日本拳法道連盟 豊前福光派古術連盟 風門館 私が古術伝承を思いたった訳(1)

私が古術伝承を思いたった訳(1)(2006-10-15)

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私は、日本拳法道門下の一人として、三十過ぎてから他流試合を相当数こなしてきた。公式のオープントーナメント出場歴15回、公式、非公式の他流試合60数戦。現役最後の試合は、齢四十一になる手前二週間の日、アクシオン福岡メインアリーナに立てられたアマチュアキックボクシングのリングの上だった。無論、相手は二十代の若者である。結果は延長の末、判定負けで終わった。

そしてリングを去るとき、もう、ここに戻ることはないだろうな、と思いながらタラップを降りたことを、昨日のことのように思い出す。

そんな私が、一族相伝・門外不出などと言う得体の知れない(しかも、武家の術でもなく、帰農した者の護身の芸などと言うもの)に価値を見いだせるはずがなかった。

私は、今思えば、けっこうな権威主義であったと思う。合気道、八光流柔術、空手など、私が付いた師匠は、いずれも誰に問われても恥ずかしくない系譜明らかな人たちだ。また、そういうものでなければ、私は武道家を信用しなかった。

そういう私がこの古術の伝承に踏み切ったのは、やはり、日本拳法道での他流試合の経験からが大きいと思う。

私は、中学時代に剣道を始め、高校では空手を学んだ。古術自体は5歳ぐらいから習っていたが、剣道や空手を学び、初段なりを取るようになると、系譜もないような流儀など、正直言ってまったく信用していなかった。

そして、もともと非力であるため、合気系、中国武術などと神秘系武道に惹かれて修行を続けていた。

無論、古術の修行も並行して行っていたが、先代への義理でやっていたような感じで、古術の継承者などと言われてもまったく迷惑千万な話であった。

ちなみに言うと、私は合気会の昇段審査の後のパーティーで金髪の女性とちゃらちゃらするのが大好きだった。とにかく派手な流派、有名な会派、大きな組織に属するのが大好きな、全くの俗物であった。

そういう私が、自分の腕前を試したくなって日本拳法道に参加し、数々の他流試合行う内に、
古術の手が極めて実用的であることに気づいていったのである。

私は、離間の現代武道の経験が長く、柔道や相撲などの経験がなかったために組技が苦手であった。日本拳法道では、打撃だけでなく組技が強いことも勝つために必須であったから、組技対策に大変苦労した。

その組技対策を研究しているとき、はっと気がついたのは、私の体が古術で動くということだった。若い頃、古くさい、胡散臭いとせせら笑うように見ていた古術の技が、日本拳法道の極めて実戦的なルールの中で、しかも他流試合の中で、生き生きと動き始めたのである。

日本拳法道門下で、十年間他流試合を闘いながら、私は古術の手合の実用性に気がついてきた。そして、なぜこのような実用的な技が、現代武道に残されていないのか疑問に思うようになった。

50を前にして、この手と、この言霊の文化を、残せるものなら残したい、と強く願うようになった。

それが、私が風門館として古術を講習するようになった最大の理由である。

「いわれの真偽、ともかくとして、この手確かに効くによりて、吾は、この手を継ぎ申した。そなた疑うなら廃すべし、そなた信ずれば、受け継ぐべし。全ては風のままに」

これが、免許皆伝・第十六代守人を継ぐ時の先代よりの口上である。これを代々続けてきたと言われている。

私が、この口上を述べる可能性はほとんどないかも知れないが、私は、古術を残したい。先代の思い出とともにまた、私の他流試合で学んだ経験とともに。

達人には程遠いながらも、武に生き、武を愛した私の生き様として。(館長)