コンセプト形成の経緯
ことはじめ
「こういう遊び方があったのですね」
これはここ数年ほど、自分や友人がJGCでゲームマスターをした後にプレイヤーからよく発せられる感想です。
確かに自分達は比較的主流から外れたタイトルで遊ぶことも多いため、昨今主流のゲームタイトルとは違ったプレイ感覚を持つシステムを運用しています。そのプレイ感覚の違いが新鮮であったのでしょう。
確かに自分達は比較的主流から外れたタイトルで遊ぶことも多いため、昨今主流のゲームタイトルとは違ったプレイ感覚を持つシステムを運用しています。そのプレイ感覚の違いが新鮮であったのでしょう。
そこで、どのような要素が彼らにとって新鮮だったのかを友人達と色々話し合っていました。
その中の要素の一つに「自分達は偶発的な出来事、つまりハプニングを楽しんでいる」というものがあったのでした。
その中の要素の一つに「自分達は偶発的な出来事、つまりハプニングを楽しんでいる」というものがあったのでした。
システムによるハプニングと演出によるハプニング
誰かの発した何気ない一言/なにかの役に立つ"かもしれない"物の入手/絶体絶命のピンチで起きた敵のファンブル/扉を開けたら彼女が着替え中……等々のゲーム中の様々な"アヤ"が重った結果、「やってもうたぁ!!」「ぶっちゃけありえねぇ!!」「なんでこんな時にかぎって!!」等の悲鳴をあげつつもその状況を楽しんだことがある人は多いでしょう。
現行のほとんどのルールシステムにおいて「クリティカル/ファンブル」のルールが含まれている事からも分かるとおり、適度な意外性はゲームに適度な刺激をあたえてくれます。
ここ数年における日本国内のTRPGシステムは「ルールとフレーバーを分離し、演出をプレイヤーに委ねる」事によって「マスタ-が場面を設定し、その場面に応じた演出をプレイヤー達が表現する」というプレイスタイルが採用されるようになっていました。
そのプレイスタイルは多くのユーザーに受け入れられ、個々のプレイヤーの思い描く演出を阻害しないようなルールシステムとセッション運営手法が確立し、洗練されてきました。
このようなプレイスタイルにおいて「セッション中のハプニング」は「ルールシステムが提供する偶発的な要素」だけではなく、主に「セッション参加者によって演出されうるもの」という表現手段の一部となっています。
我々はそれらセッション中のハプニングの中でも「ルールシステムが提供する偶発的な要素」をより好む傾向があったのです。
ハプニングが楽しいゲームを!
上記のような認識を元に、びせん@備前屋やみはいる尾作さん等といろいろな事を話し合ったのが去年(2004年)の事でした。
それから幾度かアイデアを寝かしては掘り起こしを繰り返し、同人のオリジナルシステムとして「ハプニングを楽しむためのゲーム」を製作するというプロジェクトを開始する事になりました。
それから幾度かアイデアを寝かしては掘り起こしを繰り返し、同人のオリジナルシステムとして「ハプニングを楽しむためのゲーム」を製作するというプロジェクトを開始する事になりました。
- 若干びぜん@備前屋とは経緯と意図は異なりますが、大元の出だしとしてはこのようなものでした。
これは初期コンセプトの段階でこんな感じだったという事で、最終作品がこうなるとは限らんです。 -- ねこPa! (2005-09-01 00:23:01)