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*古術:十人取りのこと(2006-10-17) #counter 古術には、相伝に当たって、「十人取り」と言う真剣手合いを行わねばならない、と言う伝統がある。門外不出と矛盾するようだが、これは結構相伝に当たっての一つの関門であった。 なぜ、十人なのかと言ういわれは特にないのだが、恐らく、その程度は必要と言うことで、切りの良い数字を持ってきたのであろう。 私が、三十を過ぎて、先代もかなり老い、いよいよ相伝のことを真剣に考えなければならない時期に来ていたとき、この十人取りについては、相当に二人で悩んだ。 まさか、今時、町中の実戦ということもできないし、さてどうしたものか?と考えあぐねていた時、これがまた不思議なもので、武道関係の雑誌で、日本拳法道の存在を知り、私は、これだと思った。 ルールを見る限り、これこそ、古術の「十人取り」をするにふさわしいと思った。先代に話すと、「そら、日本拳法より、古代相撲だなあ。」と言って感心していた。 元々先代は、日本拳法のルールなら古術の技も使いやすいため、「やるなら日本拳法だろうな。」と言ってたので、私にとっては、日本拳法はもともと特別な存在であった。 しかし、一度日本拳法の門もくぐったが、組み手で本当ににぼこぼこにされ、とてもではないが続かない、と根を上げた経験がある。 その頃は、まだ、古術の相伝などには無関心であったし、先代の嘆きなども鬱陶しいだけであった。 しかし、先代も老い、時折本当に寂しそうな顔を見ると、私も、せめて先代の生きている間に、後のことはともかく継ぐだけ継ごうか、と思うようになった。 しかし、「十人取り」には抵抗があった。防具付きとは言え、型稽古中心の私にとっては、かなりの抵抗があったことも事実である。 しかも、当時の「日本拳法道」は無差別で試合をしていたので、小柄な私にとっては、相当に苦になる修行であった。 そういう経緯もあり、日本拳法道の大会に三十過ぎて出るようになった。当時、取り憑かれたように他流試合をこなす私のことを周囲は怪訝そうに見ていたが、実はそういう事情があったと言うことである。 また、古術が宗家相伝に当たって、なぜ「十人取り」にこだわるかというと、手形だけでは学べない真剣手合い特有の「魂捨猪振」の境地を学ばさせるためというのが大きい。 これに加えて、実地に体験して、古術の手を形骸化させないため、また、古術の手が実地に使えることを知らしめるため、などと「言伝」にある。 現代では、古術の手が使える総合格闘技の試合も増えてきたので、勝敗はともかくとして、いつか誰かが「十人取り」を行い、相伝する日を夢見ながら、私は稽古を続けている。 ちなみに、十人取りとは真剣手合いを指すので、私は、防具付きなら「百人取り」にあたるだろう、と思って各種オープントーナメントに取り組んだが、昇段審査の組み手や、大会などをふくめても恐らく、八十戦ぐらいかなと思ってる。 ただ、中学時代の剣道の試合を入れると、取りあえず百試合は行った感じもするので、自分なりに、なんとか「十人取り」はいったんじゃなかなと思っている。 考えてみれば、古術を否定しながら、結局は古術とともに生きてきたなと最近痛感している。 私の最後の仕事は、この古術の継承者と出会うことである。それがために、今は生きている。 「系譜無き、言われも無き、この手をば、そなた継ぐと申すなら、継ぐが良し、全ては風のままに」 これは、目録を取って、正式の伝承人となるときに、入門誓句の折りの口上のひとつである。(館長)
*古術:十人取りのこと(2006-10-17) #counter 古術には、相伝に当たって、「十人取り」と言う真剣手合いを行わねばならない、と言う伝統がある。門外不出と矛盾するようだが、これは結構相伝に当たっての一つの関門であった。 なぜ、十人なのかと言ういわれは特にないのだが、恐らく、その程度は必要と言うことで、切りの良い数字を持ってきたのであろう。 私が、三十を過ぎて、先代もかなり老い、いよいよ相伝のことを真剣に考えなければならない時期に来ていたとき、この十人取りについては、相当に二人で悩んだ。 まさか、今時、町中の実戦ということもできないし、さてどうしたものか?と考えあぐねていた時、これがまた不思議なもので、武道関係の雑誌で、日本拳法道の存在を知り、私は、これだと思った。 ルールを見る限り、これこそ、古術の「十人取り」をするにふさわしいと思った。先代に話すと、「そら、日本拳法より、古代相撲だなあ。」と言って感心していた。 元々先代は、日本拳法のルールなら古術の技も使いやすいため、「やるなら日本拳法だろうな。」と言ってたので、私にとっては、日本拳法はもともと特別な存在であった。 しかし、一度日本拳法の門もくぐったが、組み手で本当ににぼこぼこにされ、とてもではないが続かない、と根を上げた経験がある。 その頃は、まだ、古術の相伝などには無関心であったし、先代の嘆きなども鬱陶しいだけであった。 しかし、先代も老い、時折本当に寂しそうな顔を見ると、私も、せめて先代の生きている間に、後のことはともかく継ぐだけ継ごうか、と思うようになった。 しかし、「十人取り」には抵抗があった。防具付きとは言え、型稽古中心の私にとっては、かなりの抵抗があったことも事実である。 しかも、当時の「日本拳法道」は無差別で試合をしていたので、小柄な私にとっては、相当に苦になる修行であった。 そういう経緯もあり、日本拳法道の大会に三十過ぎて出るようになった。当時、取り憑かれたように他流試合をこなす私のことを周囲は怪訝そうに見ていたが、実はそういう事情があったと言うことである。 また、古術が宗家相伝に当たって、なぜ「十人取り」にこだわるかというと、手形だけでは学べない真剣手合い特有の「魂捨猪振」の境地を学ばさせるためというのが大きい。 これに加えて、実地に体験して、古術の手を形骸化させないため、また、古術の手が実地に使えることを知らしめるため、などと「言伝」にある。 現代では、古術の手が使える総合格闘技の試合も増えてきたので、勝敗はともかくとして、いつか誰かが「十人取り」を行い、相伝する日を夢見ながら、私は稽古を続けている。 ちなみに、十人取りとは真剣手合いを指すので、私は、防具付きなら「百人取り」にあたるだろう、と思って各種オープントーナメントに取り組んだが、昇段審査の組み手や、大会などをふくめても恐らく、八十戦ぐらいかなと思ってる。 ただ、中学時代の剣道の試合を入れると、取りあえず百試合は行った感じもするので、自分なりに、なんとか「十人取り」はいったんじゃなかなと思っている。 考えてみれば、古術を否定しながら、結局は古術とともに生きてきたなと最近痛感している。 私の最後の仕事は、この古術の継承者と出会うことである。それがために、今は生きている。 「系譜無き、言われも無き、この手をば、そなた継ぐと申すなら、継ぐが良し、全ては風のままに」 これは、目録を取って、正式の伝承人となるときに、入門誓句の折りの口上のひとつである。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]

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