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ドゥアラで英連合と西連合激突、引き分けに

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■21日・ドゥアラ
19日夕刻、イングランド王国・ヴェネツィア共和国連合軍はギニア湾のサントメ島で合流した。遠征艦隊はこの時点でドゥアラがイスパニア同盟港となり、待ち構えている艦隊がイスパニア王国・フランス王国連合軍であるとの知らせを受け、艦隊には動揺が走った。

しかし、攻撃の決定を覆すこともままならないことから、予定通りドゥアラ及びギニア湾の制海権をかけた攻撃の号令がかけられた。イスパニア連合軍はサンジョルジュで補給を行い、両軍が対峙・開戦した。

参加艦艇は、イングランド連合軍が若干多く、ヴェネツィアからもこれまでで最大の戦力となる約40隻もの艦艇が参加した。イスパニアも急編成ながらイングランドとほぼ同数、フランスは私掠艦隊が中心の編成となった。
戦力が拮抗した戦いであり、更に正面同士でぶつかったため、戦いは消耗戦の様相を見せ、長い膠着状態が続く形となった。そのまま、21日夜に両軍の停戦条約が結ばれ、戦闘は終結した。

イングランド連合は予想外に規模の大きいヴェネツィア海軍との連携が若干ぎこちなくなり、イスパニア連合は急な戦いであったため、戦力が揃うのに時間がかかってしまうという、双方課題点を残す戦いであった。
引き分けであることから海戦での影響度変動は殆どなかった模様だが、先立っての投資旗変えのため、ドゥアラのヴェネツィア影響度は幾分削れてしまったようである。

なお、今回、ヴェネツィア海軍が大規模な戦力になった訳は各国から亡命者が増えてきた点が大きい。また、ポルトガルがインド航路を開拓したことから、胡椒の価格対抗のためにヴェネツィアはガレー中心から、少人数で運行でき外洋にも強い帆船の導入に積極的だったため、それらの帆船を有事徴用で軍用に転用した点もあるだろう。
海戦の勝敗や影響度の増減はともあれ、外洋での運用に耐える船とまとまった戦力が整いつつあることを各国に知らしめたのは、ヴェネツィアにとって大きな収穫だった筈である。

ヴェネツィアが地中海だけでなく、外洋に進出する日も近いのだろうか。が、東地中海ではオスマントルコに不穏な動きがあるとの噂もあり、現時点では足固めの方が重要だろう。


カテゴリ: [大海戦] - &trackback() - 2006年05月23日 00:50:51

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