戦艦”ポチョムキン”Studio@世界を制するメモ帳

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序文


私は忘れもしない2004年10月23日、中越地震で被災しました。

私は長岡市という新潟でも2番目に人口の多い地方都市の、特に被害のひどかった地区に住んでいました。
そらぁ~もうひどい被害でしたが、幸いなことに家屋の倒壊だけはまぬがれました。
それでも、近隣の住宅4棟が完全に倒壊(全壊判定で家屋を撤去)。
からくも倒壊を免れたうちを含めた住宅でも、ほとんどの家屋が半壊以上でした。
あれから約2年。家を修繕し、仮設住宅を出てまた元通りに近い形で生活するに至りますが、あの時の記憶は今も私の中に鮮明に残っています。

あの地震の後、みんな口々に言ってた言葉。
「こんな災害は一生に一度の経験だぁ」
「こんだけの地震であれば、もう死ぬまで地震の心配はねぇ」

震災当時、挫けそうな互いの心を励ます言葉でした。
きっとあの時はみんな”この言葉”を信じなきゃやってられないって心境だったんでしょう。
余震が続く中、それでも少しずつ余震の規模も小さくなって、電気、水道、ガスなど、ライフラインも復活してくると、なんか漠然と、「もう大丈夫!」なんて思ったりしてました。

でも、またこうして普通の生活に戻ってみるとあの時のことを思い出すんですよね。

何の前触れも無く、突然の大地震で家を失う。
中には死ぬ人もある。家族を失う。大切な人を失う。

何の前触れも無いんですよ。
これを書いている今日は9月12日。5年前に起こったアメリカ同時多発テロも、突然、何の前触れも無く起こって、
2973人もの命を奪ったんですよね。
自分が死ぬかもしれないなんて、これっぽっちも思ってなかったでしょう。



あなたはどうです?この瞬間死んでしまうことなんて考えますか?



話を戻しましょう。

ニュースや、世相、何気なく見上げる空、震災を忘れつつある郷土。
いつも見ている日常ですが、こんな日常がふとたまらなく怖くなることがあります。
「なんでこんなに平和なんだろう」
世界の一部では今日も紛争で人が死ぬ。テロで人が死ぬ。飢餓で人が死ぬ。
毎日、毎日、その日死ぬなんて思ってない人が死んでるのに、俺の周りは今こんなに平和。

「こんな日がいつまでも続くわけ無いんじゃないか?」

ふと、怖くなるんです。
つい、ここ100年くらいの間に世界中を巻き込んだ2度の戦争が起こって、何千万人の人が死んだのに、私たち若い世代は今の平和が当たり前だって思ってる。

今私たちが置かれている平和は、思ってるよりもずっと脆くて、
いつ壊れるかわからない微妙なものなんじゃないだろうか。
もしかすると気づかないところで、とっくに綻び始めていて、
「平和」が壊れてしまう日は、すぐ、ほんのすぐそこに迫っているかもしれない。

自然災害、戦争、飢餓、環境の激変、
何が起こるかわからないけど、いつか何か起こるのは間違いなさそうだ。
私たちが今できることって何だろう。

そんなことを考えてたら…うん。いいアイデアが浮かびました。

……












……「とりあえず防災グッズでも買ってみるか(笑)」



正直これくらいしかできることってないっすよね…(汗


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