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tlanszedan

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   エントシプレヒェンドバイン

   4話 脱走



 半日程度の間だったが、とても長い時間だと誰もが思っていた。部屋で顔を合わせたトランス達とダルド達は、お互いの様子を見ただけで、まるで今日何があったかが分かるかのように誰も口を開かなかった。しかしトランスはふとザロックがいないことに気付くと、ようやく重い口を開いた。
「ダルド、……ザロックは?」
「……あいつは死んだぜ。たった一人でゾンビどもと戦ってな」
「……」
 トランス達、C棟に連れて行かれた四人は黙ってしまった。ダルドは今日の出来事をトランス達に話し始めると、部屋にいる全員の心が沈んで行くような空気に包まれた。ランスだけはなんともないように平然とした表情で黙っている。あのザロックが死ぬなんて……、トランスはもっと早く脱走の計画をたてていればザロックやクライムが死ぬこともなかったのだと思うと、怒りとも悲しみとも思えるような感情が沸き上がった。しばらくはトランス達はぐったりとしていたが、突然この部屋に訪問者が現れた。
〔おいアミュレスにトランス。俺だ、チュー兵衛だ。ビルとかいう奴が洗面所で待っているぞ〕
そうだった。今日はビルにあって話しをするんだったとトランスは思いだしたが、とても今みんなに話す気にはなれそうもなかった。その様子をアミュレスは見逃さなかった
「トランス、いってこい。みんなには私が話しておこう」
 トランスは素直にアミュレスの好意をうけると、チュー兵衛と共に洗面所まで静かに向かった。
 洗面所に着くと、ビルは一人でトランスを待っていた。
「トランス! 随分遅かったな」
「……うん。実は今日までに仲間が二人死んだんだ。みんなとても疲れているんだよ」
 トランスは今日の出来事をビルに話した。ビルはトランスの話を静かに聞いていたが決意は変わらない。
「トランス、やっぱり早くここから逃げよう。いつまでもここにいたんでは全員殺されちまうぜ」
 ビルは仲間達の不満を代表するかのように言った。しかしトランスも今では本当にそのようなことが現実になりそうでビルの考えに賛成だった。
「……僕もそう思うよ。だけど今はみんなは疲れていて動けないと思う」
〔おいトランス。シャキッとしろよ。そんなんじゃおまえも殺されちまうぞ〕
 チュー兵衛は心配そうにトランスに話しかけた。しかしビルには足元にいるネズミが何故逃げて行かないのか不思議に思った。
「ああ、このネズミね。アミュレスと僕の友達なんだよ」
トランスが不思議そうなビルの顔を見てそう説明すると、ビルは分かったように頷いたがチュー兵衛の言葉が理解できないので、トランスの気がおかしくなってしまったとしか思えなかった。
「トランス、みんなは賛成してくれたぞ」
 いつのまにかアミュレスはトランスとビルの背後にきていて、そう言った。ビルは気配も見せずに突然現れた相手に驚いたが、すぐに落ちつきを取り戻すとこう言った。
「そうか、じゃあ決まりだな。本当は今すぐにでも行こうと思ったんだが、トランス、どうだ?」
 ビルの問いにトランスは黙っていると、アミュレスがすぐに返事をした。
「今日にしよう。スクリーム達もまさか今日闘技場で戦い、疲れている者達が脱走を企てるとは思わんだろうからな」
「でも……」
トランスがモーロア達を心配して反論しようとすると、ビルも頷く。
「大丈夫さトランス。俺の部屋には結構頼りになる奴がいるんだぜ。もし監獄の奴らと戦うことになっても平気さ」

 十分後、ビル達とトランス達はひっそりと八十一番~九十番と書かれた部屋に集まった。トランスはダルドやモーロア達の名前をビル達に説明すると、次はビルが説明を始めた。
「じゃあみんなに行っておくぜ。俺がビル。トランスとランスとここに一緒に来たんだ。そしてこの小男がベスク。いつもやんすなんていっているぜ」
「失礼でやんすよビル。この口調はあっしの誇りでやんす!」
「まあこんな感じだ。で、この大男はガラム。かなりの暴れん坊だ」
「なにぃ? 暴れるのはお前達だって楽しいだろ?」
「……そこの小さくて丸っこいのはラルファ」
ビルが言うとラルファは立ち上がってトランス達に挨拶をした。よく見ると本当に背が小さく、腕や腹に肉の付いた体はまるでたぬきのようだった。
「オラ、ご主人様を何とか見つけたいと思っているだよ」
「ラルファは一緒にここにやってきた〝リスタ〟って奴と離ればなれになっちまったんだ。そんな名前の奴はこの監獄にはいない。おそらく森にでも姿を隠しているんだろう」
「きっとそうだ! リスタの旦那は生きているだ!」
「ああ、生きているさ。そしてそこでツンとしているのがユール」
「あんたらまかしときや。ワイがついていれば安心やで」
いかにも自己中心的そうな男はそう言った。
「で、闘技場で片腕をやられたのがハミッド、片目を失ったのがソーンだ」
「右手をやられたのは油断していただけさ」
ハミッドはすかさずそう答える。
「違うな。お前が力不足だったからだよ」
「何を!」
ソーンはハミッドにふざけてそう言っている。
「まあまあ二人とも。これで一応俺達の部屋の人間は全員だ」
トランス達はビルの仲間達と一言二言話しをした。しばらくするとビルの部屋の班長は死んでいるので、モーロアが話しを切り出した。
「ではみんなで行くとしよう。じゃが用意したい物もあるんじゃ。二階にある儂らの装備とC棟にある生命のエキスじゃ」
 確かにモーロアの言う通りだとトランス達は思い、次の指示を待った。
「ここの二階に私達の装備が保管されているらしいというのは聞いているが。あいつらに気付かれんようにそこまで行くことはできるのか?」
 アミュレスはその場にいる全員に聞くかのように周りを見渡しながら尋ねると、足元で何かが動いた。
〔俺様はここには詳しいぜ。二階を調べるなら俺に任せてくれよ〕
 チュー兵衛はこの場にいる者全員にそう言った。しかしこの言葉はもちろんアミュレスとトランスにしか理解されていない。
「そうか、では案内を頼むぞチュー兵衛。そしてチュー兵衛についていくのはトランス、お前だ。私はモーロアとともにC棟へいき生命のエキスを取り返してくる。時間は短ければ短いほどいいからな。同時に行動しよう」
 アミュレスはチュー兵衛の言ったことをみんなに話した。始めは信じてもらえなかったが、モーロアがアミュレスの話を信じると言ってくれると、他の者も納得してくれた。
「ではこうしよう。トランスと他の何人かで二階の装備をとってくる。その間に儂とアミュレス、ミニングはC棟へ行き、生命のエキスを取り返すんじゃ。残りの者はここで待機していてもらおう。大勢で動き回るとかえって危ないかもしれんからな」
 モーロアが説明する。ティークとリークが立ち上がり、トランスに顔を向けて頷く。モーロアはそれを見ると頷いた。すると小男のベスクも言った。
「あっしも手伝うでやんす。こういう静かな行動は得意でやんすよ」
 ということで装備を取りにいくのはチュー兵衛、トランス、リーク、ティーク、ベスクとなった。
 次にビルがモーロアに話しかけた。
「モーロアさん。用心棒が必要じゃないかい?」
「そうじゃな。頼むぞビル君、あてにしておるよ」
「俺も行こう。片目だが監獄の奴らにひけはとらないぜ」
 モーロアはビルとソーンを加え、アミュレス、ミニングと五人でC棟へ向かうことにした。
「無事に帰ってこいよ。本番はそれからだぜ」
 ダルドはトランス達をはげました。
〔安心しなトランス。俺にどーんと任せろ!〕
 チュー兵衛につつかれトランスはひっそりと動き出した。リーク達もその後に続いた。その後にモーロア達も動き出した。ダルドやガラムは静かにその様子を見送っていた。そしてランスはただ静かにその様子を見つめていた。その顔は無表情で冷たかった。



 チュー兵衛を先頭に、トランス達は二階へやってきた。一旦立ち止まるとトランス達はスクリームやハッディーがこの階にいると思い、身震いをした。チュー兵衛は平気な顔でトランスを見上げた。
〔さあ、ここの右側の奥の部屋だぜ。ちゃんとついてきな〕
 四人はチュー兵衛の後ろに続き、暗い廊下を静かに進んだ。奥の部屋は鉄格子になっており、室内の様子がおぼろげに見てとれた。チュー兵衛はさっさと鉄格子をすり抜けて中へ入っていった。そしてすぐに戻ってくると口に何かをくわえていた。
〔ほれトランス。ここの鍵だぜ〕
 トランスはチュー兵衛から鍵を受け取ると、静かに鉄格子の扉をあけた。さいわいにも大きな音は出ず、すんなりと扉は開いた。四人は慎重にその部屋の中へ入っていった。
〔俺が見張っててやるからさっさと用をすませちまいな〕
 トランスはチュー兵衛が見張り始めたのを確認し、チュー兵衛の言ったことをみんなに伝えるとさっそく探し始めた。
 トランスは何か暖かい気がする剣を見つけた。近くには同じような感覚のダガーもあった。
「これは、クライムとザロックのだ……」
 トランスはそれらをつかむと他の人達の装備を探し始めた。トランス達は五分程で自分達の装備を見つけることができた。チュー兵衛の活躍のおかげだろう。こんなに短い時間で見つけられたのでトランス達はほっとして荷物を持ち、扉に向かった。するとチュー兵衛が叫んだ。
〔やばい! 誰か来やがったぜ!〕
突然ネズミがキーキーといいだしたのでリーク達は何かと思っていたがトランスがみんなに伝えた。
「みんな! 誰かが来るから隠れるんだ!」
 トランスは四人で急いで部屋の奥の机の後ろに隠れた。コツコツと音が近づいてくるとこの部屋の前で音がやんだ。見回りに来ていた者は足下にいるネズミに気がついた。
「ん? 何だネズミか。しかし一応点検はしておくか」
 その男は鉄格子に手をかけると、力を入れることなくすんなりと扉が開いた。
(何? 誰が開けたんだ? それとも閉め忘れていたのか?)
部屋に入るとすみずみを見回していたが、ついに部屋の奥の机にも近づいてきた。腰にはサーベルがぶらさがっている。ティークは窓から入る光の反射するサーベルを見ると今にも死にそうな顔で冷や汗をかいていた。
(こうなったら戦うしかないぜ)
リークはトランスに目で合図をすると、チュー兵衛が男の足にかみついた。
「ぎゃっ! 何だこのネズミは!」
 一瞬注意がチュー兵衛に向けられるとトランスの横から何かが飛び出した。それは見張りの男が叫ぶ間もなく首を切り裂いていた。それは鉄の爪をつけたベスクだった。見張りの男は何も口にすること無くその場に倒れた。
「すごいじゃねえかベスク!」
 リークは感心してささやくと、ベスクは自慢するように胸を張った。
「当たり前でやんす。さっさと仕事を終わらせやしょう」
と血が付いた武器の爪を拭きながら言った。すぐにトランス達はみんなの装備を抱え込んだ。リークは倒れている男を部屋の奥へ隠し、トランスの後に続いた。
〔早くしろよ。また奴等が来るかもしれないぜ〕
 チュー兵衛がせかすのでトランスは3人に先に行ってもらい、もう一度部屋を見回した。すると、机の上にある指輪が目に入った。何かの役に立つかもしれないと思い、それをポケットにつっこんだ。
〔さあいくぜトランス〕
〔わかったよチュー兵衛〕
 トランスはチュー兵衛と部屋を出ると静かに扉に鍵をかけた。そして注意して二階の廊下を歩き、無事に三階までたどり着くことができた。
 無事に部屋に着くとダルド達は心配して待っていた。
「無事で何よりだぜ。後はモーロア達か……早く戻ってきてほしいもんだな」
 ダルドはそうつぶやくと月明かりの入り込む窓から外を見つめた。



