミア」
 ケルスミアの話によると、一度彼女自身もこの洞窟に入ったことがあるが、すぐに行き止まりになってしまい、引き返したらしい。結局何人かでないと入ることができないと思ったケルスミアは手持ちの武器のみでこの森に潜む魔物と戦おうとしていたが、何日たってもその魔物を見つけることができず途方に暮れていた。そんな時にビル達が現れたのだ。
「で、その探している魔物というのはどんな奴なんだ?」
 ソーンは弓を背につけるとソーンに言った。
「吸血鬼よ。あいつはとんでもなくずる賢い奴だわ。私はずっと奴を追いかけているの。ルクレールの国でさんざん追いかけ回ったあげく、このバオル島のブラドの森にいるという情報があったのよ。私は奴を追ってここまで来たけれど、こんな小さな島で奴は何を考えているのかしら?」
 みんなは黙ってケルスミアの話を聞いていたが、ガラムだけはつまらなそうに顔を背けていた。
「そうかい、がんばってくんな。俺達はみんなが出てくるまでここで待つぜ。あんたはさっさとその吸血鬼とやらを探しにいけばいい」
 ガラムはいらいらしながらそうはき捨てた。しかしビル、アミュレス、ソーンはガラムの意見に賛成するような顔ではなかった。
「この洞窟から出てくるにはどの位の時間がかかるんだ?」
 アミュレスは尋ねた。ケルスミアは閉ざされている扉を見つめながら言った。
「十日以上はかかると聞いたわ。洞窟の中はかなり広い迷宮になっているらしいから……。最も、伝説の武器を見つけられなくて渋々撤退を決めた人達のことなんだけどね」
 ケルスミアはそう答えるとしばらく考え込んだ。やがて顔を上げるとビル達に向き直り、こう話し始めた。
「あなた達は洞窟に入っていった仲間を待つんでしょう? 私もこの洞窟の宝が欲しいの。そこで提案なんだけれど、私と協力しない? さっきの暴れ牛達や他の魔物が現れたりしたら、私の力がきっと役に立つわ。もちろんあなた達にもいろいろ力になってもらうけど」
「冗談じゃねえ! お前みたいな奴と一緒に行動できるか! お前のせいでみんなが閉じこめられちまったようなもんじゃねえか! 生きて帰ってこれるかも分からないんだろ?」
 ガラムはそう怒鳴ると一人で歩き出してしまった。あわててビルとソーンはガラムを止めようと走りよっていった。アミュレスはケルスミアに振り返った。
「いいだろう。しかし我々と行動を共にすると、ブラド監獄という新たな敵が増えるぞ」
「平気よ。もうブラドの連中とは何度か戦ったわ」
 ケルスミアは平気な顔をしてそう答えた。アミュレスは少し驚いたが、すぐにビルとソーンがガラムを連れてきていた。そして何とかガラムをなだめた三人は、ケルスミアという新たな仲間を加え、十日後に再びこの洞窟に来ると決めると、洞窟を後にした。

 夜になるとビル達はキャンプを張った。キャンプといっても焚き火の回りでマントにくるまっているだけというお粗末な物だったが。ソーンとケルスミアが見張りに立つと、残りの三人はすぐ横になった。
「今までは仲間が十人もいたので夜の見張りも楽だったが、これから十日間はつらくなりそうだな。……ところでケルスミア、あんたは一人でここに来てどれくらい経つんだ?」
 ソーンは片目を森の闇に光らせながら横にいるケルスミアに尋ねた。
「このバオル島に来てからは二週間くらいかしら。ジーマ港の町から北へ進んだアーチン川まで五日。川を越えてニール砂漠を渡るのに三日ってところね。それからこのブラド監獄で一週間はあいつを捜しているのよ」
 ケルスミアはそう言うと紫の髪を風になびかせ、月の光る夜空を見つめた。遠くではフクロウや狼の声が響いている。ソーンは視線を森からケルスミアに移すと、ケルスミアの首から下がっている十字架に目がいった。
「ケルスミア。その首飾りは?」
「首飾り? ああ、これね。これは私のお守りよ。これを身につけていると魔物が近寄ってこれないの。よっぽど強力な魔物でない限りね。これのおかげで一人でも夜を過ごせてきたのよ。でも悪いけどこれは本人にしか効き目はないわ」
 それから数時間の間、二人は見張りを続けていたが、そろそろ自分達も疲れ始めうとうととしてきたので眠っているビルを起こすことにした。焚き火はとっくに消え、マントで身をくるまないとひどく寒くなっている。
「おい、ビル……」
ソーンはビルを起こそうとビルに近づいていくと、レインジャーの勘で何かがこちらへ近づいてくるのを感じた。
「どうしたの、ソーン?」
 ケルスミアは不思議そうに尋ねると、ソーンはケルスミアに伏せるように手で合図をした。
「……何かが来る……!」
 ソーンはケルスミアと共に岩陰に隠れると、空を見上げた。その時巨大なこうもりのような影が月夜の空をかすめた。
「あいつは……一週間前、監獄から脱走したときに見かけた奴だ……」
「あいつよ! あいつは吸血鬼だわ!」
 ケルスミアは立ち上がるとすぐにその影を追いかけようとした。ソーンはすかさずケルスミアの腕を押さえた。
「待て! 今いくのならみんなを起こしてからだ! 何も持たないで奴と戦えるのか? 俺が奴を追跡するから支度ができたら後からついて来るんだ」
 そう言うとソーンは弓を背中から外し、一人黒い影を追いかけた。ケルスミアはすぐにビル達を起こし説明をすると、自分も支度をし、ソーンを追いかけて走っていった。
「全く、こんな夜に敵と戦おうとするか? 俺は行かないぜ。ビル、お前達で何とかしな」
 ガラムはぶすっとするとごろりと横になり、再びいびきをかきはじめた。ビルとアミュレスはすぐに走り出そうとしたが、みんなが離ればなれになるのはまずいと思った。ビルはアミュレスに言った。
「ガラムだけ残していくのはまずいな……よしアミュレス、じゃんけんだ! 負けたらここに残ってガラムと荷物の見張りをする。いいな?」
「いいだろう……」
「よーし、いくぜ! じゃんけん……」
「グー」
「グー!」
「パー」
「パー!」
「チョキ」
「グー!」
「俺の勝ちだな。見張りは頼んだぜ、アミュレス!」
 ビルは剣を腰につけると、二人の後を追った。アミュレスは渋々キャンプに戻ると、見張りを始めた。横になっているガラムは大きないびきをかいている。半ばあきれながらも、この図太い神経の持ち主はこれから先必ずみんなの助けになるに違いない、とアミュレスは期待していた。



 ブラド監獄。
 トランス達が脱獄してから一週間、囚人達はいなくなった二つの部屋の分まで重労働を課せられていた。監獄の者はその間トランス達脱獄者の捜索に力をいれていた。
「まだ奴等は見つからんのか?」
 スクリームは毎回報告される状況にうんざりしていた。一週間たっても捜索に一向に進歩が見られなかったからだ。
「スクリーム様、必ず見つかりますよ。我々でさえこのブラドの森で迷ってしまうこともあるではないですか。森を出ていった西のイレム山脈、南に拡がるニール砂漠の付近も我々の部下が見張っております。まさか北や東に抜け出して崖から海へ逃げるということもないでしょう。もしかしたらこの森の闇の住人とやらに殺されているかもしれませんがね。もうしばらくの辛抱ですよ」
 レクスはいやらしい声で笑った。その声はトランス達の脱獄などには何も関心がないようだった。
「ううむ……」
 スクリームはレクスの言葉を聞き終わると、壁に立てかけてある真っ黒な大剣を睨みながらうなっていた。
 ――ギルディ様は決して優しいお方ではない。二度も失敗を犯したら部下達は間違いなく殺されていたのだが……。俺達が殺されないのは、それほど脱獄した奴等が重要なのか? それとも他に何か理由が……。
 スクリームが一人うなだれて考え込んでいると、レクスと入れ違いに魔術師のハッディーがスクリームの部屋へ入ってきた。
「……ハッディーか、何のようだ?」
「はっ、スクリーム様、私の部下達からの報告です。ここから南へ進んだ洞窟の扉が閉じられていました。六人の勇者をしか受け入れないというあの洞窟です。私の部下以外にはその付近を捜索していた者はいないので、我々ブラド以外の人間が侵入したものだと思われます」
 ハッディーが話を終えると、スクリームは顔を上げハッディーを睨んだ。
「そうか! よく知らせてくれた。すぐに行くぞ。ハッディー、俺が森へ行っている間、お前にこのブラド監獄を任せるぞ。俺は数人の部下を連れてその付近で待ち伏せをする」
 スクリームはすぐに支度をすると真っ黒な大剣を腰に下げ、部下達に野営道具の準備などを命令すると階段を下りていった。A棟から出て門へ向かって歩いている間、スクリームは笑みをこぼしていた。ようやく脱獄者達を捕まえることができる、と。門へ着き、しばらくすると荷牛車に荷物を積んだ武装している部下達がスクリームの元へ集まってきた。一行はすぐに出発した。スクリームは洞窟へ入り込んだ者がトランス達だと確信していた。
 ハッディーやレクスは獄長スクリームのいない間にギルディが姿を現してしまったらどうしようかとおどおどするはめになった。この二人には、ギルディは得体の知れない恐怖の魔術師としか思えなかったからだ。ちょうどその時ビル達は黒い影、ヴァンパイアを追跡している時であった。



 キャンプを張っていたところでは二人の男が焚き火で体を温めていた。ブラド監獄内でも寒さが厳しいときはあったが、野外では一段と寒さが厳しかった。アミュレスは焚き火を魔法で長持ちさせていると、ガラムは寒そうに身を縮めながら暖をとっていた。
