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*硬式空手のこと(2006-10-26) #counter 私は、三十過ぎてから、四十までの十年間。古術相伝最終行法「真剣手合十人取り」の替わりとして、「防具百人取り」を行ってきた。古術で言う「真剣手合」とは、双方が本気でやる他流試合を指しているので、防具付きだと100人かなと思って、私は一つの行として取り組んでいた。 その関係で、硬式空手の大会にも何度か出場した。その福岡県大会で、手合った相手の中に大変強い人がいたので、その体験を書きたい。 私は、硬式空手は日本拳法道より安全だと思っていたが、レベルは高く、なかなか強い選手達と対戦すことになって、認識を新たにした。硬式のルールは伝統派もでやすいし、フルコン系も出やすいので 打撃の公開他流試合のようなところがあり、なかなか面白かった。 それで、始めて出た大会で、相手は二十代、慎重180,体重80Kぐらいで見るからに強うそうな選手と対戦した。見るからにだけでなく、実際強くて、今までの他流試合の中では、一番強烈な面突きをもらい、膝をつくダウンをきっした。 今でも、思い出すたび、スーパーセィフの面が無かったら、確実にあの日私は死んでいたと思う。 護身を考える上で難しいのが、この実戦体験だと思う。私は、真武館の全日本体重別にも出たことがあるので、分かるのだが、確かに、より実戦に近い形で手合う方が、極める上で効果があるのだが、 問題は、負け即死なら、護身にならないという矛盾点である。 これが、今でも私を悩ませている。最初から達人はいないわけだから、その過程において 行法の一環として、他流試合を行い、再起不能な大怪我をして、武道を断念したら、何のための護身かも分からない。かと言って、型稽古だけでは、どうしても図上演習になりがちで、いざと言うときに使えないでは話にならないし、難しい問題である。 防具を付けていても、やってる当人同士は、今の突きで「俺は死んでる」とかは分かるので 安全と実戦ということを考えると、防具付きというのは、やはりかなり優れた修練システムなのではないどろうか? あの日、面が無かったら、確実に死んでいたので、その後の他流試合もできなかったし、 こうして、ブログなどに文章を書くこともなかったであろう。 それを思うと、「死合」は生涯出くわしたくないなといつも思う。 試合後にその選手と話したが、北斗旗に選手を送っている有名な会派の指導員だった。 昼間は霊派治療をし、夜は毎日空手をしていると言うので、言わばプロのようなものだったから なるほど、勝てる訳がないなと納得した次第である。 よりリアルな実戦体験の有効さと再起不能の怪我の恐れ。この間で、十年「百人取り」の行法を行っていた。ごく普通の生活を送っていた私にとっては 「防具百人取り」も、けっこうな荒行であった。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]
*硬式空手のこと(2006-10-26) #counter 私は、三十過ぎてから四十までの十年間、古術相伝最終行法「真剣手合十人取り」の代わりとして「防具百人取り」を行ってきた。古術で言う「真剣手合」とは、双方が本気でやる他流試合を指しているので、防具付きだと百人かなと思って、私は一つの行として取り組んでいた。その関係で、硬式空手の大会にも何度か出場した。その福岡県大会で手合った相手の中に、大変強い人がいたので、その体験を書きたい。 私は、硬式空手は日本拳法道より安全だ、と思っていたが、レベルは高く、なかなか強い選手達と対戦することになって、認識を新たにした。硬式のルールは伝統派も出やすいし、フルコン系でも出やすいので、打撃の公開他流試合のようなところがあり、なかなか面白かった。 それで、初めて出た大会で、二十代の、身長180cm、体重80kgぐらいで見るからに強そうな選手と対戦した。見た目だけでなくて実際強く、今までの他流試合の中では、一番強烈な面突きをもらい、膝をつくダウンを喫した。 今でも、思い出すたび、スーパーセーフの面が無かったら、確実にあの日私は死んでいた、と思う。 護身を考える上で難しいのが、この実戦体験だと思う。私は、真武館の全日本体重別にも出たことがあるので分かるのだが、確かに、より実戦に近い形で手合う方が、極める上で効果があるのだけれども、問題は、負け即死なら護身にならない、という矛盾点である。 これが、今でも私を悩ませている。最初から達人はいないわけだから、その過程において、行法の一環として他流試合を行い、再起不能な大怪我をして武道を断念したら、何のための護身かも分からない。かと言って、型稽古だけではどうしても図上演習になりがちで、いざと言うときに使えないのでは話にならない。難しい問題である。 防具を付けていても、やってる当人同士は、「今の突きで俺は死んでる。」とかは分かるので、安全と実戦ということを考えると、防具付きというのは、やはりかなり優れた修練システムなのではないどろうか? あの日、面が無かったら確実に死んでいたので、その後の他流試合もできなかったし、こうして文章を書くこともなかったであろう。それを思うと、「死合」には生涯出くわしたくないな、といつも思う。 試合後にその選手と話したが、北斗旗に選手を送っている有名な会派の指導員だった。昼間は霊派治療をし、夜は毎日空手をしていると言うので、言わばプロのようなものだったから、なるほど勝てる訳がないな、と納得した次第である。 よりリアルな実戦体験の有効さと、再起不能の怪我の恐れ。この狭間で、十年「百人取り」の行法を行っていた。ごく普通の生活を送っていた私にとっては、「防具百人取り」も結構な荒行であった。(館長) [[風門の儀に戻る>風門の儀]]

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