「形武道と護身」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

形武道と護身」(2006/10/26 (木) 23:21:18) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*形武道と護身(2006-10-26) #counter 形の武道をやっていると、時々、ほんとに役に立つのだろうかと不安に思うときがあった。私は、空手・合気道・合気術・太極拳などもやったが、やってて、自分に自信がつかなかった。 しかし、後年、31過ぎてから、日本拳法道に入って、他流試合をこなすうちに、形武道でも、存外行けると言う実感を持った。 私が、日本拳法道に入ったのは、もともと他流試合がしたかったからだったので、4月に入門して その年の秋には、もう大会に出ていた。当時はまだ、無差別で試合を行っていてたが、初戦で どこかの私より重量のある空手の黒帯に勝つことができた。 もっとも、2回戦では、私と体格的に変わらない、日本拳法の選手に、見事に面突きを食らって、瞬間ダウンしてしまい、さすがに日拳の面突きは強烈だと、思い知らされた。 その後も、私は、乱稽古は大会前に、目慣らしと呼ぶ、マススーパーのみで、41になる手前2週間まで 防具の総合・硬式空手・グローブ空手・アマチュアキック・真武館全日本体力別と色んなトーナメントに挑戦し続けた。特に、本格的に競技生活を行ったのは35過ぎてからである。 それでも、大怪我をすることもなく、通算公式トーナメント15回出場を果たすことが出来た。 その経験から、型稽古でも、けっこうやれるという実感を持った。護身という観点から考えると 確かに競技武道の方が、速習生はあると思うが、問題は長続きしないことである。 無論、競技武道で長く続ける人もいるだろうが、大半の人間は、若いとき選手としてやって、その後は何もしないと言うのが一般的なのではないだろうか? 護身の観点から考えると、何もしなければかって、激しく競技生活を送っていたとしても、体が動かず いざと言うときに不覚をとるということにならないだろうか? その点、形武道の長所は、ゆっくり時間をかけて、年を取ってからでも続けられることだ。 競技武道も形武道もそれぞれ長所と欠点があるから、私は、競技武道の経験者が、ある程度年齢がいき 競技を引退したら、形で稽古するのが現実問題問としての、もっとも合理的な護身法では、ないかと考えている。仕事を持ちながら、競技武道を40過ぎて続けるというのは、かなり過酷ではないかと思う。 それを続けられる人は、もともと体力があるのだから、そもそも護身が必要ではないのではないか。 私の言う護身とは、普通のサラリーマンが仕事を持ちながら、週1回か2回の稽古でも、長く続けられ、万が一に備えると言うことであるから。 そういう稽古体系の武道が護身としては望ましいのではないかと考えている。そういう意味では 私は、少林寺拳法と言うのは、なかなか優れた体系を持っていると常々考えている。 護身と実戦と言うのは、なかなか悩ましい問題なのだが、60になっても、万が一が来るかも知れないから、私としては、年齢や体力に関係なく、できる武道は必要だと思っている。 要は、その個人がその時々で、年齢・体力に応じて、競技武道を学んだり、型稽古を中心にやったりすればいいのだろうと言うのが私の見解である。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]
*形武道と護身(2006-10-26) #counter 形の武道をやっていると、時々、本当に役に立つのだろうか、と不安に思う時があった。私は、空手、合気道、合気術、太極拳などもやったが、やっていて自分に自信がつかなかった。しかし、後年、三十一過ぎてから日本拳法道に入って他流試合をこなすうちに、形武道でも、存外行けると言う実感を持った。 私が日本拳法道に入ったのは、元々他流試合がしたかったからだったので、四月に入門して、 その年の秋にはもう大会に出ていた。当時は、まだ無差別で試合を行っていたが、初戦で、他流派の、私より重量のある空手の黒帯に勝つことができた。もっとも、二回戦では、私と体格的に変わらない日本拳法の選手に、見事に面突きを食らって瞬間ダウンしてしまい、さすがに日拳の面突きは強烈だと思い知らされた。 その後も、私は、乱稽古といえば大会前に「目慣らし」と呼ぶマススパーのみで、四十一になる手前二週間まで、防具の総合、硬式空手、グローブ空手、アマチュアキック、真武館全日本体力別と色々なトーナメントに挑戦し続けた。特に、本格的に競技生活を行ったのは三十五過ぎてからである。 それでも、大怪我をすることもなく、公式トーナメントに通算十五回出場を果たすことが出来た。 その経験から、型稽古でもけっこうやれるという実感を持った。護身という観点から考えると、確かに競技武道の方が速習性はあると思うが、問題は長続きしないことである。無論、競技武道で長く続ける人もいるだろうが、大半の人間は若い時に選手としてやって、その後は何もしない、と言うのが一般的なのではないだろうか? 護身の観点から考えると、何もしなければ、かつて激しく競技生活を送っていたとしても、体が動かず、いざと言うときに不覚を取る、ということにならないだろうか? その点、形武道の長所は、ゆっくりと時間をかけて、年を取ってからでも続けられることだ。 競技武道も形武道もそれぞれ長所と短所があるから、私としては、競技武道の経験者が、ある程度年齢がいって競技を引退したところで、形で稽古する、というのが現実問題問としての、最も合理的な護身法ではないか、と考えている。仕事を持ちながら、競技武道を四十過ぎて続けるというのは、かなり過酷ではないかと思う。 それを続けられる人は、もともと体力があるのだから、そもそも護身が必要ではないのではないだろうか。私の言う護身とは、普通のサラリーマンが仕事をしながら、週一回か二回の稽古でも長く続けられ、万が一に備えると言うことであるから。 そういう稽古体系の武道が、護身としては望ましいのではないかと考えている。そういう意味では、私は、少林寺拳法と言うのはなかなか優れた体系を持っている、と常々考えている。 護身と実戦と言うのはなかなか悩ましい問題なのだが、六十になっても、万が一、という事があるかも知れないので、私としては、年齢や体力に関係なくできる武道が必要だと思っている。 要は、その個人が、その時々で、年齢や体力に応じて、競技武道を学んだり、型稽古を中心にやったりすればいいのだろう、というのが私の見解である。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
目安箱バナー