「ちっ、結局眠りそこねちまったぜ。目が冴えてしょうがねえ」
「そんなに怒るなガラム。見張りの交代をしたと思えばいいことだ」
 アミュレスは焚き火を見つめながらそう言った。パチパチという音が森のざわめきと混じりあって二人に覆いかぶさってくる。すると一匹の野リスがアミュレス達の前に飛び込んできた。野リスはびっくりするとアミュレス達の前を通り過ぎた。
「何だ? 俺達が見えなかったのか?」
「静かに……何かが来るぞガラム。火を消すんだ!」
 アミュレスは素早く五人分の荷物をまとめ、火を消したガラムと共に茂みの中へ入っていった。数歩歩き、後ろを振り返るとそこには数人の人影が見えた。
「スクリーム様! ここに野営の後が!」
「何? どれだ?」
 その数人の人影の中にスクリームはいた。腰にはやはりあの黒い大剣を下げている。他の者もそれぞれが武装していた。アミュレスとガラムは背中に冷たい何かが流れるのを感じた。ガラムはスクリームの姿を見るとふるえていた。
「ちくしょう……奴のせいでベスク達が……!」
 アミュレスはガラムを押さえながらこう言った。
「落ちつくんだガラム。二人でスクリームに勝てると思うか? 今はスクリームは部下も連れてきているんだ。……もうしばらく様子を見よう」
 二人はしばらくスクリームの様子を見ているとスクリームが話し出した。
「まだこの焚き火はくすぶっている。奴等は六人以上はいたはずだから、洞窟へ入っている者をのぞいてもまだいるはずだ。この付近にいるに違いない。マグス、お前は四人ほど連れて洞窟へ向かえ。俺はこの付近を調べる」
「はっ、かしこまりました」
 マグスと呼ばれた男は四人の部下に声をかけると森の中へ消えていった。その方向はモーロア達が閉じこめられた洞窟のある方向だった。アミュレスとガラムは追手の数が少し減ったことに安心してほっとすると、その場から少しづつ離れだした。その時ガラムが何か柔らかい者を踏んだ。それはキツネだった。キツネは驚いて飛び上がると声を発しながらスクリーム達の方向へ走り出していった。
「やばい! 逃げるぞガラム!」
 アミュレスはガラムの返事を待たずにすぐに走り出した。ガラムもすぐにアミュレスの後を追っていった。
 スクリームは森の中で声がしたので、そちらを振り向くと突然キツネが飛び出してきた。スクリームの部下はすぐに剣を抜くとキツネを切り捨てて、スクリームに話しかけた。
「あちらに何かがいたようですね」
「うむ。ではいくぞ! みんなついてこい!」
 スクリームは音のしたアミュレスのいた方へと走り出した。そこには大男のガラムが踏みつぶした跡がくっきりと残っている。
「みんな、この後を追うんだ!」
スクリームが叫ぶと部下達は一斉に走り出した。この状況ではアミュレス達が圧倒的に不利だった。ブラドの追手達は各々の武器を持っているだけなのに対して、アミュレス達は五人分の荷物を持って逃げているからだ。
 ガラムは回りの木々を次々に倒しながらアミュレスと走っていた。アミュレスはガラムの走り方に絶望感を感じた。これではいくら逃げても追いつかれてしまう、と。もう戦うしかないと思うと、ビル達の走っていった方向の反対へと走り出した。こうすれば少なくともビル達がスクリームにあう確率を減らせると思ったからだ。ガラムも同じことを考えていた。しかしそれはアミュレスと離れ、一人で戦おうとも思っていて、アミュレスとは反対の方向へと走り出した。もうすでにガラムには追手が追いついてきていた。ガラムはビル達の進んでいった方向へ走りながら叫んだ。
「俺のせいでアミュレスまで戦うことはない。俺がこいつらの時間稼ぎをしてやるぜ」
「ガラム! そっちにはビル達がいるんだ! 皆殺しにされるぞ!」
 アミュレスはしかたなくガラムに近寄ると、スクリーム達の攻撃に備えた。だんだんと鼓動が高鳴っている。しかしスクリーム達が目の前に現れる前に突然ガラムが前のめりに倒れた。
「いてててて……何だ? 何が起きたんだ? ……あっ、お前はガラム!」
 ガラムに体当たりをしてきたのはビルだった。続いてソーン、ケルスミアも次々とガラムにぶつかってきた。
「どうしたんだ? ビル。突然目の前に現れた気がしたぞ?」
 アミュレスが尋ねるとビルが答えた。
「俺達はあの黒い影を追いかけていったら真っ暗な館を見つけたんだ。黒い影はそのままその館に吸い込まれるように消えちまった。俺達は慎重に館への道に足を一歩踏み出した途端、目の前が見えなくなり、体がふわふわと浮いているような気がしたかと思うとここにドッスーンさ。何がおきたんだかだかわかんないぜ」
「ほほう、お前達もあの館を見たのか」
 いつのまにかアミュレス達に追いついていたスクリームは話を聞き終わり、武器を構えるとビルに言った。
「ス、スクリーム?」
「何でお前がここに?」
ビルとソーンは驚いて各々の武器を構えた。その人数はビル達が五人、スクリーム達は四人で人数的にはビル達が多かったが、ブラド監獄を脱走したときのスクリームの強さを思い出すと皆、ヘビに睨まれたカエルのように体が重くなっていた。
「誰? あのゴッツイのは? みんな知っているの?」
 スクリームを見たことのないケルスミアは落ちついた口調で仲間達に尋ねた。
「あいつはブラド監獄の獄長だ。我々が脱走するときにあいつらのせいで何人も仲間が死んだんだ。五人で戦っても死人が出るだけだ。ここは私の魔法にまかせて四人で逃げてくれ!」
 アミュレスはそう言うと呪文を唱えようとした。するといつのまにかケルスミアがビル達の前へ進み出ていた。
「ハッハッハ。まずはお前から死にたいのか、お嬢さん? この剣の味を味あわせてやる!」
 追手の一人が狂ったように叫ぶとケルスミアに切りかかった。ビルは素早く自分の剣で相手の攻撃を防ごうと一歩前に出ると、すでにケルスミアは懐から紙切れを取り出しスクリーム達の方へ投げつけていた。その紙切れは空中で白く光ると、光の糸に姿を変え、放射状に飛び散った。その光の糸にふれたスクリーム達は体中にからみつき、身動きがとれなくなっていた。その光の糸はケルスミアの目の前ぎりぎりまでのびていたので、相手の攻撃を防ごうと前に出てきたビルも光の糸に捕まり、身動きがとれなくなっていた。
「お、おいビル。大丈夫か?」
 ガラムはあわててビルに近寄ろうとすると、ケルスミアはそれをさえぎってこう言った。
「待って。この光の糸に触るとあなたも動けなくなってしまうわよ。この破魔のナイフで……」
 ケルスミアは懐から小振りの銀色のナイフを取り出し、ビルにからみついた光の糸を少しづつ切っていった。その様子を見ていたスクリーム達はビル達に罵声を浴びせかけていたが、ビル達は無視していた。
「おい、こいつらはどうする? 死んでいった仲間達の敵だ。ここで倒してしまうか?」
 ソーンは怒りのこもった目でスクリーム達を睨むと、弓を引き絞ってねらいを定めた。
「ああ、そうしたいのはやまやまだけどな。しかしいまスクリームを倒すのは簡単だが、何か卑怯な気がしないか? 今殺せば俺達もこいつらと同じになっちまう気がするんだ。トランスや他の仲間達もそう思うに違いないぜ。まあこれにこりてスクリームも少しはおとなしくなるんじゃないのか? トランスやモーロア達と合流してからまたこいつと会うようなことがあればその時こそこいつを倒そうじゃないか」
 ビルの言葉に皆が感心する。
「ほー、すごいことを言うじゃねえかビル! 今までお前はそんなに深く物を考えることのない軽い奴だと思っていたが、少しは見直したぜ!」
 ガラムは大声で笑うとビルの背中をバンバンと叩いた。そして身動きのとれないスクリーム達をギロリと睨んだ。
「分かったなスクリーム! 今度あった時こそ本当の勝負だ! 必ずお前を殺してやるからな!」
 しかしスクリームはにやりと笑うと言い返した。
「ふん。クズ共が! 正義ぶりおって! 俺をここまで怒らせるとはな。今殺さなかったことをきっと後悔させてやるぞ!」
 ガラムはスクリームの言葉に怒りを感じると、殴りかかろうとした。ビル達はあわててガラムを押さえつけた。ビルはガラムが落ちつくのを待つと、みんなに言った。
「さあ、いこうぜ」
 そしてビル達はその場を後にした。スクリーム達はただ夜の森の中もがくことしかできなかった。

 翌日、一番始めに起きるとビルはあくびをしながら貯めていた木の実をかじりだした。そして今日一日はどうしようかと考えていると、他の仲間達も起き出してきたので、昨日の館のことをケルスミアに尋ねた。
「なあケルスミア。もしかして昨日の館のことを知っているんじゃないのか?」
「ええ。暗くて余りよく見えなかったけれど、私達は中に入ることができなかったんで大体分かったわ。あれはあのヴァンパイアの強力な魔力によって結界が張られているのよ。魔界から来たヴァンパイアの術を破るには魔界にある材料が必要だわ。私はあのヴァンパイアをずっと追い続けていたからまさかあいつがここにとどまり、結界まで張るなんて思わなかったわ。やっぱり時間がかかってもあの洞窟にある武器を手に入れてからじゃないとまずいわね」
「とにかくあの洞窟からモーロア達が出てくるのを待つしかないのか……その間にまたスクリーム達にあったらやっかいだぜ」
「そのことなんだが……」