 ……そのころモーロア達は、何事もなく無事にC棟へたどり着いていた。C棟の表は不気味なほど静まり返っていた。ビルは身震いをすると、さっさと用を済ませるようにすぐにC棟へ入ろうとした。しかし戸が開かない。鍵がかかっていたのだ。
「ちっ、何で鍵がかかっているんだ? いつもは開きっぱなしなのに」
 ビルはぶつぶつ言いながら辺りをうろうろとしはじめた。しかしアミュレスはビルを見るとこう答えた。
「大丈夫だビル。鍵は私が持っている」
 アミュレスは懐から小さな鍵を取り出すと、それをビルに見せた。ビルは驚いてそれを受け取り、鍵を開けながらアミュレスに尋ねた。
「なあアミュレスさん。この鍵はどこで手に入れたんだい?」
「チュー兵衛のおかげさ」
 アミュレスは嬉しそうにそう答えた。

 薄暗い部屋には異臭が立ちこめ、吐き気を催しそうなC棟の地下室。二度とここには来たくないとモーロア、アミュレス、ミニングは思っていた。しかし実際は再び足を踏み入れていた。
「おい、ここはひでえ所だな。さっさと用を済ませてずらかろうぜ」
 鼻を押さえながらソーンは辺りを見渡した。いくつもの瓶が並ぶ棚をビル達は見ていたが、モーロア達の求めている物は見つからなかった。
「ないぞ! たしかにこの棚に昼間、並べられていたはずだが……」
 ミニングは焦っているようにそう言った。アミュレスとモーロアも同じだった。
「この様子ではもうすでに儂らの生命のエキスはスクリームや他の者に使われてしまったのかのう?」
「いや、まだ生命のエキスはここに残っているはずだ。ハッディーやレクスのことだ、きっとどこかへ隠しているに違いない」
 アミュレスは壁に手を置くと、静かに横へ動かしていった。すると何かに引っかかった。薄暗い中、目を凝らしてそこを見ると、壁に二つのスイッチを見つけた。その二つのスイッチは色も形も全く同じだった。ビルはアミュレスの手が触っているスイッチを見つめた。
「そのスイッチは何だ? 隠し扉でもあるのか?」
「わからん。しかし何かがあるはずだ」
「……とりあえず押してみるとして、どっちを押す? 右か、左か? それとも両方?」
 しばらく沈黙が流れた。誰も答えることができない。うっかりスイッチを押してしまい、トラップが作動するかも、という考えもある。しかし沈黙は破られた。
「右のスイッチが新鮮な生命のエキスを保管している部屋。左のスイッチがさらに地下へと続く階段への道を開くものだ」
 その声は背後から聞こえた。モーロア達は振り返ると、そこには一人のブラド監獄の兵士がいた。男はじっとモーロア達を見つめている。
「ちくしょう、いつのまに! つけられていたのか?」
 ソーンは相手を睨むと身構えた。しかしその男は腰に付けている剣には手をかけずに、両手を広げて話し始めた。
「私はあなた達を捕まえようとしてここへ来たのではない。あなた達が脱走するのを手助けに来たのだ」
「……そんなことで儂らはだまされんぞ」
「私もだ」
モーロアとアミュレスは挑戦的に相手を睨んだ。男は腰の剣に手をかけた。ビル達に緊張が走る。しかし男は剣を抜くと、アミュレス達の足下へ剣を投げ捨てた。甲高い金属音が地下室に響き、次第に小さくなっていく。
「その剣はあなた達が使ってくれ。今はただ私を信じてくれとしかいえん。頼む」
 男はアミュレス達にそう頼んだ。しばらくの沈黙が流れた。男の真剣な様子を見ると、モーロアは緊張をゆるめた。
「……分かった。おぬしの言葉を信じることにしよう。右のスイッチじゃな。……そうじゃ、おぬしの名は?」
「ありがとう。私の名はレクサスだ。その部屋まで案内しよう」
 レクサスの先導で、モーロア達は真っ暗な道を奥へ奥へと進んでいった。視覚に頼って歩くことができないので、ビル達の足どりは遅かった。そのうちにレクサスは足を止めると、手元から火を取り出した。そこにはロウソクの台が置いてあったのだ。目で辺りが見えるようになると、ぼんやりと棚が目に入った。
「よし。おそらくこれだろう」
 レクサスは暗い部屋の奥の棚の、四つの並んでいる瓶を指さした。それぞれの瓶には、No82、83、86、89という番号のラベルが貼られていた。
 モーロア、アミュレス、ミニングはそれぞれの番号の瓶を手に取ると、中身を口にした。三人は見る見るうちに力が戻っていくのを感じた。
「やっとあいつらに奪われた〝力〟を取り戻せたな。トランスの分は私が持っていこう」
 ミニングはトランスの番号が張られている瓶を手に取った。他の者は後ろへ引き返した。
「あなた達はここから出る方法を知っているのか?」
 レクサスは多少明るい部屋まで戻るとビル達の顔を見た。ビルはレクサスにこう言った。
「正面の門から出るしかないんじゃないか?」
「ああ、それもあるがその方法はかなり危険だ。すぐに監獄の者に知られてしまうだろう。だがこのC棟からも、もう一つ外へ出る道があるんだ。それはさっき左のスイッチを押した先にある」
 モーロアは驚いていた。
「何? そうじゃったのか。やはりこのC棟には何か秘密があると思うておったからのう」
 レクサスは他に脱出する道を知っている者がいないと知ると、すぐにビル達に言った。
「では早く他の者もここに連れてくるといい。なるべく早くな」
 そしてA棟に残っているトランス達を呼びに、ビルとミニングが行くことになった。大勢でいってもしかたがない。
「すぐにトランス達を連れてくるぜ」
「安心して作戦でも練っていてくれ」
 二人は闇の中へ消えていった。二人がいなくなると、モーロア達に緊張感が張りつめてきた。その時にレクサスは語り始めた。
「……私は極悪人ばかりを収容していると言われたブラド監獄へ、半年ほど前に派遣されたんだ。そのころはその悪人達を相手に更生させるという仕事にはりきっていた。しかし監獄の実態は聞かされていた話とは全く違っていた! 囚人をいたぶり喜んでいるように見える者、囚人達を殺しても何とも思わない者がここには大勢いる。囚人達の目を見ると全てが悪人には見えなかった。私はそんな者の中で働く気にはなれない。私は何度か上層部の者に監獄や囚人のことを訪ねてみたが、いつも返事は期待できなかった。あきらかに私には知らない事実があるのだ。だからもし脱走しようとする者が現れれば、ためらいなく協力をしようと思っていた。そして君達に会えた。君達にはこのブラド監獄の実態を世間に知らせてほしいのだ」
 レクサスは話し終えると一枚の紙を取りだし、みんなに見えるように広げて見せた。それには簡単にだがわかりやすくC棟からの脱出の経路が記されていた。
「このC棟の地下からは外へつながる地下道がある。……この研究所の処理された物がごみとしてそこへ捨てられている。それを我慢すれば正面から強行突破するよりはよほど安全だろう」
 アミュレスはレクサスに尋ねた。
「このブラド監獄から脱走することに成功した者はいるのか?」
 レクサスはしばらく黙っていた。頭を上げてアミュレスの顔を見、モーロア達を見ると、話し出した。
「ほとんどの者が失敗した。いずれもおまえ達のような生きている目を持った者達だったらしい。しかしこの監獄は執拗に脱獄囚達を追い、捕まえると見せしめとして監獄に残っている者達の前で処刑していたという。もっとも今は脱獄をしようとする者もいなくなり、そんな話しもごく一部のものしか知らないがな。だが何年か前に一人の囚人が脱走に成功したという噂話のようなものは聞いたことがあるが。しかしこのブラド監獄の外はモンスター達のうろつく森、灼熱の砂漠があり、とても脱走者が生きていけるような環境ではないだろう」
 レクサスの話にモーロア達は黙っていた。レクサスはその様子を見てアミュレス達に話した。
「おい、そんなに悩まなくてもいいんだ。私はあなた達を見込んで協力しようとしているのだ。あなた達は十分な力を持ち合わせているではないか」
「大丈夫じゃ。儂らは平気じゃよ。……しかしその一人、脱走に成功したという者は……」
 モーロアの最後の言葉は小さく、誰にも聞き取れなかった。



 ……A棟ではトランス達が鉄格子の窓からじっとC棟の様子を眺めていた。そのうちに視界に二つの影が飛び込んできた。
「あの二人は誰だ? まさかモーロア達は見つかっちまったのか?」
 ダルドは不安そうに目を凝らしてその二つの影を睨んでいた。始めに気づいたのはティークだった。
「あれは……ミニングと、ビルだ!」
 ティークがささやいている間にもその影はどんどんと大きくなり、トランス達にも見えるところまで近づいてきた。その影は一度上を見上げると、A棟へと入っていった。
 トランスとティークは静かに廊下へ出ると、階段を見つめた。しばらくすると二人が現れた。やはりビルとミニングだった。
「ようトランス。そっちもうまくいったみたいだな。こっちもばっちりだぜ! C棟から抜け道があるんだ!」
 ミニングはすぐにトランスに二つの瓶を手渡した。トランスはそれを受け取った。
「トランス。それはおまえの奪われた生命力だ。私達はすでに力を取り戻した。おまえも飲んでおけ」

