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レパントでトルコ軍とキリスト神聖同盟軍が衝突

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トルコ帝国スルタンの親書は西欧に衝撃を与え、そして大規模軍事衝突に発展した。

16日、その親書の内容が政府から公表され、その内容にヴェネツィア市民は恐怖を感じつつも、怒りの気持ちを禁じえなかった。
ヴェネツィアが支配しているファマガスタ、ラグーザの割譲を初めとして、アレクサンドリアからもたらされる香辛料などの交易品の関税大幅引き上げなど、極めて高圧的かつ理不尽な要求である。世論と国益に対して、ヴェネツィアの十人委員会は、事実上トルコの宣戦布告とみなし、オルセオロ補佐官をローマに派遣、教皇及び各国の王に西欧の危機を説き、同盟軍結成の工作を行った。

各国とも内政問題を抱え、派遣を渋るものと思われたが、補佐官と大使の説得が功を奏し、熱烈なカトリックであるイスパニアのカルロス王の取り込みに成功し、イングランド、ポルトガルを初めとした各国も大規模ではないものの義勇艦隊を結成し派遣する約束を取り付けた。
総司令官人事は、イスパニアに属するジェノヴァ人傭兵アンドレア・ドーリア提督か、ヴェネツィアの宿将セバスティアーノ・ヴェニエル提督にするかで両国が揉めたものの、最終的にはイスパニア王弟、アウストリア伯ドン・ファン氏を据えることで決定、即座に艦隊の編成が行われ、シチリア島シラクサに400隻を超える艦隊が結集した。

一方、トルコはアリ・パシャを司令官とし、急造した大規模なガレー艦隊を東地中海各地へ配置、21日にはイオニア諸島南東のレパントで最初の戦闘が始まり、なだれ込むように西欧諸国とトルコとの大規模な軍事衝突に発展していった。
しかし、トルコ軍は非常に大規模であるもの火砲威力・操船技術に劣るためか、動きが鈍く、各所でキリスト連合国が優勢な戦局を握り、アリ・パシャ隊はイオニア海中央で孤立、連合軍が包囲殲滅の集中砲撃を行い、詰めの白兵戦でアリ・パシャ討ち取りの声が上がり、トルコ軍は瓦解。その日の戦闘は終結した。

しかし、その後バルバリア海賊首領の「赤髭」ハイレディン・バルバロッサが指揮権を引き継ぎ、「司令官の弔い合戦」と称し26日に再度侵攻を開始した。前回とは違い、統制の取れた用兵で連合軍も苦戦を強いられ、一時は総司令官ドン・ファン氏に敵奇襲隊が迫る危機もあったものの、イスパニア艦隊のバルタザール提督の活躍もあり危機を脱出、戦局は次第に連合軍の火力による力押しの戦い方がトルコ軍を押し始め、最後はトルコ軍撤退と相成り、戦闘は終結した。
この戦いで、ヴェネツィア艦隊は最も大きな戦果を上げたが被害も大きく、参謀長であるアゴスティーノ・バルバリーゴ氏も重傷負った模様だ。

ファマガスタのあるキプロス島を守りきり、トルコ大艦隊を撃退したという報は「大勝利」としてヴェネツィアを歓喜の渦に巻き込んだが、政府は「これは西欧の、キリストの勝利である」というコメントは出したものの、官房長官であるモチェニーゴ氏の表情は市民ほど明るいものではなかった。

トルコはたった数日で壊滅した艦隊を建て直し、西欧の大艦隊に一時は互角の戦いをしてのけた。その国力は絶大なものである、という認識をヴェネツィアの首脳は嫌でも持たざるを得なかったのであろう。
1日、政情不安定として危険海域指定もされていた東地中海も、巡視艇と交易船が行きかうようになり、安全宣言が出された。しかし、それがまた覆される日もいつかは来ると予想することは容易である。そんな日が来ないことを祈るばかりだ。


カテゴリ: [時事] - &trackback() - 2006年11月01日 23:04:56

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