 アミュレスはビルの言葉に思い出したように話し出した。
「あのときスクリームが私達を追いかけてくるときにすでに部下を洞窟へ向かわせていたらしい。まあ、今日いきなり洞窟からモーロア達が出て来るとも思わないのでそんなに心配はしていないが……どうだろう、一度様子を見に行ってみては?」
 ビル達は何も反対する者がいなかったので、それぞれ食事を済ませると少し休息をとり再び例の洞窟へ向かった。今度は五人で行動をしていた。ガラムは相変わらずその巨体で回りの木々をつぶしてしまい、敵がいつ襲ってきてもいいような状態だったが、あえてビル達はそれを無視していた。
 スクリームと戦った場所をさけ、遠回りに洞窟へ向かうと、何か、が地面にあった。それは人間だった。服装からするとブラド監獄の追手らしいというのが分かった。しかしその男は息をしてはいなかった。近づいてみてよく見ると顔は青く、まるでミイラのようにひからびていた。ビルは思わず顔を背けたが、ミイラを見たケルスミアは冷静に状況を見ていた。
「これはヴァンパイアの食事の後ね。おそらくこいつは昨日の追手の一人でしょう」
「ヴァンパイアの食事?」
 ビルは身震いをして回りを見渡した。その様子を見たケルスミアは静かに笑うとビルに言った。
「大丈夫よ。今は日が昇っているから奴は動けないわ。でも変ね、ヴァンパイアは血を吸った後は死体をきちんと処理をするのに……」
 ケルスミアは不思議そうにその死体に近づくとそれを調べ始めた。ビル達はさすがになれているなと感心して見ていると、急に背後から声がした。知らない声だった。
「お前達、動くんじゃない!」
 その声はブラド監獄の追手の者だった。距離は十数メートル離れていて、相手はボウガンを持っていた。そしてそれを今にも射るようにこちらへ向けている。
「しまった……油断した……」
 ビルはつぶやくと仲間達を見渡した。仲間達もすっかりボウガンで狙いを付けられ、身動きがとれないでいる。アミュレスは相手に気づかれないように呪文をつぶやくように唱え始めた。
「確かお前達の中には魔術師もいたはずだ。どいつだ?」
 アミュレスは相手に気づかれてしまったと思うとぎくりとした。その様子を見た追手はアミュレスに向けてボウガンの矢を放った。
「危ない!」
 ビルが叫ぶと、アミュレスは素早く体をねじらせた。しかし一瞬早くボウガンの矢がアミュレスの肩に刺さった。苦痛の声を上げると、追手の者はアミュレスを木に縛り付け、口にさるぐつわをはめた。
「これでやっかいな魔法も使えまい」
 ビル達もボウガンを突きつけられ、しかたなく自分達の武器を投げ捨てた。
「おい! スクリームはどこだ? 近くにいるのか?」
「威勢のいい奴だな。獄長は一時監獄に戻ったよ。もっと部下を連れてくるためにな。昨夜仲間の一人が突然消えてしまい、見つかったときにはそのミイラの姿になっていたんだ。我々はそれをおとりに洞窟へ向かう途中で待ち伏せたのさ」
「これで脱獄者を捕まえれば俺達は一気に出世するぜ」
「いや、脱獄者の生命はどうでもいいといわれているぞ」
 追手達は各々勝手に話していた。アミュレスは捕まり、ケルスミアもボウガンを突きつけられていては得意の技を披露することもできない。追手達は再びビル達を睨むと質問をした。
「さあ、お前達の残りの仲間の居場所も話してもらおうか。黙っていてもいいことはないぞ」
 ケルスミアはボウガンを突きつけている男を睨むと言い返した。
「私は知らないわ。ついこの前にこの人達とあったばかりだもの」
「嘘をつくな! お前達脱獄者は十一人と聞いているんだ! まだ六人も足りないぞ!」
「まあいいじゃねえか。とりあえずこいつらだけでも監獄へ連れて帰ろうぜ。……この魔術師はどうする?」
 一人が興奮している仲間をなだめるとそういい、別の一人が声を出した。
「ほっとけ。木からほどいたら何をするかわからん。このまま残しておいて後でまた来ればいい」
 こうしてアミュレスをのぞいた者は後ろ手に縛られ、ボウガンを突きつけられながら森の奥へ消えていった。
 ――何とかしなければまたビル達が捕まってしまう。アミュレスは思うと縄をほどこうともがいていた。しかし縄は思った以上にきつく、焦れば焦るほど時間だけが過ぎていった。その時、森の茂みの向こうに何かがいるのに気づいた。アミュレスはその何かと目があった。その目は獣で獲物をねらう狩人だった。アミュレスは金縛りのようなものにかかっていた。こいつがブラドの森の魔物か。そう思うと体に冷たい物が流れ、ただじっとそれを見つめ返していた。
 それは不意に茂みから姿を現した。体格は人間のそれと変わらない。よく見るとぼろぼろではあるがなんと服まで着ていた。髪はぼさぼさで後ろに一本にまとめている。髭も伸び放題で、熊を連想させた。それはアミュレスにゆっくりと近づいてきた。アミュレスは震えるのも忘れ、じっと相手を見つめ返していた。驚いたことに、それはアミュレスの後ろへ回ると縄をほどき始めた。しばらくして両手が自由になると素早くさるぐつわを口から外して投げ捨てた。
「……ありがとう」
 アミュレスは言葉が通じるのか分からなかったが、とにかく礼の言葉はかけた。男はアミュレスの言葉を聞いていないかのように森の茂みを見つめ静かにしていたが、ようやくアミュレスに興味を持ったかのように口を開いた。
「……やつらを追いかけるぞ。話はその後だ」
「えっ?」
 低くて太い声だった。アミュレスは相手が自分と同じに言葉を話せるのに多少驚いたが、その男はすぐビル達が連れて行かれた方角の茂みに飛び込んでいったのであわてて後を追うことにした。
「あなたは誰なんですか?」
 ようやくその男に追いつくと、後ろからついていくように走りながらアミュレスは尋ねた。その男は少し黙っていたがぽつりぽつりと答え始めた。
「……俺の名はデュラス。昔、もう何年たったかも忘れちまったが、ブラド監獄へ連れて行かれたんだ……。
 そのころ、ヒューチル城の王から俺達はお呼びがかかり、歓迎をするっていうんで、仲間二人と共にヒューチル城へ向かった。そうして城に入った途端、有無を言わさず俺達はこのブラド監獄行きになっちまった。俺達は六人の仲間で旅をしていて、捕まってしまったのが俺達三人だったのでそれがせめてもの救いだった。いつか残りの三人が助けに来てくれると思っていたんだ。……しかしカーセル、セティア、ウォルスの三人は遂に現れなかった。その一年の間、俺達はまさに地獄のような監獄生活を送ったんだ。
 ある日、仲間のフラーニが脱走をしようと言い出した。俺も脱走のことは密かに計画していたし、もう一人のタンデムもすぐに了解をした。そして、脱走を決行したんだ。しかしその時に他の囚人達に気づかれてしまったんだ。そいつらは生きる屍だった。目が、魂が死んでいる動くだけの奴隷だった。そいつらが俺達を見ると騒ぎだしたんだ。それは気味悪かった。始めは一人、二人と叫んでいたが次第に監獄全体が騒ぎ始めた。それはまるで狂気の歌の合唱だった。俺達は必死に走った。しかし途中で監視の奴等に会い、フラーニが捕まった。フラーニはその場で殺された。俺とタンデムはひたすら外をめざして走った。ようやく一の壁につくとよじ登り始めた。しかし後少し、というところで獄長、スクリームが現れたんだ。奴は腰につけていた大剣を抜くとタンデムに背中から切りつけた。俺も片足を切りつけられたが、何とか壁は登り切ることができた。後ろを振り返るとスクリームはものすごい形相をしていたよ。タンデムはすでに死んでいた。
 それから何日かはその一の壁と二の壁の間で身を隠して過ごし、足の傷も落ちついた頃に二の壁を突破したんだ。しかしブラドの森を抜けたとしてもその先は一面の砂漠。とてもじゃないが何も持たない俺じゃあ、そこは突破できねえ。そこで俺は他の三人の仲間の所へ戻るのは諦めた。ブラド監獄から逃げられないのなら逃げなきゃいい、ここに残ってフラーニとタンデムの復讐をしてやるってな。それから何度かスクリーム達と戦ったが、スクリームには勝てなかった。そして今、久しぶりにブラド監獄以外の人間にあったんですこしお節介をしてやろうかと思ったのさ。……悪いな、久しぶりに人と話したもんでつい話が長くなっちまった」
 酷い話だった。スクリーム達ブラド監獄の者はかなり酷い者だと思っていたが、こんな復讐だけの人生にされてしまう者もいたとは。アミュレスはデュラスを気の毒に思った。仲間を殺され、何年もたった一人でブラドの森に棲んでいたデュラスを。おそらくこの男がモーロアの言っていた、過去に一度脱獄に成功した者なのだろう。
 そのうちにデュラスは走る速度を落とし始めた。アミュレスもそれに従い速度を落とした。十メートルほどの向こうの木々の間からは監獄の追手とビル達が見える。
「私が魔法で奴等の動きを止めましょう」
 アミュレスはそう言うと呪文を唱えた。
「封足止動!」
 監獄の追手三人は突然足が重くなり、動けなくなった。すかさずデュラスは手に持っていた石つぶてを三人に投げつけた。それは眉間、こめかみ、喉などへ正確に命中し、追手達は地面に崩れた。
 その様子を見ていたビル達は驚いていたが、すぐにアミュレスに縄をほどかれて自由になった。ビルは縛られていた手をさすってアミュレスのほうを見ると毛むくじゃらの男が目に入った。