 ビルとミニングがトランス達を予備に言ってから数分後、無事に全員がC棟に集まることができた。最初はレクサスに疑問を持つ者もいたが、モーロアの説得でみんなは納得した。それぞれは自分の装備を取り戻せたことに喜んでいたが、レクサスはすぐに地下室の奥へ歩き出した。
「せっかちな奴だなあ」
「ほれ、早くついて来るんじゃ!」
 ティークはモーロアに急いでついていった。レクサスについて暗い地下を歩くと思ったより歩きづらいのに気づいた。明かりといえば、レクサスや他三、四人ほどの持っているカンテラだけである。異臭が立ちこめ、足はグチャグチャという泥を踏むような音を立てている。その湿っぽい道を一行は何度も曲がりながら進んだ。いくら地図を見せてもらったとはいえ、レクサスの先導がなければとても進むことは出来なかったであろう。
「全くひどい臭いだぜ。このベタベタする壁も一体何なんだよ!」
 ビルは左手にカンテラ、右手は壁に着いている。右手はベトベトになっていた。
グチャグチャという足音にカンテラで足下を照らすと、何かが浮いていた。
 人間の骨だった。わずかに服も残っている。
「うわっ!」
「どうした?」
 ビルがいきなり叫んだのでリークはビルの元へ近づいた。そしてその朽ちた骨を見た。
「これは……囚人服だ。C棟の研究に使われ、用が済んだら下水へ捨てるのか……。ちくしょう、スクリームの奴らめ!」
 それからも何度もそのようなものにでくわした。朽ち果てた骨、肉片、囚人服を。それぞれが、吐き気、怒り、悲しさを感じていた。

 ある程度の時間を歩き続けると、一行は広い場所へ出た。そこの天井からはわずかだが光が差し込んでいる。顔に冷たい風を感じると、もう少しで外へ出られると思い、ビルやティーク、リークはつい嬉しくなっていた。
 レクサスは壁を調べるとトランス達に言った。
「そこの壁に隠し扉があるんだ。そこを抜ければあと少しだ」
 トランスは背を向けていた壁を調べると、レクサスの言ったように扉が見つかった。それに手をかけようとすると、突然チュー兵衛がうなり始めた。
〔みんな! ここには俺達以外に何かが潜んでいるぜ! どうもここは嫌な予感がしやがる〕
 チュー兵衛の言葉を聞くとアミュレスは危険を感じ、隠し扉の付近にいるトランスとレクサスに叫んだ。
「二人とも壁から離れるんだ!」
「何?」
 トランスが振り向こうとしたときにはレクサスはすぐに事態を察して、トランスを抱え、アミュレス達の元へ走り出していた。
 すぐに壁が崩れだしていた。そこからピンク色の不定形の塊が倒れてきた。レクサスとトランスは何とか直撃をかわしていた。その塊は獲物を捕らえ損ねて不気味にうごめいている。
「なんや、こいつは?」
 ユールは驚いてその物体を見ると、みんなの後ろへ隠れた。全員が武器を持っているわけではなかったので、武器を持っているダルド、ガラム、ハミッド、ソーンが仲間を守るように前に出た。
「そいつはブロブという不定形のモンスターじゃ! 酸を吹きつけてきたり、その巨体で押しつぶそうとしてきたりする奴じゃ」
 モーロアは瞬時に相手を分析し、みんなに伝えた。
 ブロブはダルド達を押しつぶそうと一段と高く伸び上がった。ハミッドはその懐にスピアを突き出し、ブロブを貫いた。しかしブロブは痛みを感じないかのように変化がなかった。
「化け物め、これでも食らえ!」
 ダルドはのしかかってくるブロブに棍棒で力強く殴りつけた。クチャッという気味の悪い音がすると、ブロブは二つにちぎれた。ちぎれたブロブはそのまま倒れ込んできて、ハミッドの体にまとわりついた。すぐにチリチリと服が焦げ始めた。
「くそう! こいつめ!」
ハミッドはブロブをひきはがそうと必死にもがいたが、ブロブは簡単にははがすことは出来なかった。リークはハミッドが苦戦しているのを見ると、注意して近づき、手に持っていたダガーでハミッドの体からブロブを取り除いた。しかしバラバラに切り刻まれてもブロブは生きていた。地面に落ちたブロブはしばらく震えていたが、すぐにハミッドとリークに飛びかかってきた。
「うわっ!」
 リークとハミッドがブロブを避けると、後ろからアミュレスが冷気の呪文を放った。キラキラと光を反射しながらブロブは地面にパラパラと砕け落ちる。
 別のブロブはダルドに酸を吹きかけていた。
「しまった!」
ダルドは顔に酸を吹き付けられ、両手で顔を押さえると地面に倒れて苦しそうにもがいた。ミニングはダルドを仲間の方へ引っぱり込んだ。そしてダルドの手をはずし、酸を吹き付けられた顔に手をかざした。
「俺様がぶっつぶしてやる!」
 ガラムは崩れた壁から岩を持ち上げると、ブロブに投げつけた。その攻撃でブロブは一瞬ペシャンコになったが、しばらくすると岩と地面の隙間からにじみ出し、再び元の姿に戻った。
「みなさん! 早く私に着いていて下さい!」
 レクサスはブロブの動きが鈍くなっている間にそう叫んだ。そして隠し扉を開くとそこへ飛び込んだ。ティーク、リークもすぐに後に続き、ミニングはダルドを抱えてそれに続いた。
「ガラム、ソーン、急いで!」
 トランスは最後に残った二人を呼んだ。ブロブの数は多く、少しでも気を緩めると飛びかかられてしまう。ガラムとソーンはブロブの攻撃を防ぐので精いっぱいだった。アミュレスはトランスの横に立つと二人に呼びかけた。
「急いでこっちへ来い! 私の魔法で片づけてやる」
 アミュレスの声が地下に響くと、ガラムとソーンはブロブに背を向けてトランス達のいる扉へ飛び込んだ。アミュレスは呪文を詠唱し始めた。ブロブは邪魔をする者がいなくなったので、気味の悪い音を立てながらトランス達に向かってはいずってきた。
「やべえぜ、アミュレス! 奴等すぐそこまで……」
 ガラムがそう言い終わらないうちにアミュレスは呪文を放った。
「熱風!」
 アミュレスの呪文はブロブのいる空間に灼熱の風を放った。その炎はブロブを燃やし、吐き気のする臭いと共にブロブ達は燃えていった。しかし焼けて炭になるよりも再生する速度のほうが早く、ブロブはまだはいずりながら近寄ってきていた。
「みんな、早く行こう!」
 トランスが言うと、残った者はレクサスの後を追って走り出した。背後からはいつまでもブロブの気味の悪い音が聞こえるような気がした。まるで死神がトランス達をいつまでも執拗に狙っているかのように。

 何とか無事にブロブから逃げ切れたトランス達は再び元の速度で暗い地下水路を歩いていた。
「ダルド、ハミッド。あいつらにやられた傷は大丈夫なの?」
「ああ、大した傷じゃねえよ」
 暗くてあまり二人の様子は見れなかったが、トランスはダルドのその言葉にほっとした。
「もう少しで最後の分かれ道だ」
 レクサスはそういって水路を曲がった。するとそこは外からの明かりが入り込み、たいまつなしでも全体が見渡せた。その空間は円形をしており、天井は高く、目の前にはいくつかの階段が見えた。
「あの階段から外に出られるんだ」
 レクサスはそう言って一つの階段を指した。トランス達はその言葉に一瞬体が動かなくなった。

 ――外に出られる。

 このことは実際に、本当に可能だとはトランス達は思っていなかったからだ。
「本当にここから出られるのか?」
 ビルは思わずそう口にしていた。でなければそのことが消えてしまいそうだったからだ。だがビルに返事をした者がいた。
「それは無理だなビル。おまえ達はこれからここで死ぬことになるのだからな」
 その声の主はランスだった。
 ビルやビルの部屋にいた者はここまで一緒に逃げてきたランスが突然そんなことを言うので驚いていた。
「おいランス、一体どうしたっていうんだ? 頭がおかしくなっちまったのか?」
 ビルはランスに近づいていった。ランスは返事をせずにいきなり剣を抜き、ビルに斬りかかった。トランスはとっさにビルを突き飛ばしていた。ランスは嫌な顔をしていた。
「無駄な悪あがきはよしてくれ、トランス。どうせおまえ達はここで全滅することになるんだぞ」
「おいランス。何言ってるのかは分からんが、お前一人で俺達を相手にするのか? 時間稼ぎはごめんだぜ」
 ダルドは突然様子がおかしくなったランスを睨んだ。しかしランスの赤い目は一向に気にする様子もなく、ただ不気味に光っていた。
「まさかな。戦うのが俺だけだと思ったのか? 焦るなよダルド。そこの階段を見るんだな」
 トランス達はランスの言った階段を見た。その左右の階段から何者かが広い空間へ降りてきた。
「早く逃げるのじゃ!」
 モーロアが叫ぶと、トランス達はレクサスの言った階段へ向かって走り出した。しかし階段の目の前まで来ると、鉄格子が重い音を立てて降りてしまった。後ろではランスが壁に隠されていたスイッチのような物に手を掛けていた。
「アミュレス。君ならいい部下になれると思っていたのに残念だ」
 左側の階段から現れた声の主はハッディーだった。アミュレスは他の仲間達をかばうようにハッディーの前に立った。そして懐からチュー兵衛をおろすと、トランス達のほうへ向けた。
〔チュー兵衛。お前はみんなのそばにいてやってくれ〕
〔……しょうがないな。分かったぜ。だけど絶対勝てよ。あんな奴ひとひねりにしな〕
 チュー兵衛はそう言うとアミュレスから離れてトランス達の足下へ向かった。
「レクサス。やっぱりあんたは裏切ったか。覚悟は出来ているのか?」
 右側の階段から現れた気味の悪い声の正体は秘薬研究者のレクスだった。
「あいつは色々な武器を持っている。危険な奴だ。レクスの相手は任せてくれ」
 レクサスはそういって剣を抜き、レクスに近づいていった。レクスはにやにやと笑っている。
「だがどうするんだ? 階段の鉄格子は閉じたままだぜ」
 ダルドはアミュレスとレクサスがそれぞれハッディーとレクスを相手に向かうと言った。
「俺にまかせな。ファバーロ大陸の大盗賊とは俺のことだぜ」
 リークは出番とばかりに前に出ると、鉄格子を調べ始めた。
「おいランス。まさかそれだけじゃないよな。……他にもいるのか?」
 ビルは仕方なく腰の剣に手を掛けるとランスに言った。ランスは笑っていた。
「……まだ気づかないのか? もうおまえ達は囲まれているのだ」
「何だって?」
 ビルはランスのその言葉に仲間達を振り返った。すると地面から何かがにじみ出してきているのがわかった。見覚えのある何かが。
「みんな、足元だ!」
 他の者が気づいた時にはすでに回りをブロブに囲まれていた。トランスとビルはランスに近づいて話をしていたので囲まれず、アミュレスとレクサスもブロブに囲まれてはいなかった。それぞれは孤立してしまった。

