フレディに会った (レマン湖周遊)

(2000年9月頃)

モントルー 編

こちらではたいがいツーリストインフォは5時には閉ってしまいます。エビアンを出たのは4時過ぎになってしまい(水汲み場が見つからなかったので)ちょっと焦りながら車を走らせます。
途中は迷う事も無くモントルー(Montreux)へたどり着けたものの、やはり5時は過ぎてしまい、今日のホテルは自力で探す必要が出てきてしまいました。



エヴィアン=レ=バン(Évian-les-Bains)→モントルー(Montreux)の道のり(38 km:45分)

しょうがないので駅の近くに車を停めてプラプラ。駅のインフォではパンフレットはくれたものの予約まではしてくれまへん。

最終的には湖畔で一番目だっていた(一番背の高い)ホテルにねらいを定め、泊まる事にしました
さて、ホテルさえ決まってしまえば後はなんとかなる。ってことで取りあえず湖畔を散歩します。

その第一の目的はガイドブックに書いてあった「フレディーマーキュリーの像」

「モントルージャズフェスティバルでも有名な。。。」とガイドブックに書かれている事からこの町は音楽に関係深い町みたいです。ちなみにこ当時は「ポップフェスティバルもここでやってんだよなー」と思ってましたが、実は間違いでした。こちらはカリフォルニアのモンタレー(Monterey)なんだそうです。

もちろん、DeepPurpleの超有名曲"Smoke on the water"の歌詞に出てくるのもここ。歌で"Lake Geneva shore line"と歌っているように英語ではレマン湖のことはレイクジニヴァ(ジュネーブの湖)と言うらしい。
ホンとの事言えばツーリストインフォに歌詞に出てくる"grand hotel"はどこだ?って聞いて、あわよくば泊まろうと思ってたんです・・・(実現せず)

ま、それはともかく湖畔の道をのんびり歩いていくと既に夕闇。なかなか綺麗な風景でございます。

そして、ついにマーキュリーさんにお会いする事ができました。

モントルーとフレディ・マーキュリーの関係は像の下の銅板の説明を読むと良く分かります。
+ 説明文
FREDDIE MERCURY
Lover of Life - Singer of Songs
1946 - 1991

Born Farrokh Bulsara on the East African island of
Zanzibar, Freddie Mercury became one of the world's
greatest rock music performers. His career as lead
singer of the band Queen spanned twenty years and
together they sold over 150 million albums worldwide.
Innovator, showman, musician extraordinaire, he left a
campelling legacy and had an enormous influence on
the next generation of rock performers.

Queen acquired the lakeside Mountain Recording
Studios in 1978 and Freddie's strong links with the
town continued until his death. He appreciated the
kindness and discretion of the townpeople and
Montreux became a haven for him, his second home
and the setting for his final work.

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フレディ マーキュリー
Lover of Life - Singer of Songs
1946年~1991年

ザンジバルの東アフリカ島にあるFarrokh Bulsaraにて生まれ、
フレディ・マーキュリーは世界の偉大なロックパフォーマーの
一人となった。ロックバンド「クィーン」のリードシンガーと
してのキャリアは20年にもわたり、全世界で1億5千万枚ものア
ルバムが売られた。イノベーター(改革者)、ショーマン、
並外れたミュージシャンとして確固たる遺産を残し、次世代の
ロックパフォーマー達に多大な影響を与えた。

クィーンは1978年、湖畔に自ら「マウンテン・レコーディング
  • スタジオ」を作り、それから彼が死ぬまでフレディとこの町
との強い関係は続いた。彼は町の人たちの優しさと思慮に感謝
しモントルーは彼にとっての安息の地、第二の故郷となり、彼
の最後の仕事の舞台となった。

さらに写真を撮ってしばらくするとスイスのあの長いホルンを携えた集団がやってきて曲を演奏し始めました。勝手に「フレディに捧げているんだなぁ」と思いながら聞いておりました。

つづく。。。(→次へ




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最終更新:2008年11月13日 19:34