「アミュレス、その毛むくじゃらの化け物は何だ? アミュレス、お前、召喚魔法も使えるのか?」
 アミュレスはびっくりしてビルの話を止めようとしたが、デュラスは怒るわけでもなく静かに笑っていた。

 ……アミュレスはデュラスのことをみんなに説明した。ビル達は黙ってアミュレスの話を聞いていた。デュラスはアミュレスが話し終えると口を開いた。
「アミュレスといったっけな。お前は少し普通の奴と違うと思ったが、魔法を使えるとはな。他の奴等はどうなんだ?」
「俺も魔法の使い手だぜ、毛むくじゃらのデュラスさん」
 ビルはすぐに声を出した。デュラスはアミュレスとビルを見るとつぶやいた。
「二人か……気をつけろよ。俺と仲間二人も魔法を使えたんだ。ブラド監獄に連れて行かれなかった三人は魔法を使えなかった……ブラド監獄は魔法使いに何か関係があると思うからな」
 ビルはつばを飲み込むとブラド監獄の生活を思い出した。もう二度とブラド監獄には入りたくないと。落ちついてくると、ビルは洞窟のことを思い出した。
「みんな、朝は洞窟へいくと言っていたけどどうする? これから行くか?」
「あの洞窟か……俺もいったことはあるが、何もないぞ。入ることができないからな」
 デュラスは行っても無駄だといったが、アミュレスの仲間が閉じこめられているということを聞くと、自分もついていってやると言ってくれた。
「なるほど。六人いなければ中には入れなかったのか……道理で俺一人じゃ入れなかったわけだ……」
 デュラスは空を見上げると急に静かになった。アミュレスは昔の仲間のことを思い出しているのかと思うと、デュラスに何もしてやれない自分を情けなく思った。しかしデュラスはすぐに元の獣のような目つきのデュラスに戻った。
「さあ、行くならさっさといこうぜ」
 こうしてビル達は死んでいる追手を地面に埋めて隠すと、再び洞窟へ向かって足を進めた。まだ日は高く、気温も上昇していた。

 途中何度か狼のようなモンスターに襲われたりもしたが、アミュレスやケルスミアが手を出す間もなくデュラスが次々としとめていった。
「俺はこの森に何年も棲んでいるからな。これくらいいつものことさ」
 こうして例の洞窟まで後少し、というところでソーンとデュラスは何かの気配に気づいた。
「! この気配は……」
「これはいつも俺が見かけるモンスターじゃないな。さっきのような弱っちいブラドの人間でもない……」
ソーンとデュラスはビル達の前に進むとゆっくりと洞窟へ近づいていった。ビルはだんだんと緊張していった。
「……まさか、スクリームがいるなんていわないだろうな」
 しかし誰も返事はせず黙っていた。ビルはいやな雰囲気だと思いながら腰の剣に手を当ててソーンの後に続いた。

 洞窟の前にはブラド監獄の追手が五人、待機していた。四人は同じ服装であったが残りの一人は背が高く、少し違う装備をしていた。四人の中の一人がその背の高い男に声をかけた。
「マグス隊長、この洞窟、丸一日待っていても何も変化はありませんよ。この洞窟へ入ったと思われている脱獄者達はもうすでにこの中で死んでいるのではないですか?」
「うむ、そうかもしれん。しかしこれはスクリーム様のご命令だ。我々の独断で決めてしまうのはいけない。……では誰か一人でもこの洞窟の様子を監獄に知らせに行って来てはくれないか?」
「はっ、かしこまりました」
 四人の中の一人がマグスに一礼をするとブラド監獄へ向かって歩き出した。マグスはその男が視界から消えてしまうと、腕を組んで考え始めた。その様子を見ていた別のもう一人は、マグスに声をかけた。
「隊長。我々はそんなに深く物事を考えなくていいんですよ。ただ獄長スクリーム様の言う通りに行動していればいいんです。たとえスクリーム様の言った通りに脱獄者が死体となってしまっても、監獄へ連れ戻せばいいだけなんですから」
「しかしな、罪人といえども、監獄で働かせているということは、その者達は自分の犯した罪を償っているということなんだ。なるべくなら死人や怪我人を出さずにブラド監獄へ連れ帰りたいものだ……」
「甘いですぜマグス隊長」
 マグスは部下には返事をせずに黙っていた。逃げ出した囚人達はなんと十一人もいる。しかしマグスはその囚人達がどのような罪を犯したのかは、スクリーム達監獄の者に教えてもらったことはなかった。つい一ヶ月ほど前にこのブラド監獄に派遣されてきたのはいいが、この監獄には謎が多すぎた。マグスはいろいろと監獄の者に尋ねてはいたが、誰もいい答えはくれなかった。今追っている囚人達もどれほどの罪人なのか見当もつかなかった。
 その時にマグスは回りの気配に気づいた。これは部下達やこの森の魔物ではない。マグスは後ろを振り返ると茂みに目を凝らした。茂みの奥はしんと静まり返っていた。しかし確かに何かがそこにはいた。何かが……。

 ビル達は静かに洞窟へ近づいていったつもりだったが、監獄の追手の一人がこちらを睨んでいるのを確かめた。
「……おい、こっちを見てるぜ……。気づかれたのか?」
 ビルはソーンとデュラスにそうささやいた。その二人はもうすでに戦闘態勢に入っていた。
「気づかれたのなら仕方がない。先手必勝だ! いくぞ!」
 デュラスは石つぶて、ソーンは矢をそれぞれ放った。それはこちらを睨んでいる男に当たるはずだった。しかしその男は素早くその先制攻撃をかわしていた。ビル達はその男の身のこなしに一瞬うろたえていると、その男はこちらに向かって叫んだ。
「そこにいるお前達出てきたらどうだ? 逃げられないのは分かっているだろう?」
「仕方がない。広いところの方が戦いやすいだろう。みんないくぞ!」
 ビルが先に茂みから出るとアミュレス達もそれに続いた。
 改めて目の前の監獄の追手達を目で確かめた。その四人の中では先ほどの攻撃をかわした背の高い男がどうやらリーダーらしいとビル達は直感した。ケルスミアはみんなに聞こえる程度の小さな声で話した。
「私は相手がモンスターなら実力を発揮できるけど、ああいう普通の人間と真っ正面から戦うのはあまり得意じゃないわ。不意打ちくらいしかできないから……」
 そう言うとそそくさと仲間達の後ろへ身を隠した。ガラムはすぐに飛びかかっていった。ソーンも背中に弓をかけると、腰の剣を抜いてガラムに続いた。ビルとデュラスもいっしょに走り出した。アミュレスはリーダーらしき背の高い男はビル達に任せて詠唱を始めた。
「催眠風!」
 アミュレスから暖かい風が追手達に吹くと、三人の追手達はばたばたと倒れた。ビルはその様子を見るとアミュレスに礼を言った。
「ありがとうなアミュレス。ずいぶん戦いやすくなったぜ!」
 ビルはそう言うと、アミュレスをかばうようにマグスの前に立った。ケルスミアは素早く倒れている三人のブラド監獄の追手に近づくと、ロープを取り出して次々に木に縛り付けていった。そして三人を縛り終えると、仲間達の様子を見た。
 しかし以外にも苦戦をしているのはこちらの方だった。ビル、アミュレス、ソーン、ガラム、デュラスの五人がかりでもこの背の高い男は余裕を持って戦っていた。ソーンとデュラスが素早く動き回り、マグスの注意を引き、隙をついてビル、ガラム、アミュレスがそれぞれ攻撃をするが、マグスはまるで子供を相手にしているかのようだった。アミュレスは仲間達が一箇所に固まりすぎているのでなかなか強力な魔法は使えず、うまく戦えないでいた。
「くっ、しぶといやつだぜ!」
 ガラムは棍棒で殴りかかろうとフェイントをかけ、マグスに体当たりをした。マグスは棍棒での攻撃に注意していたので避けきれずに体当たりを食らった。そこからガラムはよろめいているマグスに棍棒で殴りかかったが、マグスは鞘から剣を抜かずにそのままの状態でガラムを殴りつけた。その一撃は強力で、ガラムほどの巨体でもはじきとばされてしまった。
「無駄な悪あがきはやめるんだ。たとえ君達全員で私と戦い続けても君達に勝ち目は無いぞ」
 しかしそんな言葉を聞いても攻撃をやめるようなビルやガラムではなかった。それは今戦いに負ければブラド監獄へ連れ戻されてしまうという絶望の淵に立たされ、諦めることなど少しも頭に浮かんではいなかったからだ。
「またあんな地獄のような監獄に連れて行かれるもんか! どんなことをお前達が企んでいるかはしらんが、俺達はブラド監獄へは戻らないぜ!」
 ビルは手を休めずにマグスに攻撃を続けていた。ソーンもビルとともに連続で攻撃を繰り出していった。ビルが剣を振り下ろすと、マグスは剣でそれをはじいた。剣が振り上げられると、ソーンはマグスの横腹に向かって剣を振るった。マグスはその攻撃もひらりと身をかわした。そしてソーンをはじき飛ばした。デュラスはマグスの背後から飛びかかったが、マグスには通用せず、逆に吹き飛ばされた。
「お前……何故、剣を抜かないんだ?」
 アミュレスはマグスがまだ一度も剣の刃を見せていないのに疑問を感じるとそう言った。マグスは倒れているビル達を無視してアミュレスを見ると、
「私はお前達脱獄者を連れ戻せといわれている。殺してこいとは言われていないのだ。どうだ、降参するか? そうすれば命は助かるぞ。スクリーム様ならお前達を殺しかねないが、私はそこまではしない」
「それはムリだ。あんたが我々を殺さなくてもブラド監獄へ戻れば結局我々はスクリームに殺されてしまうからな。たとえここで死んだとしても監獄へ連れ戻されるよりはずっとましだ」
