国勢/2006年01月10日/イスパニア連合軍、アテネ進攻

    
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■9日・アテネ
葡同盟のシエラレオネか、英同盟のアテネか。進攻先を巡って激しく揉めた末、5日夕刻、イスパニア王国のタベラ枢機卿はアテネ進攻の決断を下し、艦隊の展開を進めた。
ヴェネツィア共和国もこれに呼応し、海軍基地カンディアの拠点提供と海軍派遣を行った。フランス王国も今回の連盟に参加し、7日夜、3ヶ国連合軍とイングランド王国軍はエーゲ海にて激突した。

数の差は圧倒的に連合軍が多く、イングランド王国軍も度重なる海戦で錬度は上がってるものの、数的建て直しが未だ達成されておらず、戦闘は終始連合軍の有利のまま終結した。

この戦いの結果、一時はイングランドのアテネ影響度は20%にまで落ち込み、ヴェネツィア21%、イスパニア17%まで影響度が変動したものの、この海戦の影響がなかったポルトガルの影響度が1位となって同盟国がポルトガルとなってしまうという、おかしな現象となってしまった。
イングランド側はこれをよしとせず、海戦後に10億Dにもわたる大規模投資を行い、アテネを再同盟化した。これにより、ヴェネツィアの影響度も減衰し、結局海戦前と同水準である16%に落ち着いた。

負けても投資で取り返せばよい―国同士がしのぎを削って争う中、それは確かであって、批判される筋合いのものではない。だが、それは海戦が海戦たる意味をなさなくなるということでもある。
イングランドは「栄光ある孤立」と自称するものの、それを今後とも続けていけるのだろうか。今後の動きに注目である。


カテゴリ: [大海戦] - &trackback- 2006年01月10日 03:14:07

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