「さあ、ゲームの始まりだ!」
 ランスは叫んだ。ブロブに囲まれた仲間達から次々と悲鳴や叫び声が聞こえてくる。トランスは仲間達を囲んでいるブロブを見つめた。ランスはすぐにトランスに斬りかかってきた。トランスは避けるのが遅れたが、ビルが相手の攻撃を受け流していた。
「トランス。戦うしかないぜ。あいつらはすぐにはやられねえよ。ガラムやベスク、それにダルド達がいるじゃないか」
「……そうだね。ダルド達は大丈夫だ。だけどやっぱりランスと戦わなければいけないのか……」
 ビルはトランスをそう元気づけたが、自分自身もランスに斬りかかるのにはためらいがあった。今までずっと一緒にいたランスが敵になってしまうなんて……。そう思うと攻撃が出来なかった。トランスも剣を抜いてはいたが、やはりビルと同じで攻撃は出来ず、ランスの攻撃を受け流すだけだった。
 アミュレスは仲間達の様子を見て心配していた。このままではみんながブロブにやられてしまうと。すぐに助けに入ろうと思うとハッディーに向き直った。
「ハッディー。悪いが今日こそお前を倒してやる。ここにはあの魔力を封じる結界もないようだしな」
「ふっ。普段の力が出せれば私に勝てると思っているのか? 私はレクスの魔法の秘術によって魔力が上がっているのだ」
 ハッディーは不適な笑みを浮かべ、火弾をいくつも空中に発生させた。そして一気に火弾をアミュレスに向かって放った。アミュレスは氷の矢を放って火弾を相殺した。しかしハッディーの魔法は次々に放たれる。アミュレスは相手の攻撃に追いつけなかった。……確かに今のハッディーは今までの数倍の魔力を持っている。アミュレスは消しきれない火弾は魔法抵抗力のあるマントで防いでいたが、それでもダメージは受けていった。
「くそっ、氷風!」
 アミュレスは強力な冷気の魔法でハッディーの火弾を一掃した。
「さすがだなアミュレス。だが次はどうかな?」
 ハッディーは手に持っている杖をアミュレスに向けると次の魔法を唱えた。
「ライトニング!」
 杖から電撃が放たれ、アミュレスに向かって真っ直ぐに伸びた。アミュレスはマントで電撃の直撃をかわすだけで精いっぱいだった。
「くそっ、このままではみんなやられてしまう……」
 ハッディーの攻撃をかわしながら、アミュレスはレクサスのほうをちらりと見た。

 レクサスもレクス相手に苦戦していた。
「くっ、なんて奴だ。剣が効かない!」
 レクサスは何度もレクスに切りつけていた。その度に鈍い音と共に剣はレクスの皮膚に弾かれていた。レクスの体に傷を負わせることはできなかった。
「俺様は〝鉄の秘薬〟を飲んでいるんだ。貴様なんぞのチャチな剣など効かんわ!」
 レクスはそう言いながら懐から瓶を取り出した。すぐにそれをレクサスに向かって投げつけた。レクサスはその瓶をかわしたが、瓶は床に落ちて割れると、黒い煙を吐きだした。とっさに煙を吸わないように離れようとしたが、レクスは次々とその同じ瓶を取りだし、レクサスに投げつけてきた。その煙の毒はすぐにレクサスの体ににまわりはじめた。
「か、体がしびれる……。この煙はしびれ薬が入っているのか……」
 レクサスはだんだんと動きが鈍くなっていった。レクスはその様子を見て気味悪く笑っている。

 ミニングにはブロブに囲まれていながらも、外側のレクサスの声が聞こえていた。
「まずいぞ。レクサスが殺される……」
 しかしダルドやモーロア達はブロブのうるさい音で、外側の音など聞こえなかった。
「おいミニング。外の様子が分かるのか? 俺にはこいつらのブヨブヨっていう音しか聞こえないぜ」
 ダルドは手に持っている棍棒で迫り来るブロブを叩き潰しながらミニングに言った。
「ああ、私には聞こえる。ダルド、すまないが私の分までブロブを相手にしていてくれ。レクサスは私達に必要だ」
 ミニングがそう言うと、すぐ横にガラムが近寄ってきた。
「突破口は俺が開いてやるぜ。気を付けろよ」
 ガラムは巨大な棍棒でブロブの壁を叩き潰した。その衝撃でブロブの壁には少しの時間だが穴が空いた。ミニングは一度ダルド達を振り返ると、そのブロブの穴に飛び込んだ。
 ブロブの包囲網から抜け出すと素早くレクサスに走りより、煙を吸って動きが鈍くなっているレクサスを抱えてレクスから離れた。
「お前は確か、ミニングとかいう奴だったな。ブロブの奴から出てくるとは大した奴だが、あのバケモノに殺されるよりはこの俺に殺されるほうを選んだということか?」
 ミニングはレクスを無視すると、脇に倒れているレクサスに手をかざして精神を集中した。手のひらから光る水が流れだした。すると見る見るうちにレクサスの体から毒素が抜け、レクサスは体が動くようになった。レクスは驚いていた。
「何をしたんだキサマ! しかし邪魔者が二匹になろうと俺は倒せんぞ!」
 レクスはそういい、ミニングに飛びかかっていった。そして毒の含んでいるような不気味な爪でミニングを引き裂こうとした。ミニングは軽くレクスをかわすと、背中から弾き飛ばした。レクスはミニングの受け流し方に顔を真っ赤にして怒鳴った。
「キ、キサマ……、こけにしやがって。ゆるさんぞ!」
 レクスは完全に逆上して次々に攻撃を続けたが、ミニングにはかすりもしなかった。ミニングはレクスの攻撃を見切ると、かわすたびに手刀で切りつけていた。しかしレクスに傷を負わせることは出来なかった。レクスの体は鉄のように固かった。それを繰り返していると、逆にミニングの手がしびれてきた。
「ハハハハハ! そんな攻撃では俺は倒せんわ! しかしお前は俺を怒らせた。徹底的に潰してやる」
 レクスはそういうと再び何かの秘薬を飲み込んだ。するとレクサスの体は巨大化し、筋肉が盛り上がってきた。目は真紅の色に染まり、その悪魔の目はレクサスとミニングを睨んでいる。それはもう人間の姿を残してはいなかった。
「グゥゥゥウウワアアァァァ!」
 レクスは獣のように吠えるとミニングに飛びかかった。レクスは秘薬によって力だけでなく、スピードも増しているようだった。ミニングはその姿に圧倒され、横に飛び退いたが、レクスは素早く向きを変えミニングに殴りかかった。ミニングは攻撃を防いだがそのまま壁に激突した。
「くらえ!」
 レクスはゆっくりとミニングにとどめを刺そうと近づいていく。意識がミニングに向けられていてこちらには気付いてない。レクサスは剣を握り締めると背後から剣を突き刺した。しかしレクサスの剣は変身したレクスに傷を負わせることは出来ず、逆に剣の方が弾き飛ばされた。レクスは後ろを振り返ると、呆然としているレクサスを突き飛ばした。
「ガハッ」
 レクサスは口から血を吐くとその場に倒れた。ミニングはそのレクサスの倒れた音を耳にすると立ち上がった。そして鬼のような姿に変貌したレクスに手のひらを向けた。するとミニングの手からは高圧の水が噴出し、レクスの体を捕らえた。レクスは一瞬このミニングの攻撃に驚いていたが、レクスには効果がないように見えた。一歩一歩ミニングに近づいてくる。
「なんてことだ。岩をも砕くウォーターガンさえも効かないのか? 一体奴の飲んだ秘薬とは……」
「ハッハッハッ。こいつは驚いた。ミニング、それは魔法か? だが切り札も俺には効かなかったようだな。あきらめろ」
 レクサスを助けに入った直後とはうってかわり、すっかりミニングとレクスの立場は逆転してしまった。レクスは執拗に攻撃を繰り返し、ミニングはその攻撃がら逃げ回るばかりだった。