 マグスは目の前の脱獄者達がここまでブラド監獄へは戻らないと決意をしているのに少し戸惑っていた。監獄にいれば罪は償えるはずだ。なのにこの囚人達は戻ろうとはしない。話し方や行動を見ているとそれほどの悪人にも見えない者達が、ここまで反抗をするとは……。そのうちに倒れていたビルやソーン達も起きあがり、再びマグスに向かって構えていた。マグスはその者達を見渡すと、ある決心をした。
「そうか……、分かった。お前達に時間をやろう。私はこれから監獄に戻って少し調べたいことがある。お前達のことや監獄の実体をな」
 マグスはそう言うとソーンの方へ向かっていった。ソーンは剣を握ったまま後ずさりをすると、マグスはその横を通り過ぎてケルスミアのいる方へ向かった。
「さあお嬢さん。君も早く仲間の所へ戻りたまえ」
 ケルスミアはそのマグスの顔を少しの間見つめると、ソーン達の方へ駆け出した。マグスは部下達を起こすとブラド監獄へ向かいだした。
「どうしてですマグス隊長? あの者達を放っておいていいんですか?」
「かまわん。私ももう少し監獄のことを知らねばならんからな」
「でも隊長……」
「いくぞ!」
 部下達はマグスが怒鳴ると、あわてて後について歩き出した。ビルはマグス達の姿が完全に見えなくなると、力が抜けたように地面に腰を下ろした。
「何だかえらく疲れたぜ」
「しかし何で奴は戻っていったんだ? 俺達を放っておいて」
 ガラムはそう言ってアミュレスの顔を見た。
「監獄の中にはそれほど残虐ではない奴もいるんだろう……私達が脱走するのに力を貸してくれたレクサスのような奴がな……」
 こうして危機が去ったビル達は洞窟の様子を見てみたが、やはり何の変化も見られなかった。そして再びその洞窟の周辺でキャンプを張ることにした。それから三日間は何ごともなくすぎていった。そう、何ごともなく……。



 冷たい空気が張りつめ、静寂に包まれているある館の中に二人はいた。一人はトランス。ブラド監獄から脱走してからもう十日ほど経っている。もう一人はリスタといい、ブラト監獄に連れていかれる所だったが、召使いのラルファによってうまく森の中へ逃げることができた者である。この二人は館の主、ヴァンパイア、ベステトに監禁され、館から出ることのできない生活を送っていた。今日も日が暮れ、二人はベステトが起きるのを一階で待っていた。しばらくすると二人の耳に冷たい声が響いた。
「リスタにトランス。ご苦労だったな。もう休んでいていいぞ。俺はこれから出かけてくるからな」
 人間とは違う独特の響きの声が館に拡がると、階段の上からベステトが降りてきた。まるで音を立てず、手は白い。金髪の髪で、瞳は灰色のその姿は、普通の人間が見ると寒気を起こすだろう。だいぶ慣れてきているはずの二人でさえ、この姿を見ると寒気がした。
「では休ませてもらうよ」
 リスタは極めて冷静にベステトにそう言うと、トランスと共に寝室へ向かった。ベステトは返事をせずにすぐに姿を消した。ヴァンパイアの動きには気配もなく人間には見えないほど速い。
 トランスは再びリスタと二人になると話しかけた。
「こんな生活が続いているけど、これからどうするんだいリスタ?」
「どうするといわれてもこの館からは出ることができないよ。まあこの館にいればあの首飾りを取られることもないから、とりあえずそのことに関しては安心だけど……」
 トランスはリスタの落ちつきように少しあきれていた。トランス自身は早くビル達に会いたいと思っていたからだ。そう考えてしばらく黙っていると、扉の方から何かの物音がした。ベステトは音を立てない。トランスとリスタはこの部屋にいるので他に物音をたてる者はいないはずだった。二人は音のする扉をじっと見つめた。すると扉がゆっくりと開いた。しかしそこには誰もいなかった。しかし物音はまだ聞こえている。よく見ると、扉の下の方に小さな物が動いていた。それはネズミだった。この館にネズミがいたなんて、とトランスは不思議に思うとネズミはこちらに気づき、なんと二人に向かって歩き出した。ネズミは目の前に止まるとトランスを見上げた。
〔おう、トランスか! 話をするのは久しぶりだな。お前は何日も目を覚まさないから俺様一人でこの館をあちこち歩き回らせてもらったぜ〕
 トランスはそのネズミがチュー兵衛だったことに驚いた。
〔チュー兵衛か! 僕といっしょに来ていたんだ。もうみんなと会えないかと思っていたけれど、君に会えてうれしいよ〕
「おいトランス? どうしたんだ?」
 リスタは突然トランスがネズミに向かって何か声を出していたので気が触れたのかと思った。トランスは驚いているリスタを見るとチュー兵衛のことを説明した。
「このネズミはチュー兵衛っていうんだ。僕達といっしょにブラド監獄から脱走した仲間で、僕とチュー兵衛とアミュレスという人は話ができるんだよ」
 そしてトランスとチュー兵衛は数十分は話をした。トランスが目を覚ますまでの一週間のこと、チュー兵衛の探索したこの館のことなどを。そのうちに話題はアミュレス達のことになっていった。
〔しかしあのヴァンパイアって奴は人の血を食料としているんだろ? ここらへんで人がいる所っていったらブラド監獄しかないんじゃないか? もしかしたらアミュレス達も狙われているかも……〕
〔チュー兵衛! そんなこというもんじゃないよ。きっとアミュレス達は大丈夫だよ〕
 トランスはそう言ったものの、だんだんと不安になっていった。リスタはそのトランスの表情を見ていたが、
「トランス、もう疲れているだろう? 何か考えごとがあるなら明日の朝にでもした方がいい。そこのチュー兵衛君もここで休んでもらうといいよ」
 トランスはリスタの言葉に思い出したように疲れを感じると、チュー兵衛を近くにおき、眠りについた。リスタもそれを見ると安心して自分も眠りについた。
 そして朝がおとずれた。

 窓から日が射し込み目が覚めると、トランスはリスタと共に朝食をとった。食料の蓄えが増えているのでベステトはもうすでに帰ってきていたのだろう。二人と一匹は表へ出た。トランスはいつものように目の前の森の木々の隙間を眺めていた。もしかしたらビル達がそこを通るかも知れないと思いながら。
「……仕方がないよトランス。彼から逃げることはできないんだ」
 リスタはトランスの様子を見ると沈んだ声でそういった。しかしトランスはある決心をしていた。
「……僕はこの館に連れてこられてもう十日ほど経っている。実際に意識があったのは三日ほどだけど。僕はここを出るよ。みんなに会わないと……。まだブラド監獄の追手もいそうだし、こんな所にはいつまでもいられないよ」
「しかしトランス。ここから出る方法なんてないんだよ」
「でも本当はリスタもここから抜け出したいよね? 僕の仲間達の中にはラルファもいるんだ。きっとまだみんなは生きているんだ」
 トランスが尋ねるとリスタは頷いた。
〔これで決まりだな。まあ、森の中でのアミュレス達の探索はこの俺様に任せな〕
 チュー兵衛がトランスにそう言うと、トランスとリスタは一度館に戻り荷物の支度をした。わずかな食料とクライムの形見の剣を。そしてチュー兵衛に服のポケットに入ってもらうと、リスタと共に表へ出た。リスタはまだ半信半疑の目でトランスを見ていた。
「しかしトランス、どうやってここから出るんだい? ベステトはこの館に結界を張っているんだよ?」
「任せてよ、リスタ。僕にちゃんと捕まっていて」
 トランスは森の木々を一目見ると意識を集中して目をつぶった。そしてリスタが何がおこるのかと思う間もなく、体が宙に浮いたような感覚に襲われた。そしてしばらくするとトランス達は地面にドシンと落ちてしまった。
「いてててて、何だ? 何が起きたんだトランス……あれ? ここは?」
 トランスが目を開けると辺り一面は緑に包まれていた。ほんの十数メートル先にはベステトの館が見える。
「やった! 成功だ! 空間移動がうまくいったぞ。ベステトの魔法の壁を突破できたよ」
「トランス、空間移動だって?」
 リスタは驚いていたが、トランスはリスタが感動する間もなく話しかけた。
「いこう、リスタ。夜になればまたベステトに捕まってしまうよ。みんなを探すんだ」
 リスタは今まであのベステトの魔力の結界はどうやっても出入りはできないと思っていたのに、目の前にいる少年がいとも簡単に抜け出すことに成功したのにただ驚くばかりだった。しかしそのトランスがどの方向へ行ったらいいのか迷っているのを見るとリスタは先頭に立って歩き始めた。
「このまままっすぐ歩けば道に出るはずだ。ニール砂漠からブラド監獄行きの道にね」
 トランス達は数十分ほど歩くと茂みからその道が見えた。かなり広い道幅で綺麗に舗装されている。ブラド監獄行きの護送車が通る道なので道幅は広くとってあるのだろう。と、トランスは思った。
「さあトランス、この道を南へ進めば森から出られるぞ。しかしこの道を使うのは良くないと思うな。ブラドの人間に見つかってしまうよ」
「そうだね。この道の横の茂みを進んでいこう」
 トランスがそう言うと、再び茂みを歩き出した。ときどき道を確かめてはひたすら南へ進んだ。だんだんと日が暮れ、辺りは暗くなっていった。その日が落ちるのといっしょに二人の心も暗くなっていった。
 もし、ヴァンパイアに捕まってしまったら? 彼は怒って自分達は食料にされてしまうのか?
