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■30日・ドゥアラ
26日夕刻、イスパニア王国のタベラ枢機卿は、西アフリカギニア湾沿岸のドゥアラを軍事攻撃するべく艦隊を編成し出発させたとの発表を行った。また、イスパニアはヴェネツィア共和国とフランス王国に援軍を要請、両国とも要請を受諾し、外洋艦隊を進発させた。
28日にイスパニア連合はヴェネツィア・フランス両国の艦隊とベニンで合流、ドゥアラ近海に防衛線を張ったポルトガル・ネーデルランド連合軍と激突した。
参加艦艇は、イスパニア連合軍が約250隻(うちヴェネツィア籍約60隻)、ポルトガル連合軍が約140隻と大幅な戦力差があり、ポルトガル側は艦隊を散開させてゲリラ戦術を取るものの、イスパニア連合側がその数を生かし、同様に散開させて消耗戦に持ち込むなどの戦術を取ると、その戦線は崩壊。イスパニア側が圧倒的に有利な状況が終始続き、30日のドゥアラ前の正面大型艦隊戦でもイスパニアがポルトガルを押し込み、結果、今まででの戦いではあまりなかった、ドゥアラ港が陥落という形で戦闘は終結した。
この戦いでポルトガルは40%あったドゥアラの影響度を25%まで減らし、イスパニアは34%→42%、ヴェネツィアは10%→14%、フランスは0%→3%と影響度が割り振られた。
ドゥアラ陥落の報はすぐにポルトガル王国首都リスボンに伝わった模様で、「結果は予想していた。しかし、ここまで不甲斐ないとは・・・」リスボンのポルトガル海軍士官が深くため息をつく姿も見られた。リスボンの街には、ポルトガルの苦境がまだこの先も続くことを予見しているのか、暗い影が差し込んでいるようだ。
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