 トランスとビルはランスの攻撃をかわしながらもアミュレス、ミニング、レクサスの戦いも見ていた。しかしアミュレス達も思いがけず相手に苦戦しているのが分かると、これ以上ランスの攻撃をかわしているだけでは仲間達の命まで危なくなる、と思い始めてていた。
「トランス! ランスの攻撃をかわしているだけじゃ駄目だ! 反撃するぞ!」
 頭上から振り下ろされた剣を弾き飛ばすと、ビルは蹴りをランスに叩き込んだ。ランスは少しふらついたが、再び態勢を取り戻すと剣を振り下ろしてきた。トランスはビルの攻撃を見習い、ランスの横から体当たりを仕掛けた。今度はランスはバランスを崩して倒れ込んだ。剣を杖代わりにして立ち上がろうとすると、すかさずビルはその剣を蹴り飛ばした。剣の床に落ちる甲高い金属音が響くとランスの剣は手を放れていた。
「今だ!」
 ビルは剣をなくし、倒れているランスを上から殴りかかろうとした。するとランスの手が一瞬きらりと光った。ビルはうめき声をこぼして倒れた。
「ビル! どうしたんだ?」
 トランスはビルに近寄ろうとしたが、ランスに遮られた。ランスは手に握っている光るものをトランスに向けた。それは真っ赤な血に染まった一本のダガーだった。
「俺が剣だけで戦うと思っていたのか? まだまだおまえ達も甘いな。ビルはすぐには死なん。だがおまえに助けさせるわけにはいかないぞトランス」
 ランスはトランスに吐き捨てるようにそう言うと、トランスは胸の中に怒りがこみ上げてきた。
「……そこをどけ、ランス!」
 トランスが叫ぶと、ランスの持っていたダガーが急に弾き飛ばされた。何が起こったのか分からずにランスはとまどっていた。それを見るとトランスはランスに飛びかかった。そしてランスを殴りつけた。ランスは防御態勢をとれずに倒れたが、すぐに立ち上がりトランスに体当たりで反撃をした。トランスは今までは相手の武器の攻撃をかわしていたので、ランスの体当たりに即座には反応できずに、まともに攻撃を受けてしまいのけぞってしまう。
「お前ももう終わりだなトランス。死ね!」
 ランスは後ろに手を回すと腰に付けていたもう一つのダガーを手にし、斬りかかった。トランスの右腕に鮮血がほどばしった。ランスは再び刃をこちらへ向けた。トランスは間合いを開けようと後ろへ飛び退き、左腕をランスの後ろへ向けた。
 トランスの手の先には吹き飛ばしていたビルの血がこびり着いているダガーが落ちていた。そのダガーはまるで自分の意志を持つかのように浮かび上がると、ランスの方へその剣の先を向けた。
「何だその手は? もう降参かトランス?」
 そうランスが言った時には意志を持ったダガーは相手の脚に深く刺さっていた。ランスは驚いた表情でそのダガーを見ていたが、すぐにそれを引き抜こうとした。しかし意志を持ったダガーはランスの脚に根を下ろしてしまったようになっていた。いくら力を入れてもダガーを抜くことはできない。
 トランスはその間にビルに駆け寄った。
「ビル! 大丈夫か?」
「ああ、死にはしないさ。それよりお前すごいじゃねえか? ランスの奴をどうするんだ?」
 ビルはランスの方を向いた。ランスは脚に深く刺さっているダガーを必死になって抜こうとしている。トランスはランスのことをあまり気にしていないような口調でこう言った。
「それよりビル。さっきのダガーに毒か何かは塗ってなかったのかな?」
「平気だぜ。意識ははっきりしているし、体もしびれてはこない。毒なんぞはなかったろう。しかし思ったより傷は深そうだ」
 トランスは服の袖を破るとビルの傷口に巻き付けた。そしてビルをその場に休ませると再びランスの方を向いた。

 アミュレスは執拗なハッディーの魔法攻撃をかわしながら、トランス達の様子を見ていた。
「どうしたアミュレス? 仲間達が気になって戦いに集中できんのか?」
 ハッディーは火弾を放ちながら挑発するように言った。アミュレスは相手の魔法がとぎれた時を狙おうとしていたが、今のハッディーは明らかに普通の魔術師の域を越えていた。全く魔法の途切れることがないのだ。アミュレスは奥の手を使うことにした。今までは使っていなかった小型の杖を取り出すと、ハッディーに向け、すかさず呪文を唱えた。
「真空障壁!」
 小型の杖から巻き起こった風は、完全にハッディーの火弾を消滅させていた。真空の壁は徐々に前に進んでいった。ハッディーはかまわずに火弾を次々に放っていたが、無駄だった。アミュレスは再び杖に力を入れた。真空の壁は左右に大きくなると、あっと言う間にハッディーを包み込んだ。ハッディーは魔法も通じず、身動きもとれずにアミュレスをののしっていた。
「おのれ、アミュレスめ! 貴様はこのハッディーが殺してやるんだ! 必ずな!」
「……地獄で言っていろ」
 真空の壁が少し膨らんだかと思うと、刃となってハッディーに襲いかかった。四方から襲う真空の刃にハッディーは成すすべもなく切り刻まれた。しかしその体からは一滴の血も流れず、不気味な色の肉片が散らばっただけだった。そしてそれは煙となって消えた。
「……ハッディー。お前はレクスの妙な薬によってすでに人間ではなくなっていたのか? ……深く考えても仕方がないな。もう終わったことだ」
 アミュレスはようやく目の前の一人の敵を倒すと、ほっとため息をついた。しかし落ち着いていられる時間などなかった。すぐに不気味な叫び声を耳にしたからだ。獣でもない、魔物でもない別のおぞましい……。

「グワアアァァァー!」
 ミニングは傷を負っているレクサスを抱えながら、ほとんど魔獣と化したレクスの攻撃をかわしていた。しかし一人で戦っているときでさえ、レクスに苦戦していたミニングは、人を一人抱えている状態ではとてもまともには戦うことができなかった。ミニングはある決意をした。
「……仕方がない。レクスを倒すのにはあの手しかないか……。レクサス、すまんが少し離れていてくれよ」
 ミニングは抱えていたレクサスを壁の方へ突き飛ばした。意識を失いかけていたレクサスははっとして状況を確かめた。自分はいつのまにかミニングとレクスからはかなり離れた場所にいた。
「ミニング、何をするつもりだ?」
 しかしミニングはレクサスの問いには答えなかった。だがそれに答えるかのように身体に変化が現れはじめた。両手の爪が鋭く伸び、指と指の間には膜のようなものが現れた。体は緑色に染まっていき、腕、背中にはヒレが現れた。その姿はミニングの面影を残してはいなかった。
「グワァ!」
 魔獣と化しているレクスはミニングの身体の変化にかまわずに突進した。しかしミニングは片手でそれを受けとめると、はじき飛ばした。レクスははじき飛ばされるとすぐに立ち上がり、ミニングを睨みながらうなり始めた。
「レクス。この姿でいるのは私にとってはつらいんだ。もう終わりにさせてもらうぞ。ピアッシングウェイブ!」
 ミニングは両手をあげてレクスに突き出した。その手からは小さな滝のように、水が放射された。その強力な水圧で、レクスは成すすべもなく体を貫かれ、倒れた。レクスは体を貫かれながらもしばらくうなっていたが、そのうちに動かなくなった。そして煙状になって消えてしまった。
 アミュレスはようやく動くことができた。ミニングの戦いに魅入ってしまっていたのだ。変身後、あっと言う間にレクスを倒してしまったミニングに少なからず驚いていたが、決着がつくと走りよった。
「ミニング、お前にはそんな力があったのか!」
「まあな。しかしいつまでもこの姿ではいられないんだ。体力の消耗が激しい。アミュレス、お前はトランス達を助けてくれ。私はブロブをどうにかしよう」
 アミュレスはその言葉を聞くと、一度頷いてからトランスとビルの方へ走っていった。
 ミニングはブロブの壁を見つめると、両手をかざした。両手からは水の塊が発射された。
「アクアスプレッド!」
 両手から放たれた水の塊は滑るように床を進み、ブロブの壁まで到達した。ブロブに接触するとそれは水柱となり、ブロブに炸裂した。直撃を受けた部分のブロブはきれいに消滅した。ミニングは素早くレクサスを抱えたままその穴へと飛び込んだ。
「こ、これは?」
 ブロブに囲まれたモーロアやダルド達の中へと飛び込んだミニングの目には、信じられないような光景が入り込んできた。