 もし、ブラド監獄の人間に見つかってしまったら? 再びあの地獄のような監獄へ連れ戻されてしまうのか?
 そう思うと疲れを忘れ自然と足どりが速くなっていった。そのうちに目の前の木々が少なくなってきた。
「トランス、もうすぐこのブラドの森の出口だよ」
 リスタはそうトランスに言い聞かせると、突然足を止めた。トランスは何ごとかと目を凝らして前方を見つめてみると、そこには数人の人影が見えた。ビル。トランスはすぐにそれがビルでいてほしいと思ったが、違っていた。
「あれは……ブラド監獄の人間だ!」
 二人はとりあえずそのまま茂みに身を隠していた。そこでしばらく様子を見ることにした。相手はまだトランス達には気づいておらず、うろうろとしている。その数は五人でそれぞれが剣や槍などの武装をしている。トランス達はそっとその場から逃げ出すようにゆっくりと茂みから移動を始めた。その時に森に悲鳴が響いた。
「ぎゃああああーーー!」
 それは目の前のブラド監獄の人間の森だった。もう当たりも暗くなり、よくは見えないが、人影が何かを相手にしているように暴れているようにみえる。
「早くここを離れた方が良さそうだな、トランス」
 リスタはそう言い、ブラドの人間のいる方とは反対に歩き出した。しかしすぐに背後から不気味な気配がトランス、リスタ、チュー兵衛に近づいてきた。
「そこに誰かいるのか……? 助けてくれ……」
 その不気味なほど小さく弱々しい体を凍らすような声が後ろから聞こえると、トランスとリスタは思わず後ろを振り返った。そこには恐怖に顔をひきつらせたブラド監獄の人間が一人立っていた。
「……お前達は仲間じゃないのか……、だがそれはどうでもいい。早く助けてくれ、奴が来る……!」
 するとそのものの後ろから大きな黒い影が現れた。ブラドの人間は恐怖し、トランスとリスタの後ろへ隠れた。
「? ……やはりな、リスタとトランスか……。この俺から逃げ切れると思っていたのか? 夜になってもこの辺りをうろうろしている程度ではとうてい無理な話だ」
 黒い影の正体はヴァンパイア……ベステトだった。ベステトは口から赤い物を滴らせていた。血。ベステトの口には血がついていた。
「もうだめだ、トランス。私達はもうこのヴァンパイアの食料にされてしまうだろう。……一度でいいからラルファに会いたかった……」
 リスタはうなだれていた。トランスはベステトをにらみ返した。灰色の瞳が光り、こちらを見ている。ブラド監獄の人間は後ろで震えていた。
「心配をするな二人共。俺はもう今日の分の食事は終わった。今は腹は膨れている。俺にはお前達が必要なんだ」
「何故? ベステトほどの力のある者が、何で僕達にそんなにこだわるんだ? どうせなら僕達も食料にしたらいいじゃないか!」
 トランスがベステトに向かって怒鳴ると、ベステトは仕方がないといった風に話し始めた。
「しょうがない坊主だな。よし、話してやろう。
 今、俺は五人の仲間が欲しいんだ。知っての通り、俺はこの世界の者ではない。魔界からここへやってきたんだ。
 その魔界では数十年前に魔界の王が死んだ。それからは規制の厳しかったこの世界への行き来も誰でもできるようになったんだ。そこで俺はこの世界に封印されていると言われている、〝魔界でつくられたアイテム〟を取りにきたのさ。それらのアイテムを隠したのは死んだ魔界の王の部下で、この世界に封印しておけば魔界の者には手が出せないと思ったのだろう。しかし今では俺のような奴がいくらでもこの世界へ入って来ている。俺は他の魔界の奴等より早く、そのアイテムを手に入れたいんだ。それを手に入れれば強大な力を身につけられるからな。
 そしていくらか調べた結果、その封印されたアイテムはこのブラドの森のある洞窟にあると分かったんだ。しかしその洞窟には六人でないと入ることができない。魔界の者が協力することなんてないと、封印する時は思ったんだろう。俺も独り者だったから手が出せなかった。しかし他の魔界の者と手を組んでそのアイテムを手に入れたとしても奪い合いになることは目に見えている。
 そこでこの世界の者、そうお前やリスタを仲間にしたんだ。しかしあと三人足りない。……二人共、自由になりたければもうしばらく俺の所にいてくれ。そのアイテムを手に入れたら、お前達を自由にしてやろう。もちろんその間は俺がお前達を守ってやる」
 ベステトは話し終えると二人を見た。トランスはしばらく考え込んだ後口を開いた。
「分かったよベステト。僕には魔界のことなんて分からないけど、本当に目的が達成したら僕達を自由にしてくれるね?」
「もちろんだ。さあ、こっちへ来てくれ」
 トランスとリスタはゆっくりとベステトに近寄っていった。その後ろにはまだブラド監獄の人間が震えていた。
「や、やめてくれ……。殺さないでくれ……」
「殺しはしないさ。ただすこし俺に協力してもらおうか」

 そして三十分ほどが過ぎると、トランス達は逃げ出した二人のブラド監獄の人間を見つけだした。残りの二人のブラド監獄の人間はベステトの食事にされていた。
「これで六人だ。戦うのは俺一人で十分だからな。リスタとトランスはこの三人をきちんと見ていてくれよ」
 ベステトはトランスとリスタにそういうと森の中へ歩き出した。残る五人もあわてて後を追った。
「あの、あんた達は名前はなんて言うんだい?」
 トランスは後ろからついてくる三人に尋ねた。三人はずっとヴァンパイアにおびえていたが、トランスには返事をした。
「呼び方なんてどうでもいい。追手A、B、Cでいいさ。俺達は早くスクリーム様に言われている脱獄囚を見つけなくちゃならんのだ。お前らの用なんて早く済ませてもらいたいぜ。……お前さん、脱獄囚に心当たりはないかい?」
「えっ? な、ないよ」
 トランスは自分の正体が気づかれていないことに少し安心した。ベステトは五人がついてこれるようにゆっくりと歩いていたが、とうとう目的の洞窟へたどり着いた。
 辺りはすっかり闇に包まれ、トランスやリスタにはほとんど何も見えなかったが、ベステトの目には木々や岩、動物達の様子がはっきりと見えていた。そこには野営の後があり、焚き火を消した跡がわずかに残っていた。ベステトはその地面を見ると、確かにそこに誰かがいたように草が潰されていた。
「ここに誰かがいたようだな。……六人程か。六人で野営をしていた跡がある。まだ火を消したばかりのようだ。おそらく俺達に気づいてあわてて隠れたのかもしれん。リスタ、トランス、ここでまっていろ、俺が見つけだして倒してきてやる。たぶんブラドの連中だろう」
「そんな! それだったら殺さないでくれよ! 俺達の仲間かも知れないんだろ?」
 追手Bはベステトに頼んだが、ベステトは灰色の冷たい瞳を向け、
「この洞窟に他の者が近寄るのはゆるさん。俺以外の魔界の者もここを狙っているんだ。早く用を済ませたければおとなしく俺に従うんだな。それともお前がそいつらの代わりに殺されたいかね?」
 ベステトの冷たい声が響くと、追手Bだけでなく、トランス達も背筋がぞっとした。その様子を見たベステトは少し笑ったかと思うと、暗闇に姿を消した。
 ベステトが姿を消すと、トランス達は金縛りがとけたように体の緊張感がゆるんだ。すると服のポケットからチュー兵衛が顔を出した。
〔本当にここでキャンプを張っていたのはブラド監獄の連中なのか? 俺はなんか嫌な予感がするぜ、トランス〕
〔チュー兵衛?〕
 しかしトランス達は夜目がきくわけもなく、身動きがとれなかったので、ベステトが戻ってくるまでじっとしているほかなかった。トランスの心にはチュー兵衛の言葉がいつまでも残っていた。ベステトが調べにいった者とは、本当にブラド監獄の人間なのか? それとも……。



 ソーンとデュラスは同時に気づいた。何かが、黒い気配が自分達へ近づいてくるのを。ゆっくりと、しかし確実にそれは近づいてきている。この森には慣れているはずのデュラスでさえ身震いがするほどだった。ソーンはデュラスの表情を見た。
「おい、お前も気づいたか、デュラス?」
「ああ、お前もか。こいつはやばいぜ。とんでもなく黒い気配がしやがる。こんなのはこのブラドの森で暮らしてきても初めてだ……」
