国勢/2006年06月04日/オスマン帝国、ロードス島へ進攻

    
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■3日・カンディア
かねてからトルコ・ヴェネツィア船に対しての海賊行為が問題視されていた聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)に対し、遂にトルコが強硬手段に出た。
カンディア北東、聖ヨハネ騎士団が治めるロードス島へ、5月24日から6月3日までの間、3度に渡ってオスマントルコの大艦隊が東地中海になだれ込み、軍事攻撃を行った。
これに対し、ヨハネ騎士団はローマ教皇及び西欧各国に援軍を要請し、各国は義勇兵を送ることを約束、これを機動戦力として対抗し、犠牲を出しながらも、撃退に成功した模様である。

なお、ヴェネツィア共和国は要請に対し、オスマントルコと軍事的対立を防ぐ点、また少数とはいえヨハネ騎士団がヴェネツィア船籍の交易船を襲った前歴があり、表立った協力はせずに中立の立場をとるという公式談話を発表した。
しかし、ロードスがオスマントルコの手に落ちると、エーゲ海近辺のパワーバランスがますますオスマントルコに傾いてしまうこともあり、共和国海軍基地カンディアでは"商船偽装したロードス船籍"の補給を認め、解体が近い中古ガレー船を"回航中に騎士団に強奪"されたりと、水面下での援助は行った模様だ。
また、各地の城砦設計・建設で名高いガブリエル・タディーノ技術大佐のロードス亡命を黙認したという噂も立っており、ヴェネツィア政府も市民の航海者が自由意志で義勇兵参加する分には制限を加えない、という方針を打ち出したことからも、この噂はかなり信憑性があるようだ。

ヴェネツィアから参加した義勇兵も相当数に上り、特にドゥアラ海戦から帰投し、軍事徴用を解かれた民間船がそのまま参加といったケースが多かったようだ。
イングランド、ネーデルランド、ポルトガル、イスパニア、フランスとヴェネツィア船が共に肩を並べる姿は、イスラム勢力との戦いだからこそ、の風景であるが、戦いに勝利し、エーゲ海の平和が(例え物騒でも、せめて以前の水準に戻り)守られたことは喜ばしい点であろう。
この戦いに参加した艦船には、騎士団から付近海域の安全を保障する証が贈られた模様だ。


カテゴリ: [時事] - &trackback- 2006年06月04日 02:12:26

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