 ……ミニングがレクサスを助けにいった後、ダルド達は相変わらずちっとも勢いが衰えないブロブを相手に苦戦をしていた。ダルド達の顔には疲労が見て取れた。少なからず絶望を感じていた。
「くそっ! こんなにブロブのヤローが多くちゃあ、トランス達の様子もまるっきし分からないぜ! 誰か何とかならないのか!」
 ダルドは迫ってくるブロブを両手で握った棍棒で叩き潰しながらぼやいた。ガラム、ベスク、ラルファ、ユール、ハミッド、ソーンもそれぞれが手にしている武器で戦ってはいたが、ブロブの数は一向に減る様子を見せず、一瞬でも隙を見せようものなら容赦なく体に張り付いてきた。そして強力な酸を吹き付けるのだ。
「まだでやんすか、リーク? 早く扉を開けて欲しいでやんすよ」
 ベスクは頭上からかぶさってくるブロブを爪で切り裂くと、額に汗を浮かべているリークに話しかけた。
「遅くて悪いな! もう少しかかりそうだ。みんな、あともうひとふんばりしてくれ!」
 真剣な顔でリークは鍵に向いている。その横ではティークがナイフを両手で握り、リークにブロブが襲いかからないように睨んでいる。しかしブロブにはとても小さくひ弱な獲物に見えるのか、一気に襲おうとはせずに、いたぶるようにじわじわとにじり寄ってきていた。
 突然、ひと塊のブロブが飛びかかった。ティークは目をつぶってナイフを振り回した。液体でもない、個体でもないブロブに切りつけると不気味な感触がティークの腕に伝わった。しかしそれでもナイフを振り回し続けると、ブロブの醜い悲鳴が耳に入った。耳に残るいやな悲鳴だった。ようやく目を開けると、そこには燃え尽きて黒焦げになっているブロブがあった。
「わ! オイラがブロブをやっつけたの? 何だか燃えちゃってるよ」
 そんなことで喜んでいるティークにモーロアは肩を叩いて教えた。
「気を付けるんじゃぞティーク。儂の持っている炎の指輪の魔力は数回しか使えんからな。よく相手を見て戦うんじゃ」
 モーロアはそう言うと、再びブロブを睨み、危険な仲間達を助けていった。
「くそっ、きりがないぜ! この化け物は一体いくらいるんだよ! どれだ剣で切りつけたかもう分からないぜ」
 ハミッドが愚痴をこぼしながらも、片腕で見事にブロブの攻撃をしのいでいるのを見ると、ダルドは笑った。
「ははははは! それだけ話せるほど体力があるのなら安心だな、片腕の戦士よ。リークが扉を開けるまで持ちこたえようぜ!」
 その時にはるか上の天井に赤いシミのようなものが浮かび上がっていた。ダルドやハミッド達は目の前のブロブの壁を相手にすることで精いっぱいで、頭上には注意がいかなかった。その赤いシミはだんだんと大きくなると、しずくのようになっていった。それにいち早く気付いたのはティークだった。ティークはまだ子供で、ダルド達とは違って頭上を見上げるように戦っていたからだ。
「ダルド! モーロア! 天井に何か変なものがいるよ! 落ちてくる!」
 ティークが叫び仲間達が気付いたときには、赤い滴はもうすでに落ちてくる寸前だった。
「まずいぞ!」
 ダルドは叫んだが、目の前のブロブを相手にするのに精いっぱいでどうすることもできなかった。モーロアは仲間達を見渡すと、天井を見上げて指輪をかざした。
「指輪に秘められし炎の力よ、今その全てを解き放て!」
 モーロアの指輪はキーンという甲高い音を立てると、上空に向かって炎の波を放出させた。その炎はモーロア達全員を包み込むのに十分な大きさのブロブを飲み込み、高熱で焼き焦がしていった。同時にパキーンという高い金属音が響くと、モーロアの指輪は粉々に砕け散った。
「これで倒せなければもう終わりじゃ……」
 高熱の炎は弱まる気配を見せず、落下してくるブロブをどんどんと焼き付くして小さくしていった。
 次第に炎は弱まり遂にその魔力が尽きたとき、ブロブはわずかではあるが残っていた。それは雨のようにダルド達に降りかかった。ブロブの破片はグチャッ、ベトッと次々にダルド達の体に降りかかった。
「うわああぁぁ!」
 ガラムは頭からブロブをかぶり、呼吸ができずに苦しんで呻いていた。
「ガラム! すぐ助けるでやんす!」
 ベスクがガラムの顔に張り付いているブロブを剥がそうとすると、別のブロブが背中に酸を吹きかけていた。服の溶ける匂い、背中の皮の溶ける匂いが辺りに広がった。ベスクは倒れると背中を押さえて転げまわった。他の仲間達も腕や脚にブロブが張り付き苦しんでいた。
「これ以上腕を失くしてたまるか!」
 ハミッドはブロブを叩き落とすと剣で細切れにした。ソーンは片目なので飛びかかってきたブロブとの距離感がつかめず、全身にブロブを浴びてしまった。すぐに服に穴が空き、広がり始め、ソーンの体を溶かし始めた。
「だめだ……もう終わりか……」
 ダルドがそう呟いたときに目の前のブロブの壁に大きな穴があき、レクサスを抱えた緑の肌を持つものが現れた。その姿は海に住む半魚人を思わせるものがあり、始めダルドは新たな敵が現れたのかと思った。しかしすぐにその相手から聞き慣れた仲間の声が帰ってきた。
「ダルドか。みんな無事か? ……私の姿に驚いているのか? 私はミニングだ。ライカンスロープの一種でこのようなマーマンの姿になれるのだ。今までは言う必要がなく、この姿でいるのにはかなり体力を消耗してしまうので黙っていたがな……」
 マーマンとなったミニングは負傷しているレクサスをリークの横に寝かすと、ガラム、ソーン、ベスクの体にまとわりついているブロブを手のひらから放った水流で吹き飛ばした。全てのブロブの破片を吹き飛ばすと、次にブロブの壁に攻撃を始めた。
「アミュレス、トランス、ビルもすぐに来るだろう。みんなもう少しがんばってくれ!」
 ミニングはブロブの壁を破壊しながらダルド達に叫んだ。その時に、後ろでカチリという音が鳴った。
「みんな! 開いたぞ!」
 リークはようやく鉄の扉を開けていた。額の汗を拭うと、すぐにみんなに叫んでいた。ダルドは後ろを振り返ってリークを見たかったが、ブロブはそれを許さなかった。
「モーロア! 怪我をしているみんなを頼むぜ!」
「任せておけダルド!」
 モーロアはティークと共に怪我人を抱えて、扉を越え階段を上り始めた。リークはその場に残り、ダルド達を支援した。その時にはミニングは力つきたのか、ひざをつき肩で息をしていた。
「すまないなみんな……。水のない場所であの姿でいると著しく体力を消耗してしまうんだ……」
 ミニングは元の人間の姿に戻ると、今にも気を失いそうな顔で汗をかいていた。ラルファはもう半分諦めたような顔になっていた。
「もうだめだ。オラ達だけじゃあ、これ以上は無理だ」
 諦めかけたラルファに再びブロブがおおいかぶさろうとしたときに、ブロブの壁は急に崩れだした。それはビルを抱えたアミュレスが魔法でブロブを灰にしていたからだった。アミュレスは閉ざされていた鉄の扉が開いているのを見ると安心した。
「リークがうまくやってくれたらしいな。ビルを頼むぞ!」
「ワイはみんな助かると信じてたで。ラルファ、さっきみたいに簡単に諦めちゃあいかんのや。アミュレス、ビルのことはワイらに任しときや」
 ユールはそういってアミュレスからぐったりしているビルを受け取った。アミュレスはビルを渡すとすぐにブロブに向かって炎の魔法を放ち、次々に灰にしていった。しかしそれでもブロブはなかなか減ることはなかった。アミュレスはブロブがどこから現れているのかを目で探した。ブロブは壁にある日々の隙間からにじみでてきていた。それは止まることがなかった。
「これではきりがない……。トランス、急ぐんだ!」