 二人は夜の見張りをしていてビル達よりも先にそれに気づき、眠っている仲間達を起こした。ビルやガラムは眠たそうに目をこすっていたが、ソーンとデュラスの緊張している様子を見ると、すぐに身を起こしてそれぞれの武器を手に取った。
「今度は何だ? またスクリームの奴が来たのか? こんな夜更けに?」
「いや、違うんだビル。今度のはかなり危険な気配がするんだ」
 デュラスはそう言うと素早く焚き火を消し、みんなと走り出した。しばらくデュラスを先頭に走ると、一番後ろを走っていたソーンは少し振り返った。あの黒い気配はもうすでにキャンプを張っていたところまで来ているようだった。
「みんな、急げ! あれはもうキャンプをしていたところまで来ているぞ」
 一行はなるべく早く走ったが、黒い気配は確実にその距離を縮めてきた。デュラスはもうこれ以上逃げても追いつかれるだけだと思うと、戦いやすそうなわりと広い場所まで来てから足を止めた。そして他の仲間達に指示を与えた。
「これ以上逃げても無駄だ。戦うしかない。……俺が正面で奴を迎え撃つから、みんなは茂みに隠れて不意打ちをかけてくれ」
「俺は不意打ちは性にあわんから、あんたといっしょに正面から戦ってやる」
 デュラスは反対する理由がなかったのでガラムに軽く頷いた。それを見るとビル達は一斉に茂みに身を隠した。改めてデュラスは黒い気配の来る方向に向きなおると、その速さに驚いた。最初に感じた気配とは桁違いに速かった。その時に声が耳に入った。
「ほう、俺が近づいていたのが分かったのか。たいした者達だな」
 デュラスは急に目の前が暗くなったかと思うと、空中に吹き飛ばされていた。それからじわじわと腹に痛みが現れだし、やっと相手の攻撃を受けたのだと思った。ガラムは近づいてきた相手に棍棒を振り下ろしていたが、相手はそれを軽く避けるとガラムに足払いをかけた。ガラムの巨体が倒れるとビル達ははっと我に返った。それは一瞬の出来事だったからだ。ソーンは弓を引き絞ると相手を狙って矢を放った。しかしその相手は矢に気づくと左手でそれを受けとめた。
「不意打ちをするのならもっとうまくやるべきだな。もっともこのヴァンパイア・ベステトには不意打ちなどできるわけもないが」
 相手は茂みに向かってそう言うと、左手に握っていた矢をソーンの隠れているところへ投げ返した。その矢はソーンの胸に突き刺さった。ソーンはうめき声をもらすとその場に倒れた。ソーンの横に隠れていたケルスミアはソーンが倒れると、怒りをあらわにしてその場へ飛び出した。
「この悪魔め! やっと会えたわ。私が退治してやるわ!」
 ケルスミアは懐から細い木の棒のような物を何本か取り出すと、ヴァンパイアに向かって投げつけた。ヴァンパイアはまたしても片手だけでそれを受けとめようとしたが、木の棒をはたき落とすと、そのはたき落とした腕から煙が立ちのぼった。
「くっ、これは何だ?」
「それは樫の木をダーツのように鋭くして、聖水を含ませた退魔の武器よ! あなたみたいな悪魔には効果があるようね」
「……小娘め!」
 黒く、森に響いたヴァンパイアの恨むような声はケルスミアの戦意を喪失させるのに十分だった。日頃魔物と戦っていて慣れているはずのケルスミアは、改めてヴァンパイアの冷たい恐怖に襲われた。
 ベステトはケルスミアが立ちすくんでいると、ゆっくりと近づいていった。しかしベステトはケルスミアに攻撃をすることはできなかった。茂みから何かが光ったからだ。その光はベステトに次々と突き刺さっていった。
 光の矢を放っていたのはアミュレスだった。アミュレスは次々と光の矢をベステトに向かって唱えていた。ビルはその間にケルスミアに近づくと、ソーンの倒れている茂みに引っ張っていった。
「おいケルスミア、しっかりしろよ! ソーンの手当は頼んだぞ!」
 ビルはそのままケルスミアの返事を待たずに飛び出していった。そしてアミュレスの加勢に入ろうとした。しかし光は消えていた。よく見てみると、闇の中に二人の人影が見えた。一人は自分の足で立っていたが、もう一人はその立っている者が片手でつかんでいる。つかまれている人影はぐったりとしていて、まるで人形のようだった。ビルは立っているのがアミュレスだと信じたかった。
 しかし現実は違っていた。
「こんな所でモンスターハンターや魔術師に会うとはな。しかしその魔法の使い手ももう役にはたたんぞ。おい、そこのお前。死にたくなかったらさっきの小娘をここに出すんだな。あの小娘の術もやっかいだ」
 ベステトはつかんでいた人間をビルに投げつけた。ビルはあわててそれを抱き起こすと、やはりそれはアミュレスだった。青白い顔をしていたが、まだ息はあった。しかしよく見てみるとアミュレスの首には噛み跡があった。二つの牙の噛み跡が。そこからは血がにじんでいた。
「まさか! アミュレスの血を吸ったのか? アミュレスもヴァンパイアに?」
「心配いらないさ坊主。そいつがヴァンパイアになるためには俺の血を飲むことが必要なんだ。俺は仲間を増やすつもりなどない。ただそいつの血をもらっただけさ。さあ、小娘を出してもらおうか」
 ビルはそこで考えた。このままではヴァンパイアに殺されてしまう。しかしこのヴァンパイアの要求をのんでケルスミアを出せば、ヴァンパイアに勝てる可能性を持ったケルスミアを出せば、戦意を喪失しているケルスミアではヴァンパイアには勝てず、皆殺しになってしまうだろう。それならば一人でも多く生き残ってやる! ビルは決心すると両手で剣を握りしめ、ベステトに切りかかった。
「ケルスミア! 今は逃げてくれよ!」
「バカめ、この俺に勝てると思うのか?」
 ベステトはビルを殴りとばそうとしたが足が動かずに倒れ込んだ。足下にはガラムがしっかりとベステトの足を押さえていた。
「俺をバカにしやがって、このバケモノめ! さあビル、いまだぜ!」
「助かったぜガラム!」
 ビルは倒れているベステトに剣を突き刺した。そして剣から手を離すと呪文を唱えた。
「くらえ、ファイアーボールだ!」
 ビルの手から火球が放たれた。ベステトはなんとか身をよじり、片手で火球をはじきとばした。ベステトの手には多少火球のダメージが残った。
「図に乗るなよ坊主。俺を怒らせるな」
 ベステトは剣が背中から突き刺さったままの状態でガラムを蹴飛ばし、ビルをつかむと投げ飛ばした。ビルは木に激突するとそのまま気を失ってしまった。ベステトは体から剣を引き抜くとケルスミアの隠れている茂みへ向かった。
「さあ出てこい。お前の仲間は全滅だぞ」
 しかし出てきたのは矢だった。ベステトは避ける間もなく、その矢は胸に刺さった。
「あいにくだったな。まだ動けるぜ、それはさっきのおかえしだ」
 ソーンは飛び出すと、剣でベステトに切りかかった。ベステトは自分の血がついた剣でそれを受け流していると、再び茂みから人影が現れた。
「ちっとはふらふらするが、まだ戦えるぜ」
 デュラスはそう言ってソーンの横に並ぶと、一緒に攻撃をした。しかしベステトが落ちつきを取り戻すと、やはり歯が立たなかった。ガラムはよろよろと立ち上がるとビルの投げ飛ばされた方向へと向かっていった。ビルは木の下に倒れていた。頭からは血が一筋流れている。ガラムはビルに触ると乱暴に体を揺すった。
「おいビル、目を覚ませ!」
「……う、……ガラムか……みんなは?」
「まだあのバケモノと戦っているぜ。しかしやつには勝てねえ……」
 ビルはガラムの今のような言葉を初めて聞いたような気がした。あの乱暴者のガラムが弱音を吐くなんて……。ビルは何とか立ち上がるとヴァンパイアのいる方へ走り出していた。
「お、おいビル。大丈夫なのかよ?」
「ガラム、早くしてくれ! 奴とは戦っては駄目だ。逃げるしかないんだ。アミュレスのように瀕死にされちまう!」
 ビルはガラムにそう叫ぶと、地面に倒れているアミュレスを見つけた。アミュレスを抱えるとソーン達の所まで慎重に近づいていった。そこではまだソーンとデュラスがヴァンパイアと戦っていた。
「……俺に任せてくれよビル。みんなを頼むぜ」
 突然後ろにいたガラムはそう言うと、ソーン達の加勢に向かった。ビルは驚いたが、すぐにアミュレスを抱えたままソーン達の裏へ回った。そこにはケルスミアが呆然と座っていた。
