いろんな意味で
自分ってほんと馬鹿だなーと思ったわけ。
むしろこれは馬鹿を通り越してキチガイ沙汰なのでは、と。
――今日の帰りですよ。J駅で乗り換えのために改札の横を歩いていたんですね。私はT駅経由の定期しかないんですが、気分によって別経由で帰ったりするんですよ。
で、ちょうど
駅員詰め所 改札 改札 改札いっぱい 改札 階段
の階段のあたりに差し掛かったときですね、音楽聴きながらだったのですが小銭を落とした音が聞こえたわけですよ(地獄耳☆)
みたら一番右の改札を通り抜けようとしたばあさんが小銭を落としている。
機嫌がいいときの私はびっくりするほどいい人ですから(自分で言った時点でいい人じゃないだろ)、拾ってあげる。音楽聴きながらでもお金拾えるし
… 一 円 か よ w
さてここでね、普通の人ならお金、ネコババすると思うんですよ。
一円玉だし、おばさんは改札通り抜けちゃってるし、自分は改札出れないし、だいたい誰も見てないんですよ、そんな小さなエピソード。見てたとしてもネコババを誰がとがめたりしますか。
なのになぜか私何も考えずにおばあさんを呼んでたんですよ。
冷静になって考えれば考えるほど意味が分からない。
一円を拾って渡したところで誰に何のメリットがあるのか、と。
人もいっぱいいるのに恥ずかしくないのか、と。
自分の行動が理解できないんです。そのくらい何も考えずに――つまりお金を拾って渡すことへの抵抗や恥ずかしさとか、おばあさんを喜ばそうとか、いい人ぶろう、とか。この合理主義の私がですよ、何も考えずにね。信じられない
でまあ、おばあさんは耳が遠くて改札の向こうをどんどん左へ歩き始めてしまったわけですよ。イヤホンはずして「お金落としましたよ」と叫んでも気づいてない。こっちもなんていったら呼び止められるかわからない
帰宅途中のリーマンとか学生とかみんな変な目で見てる気がしたが
改札から身を乗り出しても声は届かない
改札越しにこっちも左へ移動しても届かない
改札の外にいるおじさんが「なんなら俺が呼び止めてやろうか」って感じの目
もう諦めて、詰め所の若い駅員さんに言いました
「あのおばあさん、そうチェックの。チェックのあの服のおばあさんがお金、一円、一円玉落としてったんです、やけどウチ定期、出れないから、あの渡したってください」
「えっ一円・・・?あ、あの人?
ほんじゃ僕ここで見とくんでどうぞ通って渡しにいったげてください」
で、一円渡して終了。
一円やで…?
なんかしらんけどいいことした、今日。
いや、脳レベルの低さを街行く人々に見られただけか(笑)
それにしても、あそこまで感情より思考より先に体が動いたのは久々の感覚だったなあ。