 ランスは壁に隠していた大剣で、素手のトランスに切りかかっていた。トランスはひたすら相手の攻撃をかわしていた。
「ランス……。まだそんな武器を隠し持っていたのか……」
「ふっ、おまえ達を殺すための武器はここにはいくらでもあるさ」
 休む間を与えずに切りかかってくるランスの攻撃を避けながら、トランスは少し前のことを考えていた。――ビルを先に連れていって! 僕はランスを倒してから行くから! か。僕はランスに怒りを感じて叫んだのだろうか? あんなに仲の良かったランス。いつもランス、ビルと一緒に騒いでいた。だが今はそのランスと戦っている。もう昔には戻れない。トランスの知っているランスは目の前にいる者ではない。その時にアミュレスがトランスを呼ぶ声がした。
「仲間が呼んでいるようだな。しかしもうそろそろ終わりだトランス。お前をブロブなんぞに殺させはしない……。友人の一撃で死ぬがいい!」
 壁に背をぶつけたトランスに、ランスは大剣を振り下ろした。しかしトランスはおびえることもなく、その目は真っ直ぐにランスを見つめていた。
「お前はもう……昔のランスじゃない!」
 トランスはそういってランスを睨んだ。ランスは見えない力によって突き飛ばされるかのようにのけぞった。トランスはランスに手をかざすと、今度は手から衝撃波が放たれた。ランスは壁まで吹き飛ばされると激突した。ランスは体中の骨が砕けていた。その姿を見るとトランスは崩れるように地面に腰を下ろしていた。目は宙を眺めていた。
「……あの様子ではもうランスは動けまい。……おい、トランス! 早くするんだ!」
 アミュレスは放心状態のトランスに叫んだ。トランスは我に返ると、アミュレス達の元へ駆け出した。途中、倒れているランスを見ると首の骨が折れているようだった。不自然な角度に曲がっていた。
「……これで良かったんだ。……ランスはあの時、暴れ牛との戦いで首の骨が折れて死んだ。そう、ランスは死んだんだ」
 そしてトランスは不定形の塊、ブロブを避けながら出口へと向かった。その時に空気が変わった。
「なかなか面白かったぞ、トランス君」
 重々しい声が響くと、なんとブロブ達は逃げるように壁の隙間の日々へと消えていった。ブロブは跡形もなく消えてしまった。洞窟の奥からはあの獄長スクリームがトランス達の方へ向かってきていた。
「君達はクズの集まりだと思っていたが、これ程まで抵抗するだけの力があるとは。今度は俺を楽しませてもらおうか! 君達のその力でな!」
 スクリームはトランス達が階段を登るより早く、黒い大剣で切りかかった。ダルドはトランスをかばって、棍棒でその攻撃を受けとめた。しかしスクリームの力は強く、ダルドははじき飛ばされた。アミュレスはスクリームの横から魔法を放った。
「こっちだスクリーム! 火炎風!」
 スクリームはマントを広げると、アミュレスの魔法をなんなく防いだ。このマントには対魔法の力がある、とアミュレスは直感した。
「この俺に魔法は効かんぞ」
 スクリームはアミュレスを見るとそういい、腰から一本の短剣を抜いて投げつけた。アミュレスは避けられずに短剣を肩に突き刺された。すぐに血があふれてきた。
「毒なんかは塗ってはないから安心しな。おまえ達は俺様が直接殺してやるんだ」
 スクリームはまるで小さな動物をいたぶるかのように、じわじわとトランス達に傷を負わせていった。トランス達はスクリーム一人を相手にしているのに優位に立つことはできず、ハミッドは片腕で戦っているので他の者に比べて体力の消耗も激しかった。スクリームはハミッドを見るとにやっと笑った。
「そこの片腕のふらふらの奴、そろそろ死ぬか?」
 スクリームはハミッドに大剣を振り下ろした。
「そうはいかないで!」
 ユールは全身の力を込めてスクリームに横から体当たりを仕掛けた。二人はバランスを崩して倒れた。ダルドとラルファはスクリームが倒れると、すぐに飛びかかっていった。スクリームはすぐに立ち上がり、ラルファを突き飛ばし、ダルドの棍棒を弾き飛ばした。
「順番を変えてやる。まずはキサマからだ、ダルド!」
 スクリームに近づきすぎていたダルドは今度は一人きりだった。スクリームの攻撃を押さえる者は離れすぎていた。大剣を構えるとダルドに死の一撃を繰り出した。武器を弾かれていたダルドは反射的に身をかわすしかなかった。しかしわずかに間に合わずにスクリームの大剣はダルドの左腕を切り落としていた。
「うわあああ!」
 ダルドの声が響いた。真っ赤な血がほどぼしる傷口を押さえて、ダルドは地面を転げまわった。スクリームは笑いながらダルドにとどめを刺そうと剣の切っ先を地面のダルドに向けた。
 トランスは足下に落ちていた剣を拾うと、夢中でスクリームに向かって走っていた。
「やめろー!」
 スクリームはトランスの攻撃を軽くかわすと、背中を蹴り飛ばした。剣も弾かれ地面に倒れたトランスだったが、素早く立ち上がると、スクリームへ手を伸ばし叫んだ。
「くらえ!」
 トランスの手から衝撃波が放たれ、スクリームはよろめいた。トランスは力を弱めずに衝撃波を放ち続けた。スクリームはトランスを睨み、鬼のような形相をしていた。トランスはそのスクリームに恐怖を感じていた。
「トランス! キ、キサマあ!」
 トランスがスクリームを相手にしていると、アミュレスは肩の短剣を抜き、倒れているダルドに近づいた。ダルドの顔からは生気が失われていくのがすぐに見て取れた。
「……アミュレスか……目がかすんできやがった。……早くトランスを連れて逃げるんだ。あいつに直接攻撃を食らった俺には分かる。あいつは普段のスクリームじゃねえ、何か違うんだ。……奴は倒せねえ……」
 さらに強い衝撃波が放たれると、スクリームは耐えきれずに吹き飛んだ。同時にトランスも力を使いきって気を失うと、その場に崩れ落ちた。ユールはそれを見ているとトランスに駆け寄った。トランスは気を失ったままだった。すぐに助け起こすと、アミュレスとラルファもダルドを抱えて階段まで歩いていた。ハミッドもフラフラとしながら後に続いている。
「キサマら、ゆるさんぞ! 皆殺しだ!」
 背後から恐ろしい声が響くと、スクリームはまるでダメージをうけていないかのように起きあがり、トランス達に向かってきた。両手であの黒い大剣を構えながら。
 負傷していて早く走れないアミュレス達は、すぐにスクリームに追いつかれていた。
「ぎゃああぁぁぁ!」
 スクリームはハミッドの背中に縦一直線に黒い大剣を叩き込んだ。ハミッドはその一撃で絶命していた。アミュレスやラルファはその真っ赤なハミッドの鮮血を全身に浴びた。その後ろには鬼のような形相のスクリームが次の獲物を狙うように大剣を構えている。
「……アミュレス。後は頼んだぜ……」
 ダルドは意識を失いかけながらも、自分を抱えているアミュレスとラルファを突き飛ばした。そしてスクリームに体当たりを仕掛けた。二人は倒れ、スクリームの方はダルドに大剣を突き刺そうともがいていた。
「……何をしているんだアミュレス! このままじゃあみんな死んでしまうぞ! ……俺はもう長くはもたん。何とかスクリームを足止めするから早く逃げるんだ!」
 もう自分が助からないと思い、みんなのために最後まで抵抗しようとしているダルドをアミュレスは何とか助けたかった。しかしこのままではたしかに次々に犠牲が出てしまう。アミュレスはダルドに一度頷いて言った。
「……分かったダルド。後は任せてくれ。必ず仇討ちに再びここに戻ってくるからな!」
 アミュレスは肩の痛みをこらえ、ラルファとトランスを抱えているユールと一緒に走り出した。そしてリークの開けた扉を抜け、階段を駆け上がった。ユールは一度階段の下を振り向くと、スクリームとダルドに聞こえるように叫んだ。
「ダルド……ワイら必ずここから逃げてみせるで! スクリーム! お前はハミッド達のカタキや、いつかお前を倒しにここに戻ってきてやるで!」
 ユールは慎重にスクリームが登ってきやしないかと、後ろ向きに階段を登った。そしてようやく表の空気を肌に感じられる所まで登ると、アミュレス達に背中をぶつけてしまった。
「どうしたんや? 早く逃げなきゃ、スクリームの奴が来るかもしれんで!」
 ユールはそう言って仲間達の方を振り返った。表はすでにブラド監獄の集団に囲まれていた。剣や棍棒を構えている人間、狼や亜人種、ゾンビなどの魔物までが周りを囲んでこちらを睨んでいる。
「俺達ももうおしまいだな……」
 ソーンが呟くと、ブラド監獄の集団の包囲網の奥から返事をするように声が響いた。
「はっはっは。さすがに諦めたようだな。私はもう少しおまえ達のあがく姿を見たかったのだがな」
「そ、その声は?」
 アミュレスが驚いているとその声の主が姿を現した。それはハッディーだった。
「驚いているようだな、皆さん?」
 今度はハッディーの後ろからレクスが現れた。
「そ、そんな。なぜお前がそこにいるんだ? この地下でたしかに倒したはずだぞ!」
 レクサスはフラフラしながらレクスを見ていた。
「簡単なことだ。おまえ達は全員幻覚と戦っていたのだ。あるお方の魔法の力によってな」
 その太く重々しい声で話していたのは獄長スクリームだった。スクリームの声で、意識を失いかけていた者もはっとした。皆、絶望の色を隠せなかった。これまでに倒れていった、ハミッドやダルドはどうなるんだ? と。常に冷静なアミュレス、モーロア、いつも明るいラルファやユールでさえも。
「全く、お前らのあがく姿は面白いわい」
 レクスは不気味な声でヒャヒャヒャと笑うと、囲んでいた魔物達も一緒に笑い出した。
「我々全員が幻覚と戦っていただと? それほどの魔法を使える者などおまえ達の中にいるわけがない!」
 アミュレスは悪夢を降りほどくかのように大声で叫んだ。すると別の方向、森の中から声がした。
「私だよ。もっとも私を知っている者はそちらにはトランスとビルくらいか? ギルディだ」
「ギルディ?」
 トランスとビルはその声を信じたくなかった。しかしその声はたしかにギルディだった。真っ暗な森の中からあの黒いマントに身を包んだ男が現れた。トランスにとって忘れることのできないウォルス親方のカタキ。そう、たしかにその顔はギルディだった。ギルディがこちらへ向かってくると、魔物達はおとなしく道をあけた。
「いい顔だ。おまえ達のような絶望的な表情をしている者を殺すのは私にとってはたまらなく楽しいのだよ。トランスにビル。二人ともおとなしくスクリームの下にいれば良かったものを。残念だ」
「ちくしょう! 好き勝手にいいやがって!」
 ガラムはギルディに飛びかかっていった。魔物達はそれの邪魔をしなかった。ギルディは向かってくるガラムを睨むと、その魔力で逆にガラムを吹き飛ばした。
「ギルディ様。我々も手伝いましょうか?」
 レクスはギルディの横に歩み寄ると、うやうやしく頭を下げていった。
「かまわん。もう少し私に任せてもらおうか」
 ギルディはレクスやハッディー、それにスクリームにも聞こえるように言った。スクリーム達は素直にその言葉に従った。
 ビルとベスクはその間に倒れているガラムを助け起こした。ギルディはじっとその様子を見ていた。そしてガラムがビル達の元へ戻ると、話し始めた。
「さあ、これから君達の運命を決めるわけだが、私の幻覚と戦い、それでも生き残ってきた者達だ。今、ここで殺してしまうのはもったいない気がするのだよ。そこで提案だが、私の部下にならないか? 君達が協力してくれればより早くこの世界を支配できるだろう。もうすでにボルケイノ大陸のルクレール国とミレー国は我が手中にある。これから西へ侵略するのにはこのバオル島が重要な補給経路になるのだ。所詮君達はこれから先、逃げ切ることなどできん。そんな悪あがきをするよりは私の部下になる方がよほど自分達のためになると思うがな」
「そんなことができるか! お前のせいでトランスの親方やランスがあんなことになったんだ。お前の手先になんてなるもんか!」
 ビルは叫んでいたが、皆黙っていた。トランスとビル以外は初めてギルディにあったのでこの条件に悩んでいるのだろうか? 二人は黙っている仲間達の顔を見た。するとミニングは震えていた。
「何だと? ミレーを手中に治めただと? ミレーには私の仲間達が大勢いるのだ、そんなことがあるはずがない!」
 ミニングは信じられないといった表情でギルディに向かって叫んだ。ミニングはミレーという国と関係があるのか? と、トランスは思った。今までミニングはそのような話をしたことがなかったからだ。続けて今度はモーロアが口を開いた。
「まさかルクレールを、あの国を手中に治めたじゃと? ルクレール国はそんなに攻略がたやすい国ではないぞ! おぬしの言葉など信じられぬわ!」
 モーロアは鋭い目でギルディを見た。すると突然何かをふっと思い出したかのような驚いた顔をした。
「そうか! お主達はあの北の死の森から来たんじゃな? ルクレール国の者はあの森には魔物がいるといって近づくことがなかったからのう。お主達魔界の連中はボルケイノのルクレール国とミレー国を滅ぼしたということか?」
「滅ぼしたとは聞こえが悪いな。私はルクレールの王と協定を結んだのだ。ミレーにはあいにく王はいなかったがな」
 ミニングはその言葉にただ自分の怒りを抑えているので精いっぱいだった。本当なら戦ってギルディを倒してやりたい。しかし今の体の状態では……。しばらくの沈黙が流れると、ギルディは最後の説得を始めた。
「さあ君達、どうするか決めたかね? 決まったなら答えを出してもらおうか。今ここで我々に殺されるか、それとも私の部下になるか、だ」
 ギルディの追いつめるようなその言葉にも、トランスは動かなかった。今ギルディの言う通りにしなければみんな殺されてしまう。しかしそんな条件などのめないと、トランスの心は言っていた。アミュレスはトランス達が動かないのを見ると、ギルディにゆっくり近づいていった。魔物達はギルディの前に立ち、アミュレスを止めようとしたが、ギルディはそれを制した。
「ギルディ、といったな。その話は本当なのか? 我々の命を見逃してくれるのか?」
「もちろんだ。信用したまえ。さあ、武器を捨ててこちらへ来るのだ」
 ギルディはそう言ったが、アミュレスはある程度ギルディに近づいたままじっと顔を見ているだけだった。するとアミュレスは何かを理解したかのような表情を見せた。
「ギルディ、やはりお前は我々を殺すつもりらしいな。そしてその後、西へ魔の軍団を進めるつもりか。私に嘘は隠し通せんぞ」
「何、キ、キサマ!」
 ギルディが驚きの表情を見せると、アミュレスは呪文を唱えた。目の前に小さな竜巻が現れると、すさまじい勢いでギルディを包み込んだ。ギルディは笑っていた。
「フン、これが魔法か? まるで効かんな」
 ギルディが一声発すると、竜巻はかき消されていた。アミュレスは自分の放った呪文が一瞬で消えてしまったのに驚くと、ギルディはすかさず沈黙の呪文を唱えた。アミュレスは抵抗できずに呪文を受けてしまった。
「おとなしく私の言葉に従っていれば苦しまずにすんだものを……。まあ、死に方は人それぞれだ。苦しんで死ぬのもいいだろう!」
 要求を聞かなかったトランス達に怒ると、火炎の呪文を唱えた。それは真っ直ぐにアミュレスに襲いかかっていった。
 ボウッ。
 火弾の炸裂する音と熱気に、アミュレスは死を予感した。だがアミュレスは生きていた。目の前には炎に包まれた人間が立っていた。その人間はレクサスだった。
「ぐうっ。アミュレスしっかりしろ! 早く逃げる方法を考えるんだ! お前達ならきっとできるはずだ!」
 レクサスは今にも炎に焼き付くされそうになってもアミュレスに声を掛けていた。その姿に他の仲間達も我に返った。
「おいアミュレス! 何とかならないのか、お前の魔法で。レクサスがああ言っているんだぜ!」
 リークは周りを囲んでいる監獄の者達が自分達に向かって襲いかかってこないかを注意しながら、アミュレスに声を掛けた。しかしすでにアミュレスはフラフラの状態だった。
「すまないなリーク。ギルディに魔法を封じられ、魔力自体も底を突いているんだ。さっきの攻撃でギルディを倒すことができなかったので万事休すだ」
「悪あがきをしおって!」
ギルディが睨むと、炎に包まれていたレクサスは力つき倒れた。その姿はもう人間をしておらず、黒い炭の塊となっていた。
「さあ、次は誰が死にたいかな?」
 ギルディはトランス達を見渡した。睨み返している者、呆然としている者、おびえている者など、その表情は様々だ。
「次に死を望んでいるのは……キサマだ!」
 ギルディはガラムに手を向けた。トランス達は必死にガラムを動かそうとしたが、重傷で大柄のガラムを動かすことは困難だった。
「もう俺のことはかまわなくていいぜ……」
「そんなこと言うなよガラム!」
 トランス達が必死になっていると、ギルディの手が光った。もうダメだ、とみんなが思ったときに小男がガラム達の前に仁王立ちになった。
「皆さん、さよならでやんす。ガラム、あんたと一緒にいられて楽しかったでやんすよ」
 ガラムはベスクの声に何とか体を起こし、何かを言おうとするとすさまじい閃光で目がくらんだ。その瞬間に爆発が起こり、ガラム達は数メートルも吹き飛ばされた。しばらくして目が元に戻ると、そこにはベスクの姿はなかった。ただ、ベスクの着ていた服の切れ端や、赤やピンクの有機物が散乱しているだけだった。トランス達は次々と仲間達が殺されていき、まともな思考でいられずにいた。しかしアミュレスは冷静に考えていた。
「トランス。今の状態ではお前の力だけが頼りだ。頼む、みんなを救ってくれ! お前のその力なら空間移動の術が使えるはずだ」
「空間、移動?」
「そうだ。念じるんだ!」
 トランスはアミュレスの言葉に戸惑ったが、殺されていった者達のことを思うと、フラフラの体を奮い立たせ、叫んだ。
「みんな! 周りに集まって!」
 すると、監獄の者や魔物達とにらみ合っていた仲間達は不思議に思ってトランスを見た。その真剣な表情にすぐに仲間達は集まった。
「みんな、僕の前から動かないで! 僕の魔法でここから脱出するから!」
「このまま尻尾を巻いて逃げるってのか? 俺はイヤだ! ベスクを殺しやがったあのギルディをぶっ殺すぜ!」
 ガラムはかみつくような勢いでトランスに言った。
「まだわからんのかガラム? 今のワイらじゃあいつらにはとても勝てんで。ワイらがここで死んでしもうたら誰が仇を討つんや?」
「くっ、そうだな。……分かったよユール」
 ユールの言葉にようやくガラムが納得すると、トランスは仲間達の前で精神集中を始めた。
(僕にみんなを助けられる力があるのなら、今、みんなをここから遠くへ飛ばしてくれ! ギルディ達の手の届かないところへ……!)
 トランスは精神を集中してそう念じた。すると、目の前にいたリーク、ティーク、ラルファ、ユール、ソーンの姿がぼやけるようにゆらゆらとし始めた。そう、まるで蜃気楼のように。そして五人は霧のようになり、消えた。
「うまくいったのかトランス? もう少しだぜ!」
 ビルはトランスを励まそうとしたが、トランスはフラフラとすると地面に膝をついた。目の焦点も合わず、今にも気絶しそうだった。ギルディはその空間移動の術に驚いていた。
「トランスめ……。空間移動の術まで使えるとはな。私の気付かぬうちにずいぶんと成長しているらしいな。しかしそれでもまだお前には使いこなせない力だ。よかろう、お前達! あの小僧と魔法使い以外は殺してもかまわん! せいぜい楽しむがいい!」
 ギルディの言葉によって今までじっとしていた魔物達はじわじわとトランス達を取り囲んでいった。悪魔の笑みを浮かべて。監獄の者達もざわざわとし始めた。
「ギルディ様の許しが出たんだ。どうする?」
「今残っているのはフラフラの奴等とジジイだぜ。あまり楽しませてもらえそうもないな」
 相手側から笑い声が聞こえる中、魔法力をほとんど使い果たし、魔法も封じられているアミュレスは、倒れているトランスをかばうように魔物に向き合い、他の者も最後の抵抗を試みようとしていた。
 トランスは薄れゆく意識の中で、誰かが近づいてくるのが分かった。しかし不思議と恐怖は感じなかった。むしろトランスは近づいてくる者に温かいものを感じていた。