「ケルスミア、大丈夫か? ソーンの傷を治してくれたのか?」
 ケルスミアは黙っているかと思ったが、すぐに返事をした。
「いいえ、私じゃないわ。デュラスよ。あの人も魔法を使えたの。でもあなた達じゃヴァンパイアには勝てない。私はもう大丈夫だから、私に任せてみんなは逃げて!」
 ケルスミアはそう言うと、タイミングを計ったかのようにソーン達の方へ飛び出していった。ビルも一瞬考えていたが、アミュレスをその場に寝かすとケルスミアの後を追って飛び出した。ベステトはケルスミアが現れると笑みをこぼした。
「ようやく現れたか、お嬢さん。悪いがすぐに死んでもらおう」
「やれるものならやってみなさい!」
 ベステトはソーン達を蹴ちらすとケルスミアに飛びかかった。ケルスミアは右手、左手に一本ずつ光るナイフを握るとベステトに突進した。そのナイフは光の尾をのばしてベステトに刺さった。
「私はいくらでも魔物退治の道具を持っているのよ。最初の攻撃だけで終わりだと思わないことね。さあみんな、先に逃げて! これから強力な術をお見舞いするから、私以外の者は巻き込まれてしまうかもしれないわ! みんな怪我人なんだからね!」
 ケルスミアのその言葉にソーン達は圧倒されたが、ソーンはケルスミアに話しかけた。
「しかしケルスミア、一人でなんて無茶だ!」
「大丈夫よ。早く!」
 ソーンはまだ考えていたが、デュラスはみんなの気を引くように大声で叫んだ。
「ここはケルスミアの強力な術に任せようぜ。俺達がいては術の邪魔になるし、アミュレスも危険な状態なんだ」
「こっちだ! アミュレスを連れて早く来い!」
 ビルは急いでアミュレスを担ぐと、デュラスを追いかけた。アミュレスを担いでいて後ろを振り返る余裕はなかったが、今はただケルスミアを信じるしか仲間達が生き残る方法はないように思えた。しかしソーンとガラムはすぐには走り出さなかった。
「……ケルスミア。本当に切り札なんてあるのか? もしあるのなら、何故ここまでみんながぼろぼろになるまで待たなければならなかったんだ?」
 ソーンはケルスミアに尋ねたが、ケルスミアは黙っていた。
「……早く逃げて二人とも。このヴァンパイアを足止めできるのは私だけ。始めからソーン達にはこのヴァンパイアは関係なかったでしょう?」
 ケルスミアがようやくそう語った時にはナイフの光は弱くなり、ヴァンパイアが動き出した。ベステトは怒りの表情を顔に表していた。しかし今度はケルスミアはそれにおびえることもなかった。ケルスミアは強い決心をしていた。
「そこまでして俺を怒らせたいのか? どんなことをしても無駄な悪あがきだと何故気づかないのだ? 愚かな者達め。お前達全員逃がさんぞ」
 ベステトがそう話すと、ガラムはすぐに飛びかかった。まるで最後の力を振り絞るかのように。ベステトから受けた傷をものともせずに。ベステトはここまで人間が粘ることができるのに少し驚いていた。するとガラムにがっちりと体を押さえつけられていた。
「さあケルスミア! 切り札があるんだろう? さっさとしてくれ!」
「ガラム! 無茶よ! あなたまで巻き込んでしまうわ!」
「……かまわねえよ。お前達みんなが死ぬより、俺一人死ぬだけで済むなら大歓迎だ。スクリームをぶち殺せないのは残念だが、それはお前達に任せるぜ。……そろそろベスクにも会えそうだ」
 ソーンはガラムの言葉に驚いた。あの自分勝手なガラムが自分以外の者の心配をするなんて……。それはいっそう絶望感が近づいているようにも感じた。ガラムはソーンの顔を見ると再び話し出した。
「ソーン。そんなに暗い顔をするな。いつかまた会えるさ」
 ベステトは光のナイフの力が弱まるとガラムを突き放そうとした。しかしガラムは信じられないような力でベステトを押さえつけていた。
「早くしろケルスミア! 俺はもうこれ以上は押さえていられない……」
 ケルスミアはガラムが力つき欠けているのを見ると決心をして懐から巻物を取り出した。赤い巻物の紐をほどくと、ケルスミアは声を出した。
「この術の領域内にある者よ。その活動を止め、石に戻りたまえ!」
 ケルスミアは巻物をベステトに投げつけた。巻物は一つの長い紙となり、ベステトとガラムを包むように渦を巻き始めた。次第にそれは小さくなっていき、確実に二人を包んでいった。
「ソーン! あの術の隙間から出る光を直接見ては駄目よ!」
「分かった!」
 ソーンはケルスミアをかばうように背中をベステトに向けた。その瞬間ものすごい光が辺りを襲った。まるでもう一つの太陽が落ちてきたような……。この光はかなりの遠くまで拡がり、ビルやデュラス、トランス達の目にもとどいた。
 数十秒が過ぎると、ブラドの森は再び闇に包まれた。ソーンとケルスミアは目を開けるとベステトのいた方を向いた。そこには大きな岩の塊が一つあった。その岩には焼けこげた紙が張り付いていて、岩の姿を隠しているようだった。ケルスミアはそっと近づくと、その紙をはがし始めた。その紙がはがされていくとだんだんと岩の全体が見えてきた。かなり大きな岩だったが、ソーンには何故か小さく感じた。紙をすべてはがし終えたとき、二人の不安は恐怖に変わった。
 石化していたのはガラム一人だけだった。その顔は苦しそうに空を見上げていた。ソーンは信じられない光景を見てケルスミアを見た。
「ケルスミア……これは?」
「残念だったな。俺はまだここにいるぞ」
 ソーンとケルスミアは空を見上げると、そこにはヴァンパイアが宙に浮いていた。ベステトは二人がこちらに気づくとゆっくりと地面に降りて説明を始めた。
「お嬢さんの術にかかったと思ったとき、そいつは安心したんだろうな。俺を押さえつけていた力が弱くなったんだよ。その時俺は素早く空へ脱出して、そいつだけが術にかかったというわけさ」
「そ、そんな!」
 ケルスミアが絶望の声で叫ぶと、ベステトは笑い出した。大きな声だった。それは魔界に住むデーモンの咆哮のように森に響いた。ケルスミアは再び戦意を喪失しそうになっていたが、ソーンはしっかりケルスミアの肩をつかんでこう言った。
「ケルスミア、まだできるか? 奴を倒せる術が?」
「ソーン? もう石化の術の巻物はないわ。石化の術ならもしかしたら後で治せるかも知れないと思って……。あとは相手を土に返す術、つまり完全に消滅させる術しかあのヴァンパイアには効かないと思うわ。でも今の状態じゃ、絶対に避けられてしまう……」
「そうか……それなら安心だ。頼むぞケルスミア、ガラムを無駄死ににはさせない!」
 ソーンはケルスミアから離れるとベステトにつかみかかった。
「二度も同じ手はくわんぞ! 人間め!」
 ソーンが左手をのばすとベステトは逆にその左手をつかんだ。そしてそのソーンの腕をそのまま握りつぶした。ボキボキという骨と肉の砕け、潰れる嫌な音がすると、ソーンの腕はただの肉の塊となり肩から垂れ下がっていた。ソーンはうめき声を上げたが、もう片手でベステトをがっちりと掴んだ。
「今だケルスミア!」
「ザコめ! さっきの図体のでかい奴の方がもっと力があったぞ。そんなんでこの俺を押さえつけているつもりか?」
 しかしひるんだのはベステトの方だった。ソーンは片腕が折れ、体力も尽きようとしているのに、潰れていない片目だけはまだ生命の輝きを持っていた。そのすさまじい執念の形相にベステトは恐怖にも似た感情を抱いていた。……この俺が人間ごときに恐怖を? そう思ってはっと我に返ったときにはもう遅かった。ケルスミアが再び術をかけていたのだ。ベステトは苦痛の声を漏らした。しかし今度はうまく脱出することはできなかった。
 そしてソーンとベステトは辺りが真っ白になるのを見ていた。そして、消えていった。
「ああ……、これでソーンもいっしょに消滅してしまった……」
 ケルスミアはその場に立ちすくんでいた。たとえ今、別のモンスターが現れてもケルスミアは戦おうとすることも、逃げようとすることもできなかっただろう。ケルスミアはガラムとソーンを死なせてしまったことに深い責任感を感じ、呆然としていた。静かになった闇には一匹のコウモリがケルスミアの近くを通り過ぎていった……。
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