 ……目の前に現れた男はウォルスだった。

(どうしたんだトランス? お前はまだまだ力を秘めているはずだぞ? さあ、仲間を助けてやるんだ。ギルディと戦うのはまだ先だ。今のお前には早すぎる。これから時間をかけて成長していってくれ。そして俺や俺の仲間、お前の両親の仇を討つんだ!)
「ウ、ウォルス親方!」
 トランスがはっとして立ち上がると、すでにウォルスの姿は見えなかった。周りを見渡すと、ビル、アミュレス、モーロア、ミニング、ガラムが魔物達と戦っている。トランスは再び精神集中を始めた。するとビル達も最初に姿を消した五人と同じように霧のように消え去った。魔物達は突然目の前のエサを奪われたことに戸惑い、きょろきょろとしている。



「ここはどこなんだ?」
 ティークは突然目の前の監獄の者や魔物達、それにスクリームや黒いマントの男が消えてしまったことに驚いてきょろきょろと辺りを見渡した。うっそうと木々が生い茂っている。
「どうやらトランスの魔法のおかげで俺達は助かったみたいだな」
 リークは周りをくるくると見ながら言った。周り全てを木々に囲まれ、まるで森の中へ放り出されたようだった。ラルファは余り地形は気にせずに、仲間達の顔を見ていた。
「? 他のみんなはどうしただ? オラ達、五人しかいないだよ」
 ラルファがそう言った時に、背中に重いものが落ちてくるのを感じた。悲鳴を上げると、背中に落ちてきたものを振り返った。それはもぞもぞと動き出した。
「お前は……ラルファじゃねえか!」
 背中から聞こえた声はガラムだった。よく見ると他のビル達もいつのまにかラルファの背中に乗っていた。慌てて背中からおりると、それぞれの無事を確かめた。しかし皆が落ち着いてくると、誰かがいないことに気付いた。
「そんな、……トランスがいない!」
 ビルは何度も仲間達の顔を見てトランスを探したが、自分を含めてもこの場には十人しかいなかった。トランスを見つけることはできなかった。
「……向こうに気配がする。……音も聞こえるぞ!」
 リークは暗がりを指さした。仲間達はリークの指の方向を向くと、目を凝らし、耳を澄ませた。すると空は真っ暗なので森の中、光を放っている場所が確認できた。その光は監獄の者達のたいまつに違いないとみんなが思ったときに大きな声がリーク達の所まで届いた。
「何だ、どうしたんだ! ヤツラはどこへ消えた! この俺はまだおまえ達に楽しませてもらっていないぞ。トランス! お前の仲間はどこへ消えた!」
 その大きな声の主はあのスクリームだとすぐに分かった。しかしそのことよりも、トランスがまだ逃げ出せずに敵に囲まれたままらしいということが分かり、ビル達は絶望した。
「何でトランスだけ残っちまったんだ……」
 ビルががっくりと膝を付くと、横にいたアミュレスが言いにくそうにつぶやいた。
「トランスは始めに五人を空間移動したときに、すでに限界に達するほど体力、魔力を消耗していた。だがトランスは私の言う通りに私達を助けてくれた。残りの全ての力を使いきってな。これは私の責任だ。……トランスは私が助けにいく!」
 アミュレスは重い脚を引きずって光のある、スクリーム達の声がする方角へ歩き出そうとした。しかしすぐによろめくと、モーロアに押さえられた。
「魔法を封じられ、消耗しきった今のお前さんでは無理じゃ。ここはまだ余力のある儂に任せてもらおうか」
 モーロアはアミュレスを他の者に任せると、歩き出した。怪我も少なく、余力もあるリークとティークはその後ろ姿を見るとすぐについていった。モーロアは二人に気付くと、黙って頷いた。ふらふらのアミュレス達はただじっとその姿を見ることしかできなかった。その時に一瞬、月明かりが消えた。それはほんの一瞬だったのでほとんどの者は気付かなかった。しかし弓の技能を持ち、野外での行動に慣れているソーンだけはいち早く気付き、空を見上げていた。黒い大きなコウモリのようなもの。普通の獣と違い、気配こそ感じなかったが、それがかえって不気味に感じた。それは音もたてずにモーロア達の頭上を飛び去ると、真っ直ぐにブラド監獄のトランス、スクリーム達の方へと飛んでいった。

 トランスは力を使い果たし、立っていることもやっとだった。しかしビル達十人をこの場から脱出させることができ、不思議に恐怖はあまりなかった。ビル達はどこへいったのだろう? スクリームは真っ赤な顔をしてトランスを睨んでいたが、それも気にならなかった。
「このガキめ! つまらんことをしやがって!」
 スクリームは自分の楽しみを奪われた怒りを全てトランスにぶつけようとしていた。トランスは逃げようとはしなかった。もう覚悟はできていた。これ以上自分はどうすることもできない、と。
 スクリームはトランスをつかみあげると木に叩きつけた。武器は使わずに素手でいたぶり殺そうとしていた。いいように殴られ、トランスの肌は紫色になり、血の赤と土の色が混ざり合っていた。ギルディは静かにその様子を見つめている。スクリームは攻撃の手を休めなかった。トランスは口から血を吐き、両目も腫れ上がっているせいですでに開くことはできなかった。それはまるで嵐の日の木の葉のように弱々しく、スクリームの怒りの攻撃で宙に投げられていた。
 周りを囲んでいる魔物達はいやらしい笑みを浮かべてトランスの様子を見つめている。トランスが地面に崩れ落ちると、スクリームは上から踏みつけようと脚をあげた。
 その時に急にスクリームの攻撃が止まった。トランスは薄れていく意識の中で、何が起きているのかを考えようとしたが無理だった。そのうちに体が宙に浮くような感覚に襲われた。スクリーム達の声は小さくなっていく。トランスはこれが死というものなのか、と妙に納得していた。思っていたよりも恐いものではない、と。そして最後にビル達を助けることができたのに安心すると、クライム、ザロック、ハミッド、ダルド、レクサス、ベスク、そしてランスとウォルス親方に再び会えると思い、安心して暗い闇の中へと落ちていった。どこまでも。
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